「こおのぉぉぉぉぉ!」
ざっぱ〜ん!!!
まるで彼女の心の荒れ方を形にしたような、そんな清き水の怒涛の如き流れが、虫の一団を周りの建物ごと押し流して行った。
「くっそぅ、覚えておれ! 誠ぉぉ!!」
水の間から見え隠れする、ひょろりとした色白の青年の叫びもまた、その中に消え行く。
やがて水の流れは嘘の様に収まり、後に残るはガレキの山と,ぜぇぜぇ肩で息するぐしょ濡れの女性が一人。
と、その女性の頭からカラリと乾いた柔らかなタオルが掛けられた。
「?!」驚き振り返る彼女。
そんな真後ろには不精ひげの中年…というには可哀想な、そんなに年のとっていない男が、うっすらと笑みを浮かべて、優しげに彼女を見つめていた。
「お疲れ様です、ミーズさん」
「え…あ、あの」
一瞬、何と答えたら良いのか分からずに、彼女は口篭る。
「どうかしましたか? どこかぶつけられたとか??」
その様子に不安を覚えたか、男は心配そうに続けた。
「い、いいえ、大丈夫ですわ」
男の質問は愚問に等しい、神の力として万人に畏敬される立場にある大神官である彼女。
怪我をさせても怪我を負うことなど滅多にありはしないし、基よりその威光故にあってはならない。
しかしその男の態度に、大神官としてどんな相手に対しても物怖じせずに立ちまわってきた彼女は、何故かどぎまぎしている。
”何、この方は??”
目の前の男の瞳には、普通の女性としての自分自身がはっきりと映っていた。
「姉貴があんな青びょうたんに怪我させられるわけ、ねぇだろ。アタイら神官の内、一番の経験豊富な年増だからなぁ!」
ひょいと男の後ろから、そう言って現れるは赤毛の少女。
「シェーラ! 誰が年増よ!!」
「ひぇ!」
きぃぃ! いつもの調子で拳を振りあげ…
男の視線に気付かされる。
「あ…」
慌てて振りあげた腕を引っ込めた。思わず彼のその視線から逃れようと俯いてしまう。
”よりにもよって、この人の前で…後で覚えておきないよ、シェーラ!”
心の中で彼女は不思議そうな顔をする同僚にグチった。
と同時に思う。
”何で『この人の前で』、なんて思うのかしら?”
おずおずと視線を上げる。
ほっと安心したような,そんな男の暖かな視線とぶつかった。
言葉が、見つからない。
「…タ、タオル」不意に口を突いて出る単語。
「はい?」
彼女は頭からかけられたタオルに頬を寄せる。
太陽の香りがした。
「ありがとうございます…」
最後の方は自分でも聞こえないほど、消え入った言葉。
「センセ、こっちのガレキ、退かすの手伝ってや」
入れ替わる様に、少年のそんな声が遠くから飛んでくる。
男の視線は彼女の言葉が終わらないうちに、そちらへと向いていた。
「おう! じゃ、ミーズさん。俺はこれで!」
「あ…」
彼は手を振る少年に腕を振り答え、彼女にそう一言言い残して駆け去っていった。
ミーズは信じられない怪力で、街の復旧作業を行うその男の背中を、ぼんやりと眺める。
「藤沢…様」
ぽつり、会ったばかりの彼の名を呟いていた。
それは、彼女の季節の始まり。
Missing Letter
バグロムに一時侵攻されたこの街は、水の大神官ミーズ=ミシュタルの力によって解放された。
その際の街の破損は大きかったものの、復旧作業は着々と進行しており二,三日もすれば元通りになるであろう。
と、そんな折、この街に北方からの有名な楽団が訪れたという話が、駐留中のミーズの耳に入ったのは偶然だった。
それも今夜、街の広場でその腕を披露するらしい。
ミーズは借りている宿の一室にて、姿見の鏡の前で一人、唸っていた。
「どうやってお誘いしようかしら…」
言うまでもなく、楽団の演奏に、である。
そして相手はというと、ここ二,三日彼女の心を占めている異世界からの住人だ。
「藤沢様…」
両手を胸の前で組み、ぼぅっとした表情になるミーズ。
しばらくそうしたかと思うと、慌てて頭を左右に振る。
さっきからかれこれ一刻(二時間)は、そんな事を続けていた。
ようやく彼女は真面目に考えたのか、気合を入れて鏡の前に立つ!
