Love Letter


 いつもは賑やかな東雲食堂。
 さすがに深夜となると、当然のことながら食堂だけでなくその界隈もシンと静まり返る。明かりと言えば天に輝く月と、その光を照り返す神の目だけであるが…
 東雲食堂の2階,ここの主人の個室に位置する窓からは弱々しい光が漏れていた。
 ユラリ,揺れる蝋燭の光。
 その頼りなげな光を前に、一人の少女は椅子に背を預けて何かを眺めている。
 B5サイズの紙面,手紙であった。
 その目の動きから、何度も、何度も噛み締めるように読み返しているのだろう。
 「ふぅ」
 大きな溜め息一つ,ようやく手紙から目を離し、それを元々あった折り目に沿って丁寧に小さくすると、胸に抱いた。
 「元気でやってる…か」
 手紙の内容,ここから北に位置する小国エランディアへ先エルハザードの遺跡調査ですでに3ヶ月ほど滞在している誠からの手紙だった。
 手紙と一緒に荒い粒子ではあるが一枚の写真も同封されていた。
 スコップ片手に遺跡の前に立つ誠とストレルバウ博士,そして可愛らしい少女の3人。
 なんでもこの少女はエランディアの元首らしいが、写真から誠と親しげに見えるのがちょっと彼女の気に掛かる。
 「まこっちゃん…でも私はあんまり元気じゃないな」
 そんな写真に向かって苦笑。
 彼女は写真を蝋燭の立つ机の上に置くと、姿勢を正して今一度机の上を見る。
 数枚の淡い紫色の便箋,インクに羽ペン。そして誠の写真。
 「…いざ返事となると、何書いたら良いんだろうなぁ」
 呟きながら、彼女は羽ペンを手に取る。
 「まこっちゃんは今まで、手紙を書くくらい遠くにいなかったもの」語尾は部屋の沈黙の重さに、消え行く。
 ”まこっちゃんに手紙を書くのは…これが二度目ね”
 彼女は過去に想いを馳せる。
 彼の心にまだ自分が大きく存在していた,あの昔へと。



