「絶対に僕は嫌やで,菜々美ちゃん!」
 誠は激しく拒絶するが、それが無駄に終わることは自明の理。
 菜々美はそんな彼に対して、まるで天使のようににっこりと微笑むと何事かを小声で囁く。
 途端、誠は硬直した。
 「って訳でお願いね、まこっちゃん♪」
 菜々美はウィンク一つ、誠を置いて去って行く。
 彼女の背中を呆然と眺めつつ、誠は心の中でさめざめと泣いた――――


はじめてのおみせばん



 フリスタリカの西中央部。
 エルハザードで最も大きいとされるこの都市は治安も良く、そして豊かでもある。
 人々の賑わう大通りに面した一角に、この世界では珍しい赤レンガ造りの建物が建っている。レンガの表面の質からして、新築。
 一階建てのその建物の入り口には、これまた新しいと思われる店の名を記した看板と、そして『祝・開店』の張り紙。
 店の名は『エレクトラール』,どうやら喫茶店の様であった。
 まだ朝も早いこの時間,店の中には人の気配がある。
 だが開店しているわけではない,下ごしらえであろうか?
 そんな早朝のエレクトラールの門を叩く一人の少女の姿があった。
 彼女は入り口の上に掛かる看板を一瞥,扉を開く。
 からん♪
 カウベルの音が鳴り、踏み込んだ室内は朝の日の光を無駄なく取り入れた明るめの店内。
 カウンターと、テーブル席が五つ。
 カウンターの奥にある厨房から、来客者を知って店の者が早足で顔を出した。
 「あっ!」
 少女の姿を認めた、こちらも少女――いや、来客者とまるで同じ容姿を持った店員は驚きに目を丸くする。
 対する来客者の方はやや憮然。
 二人は『美』少女だった。烏色のしなやかな長い髪、整った鼻立ちにほんのりと赤い唇。
 だが見る者は分かるだろう。
 来客者の方は鋭い目をしているのに対し、店員の方は柔らかな瞳を持っていることに。
 店員の方がまずは口を開いた。
 「ファトラさん,どうしたんですか?」
 愚問である。来客者――ファトラはやはり憮然としたまま応えた。
 「店の手伝いじゃ,悪いか、悪いのか、ゴルァ」
 ガラがいつにも増して悪い,誠は自分と同じくファトラもまた菜々美に脅されて駆り出された事を薄々気づいた。
 どんな弱みを掴まれたのか気になるところだが、それ故の危険性の為に話題の転換を図る。
 「え、えと、取りあえず今日一日なんとかもたせましょう」
 「まったく……菜々美のヤツめ。己の二号店の開店だというのに本人がいないとはどういうことじゃ」
 「なんでも急な仕入れが入ったとか言うとりましたわ」
 誠はそう答える,と、ファトラの視線が自分にじっくりと向けられているのに気づいた。
 「ど、どうしたんです?」
 「いや、よもや女装してエプロン姿でいるとは思わなんだ……」
 誠の今の姿はしっかりと女装した上で花柄のエプロンなんぞを着用していた。
 ありがち(?)な格好ではあるが、美少女に仕上がっている誠のその姿は、もしも場が場ではなかったらファトラによって押し倒されかねない格好ではある。
 「ぼ、僕だって嫌だって言ったんですよっ! でも菜々美ちゃんが女装してないと言いふらすって」
 「何を言いふらすと?」
 「……秘密です」
 拳を震わせ、顔を赤く染めて誠。恥ずかしさの赤と怒りのソレとが混ざっているようにも見える。
 誠とファトラはお互い顔を見合わせ、
 「「はぁ」」
 疲れた溜息がユニゾン。
 「ほな、気を取りなおして頑張りましょ,今日一日やし」
 「そうじゃな」
 二人が頷き合った、その時。
 からん♪
 入り口のカウベルが鳴る。
 「おはよーございまーす!」
 「「パルナス??」」
 姉と同じポニーテールを揺らしつつ、荷物を抱えた少年――パルナスが笑顔で来店。
 包みをカウンターの上に置くと、受け取り伝票を誠に手渡した。
 「何やっておるんじゃ?」
 「ファトラ様、おはようございます。見ての通り、ちょっと運送のアルバイトを」
 レレライル家は結構家計が辛いらしい。
 「そうやったんか、ガンバりぃな」
 「はーい」
 受け取り印を誠から貰ったパルナスは元気に頷いた。
 「ところでパルナス,わらわがここにいることは決して口外せぬようにな」
 「はい,菜々美様からもお二人がここにいることは言わないようにって口止めされていますから」
 誠は苦笑い,パルナスが物を届けにここに来たのは、他の人間では都合が悪かったからなのだろう。
 誠はともかく、ファトラは王族であるからだ(もっとも誠も女装した姿を実名入りでバレるのは最悪ではあるが)。
 「それじゃ、失礼しま〜す」
 パルナスが店を去ると同時、ファトラはカウンターの上の荷物に目を移した。
 「で、何じゃ、これは?」
 「菜々美ちゃんが、朝にはお店の制服が届くからって言うとったから…それちゃうやろか?」
 包みを解きながら誠。
 そして彼の手が止まる。
 「これが……」
 息を飲む誠。
 「この店の制服……とな」
 目が点になるファトラ。
 喫茶エレクトラールの従業員制服―――著名なデザイナーとしても名高い、民俗学の博士号すら持つストレルバウのデザインしたその制服は………
 「「園児服??」」
 である。
 薄青色の生地に、左胸のところには名札がついていた。黄色い帽子はオプションか??
 開店時間は、刻一刻と迫っていた。



