水桜
真夏のフリスタリカ,もともと温暖なこの地の夏は、平均気温が40℃くらいだったりする。
鳥すら囀るのを止めてシエスタを楽しむ真夏の真昼に、彼女は軽やかな足取りで都市の中央に立つ城を目指す。
ロシュタリア城,彼女は関係者なのか、顔パスで中へと入る。衛兵の嬉しそうな態度から、慕われている人物らしい。彼女は日陰になる廊下を一人、歩く。
そして一つの扉の前で止まり、それをゆっくりと開いた
「やぁ、誠……何やってるの?」
地のランプを肩に担いだ彼女は、机の前でうんうん唸る青年に声を掛ける。
青年はしかし、久しぶりの珍客にも視線を向けずに声だけ返した。
「いらっしゃい,イシエルさん…今、ちょっと計算中なんや」
「ふぅん」
彼女は誠の肩越しに、机の上に展開された設計図やら何やらを見る。
はっきり言って、彼女には誠が何をやっているのか、さっぱり分からない。
「無駄よ、イシエルさん,まこっちゃん、今日で三日間もこの調子なんだから」
ふと、背からの声に振り向くと、そこには彼女の良く知る女性がいる。
肩を露にした涼しげな白いシャツに、同色の質素な半ズボンを履いたショートカットの女性だ。手にはバスケットを提げている。
「菜々美,おひさ!」
手を挙げるイシエル,菜々美は微笑みを返し、誠達に歩み寄る。
「ほら、まこっちゃん,お昼くらい食べないと体もたないよ」
机の前,誠の前にまわり込み、バスケットを突き出す菜々美。
「あ、ありがと,菜々美ちゃん。後で食べるさかい,そこに置いておいて…」
やはり机の上から視線を外すことなし。
「ところで菜々美,誠は三日間もこんなことを?」菜々美は頷く。
「何でも計算が合わないとか何とかで…全く」溜め息。
イシエルはしばらく考えると、ポン,と手を叩く。
「誠,そういう時は気分転換っしょ! いいものもらったのよ」
ババ〜ンと彼女は懐から小さな紙を取り出した。
それにようやく誠も首をコキコキ鳴らしながら、机から視線を外した。
「何? それ?」
菜々美がイシエルの手にする紙を見る。
「ええと…花見御招待券? 何よ、これ?」
「旅先で貰ったのよ。何でも壱万夜記念とかで、イシ○ル普及協会って所から」
「イ☆エル普及協会? 何よ、それ?」眉をひそめる菜々美。
「さぁ? ま、貰えるもんなら貰った方がいいっしょ?」
「それもそうね,でも花見って一体…」
「と、言う訳で行きましょ,誠!」
イシエルは誠の腕を掴む。
「え? ちょ、ちょっと,そんな暇は…」
抗う誠に、イシエルはしかし目を細めて一言。
「バラしていいの?」
「…え?」
「言っちゃっていいのかしら?」
不敵な笑みのイシエル。
「な、何をです?」誠は額に汗。
「いいのね,菜々美の前で言っちゃって…」
誠は狼狽える。イシエルが誠の何を知っているのかさっぱり分からない。
もしかして女装が趣味になりつつあるのがバレたか?
もしや王女様が頭に付けているあの花,あれを培養しようとする計画が漏れたか…?!
「…分かりました」
誠は屈服した。菜々美の視線がきつい…
「じゃ、しゅぱ〜つ!」
イシエルは二人に背を向けると、小さく舌を出したのだった。
フリスタリカの東,全速力のホバ−でおよそ半日行った所に小さな村がある。
対岸の見えない聖大河に接する田舎の村には水桜が満開だった!
「「おおっ!」」
一同は歓声を上げる。
聖大河のほとり,砂浜の岸沿いに並んだ大小の木々は青い花が満開である。
水桜と言っても海に咲いている訳ではない。何より聖大河は淡水である。
由来は分からないが、とにかく桜ではなく水桜だ。
地球で言うところのお花見であろう、あちこちの水桜の木の下で宴会が行われていた。
「誠様ぁ〜! ここ、空いてます!」
聖大河を一望できる大きな木の下,ルーン王女は大きく手を一同に振る。
聖大河から吹いてくる風が青い花びらを吹雪のように舞わせる。
「よぉし、飲むぞ!」
レジャーシートを広げ、藤沢が力む。
「飲むっしょ!」
「飲むぜぇ!」
「未成年はいかん,いかんぞ!」
シェーラに藤沢が教育者として叱咤する。
メンバーは六名,誠、イシエル,菜々美に、シェーラと何故かルーン王女、引率として藤沢センセが就いてきている。
「おべんと,作ってきたんだ! さ、まこっちゃん」
重箱を分解,その一つ(一番力入れた奴)を誠の前に置く。
「あ,う、うん」やはり未だに乗り気ではない誠。
心ここにあらずと言った感じだ。
「誠様、私もお弁当を作って参りましたの…」
頬を赤らめ、ルーンは誠に小さな弁当箱を手渡した。
「お、王女様が?」
さすがにこれには驚く誠。どうしてこの世界にあるのか分からんがスヌーピーの絵柄の小さな奴だ。
「開けて、いいですか?」
おそるおそる尋ねる誠。
「はい!」
ルーンは満面の笑みを浮かべる。
「それじゃ…」
蓋を開ける。
白かった…
真っ白だ…
真ん中に赤い何かがある。
「東方に伝わる民族料理ですの。何でも日の丸弁当とかいう…どうしましたの?」
「いえ、甘くておいしいです」
涙を流しながら食べる誠。ちなみにエルハザードには米とかはないので、見た目は似ていても味は全然違うことを付け加えておこう。
「ま、誠…アタイも作ってきたんだけど…食べてくれるか?」
モジモジと、今度はシェーラ。顔を赤らめているところなどは、彼女らしくない,後ろで菜々美が笑いを堪えていた(非道いな)。
「は、はぁ」嫌な予感はしながらも、誠は頷く。
シェーラの表情が晴れ渡る。
「これだ,食ってくれよ…って、あれ?」
シェーラは背に置いていた弁当がなくなっているのに気づく。
二人の大人の間で叫びが上がる!
