風は、ない。
 通りの左右に整然と並ぶ街路樹は身動きすることなく、青々とした葉を広げていた。
 折れることの無い純粋でまっすぐな夏の日差しが遠慮することなく世界に降り注ぐ。
 真夏のロシュタリアは首都フリスタリカ。
 佇むだけで汗ばんでくるこの季節,午睡をとる人々が多いお陰でとてもとても静かな午後の時間が流れている。
 そんな季節の中、フリスタリカを貫く大通りに面した赤レンガ造りの喫茶店は、避暑に訪れる人間でひとときの活気を得ていた。
 喫茶『エレクトラール』,陣内 菜々美の経営する東雲食堂に次ぐ2号店。
 熱波を伴う日差しから逃れた薄暗い店内は、僅かにひんやりとして、ついついうたた寝する客もいる。
 お客の中、テーブル席の1つに2人の女性が涼んでいた。
 1人は椅子に身を預けてぐったりしている褐色の肌の女性。まるで一運動を終えて息切れをする老犬のように舌を出して全身で暑い事をアピール。
 対する1人は白い肌の女。果実酒の注がれたグラスの中の氷をカランと涼しげに鳴らして溜息一つ。
 「心頭滅却すれば火もまた涼し――炎の大神官であるアンタが暑がりというのは変な話おすなぁ」
 「熱いと暑いは違うぜ、バカヤロー」
 暑さに参る彼女――シェーラの返す言葉はしかし、弱い。というか、どうでも良いといった感がある。
 「しっかし遅いなぁ、アイツは」
 「時間指定してなかったからやおへんか?」
 カラン×2
 グラスの中の氷をもう一度鳴らし、僅かに朱を帯びた唇でストローをくわえる風の大神官アフラ。
 彼女の氷の音とユニゾンしたのは喫茶店のカウベルだ。
 「いらっしゃーい」
 カウンターの向こうから菜々美の声が新たな客を出迎えた。
 「遅くなっちゃいました…ね?」
 触覚のような2本の前髪をひょこっと揺らして現れたのは1人の少女。
 「おせーよ」
 「別に急いでるわけではおへんし」
 投げ遣りなシェーラの言葉にアフラが付け加えた。
 そんな2人に小さくお辞儀を一つ,彼女はテーブルの空いた席に腰掛けた。
 「あら、クァウール,何にする?」
 カウンターから上半身だけを出して彼女を出迎えた菜々美は微笑みを浮かべて問う。
 「えと、冷えたミルク、ありますか?」
 「おっけー」
 水の大神官クァウールは席に就いて先客の2人を交互に見つめた。
 この暑さにまるで正反対の2人に知らずのうちに微笑みが漏れる
 「ところでクァウール,お前、何処行ってたんだ?」
 シェーラが椅子の上でぐったりしたまま尋ねる。
 よくよく見るとクァウールの長い髪は僅かに湿っていた。もっとも陽気ならばあと数分もすればすっかり乾くであろうが。
 「広場の噴水で遊んでた子供達にまきこまれちゃいまして……」
 言って照れ笑い。
 「水遊びかよ、ガキだなぁ。まぁアタイもあと2歳若ければやってるけどな」
 「ウチは遠慮しとくわ。子供やあらへんし」
 同僚2人の言葉にクァウールは僅かにムッとする。
 「なんですか、お二人とも。私のことを子供扱いして」
 コトッ
 クァウールの前に冷えたミルクの注がれたカップを置く菜々美は苦笑い。
 シェーラとアフラもまた、ミルクを一瞥。そしてそのまま視線をクァウールへ。
 「「子供じゃねぇか(…やおへんか)」」
 遠く蝉の鳴き声が聞こえてくる。
 気だるい夏の昼間の、うだつような暑さの間にしか生まれない沈黙。
 「うわーん,二度と来ネェヨォーー!」
 立ち上がり、ダッシュでエレクトラールを駆け出して行くクァウール。
 揺れる入り口の扉はカウベルが振動でカラカラ鳴リ続ける。
 すでに見えなくなったクァウールの背中を思い浮かべつつ、扉を見つめたままのシェーラとアフラと菜々美。
 「結構、流行りものに影響されやすいみたいね。あの娘」
 去り際の彼女のセリフを思い出しつつ、菜々美がボソリと呟く。
 「そーだなー」
 「会議はまたの機会にしましょ」
 三人各々、先程の時間に戻る。
 喫茶『エレクトラール』には特段、何が変わるでもなくいつもの気だるい午後の時間が過ぎていった。


