白由梨姫
これは遠い遠い国のお話。
エルハザードという、とっても遠い場所に伝わるお話です。そこには一人の魔女がおりました。
彼女の名はミーズ,それはそれは美しい方だったそうです。
類稀なる美貌でエルハザード一の美女として名を馳せていた彼女,けれども最近は小皺が気になるお歳になってしまいました。彼女は毎日の様に鏡に向かって尋ねます。
「魔鏡フジサワ,このエルハザードで一番美しい人は一体誰?」と。するとどうでしょう! 鏡が返事をするではありませんか!
「それはもちろんミーズさんですよ,男フジサワ、天地天命にかけて断言いたします!」
そんな毎日が続いておりました。そんなある日のことです。
美しい魔女はふとした拍子にお酒を鏡に向かって零してしまいました。
「ひっく!」
仄かに鏡が赤くなった様に彼女には思えましたが取り敢えず、鏡に映る自分自身をうっとりと眺めます。
「フジサワ,このエルハザードで一番美しい人は、誰かしら?」
「………」鏡からのいつもの答えがありません。壊れてしまったのでしょうか?
「えい!」
コツン,ミーズは鏡を叩きました。
するとどうでしょう!水面に映ったように美しいミーズの姿に石を投げ込んだかのように画像が乱れたかと思うと、一人の女性が映し出されたではありませんか!
ゆったりとカーブを描いた長い髪,白磁のような肌に凛々しい整った面。
まるで美と言う美を結集して作り上げた人形のような美しい女性が映っているのです。
「フジサワ…誰ですか? この方は?」
ミーズは震える声で鏡に尋ねます。
けれども自尊心の強い彼女は鏡に映った乙女よりも自分の方が美しいと信じたいのでしょう,震える声を気合で押しつけました。
「ちょっと、フジサワ?!」
「ひっく,この方わぁ〜〜、エルハザードで一番美しい女性ですよ〜〜、ひっく」
鏡からお酒臭い匂いと、そんな言葉が返ってきました。「エ、エルハザード一美しい女性…ですって?!」
「そうなんです〜、寄りつく者もいない鬼神の島に住むと言われる、永遠の乙女・イフリータさんですぅ」
「鬼神の島…」鬼神の島というのはエルハザードで恐れられている、妖怪の住む絶海の孤島のことなのです。
そんな所に住んでいる人というのもどこか怪しい気もしますが、この時のミーズは気がつかなかったようですね。
「フジサワ!」
ビシリと、彼女は鏡に確認します。
「彼女がエルハザードで一番美しい『人』だというの?」
「イフリータこそ、エルハザードで一番美しい『女性』ですぅ」
酔っ払いの様にろれつのうまく回らない声でそう返ってきました。途端に魔女の瞳に強暴な光が宿ります。
パンパン!
彼女は手を叩いて下僕を呼び出しました。
窓から二羽の烏がやって来て、窓辺に止まると…
どろんなんとどうでしょう?
二人の少女に姿を変えたではありませんか! 褐色の肌と赤い髪を持った娘と、目つきの悪い京都人風の娘です。
「呼んだか? ミーズの姉貴?」
褐色の肌の少女がそう問います。
「ミーズ様とお呼び!」魔女は怒鳴って2人を叱咤します。
連帯責任の様ですね。
ともあれ魔女は2匹の使い魔に鏡を見せました。
そこにはどくだみの花で花輪を楽しげに作る、絶世の美女が一人。
「この娘にこのリンゴを食べさせてくるのよ」
魔女は真っ赤に熟れたリンゴを1つづつ、使い魔に手渡しました。
「なんやの? これ?」京都人風の娘が問います。
「食べさせることが出来なかったらアンタ達に食べさせるからね,シェーラ、アフラ」
やはりミーズは魔女です。恐ろしい形相で使い魔を睨んで言葉を続けます。
「これを食べた者は一口で10年、2口で20年の歳を取る、呪いのリンゴなの」
「「げ」」思わず使い魔のシェーラとアフラは後ずさりました。
ミーズは陰鬱に微笑みながら、鏡の中の乙女に向かって微笑みます。
「さぁ、歳を取って取って取って、シワに悩みなさい,お肌の張りがなくなる恐怖を知りなさい,まるで花が枯れて行くような、そんな苦しみを知りなさいな、お〜っほっほっほっほ!!」
魔女の高笑いに耐え切れなくなったのでしょう,2匹の使い魔はりんごを持って大空に翼を広げました。
もちろん向かう先は、鬼神の島です。
「「はいほーはいほー、今日もわし等は研究じゃ、はいほーはいほー♪」」
音程の外れた歌声が耳を打ちました。
鬼神の島に降り立った2羽の烏は三人の小人の老人を見つけ、娘の姿を取ります。
まずは探す娘の居場所を探さねばなりません。
「なぁ、じいさん達?」
褐色の肌の少女・シェーラが尋ねます。
「この辺にイフリータって奴、いないか?」
その問いに、三人の小人は額を突き合わせて、ひそひそと相談を始めました。
京都人風の娘・アフラは耳をそばだてます。
「ストレルバウよ、この娘ら、怪しいぞ」
「ああ、怪しいな、アルージャ,お主はどう思う? ユバ?」
「きっと我等の研究素材である彼女を連れ去るつもりじゃ」
「追い返すか?」
「追い返そう」
「そうしよう!」
三人の意見がまとまりかけた様に見えました…
が、しかし。
ふよん
「うひぃ!」
話を聞いていたアフラは、ストレルバウと呼ばれた老人を後ろから抱き絞めました。背丈の関係で彼女の豊満な胸の谷間に老人の頭が挟まっています。
「お・じ・い・さ・ん,イフリータの居場所、教えてくださらない?」
言いながら彼女は、しなやかな指先でその様子に呆気に取られるアルージャの喉元を撫でました。
「ね、素敵なおじい様?」
ちゅ
今度はユバの頬に軽くキス。
老人達は一斉に彼らがやって来た道の向こうを指差しました。
同時に…
「「「すっきやねん、姉ちゃん!」」」
小人達はアフラに一斉に襲いかかりました。
理性的だった彼らの目は、今では野生に満ちています。
どうやらまだまだ現役の様ですね。
どかばきぐしゃ!
