ミレニアム投票記念U
Woman S
枕が飛んだ。
羽ペンが飛んだ。
インク壷が飛んだ。
本が飛んだ。
机が飛んだ…??
がっしゃ〜ん!!
豪快な音を立てて、ちょっとした物置き用の,小さいながらも結構重量はある木製折りたたみ式机は壁に炸裂。
綺麗に磨かれた大理石の壁にわずかな傷と、机の端を凹ませて重力落下。後にその下にあったモノを破砕。
「はぁはぁはぁ…」
部屋の中心には肩で息をする黒髪の女性一人。柳眉を逆立て、唇が固く結ばれる。
そんな彼女に恐る恐る近づく少女一人,その後ろでは背中にくっつくように同じ顔をした少年が近づきつつある。
「あ、あの、ファトラ様? 一体どうなさったんでしょ?」
少女が問う,が、ギロリと睨みつけられ一歩、二歩、三歩と下がる。
「姉さん,どうしよう〜」
「う〜ん」
少年に少女は僅かに唸り、お互い考え込んでしまった。
怒りの頂点に達しているこの女性の名は、ファトラ=ヴェーナス。
エルハザードにおいて大きな発言力を持つロシュタリアの、第二王位継承権を持つ王族。
幼い頃に両親を亡くした彼女は、姉と城の者達により珠の様に大事に育てられてきた。
がしかし、彼女が姉とは異なり、いささか偏った方向に育ってしまったことは一部の者のみが知ることである。
すなわち『美女が好き』
彼女の毒牙にかかった女性は数知れない。それだけならばまだ良い。
彼女は困った事に腕っ節も強く、邪魔する者は何であれ、薙ぎ倒す性格なのである。
さすがに公式の場となると、幼い頃から仕込まれた淑女振りを演じてはいる様であるが、このまま行けばバレるのは時間の問題と、ロシュタリア重臣関係者の頭の痛い所だそうだ。
そんな破天荒、行き当たりばったり、思い立ったら即日、押して押して引かずに押してな性格の彼女に一本の杭を打ち、無茶をさせまいとする動きが最近とみに強まってきた。
その動き,ファトラ王女を姉のルーンの100分の1くらいは大人しくさせ、王女たらしめんとする方法。それは…
「何でわらわがこぅ、次々と見合いモドキなことをさせらねればならんのじゃ!」
足元に置かれた箱をゲシィ,蹴る。
箱はふたを開け、中からは数着の服がこぼれおちた。
その発言に少女と少年・付き人であるアレーレと弟のパルナスはポンと手を打った。
「それで怒ってらっしゃったのですか!」
「確か先程まで、ガナンのフラッテマ公爵とグランディア弟王様達と会見なさってましたね」
「そうじゃ、経済流通についての安全な街道の検討をしておったのじゃ…いや、すると聞いておったのだ」パルナスの言葉に憮然とファトラ。
なお、フラッテマ公爵・グランディア弟王ともに若くして地位と名誉を一身に集める、今注目の人物達だ。
「なのに何故にわらわの趣味や好みの話になる上に、こんなものを貰わなくてはならぬのだ?!」
叫ぶ様に、彼女は部屋の床に所狭しと置かれた贈り物の数々を両手を広げて差す。
ロシュタリア重鎮達によるファトラ改造(?)計画。
それは少し早い気もするが彼女を結婚させる事。それも有力者と,政略結婚気味だが陣頭指揮は密かにルーンだったりするから誰も文句は言えない。
それも薄々感じての怒りであろう,取り繕う様にアレーレは広がる贈り物の内の一つ、先程ファトラが蹴って広げた箱から服を取り出した。
「でもこれ、今すごい有名なデザイナーの仕立てたモノですよ。ここにサインの刺繍してありますし」手にとってから気付いた様だ、本当に驚いてアレーレは言う。
「ああ、それはフラッテマ公爵が『貴方に最も似合う様に作らせました』とか言っておったな」
「すごいじゃないですか!」アレーレの知識によると、このデザイナーは人気のお陰で順番待ちで注文から一年以上かかるらしい。それも金額は庶民から見ると法外だ。
そんなアレーレにファトラは一喝。
「馬鹿者! わらわが着て似合わないものなどあると思うたか!」
なんだか良く分からないが、とにかくすごい自信だ。断言されると反論しようがない。
冷や汗をかくアレーレを庇う様に、パルナスが手にボトルを抱えてファトラに差し出す。
「ファトラ様,このワインは幻と呼ばれる砂漠林檎の逸品ですよ」
意匠の凝った褐色のボトルに目を注いで、王女は苦笑。
「そいつはグランディアのぼんぼんが『美女には美酒が良く似合います』とか、やけに白い歯を光らせながら言ってたやつじゃの」
