そこにある言葉



 白亜のロシュタリア城,その広い中庭に小さな、しかし頑丈そうな小屋が立っている。
 そこへ赤毛の少女…と呼ぶには歳は多少いっているのか,が足軽に入って行く。
 「あ、こんばんわ、シェーラさん」
 緩やかな昼の風を伴った来訪者に気付き、眠そうな顔をした青年は一人、振りかえった。
 「『おはよう』、誠。また徹夜か?」
 ニカッと彼女,シェーラ=シェーラは微笑み、空いている椅子に遠慮なくドッカと座る。
 「ええ、さすがに3日続くと辛いですわ」
 「精が出るな」
 ここが菜々美かアフラならば無茶をするなの一言が出ただろう。
 しかしシェーラは気にする風でもなく、再び作業に取り掛かり始めた誠をしばらく横から眺めていた。
 彼は何か小さな、金属性の機械をピンセットやドライバーなどでいじっている。
 「何を作ってんだ?」
 好奇心が押さえ切れなくなったかのように彼女は問うた。
 「これは記憶に作用する機械や」
 言って、誠は言い直す。
 「記憶をはっきりと思い出す機械やな」
 「? そんな事が出来るのか?」
 誠は機械に目を向け手を動かしたまま、不敵に微笑んで続けた。
 「人の記憶っちゅうもんは案外細かいところまで覚えているもんや。でもそれを自覚しとったら僕らは気が狂うてしまう。だから思い出せないようにされてるはずなんや」
 「何に使うんだ? そんなもん」
 実にストレートな疑問だった。確かにそんなもの、誠の時空間移動の研究には関係ないはずだ。
 「僕が向こうの世界でイフリータの玄室に入った時。あそこにきっと時空間移動のヒントが隠されてるはずなんや」
 「へぇ」
 すなわちその時の記憶をはっきりと思い出すため,そういうことなのだとシェーラは理解した。
 彼女はしばらく、ぼ〜っと誠の一心不乱の作業をただ見つめている。
 彼の手の中の音と、中庭から聞こえる小鳥の囀り、遠くフリスタリカの街の雑踏だけが僅かにシェーラの耳に届いていた。
 「なぁ、誠?」
 ふと、自然に疑問が浮かび上がる。
 「何です?」
 「菜々美じゃねえけどよ,どうしてそこまで集中力が続くんだ?」
 誠のことだろう,きっとまともな休息を取らずに延々とこの作業を行っているはずだ。
 見た目は非力そうなこの青年がそこまで続けられる理由が、シェーラには分かってはいたがいまいちはっきりとしなかった。
 「そういう性分なんや」
 手を動かしながら、声だけシェーラに向ける誠。
 「それもあるかもしれねぇけどよ…それにお前も気持ちも分かってるけど…でも少しは休みたいと思わねぇもんか?」
 どんなものでも区切りがある。誠は己の研究に区切りがあってもそこで一息つこうとしない。
 「やっぱり変やろか?」
 困った風に誠。だがやはり、ほとんどの意識と手先は小さな機械に向いている。
 シェーラは誠の、そんな反応に僅かに微笑む。
 「さぁな。でもアタイはそういうの、好きだぜ」
 誠らしい答えに、シェーラは満足した。
 「昔な、言われたことがあるんや」
 「?」
 唐突に誠は作業の手を止め、虚空を見るように呟いた。
 「僕がまだ関西にいた頃や。隣に住んどった姉ちゃんにな…」
 疲れきった誠の瞳に、懐かしいものを見るような色が灯る。
 “好きだったんだな…いや、憧れ、かな”
 シェーラは誠の呟きにそう直感。
 見えない女性に少しの嫉妬と、羨望,観てみたいという好奇心が浮かんだ。
 「その姉ちゃんに…」
 誠が言葉を続けようとした時だった。
 バシィ!
 彼の手の中で、何かが光る。
 途端、二人は全身に痺れを感じ意識が混濁,視界は暗転した。



