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過ぎ行く季節に込めて


 肌を刺すような冷たい風が吹き抜ける、ここはマルドゥーン山頂の大神殿。
 空気すら薄く、人が住むことなど考えも及ばない、標高3000m級を越すこの神聖なる場には、三人の少女達がその身を座していた。
 季節は夏の終わり…とはいっても、この場所では長袖を二枚は着ていなくては居てもたってもいられないくらいでは、ある。だが今の時期が最も過ごしやすい時期なのだ。
 故に、絶境たるこの地にわざわざ訪れる奇特な者も、多い。
 法術,神の力とまで謳われる神官の力。
 その奇跡の力を最も強く引き出せる者達の住まい。
 神殿のたたずまい,そしてそこから香る神気は苦労して訪れた来訪者の気を引き締める。
 さぞや神の力を行使し得るという大神官達は神に近いほど、高貴で人格者なのであろう。
 そんな幻想,いや、想像は間違っているとは露とも思わないはずだ。



 ぽりぽり…
 ウチは、寝そべり雑誌を読みながら菓子を頬ばる火炎娘を問答無用に踏み付けた。
 「うげぇ」
 蛙を潰したような、そんな呻きが足下から届く。同時にウチを振り払う怪力。
 ひらりを身を交わし、ウチは顔を真っ赤にして立ち上がるその娘の殺気を真っ向から受け止めた。
 「何しやがんでぇ!! アフラァァ!!」
 「…ったく」溜め息一つ。ウチは懐から取り出した羽ペンを、思い切りその火炎娘に投げつけた。
 サクッ
 「痛ってぇぇ!!」額にHit! 彼女は額を押さえて神殿の床を転げ回る。
 「な、な、な…何しやがんだよぉぉ!!」
 ウチの胸倉を掴みながら、彼女・炎の大神官シェーラ=シェーラは迫った。額に未だ刺さった白い羽ペンが、いつの間にか赤い羽根募金の羽のようになっている。
 「残暑見舞い,まだ書いておへんな」
 ウチのその言葉に、シェーラはカチリと凍りつく。
 「い、いいじぇねぇかよ。それこそ「しょっちゅう」会ってんだからさ。あはは…は」シェーラの親父ギャグにウチは深海の底よりも冷たい目を向けた。
 「…・・わったよぉ! 書きゃいいんだろ! 書けば! ったく誠も暑中見舞なんて出してきやがってよ…」
 「貰って一番喜こんどったんは、アンタやろ」
 ブツブツ文句を言う彼女に、ウチは止めを刺す。
 2週間ほど前だ,ロシュタリアは誠はんから暑中見舞いが届いたんは。
 もともとここマルドゥーンは年間を通して涼しい,いや寒いのでそんな感覚はないのだが、やはり山を下りると今が夏だということが実感できる。
 もちろん、ウチら大神官はその職業上、暑中見舞いは各方面から貰うが、それは公式な文章に近いものであって返信はやはりマニュアルに添ったものを送り返すだけ。
 だが、親しい者からとなれば話は別になるのは当然のこと。
 特にこのシェーラは手紙などという、まどろっこしいものを書く性質ではないのだ。それは長年腐れ縁のウチが一番良く知っていることやけど。
 「大体よぉ、クァウールの奴は書いたのかよ、アフラ?」
 「もう貰ってますぇ」羊皮紙に向かって唸るシェーラの問いに、ウチは懐から丸めた同じものを取り出した。
 「全3枚,びっしり書いてありますわ」
 「何をそんなに書くことがあるんだ?」
 「さぁ?」ウチは苦笑。これではすでに残暑見舞いではなく、普通の手紙と同じ。
 先程悪いとは思ったが、軽く目を通してみるとごく普通のことがつらづらと書かれていただけだった。今日は何をしました,とか、今度ロシュタリアのどこどこに行きましょう、とか、またロシュタリアに行きます、などなど。
 クァウールはんは誠はんに実際、顔を合わせるとこんなにしゃべっているのやろか?
 「クァウールの奴、口数少ない分、手紙は長いみてぇだな」
 「面と向かうと、言葉が浮かばないんおすかな?」
 「さぁな,気が小せぇんだろ」羽ペンを動かしながらシェーラ。
 アンタも同じやおへんか,そんな言葉が思わず出そうになる。
 「…っと,アフラ、できたぜ!」
 シェーラは言って、ウチに丸めた羊皮紙を手渡した。ウチは無造作にそれを開く。
 「あ、馬鹿やろ! 見るんじゃねぇよ!!」慌てるシェーラ。
 「…も、いいわ」開いた途端、ウチは脱力。
 中身は赤いインクでこう書かれていた。
   『残暑見舞いだ。また遊びに行くから首洗って待ってやがれ  シェーラ』
 いや、赤いインクじゃおへんな,コレは。
 「そう言うアフラはどんなの書いたんだよ」
 「今から書きますぇ。誠はんの住所と一緒に」
 「何でぇ,人をせかいといて、自分はまだ書いてねぇんじゃねぇかよ!」
 「あんさんと違ごうて、ウチはすぐ書き終わりますわ」
 後ろでわめく火炎娘を放っておいて、ウチは2つの手紙を持って自分の書斎に戻った。


