大窓から差し込む夕日を逆光に、黒いシルエットが手にキラリと冷たい輝きを放つ刃を提げて彼の前に立っている。
 女性らしい丸みを帯びたその影の足元には、彼のよく知る人物が半裸で倒れている。
 彼――誠は足が竦んで動けなかった。
 表情の見えにくい影は、そんな彼に向かって明らかにある表情を作る。
 それはいつものその影の持ち主ならば浮かべることのない,少なくとも誠は見たことのない陰湿なものだ。
 笑みである,唇の端をわずかに吊り上げての、嘲笑うかのごとき笑み。
 「ア、アフラさん……」
 掠れた声で誠は影の正体に向かって呟く。
 彼女――風の大神官アフラ=マーンは手にした直刀を腰の鞘に優雅に戻し、背を向ける。
 「アフラさん!」
 ガシャン!
 誠の叫びと、彼女が背中の大窓を割って外へ飛び出したのは同時だった。
 「一体…なんで」
 彼は呆然と呟き、そしてはっと我に返るとアフラに切り倒された菜々美を慌てて抱き起こす。
 「菜々美ちゃん、菜々美ちゃん!!!」
 抱き起こすと同時、細切れになった布切れの残滓が積もった落ち葉のように菜々美の体から舞い落ちた。
 菜々美の衣服は鋭い刃物によって、まるで紙ふぶきの様に細切れにされたのである。
 思わず視界に入る菜々美の白い裸体から僅かに目をそらしつつ、誠は軽く彼女の頬を叩く。
 「菜々美ちゃん、起きてぇな。怪我なんかしとらんて……」
 「へ?」
 むくりと起き上がり目を覚ます菜々美。
 「アフラさんに刀でばっさり斬られたと思ったんだけど…私」
 「ああ、斬られたで」
 頷く誠。
 「服をな」
 「?」
 彼の腕の中、菜々美は自らの体を見つめ直す。
 彼女の敵視する炎の暴力女ほどではないが、ほどほどの大きさの見慣れた白い双丘とすらりと伸びた足…って?
 「いやーーーーーーーー!」
 どごっ!
 菜々美の叫びとともに繰り出されたアッパーカットは、誠を声もなく気絶させるには充分の破壊力だったという。


One of Three Pieces


 ストレルバウとロンズは城の中に響く叫び声を聞きつけて駆け出した。
 とは言っても、ストレルバウは老体。赤ん坊のハイハイと同じくらいの速度…と思いきや。
 「ロンズ殿っ、女性の、女性の叫びじゃぞっ!」
 さかりのついたマントヒヒの如き素早さで廊下を移動する。
 他方、ロンズにしても某サイボーグ009の加速装置のような目にも止まらぬ速度で現場へと向かっている。
 伴に瞳の色がぎらぎらしていた。BGMに思わず『地上の星』が聞こえてきそうだ。
 「「っ!」」
 2人のたどり着いたそこは、このロシュタリア城のほぼ中央部の廊下。
 衣服を細切れにされて倒れた城の侍女が3人と、抜き身の刀を手に提げて凶悪な光を瞳に宿すアフラが立っている。
 「アフラ殿、これは一体?」
 「…もしや、その刀は」
 問う間もなく、アフラは刀を正眼に構えて二人に疾駆。
 丸腰のストレルバウを庇う様にして、ロンズが手にした棒杖を構えた。
 勝負は一瞬!