 「菜々美ぃ!」
 「ん? どしたの,茜ちゃん?」
 朝、教室に足を踏み込むと同時に馴染みの声が飛んできた。
 県立東雲高校,今年から始まった私の高校生活の舞台である。
 で、今駆け寄ってきたのは入学してからすぐに友達になれた茜ちゃん。
 「さっき小耳に挟んだんだけどさ」
 そこまで言って、両耳を摘みながら、小声になる彼女。
 「なんでもE組の佐藤さんが水原先輩を狙ってるらしいよ」
 「ふぅん…」私は答え、席に付く。
 「何落ち着いてるのよ,菜々美」
 「別に私はまこっちゃんの保護者じゃないんだし」
 中学時代もそうだったが、高校になるとこういったフッた,惚れたっていう話題は前にも増して増えてくる。
 「じゃ、取られちゃっても良いの?」前の席から、そんな声が掛かる。
 「ちょ,変なこと言わないでよ,こころちゃん,何よ、それ。まるで私がまこっちゃんが好きみたいじゃない?」私は慌てて言い返す。
 私の前の席の女の子,小坂こころちゃんと隣の茜ちゃん,この3人でよく一緒に行動する。
 「「え? 違うの?」」2人は同時に、詮索するように私に言った。
 「どうしてそうなるのよ」
 私の苦笑を伴った反論に、こころちゃんは首を傾げて尋ねてくる。
 「だって、菜々美ちゃんがこの高校に入ったのも、水原先輩を追いかけてでしょう?」
 「家が近かったからよ」
 「いつも先輩にお弁当作ってあげてるじゃない」こちらは茜ちゃん。
 「料理同好会で作った売り物,余ったやつを格安で売ってあげてるの」
 ぶっきらぼうに言い放ち、私は鞄の中の教科書類を机の上に出す。
 「余ったやつにしては、中身は他の売り物よりも豪華だって聞いてるけど」
 「ねぇ?」
 こころちゃんと茜ちゃんはそう言うと、お互い顔を合わせて頷き合った。一見真面目そうに見えるが、2人は明らかに楽しんでいるのが分かる。
 「目の錯覚よ」
 一限目の世界史の教科書だけを残し、残りの書籍を机の中へ。
 「じゃ、水原先輩が佐藤さんに取られちゃっていいの? あの人、押しが強いって有名なんだよ」茜ちゃんの言葉に、私の動きが止まる。
 まこっちゃんは優柔不断なところがあるから,とくにこういったことに関しては流されるままって感じだし…危ないな。
 「…さ、佐藤さんってどういう人なの?」あくまで参考程度,そんな感じで尋ねたが、私を見る2人の顔はニヤリと笑っていた。しばらくこのネタでからかわれそうだなぁ。
 「恋する乙女にライバルは多いもんねぇ。いいわ、教えてあげる」茜ちゃんはコホンと一つ咳払い。
 「剣道部次期ホープ!」
 ”体育会系…ね”心のノートにメモする。
 「眉目秀麗,成績優秀。ファンクラブもできつつあるわ」
 「? そんな子、いたっけ?」私も情報は広い方だけど、そんな人気のある女の子は知らない。
 「いるじゃないの,だからE組に」試すように言う茜ちゃんに私はE組のメンバーを思い出す。お弁当を売りに行くとき、名簿はチェックしているのだけれど…
 …あれ?
 「まさか…」青い顔でこころちゃん。どうやら同じ結論に達したらしい。
 私達2人の表情を見て、茜ちゃんは満足そうに頷く。
 「そうよ、佐藤雅史,男子よ!」
 「「んな!!」」驚愕の私とこころちゃん。
 「剣道部だけに、両刀つ…」
 「お下品な事、言うなぁ!」私のジャック=ハンマーばりのアッパーが茜ちゃんを黙らせた。
 まったくこの子は…
 「菜々美ちゃん、安心した?」クスリ,微笑んで問うこころちゃん。
 「別に,だから私には関係ないもの」
 内心は結構ほっとしたけど、別の意味で胸騒ぎもあるけどね…
 「それじゃ、私,良いかな?」
 「何が?」こころちゃんの言わんとしていることが分からず、私は問い返す。
 彼女はおずおずと、私を見ながら答えた。
 「私、水原先輩が好き。だから…」
 「「?!」」いきなりな言葉に、硬直する私と茜ちゃん。
 こころちゃんは懐から可愛らしいイラストの入った封筒を取り出し、続けた。
 「私の気持ち,先輩に伝えちゃって、良いかな?」
 遠慮がちにこころちゃんは私に尋ねる。
 彼女の手にする便箋,あれに彼女の気持ちが詰まっている。
 まこっちゃんにそれが渡ることを阻止する権限なんて、私にはない。
 でも…
 「こ、こころちゃん,まこっちゃんって見た目は良いかもしれないけど、ぜんっぜん人の気持ちを考えないし、ムードないし、研究バカだし…」
 あれ、私、何焦ってるんだろう?
 そうよ、こころちゃんに間違った道を走らせない為に説得してるの。大切な友達だもん,不幸にさせたくない。
 こころちゃんは黙って私の話を聞いていた。
 …一人でつっぱしちゃうこともあるし、誰にでも優しいし、一緒にいるとなんかほっとするし、いつも見守ってくれてるし…あれ?」
 あれ? 私、何言ってるんだろう?
 こころちゃんは…笑っている。
 笑って? 騙された?
 「菜々美ちゃん,気持ちはしっかり伝えておいたほうが良いよ。手遅れになる前に」 こころちゃんは優しく、私に言う。
 「あ、先生が…」茜ちゃんが呟く。担任が朝のHRを始めるのにやってきたのだ。
 こころちゃんは席に戻って行く茜ちゃんには聞こえないよう、小声で私にこう告げた。
 「近くすぎてうまく伝えられないんなら、遠くから伝えるのが良いよ」
 便箋を私の机の上にそっと置いて、彼女もまた担任の立つ教壇に向き直る。
 朝のHRが、始まった。