「良く似合いますよ」
「ふん! ワインなんぞでこのわらわが酔えるか! それにその程度のモノならわらわの酒蔵にごろごろ眠っておるわ」どうしようもなく酒豪である。
ほとほと参ったアレーレとパルナスを前に、ファトラは不機嫌に椅子に腰を下ろして続ける。
「あやつら、わらわに気があるクセに遠まわしに遠まわしに言葉を選びよって。愛想笑いしすぎて危うく顎が外れる所であったわ」
一応、理性はあるようで暴れはしなかった様だ。逆に暴れていればこんな所でグチを吐いてはいなかったろう。
「二人とも皮肉でもなく真面目な顔をして、『姉上に似て、おしとやかなのですね』なんて良く言えるわ! 人を見る目もないのか!」
…確かに人を見る目はないようだ。
「で、でもファトラ様。あんな有名な方々に気にされるのって、嬉しいじゃありませんか」
アレーレはフォロー。が、王女は苦く笑う。
「やつらが気にするのは、うわべだけのわらわと、わらわの持つ地位じゃよ。誰も、本気で人同士として話さんわ。辺り障りのない会話をして、見た目だけは巧く取り繕う。わらわを欲しいのであればこんなモノや飾りだらけの言葉なんぞではなく、素直に『抱きたい』と言えば良いのじゃ」
「ファトラ様、過激すぎます」慌ててパルナス。
「ま、あの場で言ったら言ったで社会的に抹殺した後に暗殺者を差し向けるがな」
鬼である。おそらく本当にやるであろう。
ファトラは立ち上がる。
部屋を見渡し、小さく溜息と伴に肩の力を落とした。
「「ファトラ様?」」怪訝に付き人×2。
彼女は双子の二人に寂しそうな笑いを向けて呟いた。
「すまぬな、二人とも。ちとグチりすぎたようじゃ」
「いいえ。私達は一向に構いませんわ」
「すまぬついでにもう一つ、この部屋を片付けておいてくれまいか?」
「分かりました!」笑顔でパルナス。ファトラは彼の頭をクシャっと軽く撫でると二人に背を向け部屋を出る。
「どちらへ?」
「晩飯じゃ。今日は姉上に会う気がせぬから外で食う」
振り返らずに、ファトラは片づけを始めるアレーレにそう告げて去った。
フリスタリカの街。
日が沈み、夜の活気を持ち始めるその下町をわらわは歩く。
目指すはわらわの行き付けの食堂。
あいにくと東雲食堂ではない。今、あそこに行くと先程のようにまたグチを漏らしてしまいそうだ。グチは親しい人間だからつい言ってしまえるのだが、親しい故に言いたくはない。
裏路地を入り、表通りを横切り再び裏通り。
街を横切る川に沿って歩くとそこに着く。
知る者が知る穴場的な食堂。決して建物が良いとか、絶景が見えるとかそんな所ではなく味が良いに尽きる店。
わらわは仄かに薄暗い店内に足を踏み込み、カウンターの空いている席へ。
やはり夕飯時のこの時間、結構混雑している。
「さんま定食な」
注文を告げ、席に腰を下ろした。
ふと視線を隣へ。
隣の男も丁度こちらに目を向けたところだった。
鏡? ではない。
「誠ではないか」
「あ、ファトラさん。こんにちは」
揚げ物を口にしながらぺこり、彼は頭を下げる。
水原 誠。わらわと同じ容姿を持っていた異世界の人間だ。
『持っていた』と過去形なのは、さすがに今のわらわと彼とでは体つきも成長したことで変わってしまったから。
彼がわらわの代役をするとなると、かなり屈強なわらわになりかねん。
「なにをやっておるのだ?」
「??」わらわの問いに呆気になる誠。ふむ、考えてみればその通りだ。飯を食う以外に何があろう?
「東雲食堂には行かんのか?」質問を変える。
「今日はここの揚げ物を食べたかったさかいに」誠は笑う。
カタン
「お、きたきた」わらわの前に定食の載ったお盆が置かれる。
王宮の作ってから時間が経ち、冷めてしまった食事とは違い、暖かな湯気が立っている。
「いただきます」一応わらわは礼儀正しいのだぞ,呟いてから箸を持つ。
まずは皿の上のメインディッシュ・さんまに手を伸ばしつつ誠に話しかけた。
「しかし、アレだのぅ。最近の若いモンは時と場所を選ばぬものよのぅ」
先程アレーレとパルナスにぶちまけた話の内容を思い出し、深々と溜息が出てしまう。
「なんや? ファトラさんもまだまだ若いやないか」ジト目で誠。そりゃそうだ、わらわはまだ20前だぞ!