 交錯するアフラとロンズ。
 棒杖をアフラの喉元に向かって突き出してくるロンズに対し、アフラは刀を一閃。
 「?!」
 硬さで名高い樫の木の棒はあっさりと中途で断ち割られる。
 そこへアフラの、勢いに乗った右足の一撃がロンズのこめかみに炸裂。
 糸の切れた操り人形のようにロンズは後ろ−−ストレルバウに向かって倒れた。
 「ぬぉ、ロンズ殿っ?!」
 「はっ!」
 そこへアフラの追撃。彼女の放った法術である旋風は2人ごと城の壁に叩き付ける。
 硬い石の壁に潰れたヒキガエルのように押し付けられた2人をアフラは一瞥すると、次の獲物を探してこの場を後にしたのだった。


 「あれは一体何なのよ、まこっちゃん?」
 菜々美の問いに、未だに痛む顎をさすっていた誠は腕を組んで考え始める。
 2人のいるのはロシュタリア城の一角。ストレルバウの部屋だ。
 先程まではここにアフラを加えた3人がおり、共にこの部屋の主である博士を訪ねてきたのだが不在だったのである。
 「博士の机の上なんかに置いてある刀を不用意に触ってもうた僕らのミスやろうなぁ」
 「普通の刀じゃなかったってことくらい分かるわよっ」
 怒りの混じった声で菜々美。今は何故かチャイナ服である。
 『たまたま』この博士の部屋に置いてあったのだ。民族衣装の研究の一環らしいが。
 そんなことよりもだ。
 「多分やけど…僕らの世界にもあったやろ、妖刀って」
 誠の言葉に菜々美は唸る。
 もっともそんな非科学的な発言に唸っているのではない。エルハザードに来て以来、彼女は理由もない不可解なことなど慣れてしまっている。
 「ってことは、女の子の服を細切れに切り裂くこと『だけ』する呪われた刀ってこと?」
 馬鹿にしたように彼女は答えた。しかし
 「その通り。素晴らしい洞察力じゃな、菜々美殿」
 「「博士?!」」
 背後からの声に振り返る2人。そこにはぼろぼろの体をお互い肩を組んでどうにかして立っているストレルバウとロンズの姿があった。
 「どうしたんですか、2人とも?」
 怪訝に菜々美は問う。
 「も、もしかしてアフラさんに?!」
 誠の言葉に肯定するように、2人は頷いた。
 「一体何なの、博士。アフラさんはどうなっちゃうの? それにアレは妖刀にしても、どういう妖刀なのよ??」
 菜々美に詰問されながらもストレルバウは椅子の1つに腰を下ろす。
 ロンズもまた僅かに腫れたこめかみをさすりながら椅子に腰掛ける。
 「あの妖刀はの、遥か昔にこのロシュタリアにいたと伝えられている美少女で名高いとある剣士の刀なのじゃ」
 「自分で美少女という辺りがうそ臭いのですが」
 ロンズの適確なツッコミが襲うが、ストレルバウは気にすることもなく続けた。
 「それはそれは強かったそうじゃ。しかしその強さを鼻にかけ、彼女はどこにでもいるようなパン屋の息子に剣で敗れることとなった」
 「どないしてパン屋なんですか?」
 「それだけどこにでもいるということじゃ。その際に大衆の面前で服を破られて負けるという負け方をしてのぅ、その時の怨念が彼女の持っていた刀に宿り、おなごの服を細切れにすることだけを目的とした妖刀となったと言われておる」
 誠に菜々美、ロンズの3人はしんと静まり返る。
 問題はたくさんある。
 だが一番の問題は、
 「どうしてそんなエロアイテムを博士が持ってるのかしら?」
 がしっ、と菜々美に後ろ頭をボウリングのボールのように捕まれるストレルバウ。
 「まぁまぁ、菜々美ちゃん。博士を血の海に沈めるのは後にして、今はアフラさんを止めることを考えないと」
 「誠殿っ、ありがとう」
 菜々美から解放されたストレルバウは誠に深々と頭を下げるが、
 「「事がすんだら沈めます」」
