恋文
After OVAU



 その大事件の起こる前日の夜、誠は羊皮紙に羽ペンを動かしていた。
 そこに綴るのはエルハザード共用語。
 まるで英語の筆記体のようなその文字を、誠は器用にも綴ってゆく。神の目の研究の為とはいえ、僅か2ヶ月余りで読み書きをマスターした所に彼の静かな情熱を感じる。
 が、今彼が綴っているのはそんなお堅い文章ではなかった。
 「ええと? 貴方の清らかな小川のような澄んだ瞳は…?」
 誠は羊皮紙の隣、引き千切った大学ノートに汚い鉛筆文字で書かれた日本語の文章を読みながら苦笑いを浮かべている。
 「直接、ミーズさんに言うたらええのに…センセは案外内気なんやなぁ」
 きっと藤沢がここにいれば、『お前に言われたかないわい』と言い放っただろう。
 誠は藤沢の依頼で彼の書いた手紙をエルハザード公用語に直して書き綴っているのだ。
 送り先はマルドゥーンの水の大神官・ミーズ=ミシュタル。
 内容は…誠が恥ずかしくなって顔が真っ赤になるような、そんな恋文だった。
 カーリアの一件で婚約があやふやになっていたミーズとの関係に、藤沢はようやく重い腰をあげたようだ。
 「しっかし、センセもよくこんな文章、思いつくわ」そこまで呟いて誠は思い出す。藤沢は古文・漢文の教師だ。源氏物語なんかの詳細も知っているに違いない。
 そう思わせる、古今東西の恋文の技術総結集な文面である。ともあれ、誠はさっさと終わらせんが為に羽ペンを動かした。
 だが…
 「うぁ、ダメや,かゆい〜〜〜、うがぁぁ!!」
 文面の『まい、すい〜とはに〜(らぶ)ミーズ』のところで誠は耐え切れなくなって床を転がった。ハズイ、恥ずかしすぎる!
 気がついた時には羊皮紙はくしゃくしゃに丸められていた。己の衝動に耐え切れなくなって潰したのはこれで5通目だ。
 しかし随分、精神的に耐えられるようになったものだ。文面の三分の二まではなんとか書けるようになった。
 「次は最後まで書くで、ほんに高こうつくで,センセ!」
 パァン、誠は己の頬を両手で叩き、今度こそは最後まで精神を持たせるように気合を入れる。
 そんな彼が書き終わったのは日も登る頃。
 この時、彼は最初に書いた失敗作をベットの片隅に投げ捨てたままであった事に気付く由もなかった。