One of Three Pieces


 木陰で彼は寝そべっていた。
 すぐ傍では穏やかな川面が刹那的な日差しを柔らかなそれに変換しつつ反射している。
 川の流れに沿って生まれる微風が、彼のさらさらとした前髪をまるで慈しむように撫でて行く。
 ここはフリスタリカ郊外にある森の中、聖大河へ注ぐ河川の一つ。
 そのほとりだ。
 丈の短い、青々とした草の上に寝転がるのは一人の青年――水原 誠である。
 カサリ
 近くに草を踏みしめる音を感知し、彼の閉じた瞼がピクリと動く。
 しかし彼は思い至る、この森には人を襲うような動物は存在しない。
 いたとしても小動物か、散歩がてらに彼を探すウーラくらいのものだろう。
 だから彼は、目を開けることなく再び午睡に戻る。
 カサリ、カサリ、カサリ
 音は次第に大きくなり、
 カサ……
 彼のすぐ隣に音が聞こえる。
 「ん? ウーラ??」
 右目だけを開けた。案外眩しく、それを細める。
 上からの緑の光は葉を通して弱くなった夏の光。
 足元からの青い光は川面から反射した光。
 交錯した光の中に見えたのは、少女の面影だ。
 誠の隣で草の上に腰を下ろしていた。
 「ごめんなさい,起こしちゃいましたね」
 済まなそうなその声に、誠は相手を認識。
 「なんや、クァウールさんやないか。どないしはったんです、こないなとこで?」
 誠の言葉に、クァウールは僅かに身を引く。拍子に触覚のような前髪がぴょこんと揺れた。
 「え、ええと……その……」
 困ったように言葉を選ぶクァウール。
 そんな彼女を急かすでもなく、誠は寝転がったまま小さく笑って見つめていた。
 風が少し、強くなった。木々の葉が擦れ始め、サァと涼しげな音で森が満ちる。
 合わせるかのように遠くで蝉が鳴き出した。
 パシャン!
 川面が飛び跳ねた魚によって揺れる。
 クァウールは結局、水面に視線を移して言葉を生まない。
 誠もまた、何も問わない。
 静かで穏やかな時間は長く続いた。
 お互いを近くに感じつつ、その存在感だけで互いを認識する。
 「ここで……」
 と、クァウールが思い出したように口を開いた。
 「ここで誠様と初めてお会いしたんですよね」
 川面を見つめながら、思い出すようにしてクァウール。
 誠は目を開ける。寝そべったまま辺りを見渡し、思い出したように頷いた。
 「ああ、そうやね。あの時はびっくりしたで」
 「水の大神官が溺れてたんですものね」
 小さく微笑むクァウール,それには誠は苦笑い。
 「でも溺れたから,誠様にお会いできたと思うと嬉しいです」
 「……うーん、でも溺れん方が良いと思うで、僕は」
 「そうですね。溺れないように気をつけます」
 何だか良く分からない会話だが、お互いそう思っているのかいないのか。
 もっとも微妙にずれているのはいつものことだった。
 「あれ以来、私は誠様の居場所が分かるんですよ」
 「へ??」
 悪戯っぽく笑うクァウールに誠は驚いて上体を起こした。
 「誠様の電波をここでキャッチして。だからここに来たんですよ」
 前髪の触覚を自分の指で突つきながら彼女。
 誠はクァウールの瞳の中に、彼女には珍しいからかいの色を見つけて付け加えた。
 「ラジヲ『ロシュタリア』とか『バグロム放送』とか入るんか?」
 「残念ながら私は誠様だけの周波数で占められてます」
 クァウールは真顔で答え……お互い吹き出した。
 ひとしきり笑った後、クァウールがちらりと誠を一瞥。
 そして川面に視線を固定して語り出した。
 「私、悩み事があるとここに来るんです」
 「ここは静かやしね。僕も暑くてやってられへん今日とか、考え事があるときは良く来るわ」
 「そうじゃ、そうじゃないんです」
 クァウールが誠をじっと見つめて反論。
 「誠様と初めてお会いできたここなら……困った時、もしかしたら誠様がいると思って、それで……」
 語尾をごにょごにょと消しながら、クァウールは俯く。
 誠は一旦姿勢を正し、クァウールに向いた。
 「僕で良ければ話してみてや。役に立てるかどうかは分からへんけど」
 クァウールは顔を上げ、一瞬躊躇いながらしかし、思いきって言った。
 誠なら確かにどうにかできるかもしれない、そう思って。
 「私を大人にしてください、誠様!」
 「?!?!?!」
 遠くで鳴いている蝉の鳴き声が妙に大きく聞こえていた。
 この時の誠の脳裏には、H2Oの『大人の階段のーぼるー 君はまだシンデレラさー♪』という歌がエンドレスでループしていたという。