「そ〜ゆ〜意味ではなくてな。あ、誠,そこの塩取ってくれ」
「あ、はい」
「国事について検討している時にわらわの好みを訊くというのはどうかしていると思わんか?」再び思い出したのだろう、わらわの手につい力がこもってしまう。
さんまに掛ける塩が憤りで多めにかかってしまったではないか!
「? 良くわからへんけど、頑張ってや」対する誠はフライをパクリと一口。
まるっきり他人事、いや他人なのだから当然、彼にとっては対岸の火以外何モノでもない。
そんな彼を見て、一瞬毒を抜かれる。そして…
「…ま、頑張るしかないのぅ」わらわは肩の力を落として食事を摂り始める。
そう、誠には分かるはずもない、当然だ。容貌がそっくりだからと言って同一人物ではないのだから。他人に自分自身の心を完全に理解など出来るはずがないのだから。
そして同情も何もなくはっきり「分からない」と言う彼を、わらわは嫌いではない。下手なお世辞は癇に障るだけだからの。
「しかしのぅ、本当にわらわを好きでいてくれる者など、そぅはいやしまい。今日フラッテマ公爵にしてもグランディア弟王にしても、芝居のわらわに気があるだけじゃ。今のわらわの性格など知らん」わらわはさんまに頭から齧りつきつつ、しかしグチってしまう。
「それもそうですね〜」誠は本当に適当に相づちを打ちつつ、スープを一口。
「この間みたいに、怒鳴りながら金属バットを振り回すファトラさんを見たら、幻滅でしょうね」クスリ、言って誠は笑う。
「アレは…姉上を襲ったゴキブリへの天誅。当然の結果じゃ」思い出しながらわらわは鼻で笑う、姉上があれだけ驚かれたのだ。虫の分際で…
…幻滅、か。
わらわは僅かに己の表情が陰るのを感じた。
「結婚など毛頭する気はないが、わらわを好きになってくれる者など、果たしているのだろうか?」語尾は自らの内に向かうのを感じる。
そう、ありのままのわらわを好きになってくれる者などいるのだろうか?
そもそもわらわの外交以外の姿を知る者など数はひどく限られている。
だから、期待はしていない。
だが…
やはり先の見えない未来、心の何処かで期待しているのやもしれぬのぅ,掛け値なしに好きになってくれる者が現れるのを。
そんなことを考えるちょっと乙女(?)なわらわを見ることなしに、隣の誠は最後のフライを口に放り込み、コップの水を一杯。
と、こちらに振り向き、
「僕はファトラさん、好きですよ」
笑って言う。わらわの箸を動かす手が、止まった。
え…?
「!? んな…何を言っておる?!」震える手に箸が落ちてしまいそうになるのをこらえながら、再問。
「? ファトラさんのこと、好きやって」
あっけらかんと誠。
「………ふむ」
わらわは彼の言わんとしている事を瞬時に理解。
だが頬が自然と火照るのを感じるのは何故だろう? どこか自分自身、慌ててしまうのは何故だろう?
『好き』のニュアンスは違う,分かっている。
そもそも違ってなくとも普段のわらわなら一笑に伏しているはずだが…何か変だ。
「ファトラさんは僕の事、嫌いなんか?」
こんなわらわの反応にであろう,困った様に誠は問う。
嫌いじゃ,ない。困った、気にすればするほど頬が熱く感じる。薄暗い店内でも気付かれるかもしれぬ。
わらわは頬の火照りを冷ます為、それを感づかれないようカウンターに肘を立てて頬杖を付いた。よし、これで頬の火照りはバレない。一安心だ。
「そうじゃのぅ」呟いて、小さく笑う。
誠の表情と、自分が案外子供っぽい事に。
そして何より、たくさんある大切なものの一つに気付いたから。
ワインもデザイナーズ・ブランドもなんにもいらない。
とびきりストレートに気持ちを伝えてくれる,そんな奴が一人でもいれば、それだけで全ては満ち足りる。
「わらわも、お主が好きじゃよ」
店の雑踏の中、確かにそれは誠に届く。
久しぶりに言葉を真っ直ぐに投げられた、そんな日だった。
End ...
あとがき
第二位に輝いたファトラのSSです。
PSY・Sのアルバム『Two Hearts』よりNo.2「Woman S」から書きました。
何でも持っているファトラ、そんな彼女が唯一持っていないものは?
ファトラみたいな方は物なんかに執着がなくて、もっと形がない何かを大事にする様な気がします。
これはそんなお話…
2000.2.2. 自宅にて