 ギィ…
 誠の研究室の扉が開いた。
 「誠、おるか?」
 ひょっこり顔を見せるのは第二王女ファトラ。彼女の視界には散らかった誠の机と無人のベット、山と積まれた本や古代遺品などの無生物のみ。
 「何じゃ、おらぬのか」
 拍子抜けしたのか、彼女はずかずかと部屋に上がり込む。
 「せっかく人が昼飯に誘いに来てやったというに…」もっとも城下にある東雲食堂に行く口実が欲しかっただけとも言うが、彼女は残念そうに呟きベットに腰掛けた。
 「ん?」
 足下に落ちた、丸められた羊皮紙に気付き手に取る。
 「ゴミか?」
 部屋の片隅にあるくず入れに投げ込もうとした腕が止まり、それを開いてみる。
 そこにはエルハザードの公用語で何やら文字が綴られていた。
 何かの論文かと、ファトラはさっと目を通し…
 「す、すばらしい!!」
 ぶっはぁと涙が溢れる。書きかけのそれは藤沢のミーズに対する恋文である。
 しかし宛名もなく文中は途中で終わっており、藤沢の名もミーズの名も、何処にも記されていない。
 「この比喩,繊細な表現、何よりロマンティックな展開…誠のヤツ、こんな才もあったのか?!」
 ファトラの感覚はどうやらちょっとズレているらしい。
 「しかし…」ファトラは瞬考。
 「誠のヤツめ、この恋文を一体誰に手渡すつもりじゃったのだ?」
 誠はイフリータを追いかけているのではなかったのか?
 いや、これは来るべき日に備えてイフリータの為に書いたのか?
 いやいや、イフリータに恋文など不要であろう?!
 となると、誰かに宛てて彼が書いたものとなる。
 一体誰に対して??
 「ファトラはん、なにやってますのん?」
 「あ!」
 京言葉が聞こえたかと思うと、ひょいと手にした手紙が奪われる。
 目の前には風の大神官・アフラ=マーン。左手に持った古書を誠の机の上に置きつつ、手紙に目を通し始める。どうやら誠に資料を渡しに来たか何かのようだ。
 と、彼女の動きが止まる。
 ふるふると手が震えていた。
 「ファトラはん」
 「何じゃ?」
 手紙の向こうから、震えるアフラの声が聞こえてくる。
 「これは誰が書きましたんやろ?」僅かに怒りをも感じ取れる声色だ。
 「誠であろう、その筆跡は」
 ばっ、手紙を下ろすアフラ。彼女の瞳からは先程のファトラと同様に涙が溢れていた。
 「こんな…こんな切ないこと書かれたら、ウチは…ウチは、もぅ誠はんのモノやわ」
 ぼぅっと頬を赤らめ、恍惚の表情でアフラは呟く。
 前言撤回。どうやらエルハザードの文化そのものがズレてしまっているようだ。
 「誠はこれを一体誰に渡すつもりで書いたのであろうか?」
 「イフリータ…ではなさそうおすな」
 「「………」」
 二人は顔を見合わせ、沈黙。
 コンコン、扉が叩かれる。二人は扉に視線を向けた、途端に開かれる!
 「よぉ、誠! 遊びに来たぜ!」
 「こんにちは、誠様」
 「おっひさ〜、誠!」
 火・水・地の大神官達が唐突に現れた。
 巷で今流行りの『ぺったん』なるものを振り上げて笑いながら入ってくるシェーラ。
 何が恥ずかしいのか、おずおずやって来るクァウール。
 大吟醸の瓶を担いでイシエル。
 しかし三人は誠不在の上に似合わない先客二人に首を傾げた。
 「何やってんだ? 二人して??」シェーラはアフラに歩み寄り、彼女が持っていた手紙を興味本位に奪った。
 「何でぃ? 誠の字じゃねぇか?」それをクァウール、イシエルが後ろから覗き込む。
 しばらくの沈黙、そして…
 「ん、な、誠…お前ってヤツは…」
 「素敵です、誠様…」
 「男っしょや、誠…」
 涙に暮れる三人。
 その表情はまるで「お嫁に行きます、お父様」と結婚前夜に父親に向かって告げる一人娘のようだ。
 「ルーン陛下、ファトラ様を見つけましたわ」
 「あら、まぁ? 皆さんお揃いでどうかなさったのですか?」
 狭い研究室に新たに二人の女性が現れる。
 若くしてロシュタリアを導くルーンと、ファトラの付き人(愛人)のアレーレであった。
 「あれ? 皆さんどうかなさったんですか?」
 全員の表情に涙の跡を見つけ、アレーレはその根源たるシワの寄った羊皮紙を瞬時に確認。
 虚ろなシェーラの手からそれを奪いとってしげしげと眺めた。
 「アレーレ,それは?」
 後ろから屈む様にしてルーンもまた目を通す。
 「誠様の筆跡の様ですね。論文か何かでしょうか??」アレーレは言いつつ、読み進め…
 「なんて情熱的な内容…アレーレ,どうしたら良いのか分からないですぅぅ〜〜」
 「アレーレ、ハンカチはありますか?」
 「はい、王女様…」ルーンは差し出されたハンカチで己の瞳をそっと覆った。
 「誠様は一体、これをどなたに向けて書かれたのでしょう?」
 感動に震える声でルーンは言った。
 「ここにいる誰か…やもしれませぬ」ファトラは断言。
 都合よくかどうか、ここにはエルハザードにおいて誠と特に親しい女性のほとんどが揃っている。改めて見ると現役の大神官全員にロシュタリア王族二人(+付き人一人)という、普通ならば考えられないメンバーであるが。
 ””もしかして、私/わらわ/ウチ/アタイに書いたものじゃ??””
 一斉に同じ疑問を抱く。そこにまるで神のイタズラであるかのように元凶が戻ってきた。
 「あれ、皆さん。一体こんな狭い所でどうかしたんですか??」
 14の瞳、それもどこか魅せられたようなそれらに一斉に見つめられ、誠は思わず一歩後退した。
 「「誠様/誠/誠さま〜ん/誠はん!」」
 「うわ、何や何や何やぁぁぁ!!!」
 迫り来る一同に、誠のじりじりと後退する足はいつしか駆け出していた。
 「ぎにゃ〜〜〜!!」
 やがて一つの叫びがフリスタリカの街に木霊する。
 地上の出来事など関係なしに、今日もロシュタリアの空は気持ち良いくらい晴れ渡っていた。


 後日、恋文のお陰かどうか分からないが、藤沢とミーズの式が静かに執り行われ、幸せな二人の姿がフリスタリカの街に生まれたという。



おわり