9歳の脱出



 しっかりとしたバルサ材を十字に組み、気密性の高い白いシーツを張る。
 「ふむ」
 幼い彼女は満足げに頷いた。
 ロシュタリア城の東の塔,かつては物見の塔として用いられていたが、今では時々小型の飛空挺の離発着を行う事くらいにしか使わない、ほぼ無人の場だった。
 そこに一人の少女がいた。
 塔のてっぺん,フリスタリカの城下町が一望できるそこに、彼女は鼻歌を口づさみながら何やら製作を完了しようとしている。
 「ナニヤッテル? ふぁとら??」
 そんな彼女の傍らに仔猫が一匹。背中から腰にかけて長いたてがみを有する変わったその猫は人語をそんな彼女に放った。
 「よし! 完成じゃ!」
 彼女は出来あがった凧のようなそれをかざし、元気よく立ちあがった。
 ロシュタリア第二王位継承者であるファトラ王女は当年とって9歳。
 ここロシュタリア城内ではやりたい放題の困り者であった。
 「ナンダ? ソレ??」
 「ふっふっふ…これか?」
 ファトラは子供特有のやや甲高い声で足元の仔猫に含み笑い。
 「これは『ぐらいだー』といってな,風を操って空を自由に飛ぶ為の道具じゃ!」
 「…ヤメロ、死ヌ」
 賢い猫である。
 「貴様,このわらわが昨晩寝ないで設計したのだぞ!」
 「デモ、絶対死ヌ,うーらガ怒ラレルカラ止メテホシイ」
 「いいか? わらわの体重に対して必要な空気の抵抗値を算出し、それに応じた翼の面積をはじき出したのがこの結果じゃ。一昨日のいい加減な計算で作ったまがい物とは異なるのじゃ!」
 叫ぶ彼女の右頬にはバンソーコーが張られていた。どうやらつい最近、九死に一生を取りとめたようではある。
 「デモ…」
 「ええい,うるさいわ! ウーラもさっさとこんかい!」
 「…ワカッタ」
 ウーラはファトラの体に纏わりつき生きた鎧となる。
 幼き王女はそれを確認するとグライダーの手すりを両手で掴み、塔の向こう,足元に広がるフリスタリカの街を見下ろした。
 「行くぞ,いざ、冒険の世界へ! 城の外へ!!」
 翼をしっかりと掴み、ファトラは助走。
 一歩二歩三歩、そして四歩目。
 彼女の足は塔から離れ、体はフリスタリカの上空にあった!
 「ウァ…」
 「やったぞ! わらわはついにやったのだ!」
 体が風に乗ったのは、しかし僅か一秒。
 まるで乗車拒否されたかのように、突如としてファトラの体はグライダーとともにクルクルクルクル、下へ向かって落ちていった!!
 「な、何故じゃぁぁぁ!!」
 「ケイサンシタンジャ、ナイノカ?」
 「もちろんじゃ! わらわの体重をグラム単位まで算出して…ああああ!」
 「?」
 「貴様の体重を忘れておったわ、ウーラ!!」
 どぐしゃぁぁ!!
 一人と一匹と、一枚の翼は中庭の木の中に景気良く突っ込んだそうな。



 「空はダメとなるとこれしかあるまい」
 ファトラはニタリと暗闇の中、ほくそえむ。
 墜落した彼女はたまたま中庭の整理をしていた庭師をクッションに怪我一つなく生還。
 もっとも代わりに庭師が、彼女の凶器と化した石頭を背中に食らい入院するハメに陥ったのではあるが。
 この失敗のおかげで塔には見張り役が付き、ファトラはまた一つ立ち入り禁止区域を作り出したのであった。
 しかしそんなことでめげるファトラ9歳ではない。
 不屈の魂を以って、この窮屈なロシュタリア城を出る手を試行錯誤中だ。
 そして今は…
 「ふぁとら、ドウシテココマデシテ、オ城ヲ出タインダ?」
 暗闇の中、二つの光が光る。
 しかし暗闇の中で作業する彼女は、背後の光に振り返ることなくこう応えた。
 「外の世界は自由だぞ、ウーラ。力のないものは敗れ、力あるものがのし上れる己の力が頼りな世界だ。楽しそうだと思わんのか?」
 応えはしかし無言、である。
 「比べてここの生活は何じゃ? 自分自身に力はないのに、後ろ盾だけで大威張りするバカどもがなんと多い事か! わらわはこんな所に馴染むつもりはないのじゃよ」
 ザクッ!
 彼女は言いながら手にしたスコップを思いきり目の前の土壁に突き立てる。
 「さて」
 と、彼女はスコップを頭上に向けた。子供の身柄でもしゃがみながら進む狭いこのトンネル,その上に彼女はスコップを突き立てる。
 「この辺でちょうど城壁の向こう側に出るはずじゃ,空がダメなら地面を行けば良いのじゃよ!」
 ザクザク、彼女はスコップを進める。
 やがて幾ばくもしない内に抵抗が急に軽くなった。スコップを引き抜くと金色の光が一筋、彼女の顔を照らす。
 「やったぞ、ウーラ!」
 頭上をパンチ,崩れた所で彼女は頭を出した!
 目の前に、オヤジの顔があった。
 「げ…ロンズ…」
 「他人の庭は良く見えるものなのですよ、ファトラ様」
 ニッコリ,薄気味悪く彼は笑った。
 ファトラもまた、愛想笑いを浮かべて顔をトンネルの中へと引っ込める。
 そして急いで方向を180度転換!
 「に、逃げるぞぉぉ!」
 「うにゃにゃにゃにゃ?!?!」
 しゃがんだ状態でもどかしく走る彼女の背後に、ロンズの掛け声と同じくして容赦なく生コンの濁流が押し寄せてきたのだった。



