元気?


 パルナス、元気?
 私は元気です。
 みんな元気…と言いたいところだけど、ファトラ様が先日…



 「誠様、貴方に今日、ここに来ていただいたのは他でもありません」
 ルーンが深刻そうに目の前に『強制連行』された青年に告げる。
 ここは質素な内装の個人の部屋だった。
 主のセンスを反映しているのか,どことなく落ちつく深い緑系の色使いに統一されている。
 「ごほごほ!」
 隣でベットに横たわる女性に深い悲しみの色をその瞳に湛えながら、王女は続けた。
 「本日の午後、ガナン公国との会談があるのは御存知でしょう?」
 「はぁ」気の抜けた声で青年・水原誠は頷いた。
 「うう〜、目が回るぅぅ…」呻き声を上げたベットの上の女性を誠はチラリと見る。
 彼と同じ顔をした女性だった。
 だが、成長期を過ぎようとしている雌雄の差は歴然で、青年はやはりしっかりとした体格、対して病気であろう女性はどことなく丸みを帯びた体格である。
 「この会談ではどうしてもファトラの出席が必要なのです」
 王女は続ける。
 「さいですか」
 「分かりますね?」ニッコリ笑ってルーン王女。
 つられて誠も微笑むが、3秒後に引きつったそれに変わった。
 「い、嫌や! 大体、僕は何歳かと思うとるんや?!」
 一歩後ろに引き下がる誠。しかし同時に彼の背に堅い何かが当たる。
 部屋の壁だ。
 そんな追い詰められた誠に、病床のファトラから提案が上がった。
 「う…うつせば治ると世間では言われております、姉上」
 「ちょ、ファトラさん!」
 「そうですね」笑みを崩さずルーン王女。ちょっとどころかえらく恐い。
 ファトラは息も絶え絶えに言葉を続けた。
 「こ、この際……少年誌に書けないくらいの、18禁どころか20禁くらいのやり方で、誠めにこの風邪をうつしてやると言うのは?」
 「お手伝い致しますぅ、ファトラ様ぁ」
 とても病人とは思えない彼女のやる気に、アレーレの賛同が続く。
 そんな二人を誠は大きく溜息をついて、呆れた顔で見つめた。
 「なんかも〜、目がすわっとるで。ファトラさん。寝とりや」
 「そうですよ、ファトラ。あとは全て誠様に任せて」
 「あの,ルーン様?」
 「最近、ロシュタリアの財政が芳しくないのは御存知ですか?」
 冷や汗で尋ねる誠に、いきなりシリアスな表情で切り出すルーン。
 それに誠は戸惑いながらも小さく頷いた。
 現在、ロシュタリアは財政面で赤字が続いているという事はストレルバウからよく聞かされていることだ。
 「削れる所は削ろうと思っているのですよ」
 「………お手伝いさせていただきます」
 誠、ルーンに呆気なく敗北。



 「マコト、カ〜ワイイ!」
 「ん〜、素敵ですわ、誠様ぁ!」
 「うぁ、やめや! 二人とも!!」
 甘えた声でしなだれかかってくるアレーレとウーラを何とか払い除ける誠。
 彼の今の姿はルーンによって念入りに改造,もとい衣装替えされ、ファトラでさえ着ない淡いピンク色のフォーマルドレス姿となっていた。
 もともと作りの良い顔は、仄かに白粉が塗られ唇には紅が引かれている。また黒く長い髪のカツラを仕込まれ、その中ほどを手の込んだ形で編まれていた。
 外見はルーン好みのファトラ像そのものであるが、雰囲気は普段ファトラに常に付いてまわるある種の『鋭さ』が消え、誠の持つ対極的な柔らかさが覆っている。
 誠自身はファトラの代役をするには体格的に無理だとは言ったが、実際はファトラ以上に女性的に仕上がっていた。
 ルーンの技量がすごいのか,誠が男らしくないのか,もしくはファトラが男らしいのかは定かではないが。
 「ところでアレーレ,そのガナン公国と会談っちゅうのはいつからや?」
 「ええと、あと一刻(二時間)くらいですかね」
 そこまで言って、アレーレはあることに気付く。
 「誠様? その声…」
 「ニャ? 声ガファトラソックリ!」ウーラもまた驚きの目で彼を見上げる。
 誠は己の首にピッタリと巻きついた、径の小さなネックレスを微笑んで指差す。
 銀色の、細い鎖の装飾品だ。
 「これは先エルハザードの遺産でな。任意の対象物一つの特性を複製する事が出来るんや」
 「「??」」
 アレーレとウーラは顔にそのまま『分からない』と書く。
 「ええとな、この場合はファトラさんの声色をコピーしたんや。でもこの装置はまだ不安定でなぁ」
 「へぇ…先エルハザードの文明の力で、また一歩ファトラ様に近づきましたねぇ」
 「スゴイゾ、誠!」
 「全然、嬉しくないわ!」叫ぶ様に彼は反論。その声もあって、彼のそんな反応すらファトラに見えてくるから不思議だ。
 「ったく、ホンマはコレはイフリータの『複製』能力の原型として、やっとの事で作り上げた元の世界へ戻る為の鍵なのに…こんなコトで使うとは思わへんかったわ」
 と、ブツブツとそこまで彼はハッと思い出した様に顔を上げた!
 「アカン! 実験装置の電源入れっぱなしやったわ!」
 「あ、ちょっと、誠様!」
 アレーレの静止の声も聞かずに、彼は控え室を駆け出して行った。
 彼女は誠を掴もうと前に出した手を、そのまま足元のウーラに向けて抱き上げる。
 「誠様、あの格好のまま行っちゃって大丈夫かな?」
 「サァ?」
 一人と一匹はある程度の事を予測しつつ、そのある程度が余程の事に発展しないように内心祈っていた。



