見えなくて そこにいて
ザ〜ザ〜ザ〜
砂嵐のような音が、彼の耳に届く。
やがてその雑音の中から、一定の音階を伴なった何かが聞こえてきた。
それがはっきりするにつれ、雑音は消えて行く。
「こちら,誠、応答願います、博士」
「聞こえるぞ、誠殿」
そう、しわがれた老人のクリアな音声が、誠の持つ弁当箱大の不格好な機械から聞こえてきた。
「成功、ですね」
「すごいじゃない、まこっちゃん!」
「驚いたぜ、これが無線ってやつか?」
同時に二種類の女性の声が聞こえてくる。
「でも出力弱いから半径10kmまでやけどね。ま,マルチチャンネルで通信できるから便利やろ」
誰もいない研究室,箱に向って話し掛ける彼・水原誠の姿は珍妙ではあるが、同じ行為をしている者は少なくともこの時間、3人はいるようである。
バァァン!!
扉を蹴破る音に誠は驚いて振り返る。
「ファ、ファトラさん…どないしたんですか?」
研究室の入り口で肩を上下に荒い息を吐いているのはファトラ=ヴェーナス。
このロシュタリアの第二王女である。
「…腹立たしい」ボソリ、彼女は呟いた。
「? はい?」恐る恐る近づき、誠は再び尋ねる。
「何もかも腹立たしいのじゃ!!」
「だぁ!」いきなり耳元で叫ばれ、誠は飛び退いた。
「侍女どもは私を避けるし」
「悪さするからでしょう?」
「最近、妙に事務処理が忙しいし」
「王女やから、それが仕事でしょう?」
「さっきの謁見相手のグランディエ国王はわらわのことを子供扱いするし」
「…まぁ、確かに若いわ」
「姉上はわらわよりも忙しくてちっとも会ってくれんし」
「第一王女やからねぇ…」
「メシは冷えてて不味いし!」
「東雲食堂行って食べてくればええやないか」
「…」ようやく口をつぐむファトラ。口を尖らせ、憮然と誠を見つめている。
「…で、何のようです?」
「代われ」
「絶対ヤです」にべもなく誠。
要するにファトラは誠を女装させて自分の代わりにさせようというのだ。
「おぬしの秘密、バラすぞ」ニヤリ、怪しげな笑みを浮かべて彼女。
「僕にやましい秘密なんてあらへんわ」やはり即答する誠。
「…むぅ」ファトラは唸る。どうやら適当にカマを掛けたらしい。
「では、透明人間になる薬を出せ」
「僕はドラ●もんですか? 何でもかんでも作れる訳ないでしょう?」
「ええい! 使えん奴め!!」八つ当たりにと、誠にアッパーカットを食らわした。
「そもそも透明人間になってどうするんです?」
首を変な方向に曲げながら、誠は眉を寄せて尋ねる。
「王女を辞めて世界一の美女を探しに出るのじゃよ」
「かんっぜんに、現実逃避入ってますねぇ」呆れ声で若き発明家は溜め息。
「もぅ、王女なんて嫌なんじゃよ! 何かとまわりはうざったいし、忙しいし、少し失敗しただけで馬鹿にされるし、全然自由じゃないし…つまらんのじゃ」
手足をバタバタさせて、駄々をこねるファトラ。
見兼ねた誠はふと思案し、そして思い出したように彼女に告げた。
「透明人間じゃないですが…ストレルバウ博士は先エルハザード時代の薬で似たようなものを手に入れた言うてたなぁ」
「なぬ?!」バッと飛び起き、ファトラは誠に詰め寄った。
「存在自体をまわりから忘れさせてしまう薬やて」
「素晴らしい薬ではないか!」
「危険ですよ」嬉しそうなファトラに、彼は忠告。
「何故?」
「人の中にいるからこそ、僕達は僕達でいられるんです。まわりから存在自体気付かれなくなったら、それは死んでいるも同じことや。いてもいなくてもいい存在っていうことを、ファトラさんは想像つかへん?」
「勝手気ままで、楽そうじゃな」
「…勝手にして下さい」
「そうするわ,ではな、誠!」
彼女はそう、言葉を残すと現われた時と同じくあっという間に去って行った。
「と、言う訳や、博士」
「分かっておるよ」
通信機から老人の声が響く。
「じゃがファトラ様は誠殿の前では、あんなにも素直になるのじゃな」
「鏡に向っているようなものなんでしょうね」
そういう自分の言葉に、彼は苦笑を浮かべざるを得なかった。
「では、菜々美殿、シェーラ殿、頼みましたぞ」
ドン!