破砕音と、あっさり返り討ちにあって延びる三人の小人をその場に残し、魔女の使い魔二人は鬱蒼と生い茂るどくだみの森へと足を踏み込んだのでした。
「何か用か?」ストレートな質問がハスキーボイスに乗って二人に届きました。
遺跡のような石造りの建物に、鏡に映っていた美しいあの女性が鋭い視線でアフラとシェーラを眺めています。二人はあっさりとイフリータに見つかってしまったのでした。
「あ、え〜と」
シェーラは困った様に頭を掻きます,と、彼女を横に突き飛ばしてアフラがやはりストレートにリンゴを彼女に差し出しました。
「これは何だ?」
イフリータは美しい顔に表情一つ浮かべずにそう問います。
「これは『知識の実』といって、食べると色々なことが分かるようになる不思議な実どす。ウチラは食べ過ぎてもうてな,アンタにおすそわけおますわ」
アフラの額にうっすらと汗が浮いています。さすがに取ってつけた無茶なことを言っていると言う自覚があるのでしょう。
しかし…
「そうか」
イフリータは呟き、彼女の手からリンゴを取ると、
かり、こり
一口二口三口…
食べきってしまいました。
「「あれ?」」
しかしイフリータの様子は変わりません。驚いたのは2人の方です。
それどころか…
「我等のイフリータに何をする!」
「捕まえるんじゃ!」
「逃がすなぁ!」
三人の小人の老人達が息を吹き返して戻ってきたではありませんか!
「「ヤバイ!」」
二匹の使い魔は烏に姿を変え、空に向かって逃げ出していきました。
その足下で、アフラは確かに見ました。
老人に囲まれながら、ゆっくりと地面に倒れ行くイフリータの姿を…
二匹の使い魔達は魔女の下へと戻って経過を報告し、再び飛び去って行きました。
魔女は嬉しそうに魔鏡フジサワに向かってイフリータを映すように指示します。
ゆらりと鏡に映るのは棺に入ったイフリータの姿。
全く老いてはいませんが、どうやら死んでしまった様です。身動き一つしませんでした。
「ふふふふふ…」
小さな笑いが魔女から起こり始めます。
やがて、
「ほっほっほっほっほ! どうして歳を取らなかったのか分からないけど…イフリータって娘には悪いけれど、これでこのミーズがエルハザード一の美人なのよ!」
「ええ、そうですよ」
魔鏡はあっさり返事をします。
「いやにあっさりしてるわね?」魔女は訝しげに尋ねました。魔鏡はこう答えます。
「エルハザード一美しい『人』はミーズ様です,イフリータは『女性』ですが『人』ではありませんから…」
「へ…」
鏡の言葉にミーズは文字通り目を点にしました。
「ええと」
取り敢えず落ち付かないのか、テーブルの上に置いてあったリンゴに手を伸ばして
しゃり
一口。
それは…
使い魔シェーラが置いていった呪いのりんごでした。
何年の時が過ぎたことでしょう。
鬼神の島に白馬に跨った若者がやってきました。
自信に満ちた黒い瞳,端正な顔立ち。
「ここじゃな,絶世の美女が眠る地と言うのは」
男性にしてはソプラノな声で若者は馬を狩り、やがて古い遺跡にやってきました。
そしてついに、棺を見付けます。
「おお!」
蓋を開けるとなんと、美しいままのイフリータがいるではありませんか!