 誠は城の中庭を目指して駆ける。
 「あぁ、もぅ! 走りにくいなぁ」と、そこで彼はふと我に返った。
 今、彼は女装をしている。ロシュタリア外部の者が来ているこの城内で他国の高官にバレるのはもちろんご法度として、それ以上にもしも,特に菜々美なんかに女装がバレたら何を言われるか分かったものではない。
 ”まこっちゃん,やっぱりそういう趣味があったのね”
 「とか言って、お店でウェイトレスさせられたらたまったもんやないで!」
 思った途端、背筋が寒くなる。
 「あら、ファトラさん」後ろから聞き覚えのある声を掛けられて、誠は振り返った。
 「うっわ〜! 菜々美ちゃん!!」
 「な、何よ。そんなに驚いて!」ファトラ(誠)の驚き様に巻き込まれる菜々美。
 数瞬後、彼女の性格を現すようなはっきりとした眉が訝しげに歪んだ。
 「『菜々美ちゃん?』って、もしかしてアナタ、まこっちゃん?」
 鋭すぎる。
 「な、何を言っているか、菜々美。どこからどうみても、正真正銘のファトラではないか。ハハ、あっはっはっはっは〜!!」喉が乾くのを感じながら、カラ笑いの誠。
 「そ、そりゃそうよね」
 「そうそう!」力強く頷く女装の誠。
 「もしもまこっちゃんが未だに女装してたら、きっと女装癖があるに違いないもの」
 「そ、そうじゃなぁ」
 「そしたら晴れて変態さんの仲間入りよ。イフリータにバレたら焼き殺されるじゃ済まないでしょうねぇ? そう思わない,まこっちゃん?」
 「…わらわはファトラじゃ」危うく頷きかけ、誠は内心の動揺をひた隠しつつポーカーフェイスで答える。
 「あら、ごめんなさい。ところでファトラさんの誕生日っていつでしたっけ?」
 「はい?」
 「いえね、お誕生日のお祝いのケーキをウチで作らせてくれないかなぁって思ってね」
 あくまで普通に話を振る菜々美に、誠は冷や汗。
 ”誕生日って…いつや?”
 「わ、わらわは…」
 「?」
 「わらわは仏教徒なのじゃ〜!!」
 「へ?? ちょ、ちょっとぉ!!」
 クリスマスじゃないぞ、誠…
 走って逃げ出した誠の背を見送りつつ、菜々美は苦い笑いを浮かべていた。
 「まこっちゃんたら、何年一緒にいると思ってるのかしら? 気付かないわけないじゃない」



