last kiss
最後の貴方
時は来た。アタイにとっては不謹慎ながらも来て欲しくなかった時が。
アタイの、皆が見守る中、あいつは淡い光に包まれていく。
「まこっちゃん…」奴と同じ世界からきた少女が心配げに呟いた。
「それじゃ、きっと戻ってくるさかい」奴はアタイらにそう、一言告げると微笑みを浮かべる。
やがてその光は強いそれとなり、一点に収束。
奴の微笑みごと虚空へと、その存在を消しさった。
砂塵が舞う、奴の立っていた場所にはその影すらもなかった。
「大丈夫ですやろか…」腐れ縁の風の神官が、奴の消え去った後を眺めながらアタイに尋ねる。
「それはアタイよりもテメエの方が良く分かってるはずだろ」
答えながら、アタイは自分の唇に右手の人差し指を添える。
アフラの問いの意味するところは分かっている。誠の奴の時空移動は完璧ではないのだ。
だが奴を止めることはできなかった、それはそれで良いと思っている。アタイが誠だったら、同じ事をしているに違いないから。
それに…
「きっと戻ってくるさ,アフラ。テメエやストレルバウ博士、それに色んな奴等が協力したんだ。それに、誠の奴が今、最後にそう約束しただろ」
「…そうどすな。この世界からいなくなってしまったってことで、えらく誠はんの存在が希薄に感じてしもうて」
アタイは目を閉じて、再び唇を中指と人差し指で隠すように再び触れた。
”誠…確かにお前はエルハザードにいたよ”
唇に未だに残るぬくもり。
かつては忘れることができないこれに何度も悩んだが、今は心の差さえ。
この奴のぬくもりが消えることはない、アタイが奴を,誠の暖かさを忘れるまでは、絶対に。
これは春を間近かに控えた、よく冷えたある日のことだった。
アタイと誠はとある遺跡からロシュタリアへの道を2人(+1匹)で歩いていた。
そして雪どけ水で増水した河に掛かる橋を通過しようとしたときに、それは起こった。
「ウーラ、走ったら危ないで」
露結した木製の橋を、アタイと誠は眼下にゴウゴウと音を立てて流れる水を見ながらゆっくりと歩いていた。
対する猫のウーラはそんなアタイらにおかまいなしに走っていく。
「肉球のおかげか?」
「うにゃにゃ!」アタイのボケが終わるか終わらないかの内に前方から叫び声!
「ウーラ!」
バシャン!
「マコトぉぉ〜」思った通り足を滑らせ、水しぶきをあげて、みるみる内に流されていく猫。
「ウーラは猫やから泳げないんや!」誠の叫びにも似た声。
「チィ!」
「シェーラさん、あかん!」誠が止めるまもなく、アタイはうねる水の中へ飛び込んだ!
バシャ!
”冷てぇぇぇ!!”
次第に手足の感覚がなくなってくる。
アタイは自分のものでなくなっていくような感覚を受けながらも、流されながら水面でもがくウーラを捕まえ、そして…
「うおぉぉぉりゃぁ!!」
ブゥン
岸に向かって投げた。
ベチャ
「うにゃ!」
「シェーラさん!」入れ変わるように誠からロープが投げ込まれる。
アタイは結構ずれた場所に落ちたそれに手を伸ばし…
「あ、あれ?」
手が動かなかった,それだけではない、水を掻く足も、そして口すらも、もはや他人ものになっていた。
”これが冬の水の怖さかよ…”場違いな感心,同時に薄れ行く意識。
視界が水面に没する。
アタイはアタイを呼ぶ誠の声を聞きながら、妙に心地好い凍てついた水中へと無条件にその身と心を任せていった。
“寒い…”
暗闇の中、アタイは呟く。
上も下も分からない、しかし何故か安心できるこの暗闇。
なんだか全てを忘れて、このままぼーっとしているのも良いかもしれない。
ただ、全身が寒かった。
と、唇に不意に暖かさを感じる。
全身を包む寒さが安息なら、唇に生まれた暖かさは優しさ。
“あたたかいな”
やがて唇から生まれたその暖かさはアタイの全身に行きわたる。
そろそろ戻らなくちゃいけない。
そう思った途端、暗闇は裂け、まぶしい光が現れた。
…ごほっごほっごほっ、ぶあっくしょい,べらんめぇ!」
アタイは鼻をすする、全身がびしょぬれのまま、河のほとりに横たえられていたようだ。
目の前には呆然とした誠の顔がある。
やがてその表情は歓喜のそれとなり、アタイに抱きついてきた!
「よかった、シェーラさん! ほんに、良かった!!」
「お、おい、誠…」耳元で叫ばれ、きつく抱き絞められる。
冷えきったアタイの体に、誠の体温が伝わってきた。
”あれ、これってどこかで…”
「死んでまうかと思いましたよ、無茶せんといてください!」
誠の体が離れ、再び冷気にさらされる。
だが反比例的にアタイの顔が恥ずかしさに赤く染まっていく。
「あ、ああ,ところでよぉ、なんか燃やすもん、ねぇかな」
アタイは顔を逸らして誠に言った。
「すいません、今集めてきます」
駆けて行く誠。
「ぶはっくしょい!」寒さにたまらず一発。
「しぇーら」神妙そうな猫がアタイの前に出る。
アタイはやや乱暴に、そのしっとりと濡れた頭を撫でてやる。
「おう、ウーラ、大丈夫か?」
「アリガト、しぇーら。うーら、反省」
「ああ、しろしろ。ちったぁ、誠の言うことも聞いてやれよ」
「ウン」
「ところで…」アタイは声を落としてウーラに尋ねる。
「アタイはどうやって助かったんだ?」
「しぇーら、ナントカろーぷニヒッカカッカ」
「そうか…」
「誠、一生懸命人工呼吸、シタ」
「…え?」
「もって来ました、シェーラさん」
「お,おぉ」アタイは慌てて振り替える。
誠は両手一杯の薪をアタイの前に置いた。
アタイは法術でそれに火を付ける。
小さな種火は次第に大きな炎になっていく。
その短い間、アタイは話すことも、話されることもなかった。
妙な気まずさ、それは誠の奴にとっても同じだったに違いない。
「ところでよぉ、誠」
「はい?」
アタイは自分の唇に指を添える。
仄かにぬくもりが残っていた。それが何なのか…
「…いや、何でもねぇよ」
再び視線を燃え盛る炎に移す。
突き刺すような熱さが、アタイの肌に届く。
でも、唇にだけずっと残っているこのぬくもり。
熱とは異なる、優しさを込めた暖かさ。
これは残ったまま、ずっと消えることはないだろう、アタイは本当に奴のことが好きなんだから。
「しっかりやれよ、水原 誠」
「シェーラ?」怪訝な表情でアタイを見る風の大神官。
「行くぜ、アフラ。信じてやれよ、奴が好きならさ」
「な、何言うてまんの!」明らかに取り乱すアフラ。
“からかうのも、楽しいもんだな“
アタイは小さく微笑んで誠の消え去りしこの場を後にする。
”待ってるぜ、誠”
見上げる空は高く、そして澄んだ青色をしていた。
Fin