 藤沢 真理はあくびを堪えつつ、フリスタリカの大通りを歩いていた。
 丁度小腹の空くお昼前、彼はふと教え子の作った二号店の存在を脳裏から呼び覚ます。
 「そういや、菜々美のヤツ……今日が開店日とか言ってたっけか」
 藤沢は記憶を引っ張り出しつつ、店の場所へと足を向ける。
 やがて辿り着くのは赤レンガ造りの喫茶店。
 「ほー、しっかりした店じゃないか」
 藤沢は感心しながら頷きつつ、扉を開けた。
 からん♪
 「いらっしゃいませ」
 声が飛んでくる,その声の主が彼の知る女生徒ではなく別の生徒である事を知って、そして纏う珍妙な格好を見て―――
 「ま、まこ……」
 店員を指差しつつ、声を上げようとした藤沢は次の瞬間に5cmほど宙に舞い上がった。
 薄れ行く意識の中、彼は後にこう語る―――
 『園児服を着た黒髪の美少女が、鬼のような形相で風のように肉迫,オレに強烈なアッパーカットを食らわせやがった。夢だよな、なぁ?』
 ずしゃ!
 重たい音を立てて床にくず折れる中年男と、一撃で男を伸した店員に他の客の視線が今まで以上に集中した。
 「何やってるん? さおりちゃん??」
 異様な雰囲気を聞きつけて、厨房にいたこれまた園児服の少女が店内に出てくる。
 「いや……ちょっとしたアトラクションじゃ」
 「…っ?!」
 出てきた彼女はさおり――胸の名札にそう書かれているが中身はファトラ――と倒れ伏す男を見て強張った。
 さおり(ファトラ)は藤沢の後ろ首の襟を引っ掴むと笑顔で彼女に答える。
 「しおり、わらわはちょっと早めのお昼ごはん摂ってくるから、後は頼むぞ」
 「は、はぁ」
 しおり(誠)は引きつった顔で頷くと、店の奥へと消えるさおりと藤沢を見送った。
 改めて、しおりは店内を見渡す。
 お昼前の、暇であるはずの時間にしては客の数は多い。
 8割くらいの客入りだ,開店の宣伝効果の賜物だろう。
 そんな客達は驚きの目でしおりを見つめていた。
 「あ、えと、妹が失礼をしました」
 ペコリ、しおり(誠)は頭を下げる。
 途端、場が急激に和らいだ。そして……
 「そうか、やっぱり姉妹かぁ」
 「オレはやっぱり、しおりちゃん派だな」
 「いやいや、ちょっと乱暴なさおりちゃんもイイじゃないかっ」
 ざわざわと客達はそこかしこで批評。
 しおり(誠)は気づいた,客のほとんど、いや全員が男であることを。
 そして、どことなく同じオーラを纏っていることを。
 「はいっ、しおりちゃん、質問!」
 「はぃ?!」
 唐突に客からの挙手。
 「双子ですか?」
 「は、はい」
 「18歳以上ですか?」
 「ええ、まぁ」
 「3サイズは?」
 「ええ?!」
 次から次へと、客が我も我もと質問を投げかけてくる。
 誠は目を白黒させながら、後ろへ一歩、また一歩と後ずさった。
 「趣味は?」
 「好みのタイプは?」
 「お風呂に入ったらどこから洗いますか?」
 エトセトラエトセトラ……
 怒涛のような質問攻めに、しおり(誠)は涙目にとうとうこう叫んだ。
 「勘弁してぇな〜〜〜〜!」
 しおり(誠)の関西弁に一気に店内は静かになる、そして。
 「「萌え〜〜〜〜」」
 ツボにハマったのか、客一同、そう歓声を上げていた。



 「おっ疲れさま、二人とも♪」
 喫茶エレクトラール,閉店後の店内には異様な疲れに顔色を青くした誠とファトラが帰り支度をしていた。
 その後ろ姿を見送るのは仕入れから帰ってきたばかりの菜々美だ。
 「またお願いね」
 「「御免こうむる!!」」
 見事に二人は声を重ねて答え、店を後にする。
 そこまで二人が嫌だと答えたことに、菜々美は首を傾げつつも明日の開店の準備に移るのだった。


 次の日。
 菜々美は困惑していた。
 喫茶エレクトラールの営業初日、一体何があったのだろう??
 チラシによる宣伝効果ではありえないほど、やってくる客の数が半端ではない。
 しかし何か客の様子が違う。来店してもあからさまに残念そうに、ある者は首を傾げて帰っていく。
 人によっては『どうして園児服じゃないんだ?』などと意味不明なことを言う者もいたりした。
 「どういうことかしら?? あの、ちょっといい?」
 カウンターに座った男性客に、菜々美は尋ねる。
 話を聴き、困惑顔になった菜々美はまた別の客に問う。
 要約するとこうだった―――
 喫茶エレクトラールには園児服を着た双子の美少女が経営している。
 姉のしおりは優しくておとなしめ,ちょっと変わった方言を使うも料理の巧い18歳。
 妹のさおりは男っぽくも、キリリと澄ましたお嬢様。
 そんな二人は『理想の保護者』を探してこの街にやってきたという――――
 「って、いつからそんな設定になった、アンタら!!
 後に、意図的に違う制服をパルナスに運ばせたストレルバウが逆さ釣りの刑に遭うのは余談である。



おわり