 生活感の漂う、異国の街並みだった。
 狭い通り道の両側には、せり出すように木造2階建ての民家と思しき建物が並んでいる。
 窓から布団や洗濯物が下がり、その向こうからは何やら音が聞こえてくる。
 「次のバッターはバース,一発逆転なるか…」
 人の声だが、そこに生命の息吹は感じられない。
 人の住んでいる町だ。
 だが、人の気配はない。まるで唐突に住民全員が消えてしまったように。
 「何処だ、ここは…?」
 シェーラは一人、その世界で呟いた。
 だが答えは薄々気付いていた。ここは誠の世界の風景だ。
 「誰もいないのか?」
 いや…
 呟く彼女の視界の隅に、一つの小さな人影が映った。
 「あれ…って…?」
 幼い少年だ。柔らかそうな黒い髪の間に、同色の大きな瞳が覗き、大粒の涙が浮かんでいる。
 5、6歳くらいであろうか? シェーラは少年の面影に誠のそれを確かに写し、慌てて駆け寄った。
 「お、おい、誠,誠だろ? どうしたんでぃ?」
 彼と同じ視点になるよう、シェーラはその場に膝を付く。
 「…お姉ちゃん」
 ぱちくり、瞬きする少年。少年特有の、声変わりする前の高いトーンでシェーラを見上げる。
 “アタイがわかんねぇのか?”
 誠の瞳にはシェーラにいつも向けるのとは異なる色が浮かんでいた。
 どこか…そう、肉親に向けるような、そんな色が浮かんでいる。
 幼い誠はシェーラに向けて駄々をこねる様に言い始めた。
 「あのな、6次元方程式と空間湾曲率間の等比級数的な関係がわからへんねん。定数が4つあるはずなんやけど、どうしても…」
 “な、なに言ってんだ??”
 およそ子供の言葉とは思えない,多分、知識は現在の誠のものなのだろう…か?
 「…僕、もぅこんなん止めてまいたいわ」
 言うだけ言って、彼は力なく肩の力を落とした。
 彼が何を言っていたのか、シェーラには分からない、だが。
 だが、『止めてしまいたい』と誠は今、確かに言った。
 ムカッと来た。
 気に食わない。
 彼女が好きになった誠は、こんな簡単にあきらめたりはしない。
 彼女自身、それを理解するよりも早く少年の胸倉を乱暴に掴んでいた!
 「テメェ、男だろ! 何グズグズしてやがんだ,一度決めたことは何がなんでもやり遂げてみせやがれ!」
 きょとんと、誠。
 そして…シェーラの手から彼の感触が消え、取り巻く街並みが消え…
 瞬間、シェーラの脳裏に見たこともない女性の顔が浮かんだ。
 勝ち気な、迫力だけで全てを解決しそうな、シェーラ自身に良く似た女性。
 彼女は小さく微笑むと、背を向けて消えていった。



 「あれ?」
 「いたたた、何や、漏電しおったわ。シェーラさん、大丈夫ですか?」
 「あ、ああ。気絶してたか、アタイ?」
 二人は記憶が混乱する頭を振りながら時計を眺めた。
 「…5分くらい眠ていたみたいだな」
 「あああああ!!」
 叫ぶ誠。彼の手に中には黒くこげている機械が1つ。
 先程までいじっていたものだ。
 「ま、また作り直し…か…」
 がっくりと肩を落とす誠。全身から失意と絶望感が伝わってきた。
 だがシェーラには分かっている。次の誠のセリフが。
 「ま、グズグズしとってもしゃあない。次こそしっかりしたもん作ったるわ!」
 あっけらかんと顔を上げ、誠は再び黒くなった機械を直し始めた。
 「ああ、がんばれよ」
 シェーラは、止めない。
 どんなに彼が無理しようと、そんな真っ直ぐに進む彼が好きなのだから。
 ”せめて疲れた時に肩くらい揉んでやろうかな”
 シェーラは思いつつ、再び誠を黙って眺めて続けていた。