書斎の扉が開き、学術顧問は慌てて話し掛けていた小箱を足元へ追いやる。
「ストレルバウ! 誠から聞いたのだが透明人間になる薬を出すのじゃ」
「はぁ…しかしあれは非常に危険なものでございます。薬の持続時間は永遠やもしれませぬし」
「構わん。さっさと出せ,昼休みが終わってしまうではないか」
「…どうなっても知りませぬぞ」
彼女の剣幕に押されたか、ストレルバウはブツブツ文句を言いながらも机の引き出しから小瓶を取り出す。
掌に乗るくらいの小瓶、その中には琥珀色の液体が入っている。
「ファトラ様、しかしこんな危険なものを如何なさるおつもりで…あ!」
ファトラはストレルバウの手からそれを奪い去ると、蓋を開けて己の口に運ぶ。
ものの一秒で飲み干すファトラ。
ストレルバウが驚きの表情のまま固まっている。
「おや?」彼は首を傾げた。
「ワシは何を驚いていたのじゃろうか?」困ったように一人、頭を掻く。
“本当に…本当にわらわの姿が見えておらんのか?”
どうも怪しい、ファトラは学術顧問の脇まで歩み寄り…
その立派な白髭を思いっきり引っ張った!
ビリィ!
取れた。
「「ななな…何じゃぁ?!!?」」驚愕のストレルバウとそれ以上の驚きに襲われるファトラ。
「何故、付け髭が突然取れたんじゃろうか?」
「ぶわっはっはっは!!」
バンバン! ストレルバウの机を豪快に叩きながら、ファトラは笑い崩れる。
“ストレルバウの髭が付け髭、誰がこんなことを知っておろうか?!”
目に涙すら溜めながら、ファトラは髭を付け直すストレルバウを眺める。
どうやらこれだけ豪快に笑ったりしても、彼女の存在自体が認知されない様だ。
「この秘密を誠に教えてやったら、アイツ、どんなに笑うことやら…あ…」
彼女はそこまで想像して、それが無駄なことに気付く。
「ま、良いか」
あっけらかんと言い残し、彼女はストレルバウの書斎を後にした。
鼻を香ばしい匂いが突く。
ファトラの足は東雲食堂へと向いていた。
カラン
カウベルが鳴る。
しかしそれを出迎える声はない。
昼飯時が少し過ぎた、ゆったりとした時間。
しかし未だにオーダー続くようだ、厨房では彼女の知り会いである女性が鍋を片手に奮闘していた。
「そうじゃ、今こそわらわのこのゴールドフィンガーで菜々美を…グッフッフ…」
オヤジな笑いを浮かべながら、ファトラは厨房へと足を踏み込んだ。
「店長! バンバンジー3丁!」ウェイトレスからの注文が飛ぶ。
「OK! はぁぁ!!」
ボゥ!
炎の柱が厨房に踊る。
「炎を味方に付けるのよ,中華の基本は火力とスピード!! それを憶えておきなさい!!」
「はい!」カウンターの外から菜々美の調理技を目で学ぶウェイトレス。
何処となく菜々美の目つきが邪悪になっているのは気のせいか?
「店長,ところで…」
「中華を作っている時は店長じゃなくて『鉄鍋の菜々美』とお呼び!」
「は、はい…」その気迫にたじろぐウェイトレスと、ファトラ。
「い、いかんいかん! 菜々美の奴が料理に熱中している間に後ろからガバッと!」
スコーン!
「うげ!」
菜々美が振り回した大鍋が、今まさに襲い掛からんとしたファトラの額に炸裂!
「む、むぅ!」何とか足を踏ん張り、その場に踏み止まるファトラだが…
「料理はスピードォォ!!」
スカコーン!
「てぇ〜!!」おたまが眉間にヒット!
「料理は火力!!」
ごぉぉぉ〜
「あちぃぃぃ!!」飛び火してファトラの服が燃えた。
「調味料は4000年の歴史のくせに、近代調味料・味の素とお酒!」
ジョァァ!!
「ひぃぃぃぃ!!」
酒がファトラの身に降りかかり、服が景気良く燃え出した!
まるでカチカチ山のたぬきの様に、ファトラは転げまわりながら東雲食堂を逃げ出して行った…
「酷い目にあったわぃ」
煤けた服を叩きながら、ファトラは空腹に鳴る腹を押さえて街中をうろついていた。
ふと、彼女は足を止める。
目の前には大きな建物,炎の神殿があったのだ。
「確かシェーラがロシュタリアに滞在しておったな…」
獣の目に怪しの光が燈る。
次の瞬間には、彼女は神殿に忍び込んでいた。
関係者以外立ち入り禁止な区域にまで何の苦もなく侵入したファトラは、神殿の中庭の方で聞こえてくる声に近づいて行った。
「炎の法術ってのはなぁ,要は気合なんだよ、気合! ほら、やってみろ!」
「は、はい!」
そこでは十数名の炎の神官達に法術のレクチャーをするシェーラの姿があった。
「ふっふっふ…今度こそシェーラをわらわのゴールドフィンガーの餌食にしてくれるわ!」
菜々美の時の様子見は止めたのであろう、一気にファトラはシェーラに襲い掛かる!!
