In The Rain



 7/7――
 誠の世界へとやってきていたアフラは、目の前の喧嘩に眉根を寄せていた。
 だが、口出しすることはない。いや、それよりも「やっぱりこうなったか」という色が強い。
 彼女は喧嘩の元になった短冊を手にして、ジッと成り行きを見つめた。
 「何よ、アンタなんて人間じゃないクセに! 人形のクセに!」
 捲くし立てるように言い寄るのは菜々美。
 対する女性は彼女自身の資質も手伝って、どうしても聞く側に回ってしまう。
 「いいえ,よっぽど人形の方がまこっちゃんも幸せよ。まこっちゃんは何にでも優しいから……だから人形の貴方にまで」
 アフラは気づいている。
 人形呼ばわりされている女性の瞳に、明らかな戸惑いと悲しみ,そして疑念が映っていることを。
 「そうだ、私は人に造られたモノ」
 放たれたアルトな声に、菜々美の言葉が止まる。
 同時に菜々美の顔に、自ら放った言葉への後悔の表情が生まれ始めた。
 「私は……確かに人間ではない、な」
 彼女――イフリータは左手で己の右手首を掴み、独白。
 わずかに小さく笑みを浮かべたかと思うと、玄関の方へと駆け去っていく。
 アフラにはイフリータの笑みが自嘲を示していることを悟っていた。
 「助けられるんは、アンタだけやで,誠はん」
 玄関の扉が閉まる音を遠くに聞きながら、アフラは小声でこの場にはいない男に呟いたのだった。


 数刻後、帰宅した誠とイフリータを探しに家を飛び出そうとした菜々美とアフラが鉢合わせたときには、外は梅雨を思い出したかのようなシトシトとした雨が降り始めていた。



 私は公園の外灯に背をもたれる。
 菜々美の言葉はその通りだった。
 なるべく私は考えないようにしていたことだ。それは自らの保身なのだろう。
 私は造られしモノ――鬼神イフリータ。
 人間ではなく、機械なのだ。
 どんなに頑張っても、誠ともに歳を負うことはできない。
 どんなに頑張っても、彼の愛に答えることはできない。
 そう、私は機械だから……いえ、今は機械にもなりきれていない。
 私が『完全』に機械ならば、誠は私を忘れて幸せになってくれるにちがいない。
 自らの右手首を握った左手をそっと放す。
 私の肌には温度がある、人と同じ温度が。
 日焼けのしない白い肌に降り始めた雨がポツリ。
 しとしとと降り続く雨が、私の温度を徐々に奪って行った。
 人に似せた、この体――誠と過ごすうちに生まれたこの体温。
 “このまま、この暖かさを洗い流してくれ”
 雨に身を任せ、私は目を瞑る。
 エルハザードで身を呈して私の制御装置を破壊してくれた誠。
 時空すらも超えて私を追ってきてくれた誠。
 私に感情を思い出させてくれた誠。
 人に造られた、人形に過ぎない私を……愛してくれる誠。
 様々な彼との思い出を、雨に流す。
 私から次第に温度が失われて行く。機械へと、戻……?
 「冷たく……ならないな」
 疑問を口にする。
 どの部分か、はっきりしない。
 どこか…そう、胸の奥の辺り、どうしても冷えてくれない。
 幾ら雨に打たれても、仄かに灯るこの暖かさだけは消えてくれない。
 ”どうして?“
 思う。
 同時に頬に雨と、もう1つの成分が伝わった。
 思わず空を見上げる。
 雲が薄い。いつしか雨が弱くなっていた。
 「イフリータ!」
 背中から飛んでくる力強い声に、思わず小さく震える。
 ゆっくりと振り返ると同時、右腕を捕まれた。
 「こんなに冷たくなってもうて…」
 「近づかないでくれ、誠」
 彼の腕を振り解き、外灯を挟んで向かい側に一歩引く。
 「どうしたんや、イフリータ?」
 問う誠に、私は何を言って良いか分からずに首を左右に振ってまた一歩、後ろへ下がる。
 「どうして…どうして誠はっ」
 後ろへ,が、しかしそこはフェンス。これ以上は下がれなかった。
 誠はそんな私を見て、やや困ったような顔を浮かべながら私へ近づき、強く右手を掴んだ。
 これ以上逃げられないように,そんな雰囲気のする、彼にしては強い力だった。
 「どないしてって…好きだからや」
 私の言葉が不完全ながらも、誠はまるで知っているかのように答えて微笑む。
 “けれども…“
 「私は人形だ。人間であるお前に愛される資格はない」
 「そないなこと、誰が決めたんや?」
 「え…と」
 言葉に詰まる。
 「僕は僕のままや。だからイフリータ,君は君のままでいてくれたらええ」
 誠は屈託なく笑い、肩にかけた鞄から取り出したタオルを私の肩にかけてくれる。
 それは私に付いた雨水を吸い取り、すぐに湿ってしまった。
 代わりに…
 「暖かいな」
 私はタオルに顔を埋める。仄かに誠の香りがする。
 タオルから伝わる温度――それは私の全身に染みこんで行った。
 「本当に、暖かい…」
 『心』に生まれた温かさが溢れ、それは涙となって流れ落ちる。
 私は抱き寄せられた誠の胸の中で、心安らかに泣いた。



 「結局私って、カササギ役なのねー」
 その様子を木陰から眺めていた菜々美は、ふぅと溜息一つ。
 隣でアフラは手にした一枚の短冊を見やった。
 そして視線は次に空へ。
 「イフリータの願いは届いたみたいやわ」
 微笑み、アフラは短冊を風に泳がせた。小さな願いは風に乗って天へと飛び行く。
 いつしか雨は止み、雲の割れ目からは星の大河と2つの輝く伝説が抱き合う男女を穏やかに見下ろしていた。
 高く高く舞い上がる願いは――誠が幸せになれますように――



fin