それは波乱を窺わせるには程遠い、ほんわかとした日差しの優しい日のことだった。
 「ファトラさん、どないしたんですか??」
 「おぉ、誠か」
 ロシュタリア城のテラスで執務の合間を縫って一休みするファトラを見かけた誠は、ふといつもとは雰囲気の違うことに気づいてそう声をかけた。
 顔を上げた彼女の表情は、案の定酷いものだった。
 目の下にはうっすらと隈ができ、いつもならば紅を引く必要もない唇は青い。
 「ひどいお顔になってますね」
 「うむ。夢を…悪夢を見るのじゃ」
 「悪夢?」
 ファトラは大きく溜息一つ、頷いて額を手で支える。
 「どんな夢なんです?」
 「覚えておらぬのじゃ」
 心配げに問う誠に、忌々しげに答えるファトラ。
 「あまりの苦しさに目を覚ますと、まるで泡のように夢の記憶が消えてしまうのじゃよ」
 「典型的な夢、ですね。ストレルバウ博士に相談してみましょうか?」
 「あやつは学会とかいうものでロシュタリアを離れておる」
 「あ、そうでしたね」
 誠はうーんと唸り、そして何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
 「夢の原因が分かれば、対処しようがありますね。今夜までになんか用意しておきますわ」
 「頼むぞ、誠」
 「任せておいてください」
 誠の言葉に安心したのか、ファトラの表情は少し和らいだように見えたのだった。


ゆめうつつ


 その日の晩。
 「誠様、それは?」
 ファトラの寝室で、彼女の侍女であるアレーレは誠の持つヘルメットのようなものを見て尋ねた。
 「これは『夢みーる4号』や」
 答える誠は昼間には見られなかった生傷が所々にある。
 「1から3号は?」
 ファトラが不安げに問う。
 「爆発しました。この4号は爆発しなかったので安心してください」
 「……爆発するものなのか??」
 ますます不安げに顔を見合わせるファトラとアレーレ。
 誠はそのヘルメットをかぶる。
 同じものを寝台のファトラにもかぶせると、軽く笑って言った。
 「さぁ、ファトラさんの夢の世界へレッツゴーや」
 しばらくしてファトラと、その隣で寝転んぶ誠から穏やかな寝息が吐かれ始めた。
 「大丈夫かなぁ」
 傍から見ると仲の良い双子が寄り添って寝ているように思える、そんな姿をアレーレはじっと見つめることしかできなかった。


 「ここがファトラさんの夢の中か」
 誠は呟く。
 白くふわふわとした世界だ。
 足元もふかふかとした絨毯のよう。
 汚れ一つないその世界は、ファトラの清冽な性格を表わしているようでもあった。
 「さてと、ファトラさんを探さな」
 そいやそいや
 そいやそいやそいや!
 「ん?」
 遠くから雄雄しい男達の声が聞こえてくるではないか。
 「何やろ?」
 誠は声のする方へ歩を進める。
 やがて白い世界の向こうから現れたのは……!
 そいやそいや
 そいやそいやそいや!
 「な、なんやなんやなんや?!」
 マッチョだ。
 マッチョの集団である。
 筋骨隆々の男達が全身をワセリンで塗りたくり、紺色のぴっちりしたブリーフ1枚だけを履いて何やら御輿を担いでいる。
 誠は呆然と御輿に乗る人物を見た。
 マッチョに担がれていたのは一人の乙女である。
 すなわち、ファトラ王女その人。
 真っ青な顔で御輿の上下運動に合わせて首をガクガクさせている。
 と、
 御輿を担いだマッチョ達の動きが唐突に止まった。
 彼らの視線は一点に釘付けだ。
 それは言うまでもなく、
 「あんなところに美少年がおるぞ」
 「美少年だ」
 「かつがねば」
 「御輿だ、ワショーイ!」
 誠に向かって突進してきた!
 「ひ、ひぃぃぃぃ!!」
 腰を抜かさんばかりに誠はへっぴり腰でその場から逃げ出す。
 しかし反対方向から今度はこんな声が近づいてきた。
 ガッツ
 ガッツガッツガッツ!
 「な、なんや、なんなんや?!」
 彼の目の前に出現したのは、後ろのマッチョ軍団にも負けるとも劣らない、ムキムキ筋肉な女性達。
 思わず兄貴…いや姉御!と呼んでしまいそうな方々の集団だった。
 彼女達は誠を見つめ、
 「美少年だ!」
 「美少年よ」
 「捕獲だ、捕獲!! ワショーイ」
 誠に向かって突進してきた。
 「ひ、ひぃぃぃぃ!!」
 前に筋肉女性、後ろに御輿付きのマッチョ軍団。
 逃げ道は、ない!
 「う、うわぁぁぁ!!」
 そいやそいや!
 ガッツガッツ!
 そいやそいや!
 ガッツガッツ!