 「そういうことかぁ」
 事情を聞いた誠はほっと溜息。それをクァウールは怪訝にツッコんだ。
 「どういうことだと思われたのですか?」
 「子供は知らんでもええっ」
 「あ、誠様も私を子供扱いするんですねー」
 「いや、そういう意味や無くて…ああ、もぅ!」
 涙目のクァウールにあたふたしながら誠。
 気を取り直して彼女の両肩に両手を乗せた。
 「ええか、クァウールさん。僕が作る機械なんかで大人にはなれへん」
 「え……そう、ですよね」
 あからさまにがっかりするクァウールに誠は首を大きく横に振った。
 「大人になるいうんは……スパッとなれるもんやない」
 「??」
 誠はしっかりと正面からクァウールを見据えて続けた。
 「色んな物を見て、色んな事をして、色んな人に出会って、そして大切と思える人を見つけた時、きっとクァウールさんは大人になってる。僕はそう思うで」
 「大切な人……ですか」
 小さく首を傾げるクァウール。
 「一例や。でも多分、誰もがそんなもんやないかなぁと思う」
 クァウールの肩から両手を離し、誠は立ち上がる。
 見れば日はかなり傾き、空は赤く染まり始めていた。
 「私にとって大切な人……」
 「ゆっくり探したらええ。考えて見つけるもんやないし、大人になるちゅうんはそんなことだけやないしなぁ」
 座りこんだまま考え込むクァウールを見下ろし、誠。
 一度小さく彼女が震えるのを、彼は気付いた。
 顔を上げてクァウールは誠を見上げる、目と目が合う。
 真っ赤に染まって見えるクァウールの頬は、傾いた日差しの為とも取れる。
 ゆっくり伸ばしたクァウールの右手が、誠の袖を弱々しく掴んだ。
 「クァウールさん?」
 「私にとって、大切な人」
 彼女の誠の袖を掴む力が強くなる。
 まっすぐ見つめていたクァウールの視線は唐突に下へと外れた。
 「何だか、変です」
 「??」
 俯いて、うめく様に言ったクァウールの言葉に誠は眉を寄せる。
 彼女は空いた左手で己の胸の辺りの衣服を強く強く握り締めた。
 その態度を変に思い、誠は彼女に一歩近づき、
 「大切な人を思うと、胸が苦しいんです」
 不意に顔を上げるクァウール,誠のすぐ傍にあるクァウールの顔は夕日のせいではなく真っ赤に染まっていた。
 「大切な人を、誠様を思うと、なんだか胸が苦しいんです……どうしてですか? さっきまではこんな、こんなことなかったのに!」
 すがりつくように、もたれかかってくるクァウールに誠は硬直。
 「え、えーと……」
 誠は両手を空中に浮かせて――それを結局クァウールの頭に載せた。
 ぽんぽんと軽く撫でる。
 「よぅ考えたらええ。僕には答えは言えんし、答えの意味も何でか分からん。むしろクァウールさんがこれから色んな人と出会えば、同じように思える人が増えると思うし、そうあって欲しいと僕は思うんや」
 「誠様……」
 真っ赤に染まった顔でクァウールは彼の胸の中で呟き、そして小さく頷く。
 ようやく風が吹き出した。
 暑気を払い、一日の流れを変える涼しき風が。


 「子供やねぇ」
 「ガキだな」
 「そんなことないです!」
 喫茶『エレクトラール』,相も変らぬ暑さの中での避暑地でクァウールは先輩2人に反論した。
 「今日は強気ね、クァウール」
 コトリ,クァウールの前のテーブルにお茶の入ったカップを置く菜々美。
 こちらの世界でコーヒーのブラックに当たる代物だ。
 「私、大切な人を見つけたんです。誠様がおっしゃいましたよ、大切な人が出来れば大人になれるって」
 「「?!?!?!」」
 嫌な予感の菜々美とシェーラ。おずおずとシェーラが問うた。
 「おぃ、クァウール。何だか良く分からねぇが、その大切な人って……誰?」
 「秘密です」
 小さく舌を出してクァウール,テーブルの上のカップを手にして唇に運び、
 「苦っ……」
 「子供やねぇ」
 しみじみとアフラは呟く。
 もっともそれは、クァウールのみに放たれた言葉ではなさそうだった。


Be Contiuned To Next Piece ...