 「はぁはぁはぁ…追って…きぃへんな」
 肩で息をして、誠は後ろを振り返る。誰も追いかけてくる気配はない。
 普段運動不足の彼はバテたのであろう,膝に手をやりながら半ば中腰で廊下の角を曲がり…
 ドスン!
 「なんやの?」
 「んぐ!」
 誠の顔を柔らかいものが覆い尽くした。両手で触れてみる。
 …暖かくて、弾力があった。紛れもない、これは…
 ”もしかして…”
 誠は恐る恐る顔を上げる。予測が正しければ目の前には顔があるはずだ、それも怒りの。
 しかしそれは見えなかった。正確に言えば見る暇もなかった。
 「風よ」ボソリ、呟き声。
 「うぎゃぁぁ!!」
 メシィ!
 誠は突風に壁へと叩きつけられた。
 見事、人の形を壁に残しつつも彼は身を起こす。
 「ファトラはん、相変わらず油断も好きもあったものやおへんな」呆れと怒りを込め、胸を両腕で隠したアフラが立っていた。
 「あ、アフラさん」叩きつけられた衝撃に千鳥足ながらも誠は目の前の神官を認識。
 ”今のはやっぱりアフラさんの…そんな事より、今の一撃は効いたで”
 両手に残る感触よりも、全身に引きつったような痛みの方が勝っていた。
 そんな誠に、アフラは厳しい目で詰問。
 「今日はガナン公国との会談があると聞いた記憶がおますが、また逃げ出すつもりおすか? 身代わりにされる誠はんの気持ちも分かってあげなはれ」
 ”充分分っとるわ!”心の中で涙ながらに叫ぶ彼。
 「いえ…ちょっと寄らなきゃいけないところがあってだな。会談には必ず出席するつもりじゃ」
 「ホンにそのつもりあります? 誠はんは寝る間も惜しんで向こうの世界に行ったイフリータの為に研究を続けとる。ファトラはんがちょっと遊びでサボれば、その分のツケが影武者になれる誠はんにいきよるんどす。ソコの所、良く理解しておくんなまし」100%疑って風の大神官はジト目で女装の誠を見つめた。ファトラと信じて疑わない,そんな目だ。
 誠は内心、アフラに感謝する。
 「そんな事は分かっておるわ。それこそ急がんといかん,行かせてもらうぞ!」
 アフラの横を通り抜けた。すれ違い様、アフラはこう声を掛ける。
 「この先の誠はんの研究所に行くつもりなら、やめなはれ」
 「? どういうことじゃ?」振りかえる誠。
 「誠はんの研究の邪魔になるわ。それにきっと…ま、あの娘にも分別はあるさかい、無茶はせぇへんやろ」ぶつぶつ呟き、アフラは去って行った。
 誠は遠くに見える中庭に建った石造りの小さな己の研究所を眺め、やや不安を感じざるを得なかった。



 スイッチを切る。
 研究室を埋め尽くすような機械類から駆動音が徐々に薄れて行った。
 「ふぅ。さて、戻ろか」
 安堵の溜息一つ、誠は研究所を出る。
 「あ」
 「テメェ…」
 扉を開けた所で誠は赤毛の少女と鉢合わせた。
 彼女は初めは驚き、そして徐々に…怒り。
 「ファ〜トォ〜ラァ〜!!」
 「ひ、ひぃぃ!!」
 誠の前に鬼がいた。
 鬼神ではない。明かに地獄から這いあがってきたかのような、『鬼』だ。
 「よくもアタイの前にのうのうと姿を現せたなぁ」
 ポキリポキリと指を鳴らしながら彼女・炎の大神官シェーラシェーラは誠に接近。
 対する誠は彼女の鬼よりも勝る恐ろしい形相に身動きも出来ない。
 「あの…わらわが何か?」誠は自分の声がファトラでもない,別人のモノに聞こえたと後に語っている。
 シェーラは俯き、ふるふると肩を震わせた。
 「あ、あの、シェーラさん?」只ならぬ雰囲気に誠は声を掛け…
 顔を上げるシェーラ。
 そこには獲物を捕まえたという喜びの色と、屈辱を思い出した悔しさの色が混じっていた。
 笑い泣きだ。
 「この前もあんなことやこんな事やそんなこと! あまつさえ人の一生に残る事までやりやがって!! 地獄へ落ちろぉぉ!!!」
 叫ぶシェーラの両手に炎が宿る。炎の方術だ!!
 「ちょ、シェーラさん,待って、話せば分か…」
 「死ねぇ!!」
 ちゅど〜ん!
 「待って…」
 どご〜ん!
 「シェ…」
 メキィ!!
 ドゴシ!
 ブチィ!
 ゴリ…
 地獄、展開中。