 「あいや、待たれい!」
 そい…
 ガッ…
 「……??」
 前後を筋肉の壁に囲まれて、思わずその場に屈んでしまった誠は、唐突に動きが止まった2つの集団に首を傾げる。
 恐る恐る顔を上げる。
 「誰だ」
 「あれは?」
 「あの御方は!!」
 兄貴&姉御達はざわざわとざわめき始める。
 それに合わせるかのように怪しげな音楽が流れ始めた!
 ワンダバダバワンダバ♪
 ワンダバダバワンダバ♪
 「?!」
 誠の右手の地面が唐突に競り上がっていく。
 その上にはいつしか一人の男が立っているではないか。
 カッ!
 どこからともなくスポットライトが彼を照らす。
 そこには。
 「ストレルバウ…?」
 「博士ぇ?!」
 車酔いしたような弱々しいファトラの言葉を誠が継いだ。
 降臨した神の様にマッチョなストレルバウがフロントバイセップスを決めながら(ボディビルのポージングの一つ)出現しているのである。
 彼は朗々と、響き渡る声でこう叫んだ。
 「さぁ、みんなでマッシブになろうではないか!」
 「「おう!」」
 応える兄貴&姉御達。
 「マッシブ体操、第一!!」
 ガッシ!
 「な、なんやなんや?!」
 「何をするっ?!」
 誠とファトラは後ろから羽交い絞められるように、それぞれマッチョに拘束される。
 「腕を伸ばしー、ワンツー、ワンツー!」
 「「ワンツー、ワンツー」」
 「うわぁぁ、何をするっ!!」
 「やめてくださいぃぃ!!」
 誠とファトラは強制的に腕の曲げ伸ばしを捕まえられたマッチョにさせられる。
 「大きく背を伸ばしー、はぃ、ポージング!」
 ストレルバウがポージングするとともに、全てのマッチョ達もまたポージング。
 それに合わせて、もちろん誠とファトラも。
 その時だ!
 2人の体に異変が生じた!!
 「うぁぁぁ、僕の体がマッチョに?!」
 「わらわの胸が筋肉にっ!!」
 2人の体がみるみるマッシブになっていく。
 「「ようこそ、我々の世界へ!」」
 怖いぐらいに陽気な笑みを浮かべる一同に、誠とファトラは心からの悲鳴を挙げる。


 「「うぁぁぁぁ!」」
 ガバッ!
 ふかふかのベットの上。
 誠とファトラは抱き合って目を覚ました。
 お互いブルブルガタガタと震えている。
 「おはようございます、ファトラ様、誠さん」
 眠たげな目を擦り、アレーレが答えた。
 「一体なんなんや! この気色悪い夢はっ!」
 「今日は覚えておるぞ、マッチョな夢じゃ! さらにわらわがマッシブになってしまう夢じゃ!!」
 興奮気味に確かめ合う2人。
 ガチャリ
 2人の起床を待っていたかのように扉が開いた。
 「良い夢が見られましたか?」
 嬉しそうにやってきたのはストレルバウである。
 「「はぁ?」」
 同じ角度で首を傾げる誠とファトラ。
 「ご注文されたではないですか、ムフフな夢を見れる枕を作れと。結果を聞く暇もなく出張に入ってしまいまして、感想をお聞きするのが楽しみだったのですよ」
 「「それだーー!」」
 怒り×2
 「あ…」
 思いもしなかった反応に、青くなるストレルバウ。
 誠はファトラの枕を取り上げ、中身を取り出す。
 それは枕の形をした機械だった。
 その中心にはカセットらしきものがはまっている。
 カセットのインデックスにはこうあった。
 『マッチョ』
 「あ、ワシの趣味のテスト用…」
 「貴様かーーー!!」
 「ひぃぃ!!」
 出張で消えていたストレルバウは、ファトラの鉄拳によって再び朝焼けの空に消えたのだった。


 数日後―――
 「え、ファトラさんがぜんぜん起きないって?」
 アレーレの泣きつかれてファトラに寝室に再び赴いた誠は、大きく溜息をついた。
 「むふ、むふふふふ」
 そこで眠りにつくファトラは、この世のものとは思えない幸せそうな寝顔を浮かべていた。
 「良いではないか、良いではないか……さて、次の娘はどいつじゃ? グフフゥ」
 寝言を吐いた。
 「放っておきましょう」
 「えー、そんなぁ」
 そうしてファトラ姫は一週間眠りについたのだった。
 起きた時の一言は、
 「あらん限りの欲望を尽くしてきたぞ」
 悟りを開いた修行僧のような面持ちだったそうな。

End...