まずは軽くしなを作って見せ、
「一緒に観に行きませんこと?」
鏡の中を見ながら、言う。
”…なんか普通ね”
今度はすがるようにして、
「一緒に観に行きましょうよぉ」
甘えるように言ってみる。
”…媚びてるみたいでイヤだわ”
忘れるかのように、首を軽く左右に振って、背筋を伸ばす。
びっ,鏡を力強く指差し、
「一緒に観に行ってあげますわよ!」
”…偉そうね”
次は半眼で鏡をニラみつけ、
「ちょっとツラ貸さんかぃ! コルァ!」
”…脅えちゃうわ”
気分一転、真剣な顔で、まるで告白する様に、
「私と一緒に、観に行ってもらえませんか?」
”…これじゃ、変に気を遣わせちゃって勘違いされるかも…勘違いって…”
しばらく想像モード。
何を考えたのか、いきなりボッと顔が真っ赤に染まる。
「もぅ、藤沢様ったらぁ!」
ベキ,鏡にパンチ。
「あたたたた…」
と、鏡の映る自分の後ろに、呆然とした表情の少女が居る事に気付く。
「げ!」
恐る恐る振り返るミーズ。
「姉貴…」
そこには、同情したような目で彼女を見る、シェーラの姿があった。
「見てた…の?」
コクリ、頷くシェーラ。
沈黙が、部屋を支配する。
「オーソドックスに手紙なんてどうだ?」
いきなり、シェーラは硬直したままのミーズにそう提案した。
「手紙?」
「ああ、口じゃ言いにくいんだろ? 手紙で伝えたらどうだよ」
ぶっきらぼうに答えるシェーラに、ミーズは硬かった表情を柔らかくする。
「シェーラ…ありがとう」
「姉貴の情けない一人芝居が見たくないだけだよ」ぷぃと、視線を逸らして炎の大神官は答えた。
と、便箋を用意しようとしたミーズの動きが止まる。
「…どうやって渡すのよ」
「そうだな…ああ,タオル、借りたじゃねぇか! それ返すときに間に挟んで送るってのはどうだ?」
「ナイスよ、シェーラ!」
早速、ミーズは便箋を取り出し、机に向かう。
いきなりペンを持ったところで動きが止まった。
「いざ書くとなると、どう書いたら良いものか…」
「普通に書けば良いじゃねぇか」
「そうねぇ、タオルのお礼に一緒に観にいこうってだけですものね。それだけですもの」
「それだけ…かぁ?」
「それだけよ!」あくまでと、ミーズは心の中でそう付け足して言い切った。
北の有名な楽団が本日、この街で演奏するそうです。
もし宜しければ一緒に観に行きませんか?
本日の夕方、街の広場にてお待ち申し上げます。
ミーズ=ミシュタル
「良いのかよ、これだけで」不満そうにシェーラ。
彼女としては後学と仲間の幸福の為にもう少し突っ込んだ内容で書いて欲しかった様だ。
「軽い女性と思われたりしたら嫌ですもの」
「ヒステリーだけは注意しろよ」
「なぁんですってぇぇ!!」
「それだよぉぉ…」
シェーラはミーズの攻撃から逃げながら、前途不安をすでにこの時点で感じ取っていた。
「いたぜ、姉貴」
藤沢は聖大河に注ぐ川のほとりで、数人の街の男達と土手の改修工事を行っていた。
彼は近づいてくる二人の女性の姿に気付き、振り上げたつるはしを下ろす。
「ああ、ミーズさんにシェーラさん。こんにちわ」
額の汗を拭って、彼,藤沢は笑顔で応対。
その藤沢の前に、シェーラに押し出される様にしてミーズが歩み寄る。
「あの…これ、ありがとうございます!」
言って、綺麗にたたんだタオルを藤沢に差し出す彼女。
「別に返してもらわなくてもよかったんですが・・わざわざすいませんね」
藤沢は笑いかけそれを受け取ると、おもむろに広げて汗だく首筋を拭いた。
「あ…」
ミーズは思わず声が漏れる。
タオルに挟んであった手紙は…藤沢の気付くことなしに彼の足下、川の流れの中に消え去っていったのである。
「ああ…」あっという間に下流に見えなくなったそれを切なそうに見送りながら、ミーズ。
「あっちゃ〜」その後ではシェーラが頭を抱えていた。
「どうかしました?」
全く把握していない藤沢は、そんなミーズに首を傾げた。
「い、いえ、何でもなんです、なんでも」
無理に笑みを作って、心で涙の彼女。
”どうしてうまく行かないのかしら…”
「そうそう、ミーズさん。今晩はお暇ですか?」
「…はい」
藤沢の言葉を、半分うわのそらで聞く彼女。
「何でもこの町に有名な楽団が来てるらしくて、今晩演奏するらしいですよ」
”知ってますわ…”
「宜しければ、一緒に観に行きませんか?」
「へ?」
思わず間抜けな声が、漏れてしまっていた。
あまりにも意外な言葉だった。
”これって運命? ありがとぉ、水の神さま!”
「ご都合が?」
「い、いえいえ! 喜んで!」満面の笑みで答えるミーズ。
それに藤沢は満足げに頷くと、その後の彼女にも声を掛ける。
「シェーラさんもどうです? 誠も楽しみにしてましたよ」
「誠も行くのか。ああ、行くぜ…って」
言ってしまってからシェーラはあまりの恐ろしさに硬直。
ギロリと、ミーズの恐ろしい視線がシェーラに突き刺さっていた。
それを知ってか、いや知らないだろう。藤沢は指を折って呟くようにして言った。
「じゃ、あとはアフラさんも来るっていってましたから…5人ですな」
「ははは…はぁ」笑いというか、溜息というか、そんなものをミーズは疲れ切った顔で吐いていた。
前途多難,そんな四字熟語が空を見上げると手の届くところに浮かび上がっている様な気がする。
動き始めた季節の中、乙女の気持ちを封じた一通の手紙は決して封切られることなく、聖大河の彼方へと深く深く沈んで行った…
reach ?