 2つの手紙を住所を書いた書簡に詰める。
 「さてと」
 ウチは羊皮紙に向かう。羽ペンをインクで濡らし、頭の中のテキストを開く。
 「残暑お見舞い申し上げます…っと」
 初めの行にその決まり文句。
 そして二段目に…
 あ、あれ?
 言葉が、思い浮かばない。
 そうや、誠はんからの暑中見舞いのコメントの返事ってことにしとけば。
 ウチは机の引き出しから彼からの暑中見舞いを取り出す。
 念画付きのポストカード。念画とはまるで風景をそのまま取り込んだかのような精密な色付きの絵のこと。
 上段に貼られた念画には、誠はん,菜々美ちゃん,藤沢はんと赤んぼを抱いたミーズ姉さん、ウーラやストレルバウ博士、それにプライベートなファトラはんとルーン王女他多数が並んで写っている。
 そして下段,誠はんの字で
   『暑中お見舞申し上げます。皆元気です、いつでも遊びにきてください。  水原 誠』
 とだけあった。
 「コメント、返しようがないわ…」
 ウチは唸る。さっき同じように唸っていたシェーラを笑えない。
 そもそも、どうしてこんなものにウチは悩むのだろう?
 適当に『遊びに行きます』とだけ書いておけば良いやおへんか。それこそ、先日まで各地から貰っていた暑中見舞の返事を何の苦もなく書いていたんやし。
 そうや、当たり障りのない決まり文句だけで良いやおへんか。
 そう、決まり!
 羽ペンを取るウチの視野に、不意に2つの手紙の入った書簡が映った。
 羽ペンの動きが、意志に関係なく止まる。
 シェーラの大ざっぱな言葉。
 クァウールはんの細かい言葉。
 2つは大きく違う。
 でも、強がることも、甘えることも、結局少しも変わらない。
 同じ気持ちが詰まった、2人の手紙。
 「ウチはそんな風に誠はんを見とらんから…」
 呟き、ウチは書簡から目を放す。
 頭に浮かぶお決まりの文句を書こうと、手を動かす。
 動か…せない?
 まるで別の意志を持っているように手が、動かなかった。
 「あ、あれ?」
 途端、頭の中に色々な言葉が浮かんでくる。どれもこれも、誠はんに関する言葉ばかり。
 ウチは思わず頭を抱えた。カタリ,腕がインク瓶にぶつかり、倒れる。
 黒い染みが、決まり文句の書かれた羊皮紙にじわじわと広がって行く。
 ごちゃごちゃの頭の中、でも、ウチは混乱する言葉が同じ方向に向かっていることを感じた。それはできれば否定したい方向への言葉。
 「参りましたなぁ…」
 ウチは額に掌を添えて、背凭れに身を預けた。
 シンとした神殿の静けさが、今は耳に痛い。
 インク瓶の中身はすっかり、零れきってしまっていた。



 ロシュタリアはフリスタリカの王宮。
 晴れ渡った空の下、澄んだ声が高らかと舞う。
 「よっ! 誠,マルドゥーンから手紙きてるぞ!」
 涼風とともに現れた第2王女が、同じ容姿を持った青年に筒を投げる。
 青年はそれを見事キャッチ。
 「? あ、残暑見舞いや」言いながら彼、水原 誠は筒の中身を開ける。
 「ん? それはシェーラか?」彼の後ろから、覗き込むようにしてファトラはそれを見る。
 「シェーラさんらしいですわ,でもこれって…血?」
 「そっちはクァウールか,何だ、随分長いのぅ」
 「そうですね」一読し、クスリ,笑う誠。
 そして一番下に入った羊皮紙。
 「これはアフラさんや」
 「ほぅ。シンプルじゃのぅ」
 「近いうちに、3人とも遊びにこられますよ」嬉しそうに誠は微笑みを浮かべた。
 彼女の文面は簡潔にこう書かれていただけだった。
   『暑中お見舞申し上げます。
       また、お会いしたいです   アフラ=マーン』



 雲に覆われた下界を見下ろす彼女。
 髪の一房が、風に乱れる。
 「気持ちは、これから育てますわ」ポソリ,そう嬉しそうに呟く。
 「なんかおっしゃいました? アフラ様?」その隣で、おっとりした彼女が顔を上げた。
 「いえ、何でもおへんよ」
 「?」
 微笑みを湛え、風の大神官・アフラ=マーンは大神殿へと戻る。
 その後を、首を傾げながらクァウールは追っていった。

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