呼吸もせずにまるで人形の様に眠っています。
「口付けで目を覚ます…セオリーじゃな,ぐふふふふ…」若者は誰ともなく言うと、
ぶっちゅう〜〜〜〜〜〜
濃厚なキスをしました。
しかし
「おや?」
目を覚ます気配すらありません。
「せっかくの『王女』のキスにも反応せんとは…」
どうやら若者は女性のようです。彼女は何故か挑戦的の微笑みました。
「ではキス以上のことをやってやろう!」
白魚のような彼女の指先が、官能的にイフリータの上を這い回り始めます。
×××××××××××××××
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…良い子は飛ばして良い部分でしたので飛ばしましたわ。
ともあれ、
「はぁはぁはぁ…」
王女を名乗る若者は肩で息をしていました。
イフリータに目覚める傾向は全くありません。
「わらわの秘技を全て試したと言うのに…はぁ」
とぼとぼと彼女は帰っていきました。そして入れ替わる様に同じ顔をした、今度は多分男性であろう若者が現れます。
彼は開け放たれた棺に不審げに近づくと…
「ああ!!」
慌てて駆け寄りました。
彼が棺を覗くと、そこには何故か着衣の乱れた美女が一人。
そう、伝説のイフリータです。
「これが『鬼神』イフリータやな…しかしどうして服が乱れとんのやろ? ま、ええわ,今目覚めさせたるで!」
彼はイフリータを棺から抱き起こすと、彼女の傍らに添えられたいたいびつな形の杖を手にします。
そしてその先端を、不思議なことに丁度その大きさに穴の開いた彼女の腰の当たりに刺したではありませんか!?
ぎりぎりぎり
廻します、まるでゼンマイの様です。
ぎりぎりぎり
イフリータの頬に赤みが刺して行きます。
ぎりぎりぎりぎ…
ゼンマイが一杯まで巻かれました。
ぱちくり
彼女の目が唐突に開きました。
目の前にはゼンマイを巻いた青年の姿。
彼女は虚ろな視線を彼に向けました。
「…誰だ,貴様は?」
「やったで、とうとう伝説の鬼神イフリータを復活させたで!」
「おい」
「僕の学説は正しかったんや! これで学会のアホどもを追い出せるんや!」
「…こら、聞け」
「やったで、ここまでホンマ長かったわ〜,ククク…ア〜ッハッハッハ〜〜」
ごめす!
「ぐっは!」
誠は後頭部を何か硬いもので殴打されて危うく目が飛び出しそうになります。
「何や,何するんや?!」
「…目が覚めたか?」
僅かに額に怒りのひし形を浮かべた当の鬼神が無表情に彼を見つめています。
「あ、ゴメンな。危うく陣内化するとこやったわ」
「何だ,それは?」
「こっちの話や、気にせんといて」
誠は苦笑いを浮かべつつも彼女に向き直りました。
「君は鬼神イフリータやな?」
「ああ、そうだ」即答。
彼女はそのまま言葉を続けます。
「ゼンマイの持ち主の命令のみを聞く破壊兵器イフリータだ」
「そか…」確認するように誠は頷きました。
「ところで、訊いて良いか?」無表情なイフリータは脳裏に浮かんだ一つの問いを目の前の新たな主にぶつけてみようと試みます。
「何や? 何でも言うてみぃ?」
「…実は私が前回起動終了したときの記憶がないのだが…何かの果物を食べた途端に急激に私を包む時間が早くなったような気がしてな」
「やっぱり伝承のままやったんや」それを聞いた誠は驚きと、納得の両方を浮かべた表情で彼女に順を追って説明を始めました。
かつてイフリータが、今や魔女の中の魔女としてとある王国を仕切っている不老の美女ミーズの嫉妬によって時間の早まるとされる毒りんごを手下によって食べさせられたこと。
そして時間の早まった彼女はエネルギー切れを起こし眠りに就いたということを。
「でも今日から君は自由や」誠はにっこりと微笑んで彼女の手を取りました。
「何だと?」
「君は兵器として生きてちゃアカン。人らしく自由に生きるんや。もぅ無理に無表情なんてせんでいいんやで」
「自由…に?」
「せや。主の最後の命令や,自由に生き」
青年の言葉にイフリータの表情から無表情が崩れ、戸惑いを。そしてその戸惑いの後には…
鬼(キッ)!
怒り!
「へ?」
イフリータはおもむろにゼンマイを誠から引ったくり、その先端を上空に向けました。
ずどん!
青い空に巨大なエネルギーの塊が一筋の帯を残して吸い込まれていきます。
「イ、イフリータ??」
恐る恐る声をかける誠に、鬼神はゆっくりと振りかえり…すっきりとした笑顔が広がっていました。
「自由って良いものだな」
さわやかに告げたイフリータの言葉を、科学者・水原 誠は一生忘れることはなかったそうですわ。
この日、魔女ミーズの治める国は地図上から巨大なクレーターへと置き換えられたということです。
めでたしめでたし??