 菜々美との絶妙なユニゾンに身震いした。その隣で何故かロンズも身震いしていたのは秘密だ。
 「で、当時のパン屋の息子がやったみたいに、今のアフラさんを止めるいい方法があるんでしょうね、博士?」
 指をぽきぽき鳴らしながら迫る菜々美にコクコク頭を縦に振るストレルバウ。
 彼は机の引き出しを何やらごそごそ探ると、錠剤の入ったビンを取り出した。
 「これじゃ」
 言って誠に手渡す。褐色色のビンの中には錠剤が入っている。
 「これは?」
 問う誠にストレルバウは得意げに答えた。
 「1粒で剣の名人に、2粒で剣の達人に、3粒でパンの達人に変身できるという魔法の薬じゃ。当時もこれを使って美少女剣士を倒したそうじゃ」
 最後のパンの達人辺りが何となく投げやりな気がしたが、3人は無理矢理納得することにしたらしい。
 菜々美はビンを誠から取り上げ、キョポっと開けて錠剤を2粒取り出す。
 それを誠に手渡した。
 「って、僕がやるんか?」
 慌てて菜々美を見る誠。
 「だってしょうがないでしょ。博士もロンズさんも怪我してるんだし」
 「誠殿、これを」
 ロンズは腰の刀をはずして誠に手渡す。
 「柱の影から応援しております」
 親指を立てて近衛隊長。具体的なのが嫌だった。
 「……仕方あらへん。博士、この薬の持続時間は?」
 「3日ほどじゃ。服用すると若干性格も変わるらしいの」
 「うぁ、ヤバイ薬とちゃう?」
 「この際仕方ないでしょ」
 半ば無理矢理飲ませようとする菜々美を、ストレルバウはやんわりと押し留めた。
 「妖刀にはさらに問題があっての」
 「「問題?」」
 「男は相手にせんのじゃ」
 「あ」
 ロンズは気づく。
 「だから私は斬られずに蹴られたのですね」
 「そうじゃ。むさくるしい男は嫌いらしい。じゃから」
 「まこっちゃんを女装させる必要がある訳ね」
 「へ?」
 一斉に視線を向けられて誠は硬直。
 「ちょ、ちょっと。何で薬も飲まされる上に女装もせんとならんの? やめてや、菜々美ちゃん、あ、やめてーーーー!」
 半刻後、美少女剣士が生まれた。
 彼女(彼)がセーラー服を着ていたのは、誠を除く満場一致のコスチューム選択だったという。


 「ふぅ」
 ルーンは隣国の使いとの面会を終え、席に就いたまま吐息。
 ここは彼女の腰掛ける権力を示す豪華な長椅子と、その前に部屋の出入り口まで続く赤い絨毯が敷かれているだけの部屋。接見の間とも言われている。
 こつこつ
 足音にルーンは顔を上げた。
 目の前には見知った顔がいる。
 「あら、アフラ様。いかがなさいまし…」
 そこまで言ったルーンの言葉が止まる。アフラの右手にある抜き身の刀に気付いたからだ。何より、ルーンの知る風の大神官は聡明で理知的な瞳をしている。
 今の彼女は明らかに何かにとりつかれた様な別人の瞳――何かに飢えたような、苦しいような色をしていた。
 「一体…?」
 アフラの右手がゆらりと動く,次の瞬間。
 キィン
 金属同士がぶつかり合う耳に痛い音が部屋中に響き渡る!
 「?!」
 一歩後ろに下がるアフラ。
 ルーンの前でアフラの刀を止めたのは、
 「誠…様??」
 呆然とルーンは呟く。そんな彼女に彼は僅かに振り返りニコリと微笑んだ。
 セーラー服を身に纏い、両手で持つのは刃渡り70cmほどの直刀。
 ファトラに化ける際によく用いる長い黒髪のかつらをかぶった『彼女』は、凶刃を振るうアフラに向かって剣を構えた。
 「月に代わっておしおきやっ!」
 冷たい風が吹いた気がしたという。
 「っ!」
 気合一拍、アフラは誠との距離を一気に詰める!
 他方、誠もまた今は薬の影響で剣の達人である,アフラの動きを肌で読み取り、剣を下段の構えに。
 迫るアフラ,待ち臨む誠。
 勝負は一瞬!
 キィン!