 ファトラは終息する事のない息苦しさに、何度目かの寝返りをうつ。
 「うう、しつこい風邪じゃのぅ…」朦朧とした意識下で、彼女は体の奥から沸き起こる悪寒に毛布の中で身を丸めた。
 「ごほごほ…」
 がちゃり
 「ごほごほ………ん?」
 扉の開いた気配に、ファトラは目だけを向ける。
 しかし狭い視野と霞んだ目では侵入者だか何だか分からなかった。
 ギシィ
 「?!」
 ベットが人の重さに軋む。ファトラ以外の誰か。アレーレ?
 「だ,誰じゃ?」気勢を張って尋ねたつもりだったが、風邪に体力を根こそぎ奪われている為、ファトラの誰何の声はまるで力ない乙女の様だ。
 「はぁはぁはぁ…」
 近づいてくるその喘ぎ声に、病床の姫は身を固くする。声の雰囲気は男。
 「ち、近寄るでない!」
 ベットから残り少ない力で這い出ようと動いた彼女に、侵入者が馬乗りにのしかかる!
 「い…」恐怖に目を見開く彼女の目の前には……
 「ファトラさん,僕、もぅ我慢できへん!」
 「ま、誠?!」
 荒い息を吐きながらファトラを押さえつけるのは誠だった。その目は血走り、全身打撲らしき跡がある。
 ファトラはあせる。一体誠に何があったのか? 寝込みを襲うような男ではなかったはずだ,いやファトラから襲う日をいつかは考えるつもりだったが。
 チャリ…
 誠の首から銀製の細い鎖が外れ、ファトラの胸に落ちる。
 「もぅ、僕は限界や,ファトラさん。僕の苦しみ、体で支払ってもらうで!」
 誠の手が、ファトラの胸に伸びる!
 ”これは…まだ心の準備が…しかし誠なら…いや、やっぱり、やっぱり…!”
 「いやぁぁぁぁ!!」
 ファトラが妙に乙女ちっくな叫びを上げるのと、
 誠の手が、ファトラの胸の上に落ちた先エルハザード文明の遺産に触れ、暴走を引き起こしたのは同時だった。
 暴走、それは究極的には任意の二人の身体状態を入れかえることにつながるのを誠は気付いていた。
 起こした暴走は爆発的に二人の状態を入れ替え…それは最後の最後で有り余ったエネルギーを放出した。放出とはつまり…
 ちゅど〜ん!!
 小規模な爆発が、ファトラの寝室で発生したのであった。



 「何事ですか!!」
 「ファトラ様!」
 「何ぃ、ファトラだとぉ?!」
 駆け込む一同。
 爆発の影響で散らかった部屋の中に、二人の男女がいた。
 寝巻き姿の女性に、ボロボロのフォーマルドレスを着込んだ女装の男性。
 「おお! 姉上!」
 女性の方が元気良く笑顔で血相を変えて部屋に来たルーンを迎える。
 「あら、ファトラ。元気に…なったのね?」
 「ええ、不思議な事に」
 「ファトラ様は永遠に不滅ですぅ!」
 首を傾げる二人と完全復活に目を輝かせた侍女とは対称的に、その足元で呻き声を上げる男性に菜々美は駆け寄った。
 「どしたの?! まこっちゃん! 全身打撲に加えてすごい熱よ!!」青い顔をした彼を抱き起こしながら菜々美。
 「もぅ…女装しなくて…済むんやな…」彼女を見上げつつ、誠は満足そうにそう微笑むと力を失い気絶した。
 「ま、まこっちゃん?!」
 「惜しい人をなくしたもんですわ」
 「あふら,マコトハマダ死ンデナイ」良いボケとツッコミだ,アフラ&ウーラ!
 最後の一人は扉付近で戸惑った様にファトラと女装した誠を見比べていた。
 やがて合点がいったのかポンと手を叩く。
 「そうか、さっきアタイが痛めつけたのは誠だったのか!」
 そしてキッと完全復活を遂げたファトラに目を移し、
 「誠のカタキだ、死ねぇ、ファトラァァ!!」
 「シェーラか!」
 ファトラは炎の方術を身を捻ってかわした。
 「カタキって…お主がやったのだろう?」
 「う、うるさい!! 今日という今日はその息の根を止めてやるぜ!」
 炎の方術を乱射するシェーラ。
 「ちょ、ヤメや! シェーラ!」
 「こんな狭い所で暴れないでよ!」非難を上げるアフラと菜々美にも方術は飛び火し、
 ボン!
 「マコト、コゲテル…」
 哀れ、気絶してもなお被害を被る誠であった。



 ………そういうことで、ファトラ様は元気になったんだけど、誠様は全治二週間だそうです。
 今年の風邪はしつこいそうですから、パルナスも気を付けてね。
 じゃぁ!

アレーレ=レレライル 


 「それは風邪じゃないよ、姉さん…」
 パルナスは一人、手紙から目を夜空に移し、哀れな科学者の姿を思った。


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