 便箋とにらめっこが続く。
 夕飯を食べてから、この状態が2時間。
 「書けないよぉ〜」
 私は机に突っ伏して呻いた。さっきから何度も、何か書くと物凄く恥ずかしくなって便箋を破いてしまう,この繰り返し。
 だんだんと自分が何をやっているのか分からなくなってくる。
 視線を前に移す。机の上の写真立て,そこには幼稚園の頃の私とまこっちゃん,バカ兄貴が楽しそうにじゃれあっているのが写っている。
 「この頃は、素直に気持ちを伝えられたのよね」クスリ,微笑み、私は写真のまこっちゃんをつつく。
 「うら若い女子高生をこんなに苦しめて…大嫌い」
 パチン,軽くその写真にデコピン。反動で写真立ては後ろに倒れた。
 コンコン,扉がノックされる。
 「なぁに?」私は後ろに振り返った。開く扉から現れたのはバカ兄貴。
 「また一通,頼む」
 「いつもニコニコ現金先払いよ」
 「ほれ」お兄ちゃんは千円札を一枚,私に渡す。
 「OK,明日の朝までに書いとくね」
 「頼むぞ」
 言い残して部屋を出て行った。
 「さて,先にやっちゃうか」私はお兄ちゃんの依頼を先にこなすことにする。
 依頼とは十中八九、悪事に使うのであろうが匿名のラブレターを書くことだ。生徒会長選挙の際にも数通書いた。さすがにあの兄の字では女の子の書く文字には見えない。
 なお、私はこの用途を知らないので悪事に加担したことにはならない,それに私の文字だってバレることもないだろし。
 「ええと、前に書いたやつは…」私は前に書いた分の見本を見つけ、そのまま写す。
 「さて、本番ね!」
 適当に仕上げたそれを机の端に置くと、さっきまでの奮闘に向けて、私は腕まくり。
 でも結局、その日は書けずに机の上で寝てしまったのだった。



これ?  「あの時、お兄ちゃんに頼まれて書いたのが、まこっちゃんに渡っちゃうんだもんなぁ」思い出して彼女は苦笑。
 陣内は妹に書かせた手紙を、翌々日に予定されていたリコールに備え、彼の選挙不正の証人である水原誠をおびき寄せるエサに使ったのである。
 もちろん、手紙には菜々美の名前を入れて、だ。
 「でも、まこっちゃんは来てくれたのよね,失敗したなぁ」
 もっと早くやっていれば,そんな気持ちもある。こころの言っていた『手遅れにならないうちに』という言葉が重くのしかかる。
 彼女はそれらを忘れるように頭を振った。
 「今はこの手紙よ,うん!」羽ペンを握りしめる菜々美。あの頃とはシャーペンが羽ペンに変わっただけで、あとは余り変わっていないはずだ,まだチャンスは、ある。
 だが、便箋を前に羽ペンが動かない彼女。
 伝えたいことはたくさんある。
 けれど、それは言葉にならない,言葉にできない。
 「近いからって…」
 噛み締めた唇からボソリ、呟かれる。
 「近いからって、伝えられない訳じゃない」
 羽ペンを、机の上に置いた。
 「近いからこそ、近すぎるからこそ、伝えられることってあるよ、こころちゃん!」
 椅子を蹴って立ち上がる菜々美。
 その瞳に、揺れる蝋燭の炎は映っていなかった。



 『しばらくお休みします-----東雲食堂』
 扉の前で、そんな札が風に返る。
 同じ風の中、ロシュタリアの大通りでエランディア行きの乗り合い飛空艇に乗り込む少女の姿が一つ。
 どうやら二度目の手紙も、その機会はなさそうである。


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