 2人は交錯した,その間で白光が一瞬きらめく。
 「っく!」
 誠が片膝を付いた。同時、はらりとセーラー服のスカーフのみがハラリと散る。
 対するアフラはゆっくりと彼に振り返る。
 菜々美を斬った時の笑みをその端正な顔に浮かべていた。
 「峰打ちや」
 膝を付いた誠がぼそり、呟く。
 途端、はらりとアフラの服が散って白い肌が露になる!
 「「おおっ!」」
 文字通り柱の影で、思わず歓声を挙げるストレルバウとロンズ。
 しかし、
 アフラの体から脱げ落ちたのは服だけだった。
 胸と腰を覆う白い下着はそのままだ。
 がっくりとうなだれるギャラリーの2人。
 「なんとっ」
 「情けなどかけおってっ!」
 「うるさいっ!」
 悔しさに血涙を流す2人を菜々美はどつき倒す。
 「…見事」
 アフラの口からそんな言葉が漏れた。
 パキィ!
 割れる音は彼女の刀から。
 妖刀の刃には無数のひびが入っていた。それはアフラの手から抜けると床の石畳に落ち、
 キィン……
 ばらばらに砕け散った。
 「アフラさん?」
 誠は起き上がり、ぼぅっと立ち竦むアフラの肩に手を置く。
 やがてアフラの目の焦点が合い、力が抜けたように誠の胸に飛び込むようにして倒れた。
 慌てて誠は彼女を抱き止める。
 その時、アフラは誠の耳元に彼にしか聞こえない声でこう呟いた。
 「誠はん、好き…」
 「え?」
 耳をくすぐる暖かな吐息と共に聞こえた声。
 茫然自失なアフラの意思なのか、それとも砕けた妖刀の想いなのか?
 内容を考える前に、誠は後ろから何者かに口を押さえられた。
 「?!」
 何かを飲み込む。同時に誠は自分の中で何かが生まれてくるのを知った。
 それは……
 「パンや、パンを作るんや! 僕はロシュタリア一のパン屋を目指すんやぁぁ!!!!」
 薬を飲ませた張本人である菜々美は、異様な幼馴染みの様子におののく。
 「アフラさんも手伝ってくれるんやね?」
 「へ?」
 両肩をつかまれて迫られ、目を白黒させるアフラ。
 「そうやね?」
 「は…はい」
 勢いにつられて思わず頷いてしまう。
 「ほな、行くでぇぇ!!」
 「! ……強引な」
 誠は赤面する下着姿のアフラをお姫様抱っこ。
 パンへの情熱の炎を背負って謁見の間を飛び出してゆく。
 後には呆然としたルーンと菜々美。
 そして柱の影から逃げ出そうとするストレルバウとロンズ……
 「博士?」
 「ロンズ?」
 波一つない湖面を思わせる静かな、それでいて沸々と何かが湧き上がってきそうな菜々美とルーンの声にビクリと2人の動きが止まった。
 「「とりあえず、覚悟はできてるんでしょうね?」」
 居酒屋に入ってとりあえずビールを頼むような気軽さで、ニコリと微笑む2人。
 「ええと」
 「殿下、お気を静かに…」
 「「問答無用!」」
 「「ぎにゃーーーー!!」」
 いつもの絶叫に、特に駆けつけてくる者はいない。
 「ところでその伝説の美少女剣士って、負けた後にどうなったのよ?」
 ぼろぼろのストレルバウに菜々美は尋ねた。
 「もしかしてその屈辱に自ら命を絶って…」震えてルーン。
 「いえいえ。そのパン屋の息子と結婚して平和な家庭を築いたそうで」
 「私めの祖父と祖母の話でございます」
 こちらは案外強いルーンに〆られたロンズだ。
 「ようするに…」
 「全ての発端は貴方方にあったわけですね」
 「「え……」」
 こうしてロンズの不用意な発言が、よりいっそう2人の命を縮めることとなったのだった。


 なお、誠の薬の効果の切れた3日後。
 行きがかり上、寝食を共にすることとなった誠とアフラの関係はちょっと変わったとか変わらなかったとか??
 パン職人としての技能を備えたのは言うまでもない。


The End ...