 革製のグローブをキュっと絞める。
 「空もダメ、地中もダメ、となると正面突破しかなかろう」
 「モゥ、イイ加減諦メタホウガイイ、ふぁとら」
 「ええい、うるさいわ! 男にはやらねばならぬ時がある,いやよいやよも好きのうちというであろうが!」
 「?? ふぁとら、女ノ子…」ツッコミたいが蹴られるのは嫌なので賢い猫は口をつぐんだ。
 「行くぞ、ウーラ!」
 ファトラは背中をコンクリで化石化したまま、意気揚揚と城の正面門へと足を運ぶ。その後を溜息一つ、ウーラがトテトテと後を追った。



 「ファトラ様」
 「勝手に外に出てはいけませんよ」
 門番二人に止められるファトラ。彼等は全身鎧で身を固め、槍を手にしていた。
 ファトラは前に立ちはだかる笑顔の二人を見上げ…
 「ファトラキィィック!!」
 「うわぁぁ!!」
 「ファトラパァァンチ!!」
 「のわぁぁぁ!!」
 どんがらがしゃぁぁ!!!
 大の大人二人は彼女の体重をかけた二撃をくらい、その場にあお向けに倒れた。
 「ん…」
 「お?」
 二人はまるでひっくり返ったカメのようにジタバタと手足をばたつかせる。
 どうやら鎧が重くて立てない様だ。
 ファトラは満足げに二人を見下ろし、不敵に微笑む。
 「いざ行かん、神秘と混沌の城下町へ!!」
 「ああ、ファトラ様、お待ちをぉぉ!」
 「危ないですから外に出ちゃいけません!」
 叫ぶ門番を乗り越えて、ファトラは門をくぐり…
 彼女の前にフラリと老人が立ちはだかった。
 白く長い髭を胸にまで伸ばした白髪の老人。
 ファトラは足を止める。ギリィと奥歯を噛み締めた。
 「お勉強のお時間ですぞ、ファトラ様」
 「ストレルバウのジジィ…わらわの邪魔をするか?」
 「ふぉっふぉっふぉ…ファトラ様に、この爺を倒してここを潜り抜けられるだけのお力はありますかな?」
 ニタリと笑みを浮かべた老人に、ファトラは身構えた。
 老人・学術顧問たるストレルバウは両手をゆらりと動かす。そのゆったりとした動きはしかし、残像を生みまるで千手観音の様にも見える。
 「行くぞ、ストレルバウ!!」
 老人に向かってダッシュのファトラ,加速度を付けながらも己の懐に手を突っ込み、何かを取り出した。それは…
 「そら、姉上のパンツだ!」
 「なぬぅぅ?!!?」
 ストレルバウの腕の残像が、消えた。
 ファトラは飛ぶ,ストレルバウに向かって…
 瞬後、
 ドゲシィィ!
 「ぐっはぁ!」
 ファトラの両足蹴りに顔面をへこませ、ストレルバウはファトラの放ったパンツをしっかりと握り締めたままロシュタリアの大地に倒れ伏した。
 ファトラはそんな老人の上に見事着地。
 「よくぞ師を超えた」彼女の足元でそんな呻き声。
 「思い残す事はもう何も…ぐっふぅ」
 気を失うジジイ。しかしどこか至福な表情で手にした布を胸に抱いていた。
 ともあれもはや、ファトラの目の前に立ちはだかる物は何もない。賑やかな城下町が目の前に拓けていた。
 「ふふふ…ふっふっふっふっふ、あっはっはっはっは!!」
 大笑いのファトラ,元気良く後ろに振り返る!
 「行くぞ、ウーラ! いざ外の世界…へ…げ?!」
 返り見て、彼女は凍り付く。
 「ふぁとら〜」
 情けない声をあげるはウーラ。彼は首根っこを掴まれ、だらんとだらしなく釣り上げられていた。
 彼を掴むは…
 ロリュタリア第一王女・ルーン=ヴェーナスその人である。
 「ファトラ?」
 ニッコリと、この上のない笑みを目の前の妹に浮かべるルーン。
 しかしファトラは見逃せなかった。姉の額に怒りの四つ角が浮いている事を。
 「外の世界って、何のことかしら?」
 「あぅ、あの、外の世界は…」
 「外の世界は?」
 一歩二歩、歩み寄られるファトラ。しかし彼女は笑みの中の怒りに気づき、足が竦んで身動きが取れなかった。
 「楽しいかなぁ…って思ったりなんかしたんじゃが、そうでもない様な気がしないでもないような…」
 ゴクリ、目の前までやってきたルーンを見上げながら、ファトラの言葉は消えて行く。
 「さ、お部屋に戻ってストレルバウの教えをお聞きなさい」
 「ふにゃ!」
 ルーンは空いた方の手でファトラの首根っこを掴むと、ウーラと並べて吊り上げながら城内へと戻って行った。
 数分後、「ギニャー」と幼い子供の絶叫が白亜の城の奥から聞こえてきたような気がするのは、幻聴ではなかったのかもしれない。


 翌日、珍しくルーンが公務の一切を休んで幼い妹と伴に城下を散策したというのは、余談ではある。


おわり