「イ、イシエルさん! どうしました!!」
「ど、毒を盛られてた…みたい…」
そのまま突っ伏すイシエル。
「バグロムか?!」
立ち上がる藤沢の足下には、イシエルの箸の刺さった菜々美のものではない重箱がある。
「シェーラ,さん?」
その様子を目の当りに、額に汗の誠。
「…バグロムの野郎! いつの間に!」
「「おいおい」」
夕方,宴もたけなわである。
菜々美はいまいち研究を忘れられない様子の誠を見る。
しばらく思考を巡らせ…
「よぉぉし! 王様ゲームよ!!」
「? 何だ、そりゃ?」
酔いの回ったシェーラ。引率の藤沢はすでに泥酔済みである。
「その名の通りよ,お子様はやっちゃ、ダ・メ(はぁと)!」
「私、王女ですけど…」
困った顔のルーン。
”ふふふ…こりゃチャンスだぜ,誠にあんな事やこんな事…”
シェーラは酔っている。
“私は王女ですのに…王様ではなくて女王様にはなれますわ。
あら、女王様と言うとムチとか持たないといけないのかしら…??”
“ふふふ,ドタバタに紛れて、まこっちゃんと既成事実を作っちゃえば…”
思惑はそれぞれのようだ。
「という訳で、まこっちゃん! …いない??」
菜々美は隣にいたはずの青年に視線を移す。
数瞬前までいたはずなのに、消えていた。
「イシエルもいないぜ」
目の座ったシェーラは呟く。
””先を越された??””
三人の少女の目が光った!!
誠はイシエルに連れられ、聖大河を見下ろす岬に来ていた。
水平線の向こうに、日が消えようとしている。
「ほら、早く!」
「イシエルさん,あれだけ飲んで、よく走れますね」
イシエルに右手を捕まれ、誠は早足で付いて行く。
岬の先端に辿り着き、ようやく足を止めるイシエル。
眼下に見下ろす聖大河の水面。
大河の向こうから吹いてくる強い風には、当然のことながら、青い花びらは含まれていない。
「誠,河の中に、何が見える?」
イシエルは髪を押えつけながら、誠に尋ねる。
「?」
彼は岬から水面を見下ろす。
赤い夕日に白い骨のようなサンゴが河底一面に広がっていた。
「…河にサンゴってあるんですね」
正直な感想。
「? ええ、誠はこれを見て、どう思う? 奇麗だと思う?」
イシエルの表情はふざけてはいない,真剣なものだった。
だからこそ、誠は返答に躊躇する。
「いいえ…枯れ木のようです」
思ったことを正直に告げた。
「そうね、そうかもしれないわ」
小さく微笑み、イシエル。
しばらく二人の間に沈黙の風が流れた。夕日が水平線の向こうに沈んで行く。
訪れる夜の時間…
聖大河の水面が仄かに光った。
青白い光が河底のあちこちに灯る。
その蛍のような光は、やがて強いものとなり誠達の顔すらも照らしだす!
「! これは…」
神秘的な無数の青白い光が、聖大河の水面を漂う。
まるでそれは風に吹かれた青い花びらのように…
「これが水桜っしょ。サンゴの胞子に蓄光作用っていうのがあるんだって。
明るい昼は気付かないけど、夜はこうして見ることができる…明るいか暗いかの違いしかないのにね,ちょっとした見方の違いっしょ…」
水桜から視線を逸らさずに、イシエルは呟くように言った。
「あ…」
誠はイシエルの言わんとしていることに気付き、
彼女に一歩、足を踏み出す。
フゥ……
風向きが変わった。
イシエルが誠に視線を移す。
青い花びらを含んだ風が、イシエルを,誠を包み込んだ。
”イシエル,さん…?”
青い光に映えるイシエルの不思議な美しさに、誠は目を奪われる。
子供のような,しかし誠よりもずっと大人な彼女に…
青い花びらがイシエルの頬を撫で、聖大河の向こうへと消えて行く。
「あ、いた!」
「お〜い、誠!」
「誠様ぁ!」
風上から聴き慣れた声。
「イシエルさん」
目を風上に移しながら、誠。
「ん? どうしたっしょ?」
「ありがとうございます…」
「え…?」
「わぁ,きれ〜い!」
菜々美が開口一番、叫んだ。
「こりゃ、凄いな」
「誠様,これがもしかして水桜ですか?」
華やぐ夜の岬,夜の宴会はこれからのようだった。
翌日、ロリュタリア城――
「水桜、か」
誠は椅子に背を預けて呟いた。
あれだけ悩んでいた計算はすでに解決している。
それはもぅ、呆気ないほどに。
研究を一休みする彼の指の間には、青い花びらが一枚あった。
それを見つめ、誠は大きく息を吐く。
と、誠には聞こえた,足音と彼女の回りの賑やかな声を。
今日も彼女がやってくる。
雑多な誠の心に風を吹かせ、その中に隠れたモノを広げるために…
「や、誠!」いつもの声。
それに誠は笑顔で振り返る。
一枚の青い花びらが風に乗って消えて行った。
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