書斎に差し込む月明かりは、冷たい眩しさを持っていた。
「ん…」
机に向かいし彼は、一つ背伸び。
チリン♪
久しく風鈴が鳴った。
気だるい、停滞した夏の暑さ。音は一瞬、それを和らげる。
開け放つ窓の外を背伸びしたまま見つめる青年。
その面はやや疲れた感が見て取れた。
やがて彼は体勢を再び机の方に向け…
チリン♪
カッ!
刹那、青年の鼻面を何かが掠める,硬直。
風に乗って、彼の机の上に一m程の何かが突き立つ。
矢
「!? 狙撃?!」
目は白黒。
と、その瞳に矢尻に括り付いた羊皮紙のリボンが映る。
「矢文…」
恐る恐る手に取る青年、矢から羊皮紙を解いて広げる。
『ファトラ王女は預かった。傷つけたくなくば一人で東塔まで来られたし。他言無用なり』
彼は窓の外に佇む城の端,月明かりに照らされた白塗りの東塔を睨む。
キラリ
塔の最上階,窓から銀色の光が一瞬照り返す。
バタン!
乱暴な音。
書斎の扉が、揺れていた。
今宵を共に
螺旋
今は使われる事のなくなって久しい物見の塔
冷たい光の支配する時間、荒い息遣いが暗闇を縫って駆け抜ける。
石造りの中、木霊する彼の足音。
気付く者は、いない。
音は下から上へ、上へと移り行き、螺旋の最後で止まる。
「ファトラさん!」
鋭い呼び声,後、声は息に飲まれた。
丸い丸い大きな月。
背中を冷たい光に包まれて、彼女は窓辺りに腰掛ける。
身に纏いし白く薄いヴェールは冷たい光を透過して、端正な肢体のラインをそのままに影落とす。
長い髪の間に覗く白い肌,黒き瞳。
二つの黒い鏡に青年の姿を捉えると、その端正な赤い唇が小さく笑みに歪んだ。
仄かに赤い光が床に揺れる、それは彼女の右手より零れた光。
ワイングラス,月の乙女は赤い液体で唇を濡らし、傍らに。
左手に一振りの弓。
脇に立て掛けた矢を一つ、その手に取る。
弦を人差し指で軽くなぞり、矢を番え、
月に向かって引き絞る。
ヒュ!
風切る音。
チリン…♪
遠く、風鈴の音が聞こえるは錯覚?
アルテミスが放つ矢の行方を、青年は知った。
「ファトラさん…」
感嘆と安堵,少しの怒りを込めた青年の溜息と呟き。
月の乙女はそんな彼に、神話の如く優しい笑みを…
「遅いぞ、誠」
ニカッと、笑う。まるでイタズラ小僧の微笑み。
弓を投げ捨てた左手で、彼女は誠の後ろを指差す。
彼の振り返るそこには、窓からの冷たい明りに照らされた棚。並ぶは大小の瓶。
軽やかな足取りでファトラは棚へ。
瓶の一つを手に取った。
「付き合え」
柔らかな声に、彼は彼女に苦笑。
銀色の欠片が彼女の手から彼へと渡る。
「道は見えたか?」
彼女は尋ねる。
琥珀色の液体が、彼の持つグラスに注がれる。
「どうでしょうね」
彼は応える。
赤と琥珀がチン♪ 澄んだ音を立てた。
「時には立ち止まり、周りを見廻す事も大切な事じゃ」
「僕は不器用やから」
交錯する言葉。ファトラを照らす月明かりが、僅かに弱まる。
「寝る間も惜しんで,というのも限度があるぞ」
「時間に限りがありますから」
揺らぎない想いと、予測され得る解答。
二人はグラスを手に、思い通りの展開に苦い笑み。
冷たい光が弱く、淡く…
「お心遣い、感謝します」
「ふん,お主を見ていると、わらわ自身が苦しんでいる様に見えるだけじゃよ」
二人は並んで窓の外を見つめる。
満月。
黄色く冷たいそれを、機械の月が半分覆っていた。
機械の擬似物は天空の父を徐々に削いで行く。天からの冷光は弱く、弱く…
「矛盾している様だが…」
「はい?」紡ぎ出した彼女の言葉に、彼は視線を向ける。
そこに、期待・諦め・悲哀,様々な感情の混じった少女が居た。
弱々しい光に夜の闇が勝ち、表情は朧げ。
影の中、見えなくなる姿と見え始める感情。
揺れる声が僅かな光の合間を縫って彼に走る。
「必ず,必ず、イフリータに会え。分かったな」
「はい」
力ある、自信に満ちた彼の返事。
「誠…」
感嘆と安堵,何故か若干の怒りを込めた少女の溜息と呟き。
やがて機械の子は天空の父を覆い隠し、地上は闇に閉ざされる。
「誠よ…」
「はい?」
涼やかな声に闇の中、彼は振り返る。
僅かな衣擦れの音,胸に抱き止めるは掴めない一陣の風。
瞬
唇に残る柔らかい温もり,葡萄の香り。そして、伝えない想い。
「あ…」
全ては、咄嗟に動いた彼の腕を擦り抜ける。
機械の月は動き続ける。
光が、戻る。冷たい光が。
光はぼんやりと、階段の踊り場に少女の姿を浮かび上がらせた。
果てしなく柔らかい気配が、彼女から彼へ。乙女の優しい瞳に青年が映る。
「酒を飲んで、寝てしまえ」
あっさりと、
あっさりと言い残し、階段の下へと王女は姿を消した。
冷たい光が再び部屋を包む。
だが月の乙女は、もういない。
青年の影の右手に、琥珀色の光が一つ零れる。
「そうやな」
青年が、呟く。
「今日はもう,眠ろう」
床に落ちる彼の影は、琥珀色の液体を飲み干した。
チリン、チリン…♪
風が吹き始めた、力強い風が。
End
あとがき
文体変えました。詩の要素を強めに出してみましたが如何なもんでしょう?
う〜ん、全然エルハっぽくねぇっすな(汗)。
今はただ休ませてあげたい,でも望む侭にしてあげたい。
想うが故の矛盾ともどかしさ。それを出してみたかったんですけど…
独断と偏見ですが、ファトラはいくら頑張っても誠を男性として『好き』になることはないんではなかろうか?
おそらく身内に対しての『好き』なんだろうな,と思ってます。
もっともアニメではまさに『眼中にない』ではありますが(笑)。
1999.11.3 自宅にて