ゴゥ!
炎がファトラに襲い掛かった!!
「だぁぁ!!」紙一重で炎の斬撃を交わすファトラ。
炎はファトラの背後にある石像を、まるで飴細工のように溶かした。
“こ、こ、こ…殺す気かぁぁ!!”
「これくらいの火力がないと駄目だぜ、お前達」
「「はい!!」」
素直に賞賛の瞳をシェーラに向ける神官達。
シェーラは茫然と立ち竦むファトラへと歩み寄り…
ペタリ
「は?」
彼女の背に丸が幾重にも描かれた紙を貼りつけた。
「よし、お前達。この的に向って炎の法術を力任せに打ってみろ」
「「はい!!」」
ズササ! 各々法術を唱え始める神官達。
「ちょ、ちょっと待ったぁぁ!!!」
ちゅどどん!!!
「ひぃぃぃぃ!!!!」
「シェーラ様! 的が動いているような気がしますが」
「気のせいだろう? 良いか、良く狙ってま、こうやって打つんだ」
一際大きな炎が、ファトラの背を焼いた。
「うぎゃぁぁ!!」
絶叫が、響く。
その日の夕方、ファトラは満身創痍でロシュタリア城に舞い戻ってきた。
「し、死ぬ…腹は減るし、馬車には曳かれそうになるし、皆わらわを見ない振りするし、ちっとも良いことなどありはしないではないか!」
ぶつくさ言いながら、彼女はすれ違った侍女を呼び止める…
…が、ファトラのことなど目に入っていない様に、そのまま侍女は通り過ぎて行った。
「…まずいな」
ファトラは呟く。ようやく彼女は事の重大さを身を以って感じたのである。
城に帰ってきたところで、すでにファトラの居場所はなかったのだ。
「薬の効果はいつまでじゃったか…」そこまで呟いて、ストレルバウの言葉を思い出す。
心に焦りを覚え、彼女は最後の切り札に向って駆け出した。
「おい、誠!」
彼女は若い研究者に詰め寄る。
「なんとかしてくれ、おい!」
しかし青年は彼女の言葉は耳に入っていない様だった。黙々と何か機械をいじっている。
「こら、いい加減に気付かんか!」ガクガク、誠の肩を思い切り揺らす。
「?? 何や? 地震かいな」
しかし誠は小さく首を傾げると、再び作業に入った。
「…誠、お主だけが頼りなのじゃ! わらわに気付いてくれ! わらわはここにおるのじゃ,見えないけど、ここにいるんじゃよ!」
叫ぶファトラ。
だが必死な彼女の声はしかし、彼の心には届かない。
「…うるさくとも良い。誠、お前の忠告の意味、今頃分かった気がするわ」
力なく肩を落とし、ファトラは研究室を後にした。
数秒後、
「…少しやり過ぎたかもしれへんなぁ」
誠は顔を上げ、見えなくなったファトラの背に向って苦笑して呟いた。
カタン
彼女は扉を開ける。
そこはファトラの一番大事な人の部屋だった。
「姉上…」
彼女は長椅子で読書に耽る女性の姿を、寂しげな瞳で見つめる。
“気付かれなくても良い、姉上の傍でわらわは朽ち果てようぞ”
と、長椅子に座っていた女性、ルーンはゆっくりと立ちあがった。
そして入り口で立ち竦むファトラに向って歩み寄る。
ファトラは邪魔にならない様、身を退いて道を開け…
ルーンはファトラの前で立ち止まり、彼女の炎で黒く煤けた頬を長めな服の袖口で優しく拭き取った。
「あ、姉上?」茫然とファトラ。
「何をやってきたのです,ファトラ? 年頃にしては、はしゃぎすぎなのではなくて?」
柔らかな微笑みを浮かべて、ルーンはファトラの姿を見て呟く。そこには僅かに窘めの雰囲気も込められていた。
「姉上…わらわが見えるのですか?」信じられないものを見るような表情で、ファトラは尋ねた。ルーンアhしかしその言葉に小さく首を傾げる。
「何を言っているのです?」
「あ、いえ、姉上はわらわを忘れてはいませんか?」
「…例え世界中の人々があなたを忘れたとしても、私があなたを忘れるものですか! たった一人の大事な大事な妹なんですよ!」ルーンには珍しく、鋭い声で叱咤する。
「姉上…ごめんなさい!」
ファトラはルーンの胸に飛び込む。
「? 変な子ね。まったく、まだ子供なんだから」
ルーンは困ったような、嬉しいような顔をして、泣きじゃくる愛しい妹の頭を撫で続けた。
なおルーンによって、いたずらの過ぎた誠とストレルバウが逆さ吊りの刑にあったのは後日談である,合掌。
おわり