すぷりんぐ ふぇすてぃばる

 アフラは泉の前で呆然とたたずんでいた。
 何故なら彼女の目の前には、先エルハザード文明の作り出した乙女がいるからだ。
 乙女といっても身長が5mはあろうか。
 しかしながら目が覚めるほどの美人である。
 それも……
 「貴女が落としたのはこの上品なシェーラですか? それともこっちの下品なシェーラですか?」
 「テメー、放しやがれっ!!」
 暴れるシェーラとジッとしているシェーラの襟首を、左右それぞれに掴んだ泉の乙女はアフラに迫る。
 2人のシェーラは双子以上にそっくりだった。
 「おい、アフラ! コイツをどうにかしてくれよ!」
 暴れれいる方のシェーラがアフラに文句。
 と、その乙女の隣に今度は両手に2人のクァウールを掴んだ同じ顔の乙女が出現する。
 「貴女が落としたのはこちらの器量よしなクァウールですか? それともドジっ娘なクァウールですか?」
 「はぅー、助けてください、アフラさまぁ〜〜」
 ドジっ娘呼ばわりされた方のクァウールが涙を浮かべて助けを求めている。
 この状況にしかし、アフラの瞳が輝いた。
 2人の巨大な乙女がアフラに迫る。
 「「さぁ、どっち?」」
 「そ、それはもちろん」
 アフラは先エルハザードの乙女に厳かに告げる。
 この話はそう、少し前に遡る―――


 神官達の頂点に位置する大神官のみが住まうことの許された霊峰マルドゥーン。
 大神官とは最も力の強い、かつ品格、知性、神格すらも備えた神官の中の神官と言って良いだろう。
 もちろん、その私生活ともなればゴージャスでいてセレブ?な感じに違いない。
 その辺は一般人には想像し得ないものなのである。
 「シェーラ様、遅いですねぇ」
 「まったく、どこで道草うってるのやら」
 クァウールの呟きにアフラは同意。
 二人は白いエプロンを着ている。
 ここはマルドゥーンの神殿の奥にある厨房だ。
 クァウールはフリフリなフリルのついた白いエプロン,アフラはシンプルな褐色のそれだ。
 2人の前には下処理の終えた食材が並んでいた。
 「食用酒買うくらいで3時間もかかるものでしょうか?」
 「ウチが行ってくればよかったわ」
 アフラは溜息。
 そんな時だった。
 「ただいま〜〜、うぃ!」
 入り口のほうからシェーラの声が響いてきた。
 その声の調子は、
 「酔ってますね」
 「人選間違えたわ」
 アフラは再び溜息。
 もっともクァウールが行ったとしたら、道に迷ってもっと遅かったかもしれないが。
 「よっ! おまっとさんでしたー!」
 真っ赤な顔で現れるシェーラ。
 その彼女にアフラは無言で右手を差し出した。
 シェーラはその手を見つめ…握った。
 「なにしとんの?」
 ジト目でシェーラを睨む。
 「? 握手じゃないのか?」
 「食用酒は?」
 険のあるアフラの問いにシェーラは小さく「あ」と呟く。
 「もしかして、買い忘れたとかいわんですやろな?」
 「あー、いや、忘れたとかじゃなくて…」
 「なくて?」
 「普通の酒に化けちまたったぜ、だから呑んだ」
 「呑むなぁぁ!! クァウール、あんさんも何か言ったり!」
 アフラは苦笑いのシェーラを指差し、クァウールに振り返る。
 クァウールは食材の方を向いて硬直していた。
 「クァウール?」
 「ん、どうした?」
 アフラとシェーラは彼女の視線の先へ。
 そこには台所に時々出現する一匹の黒い虫。
 「「落ち着…」」
 2人がクァウールを確保するのは遅く、
 「いやーーー!! 虫ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
 虚空からどこからともなく出現した大量の水が、辺り一面を流しつくしたのだった。


 綺麗に整頓された、装飾品の少ない実用的な部屋。
 アフラは自室のベットに身を預けていた。
 くぅ…小さく腹が鳴る。
 今日も携帯食料だった。栄養はあるがお腹が脹れるものではない。
 「はぁ」
 最近クセになってしまっている溜息。
 一息吐く度に幸せが逃げていくと言われているが、これ以上逃げていく幸せはないと最近思わざるをえない。
 同僚がこれほどまでに(悪い意味で)特徴的で不器用だとは。
 せめて人並みになてはくれないだろうか?
 「無理やわ」
 自分の中で願うことすらも徒労であると判断してしまうアフラ。
 こんこん
 「ん?」
 窓をつつく音に思考を止めた。
 目を向ければ、一匹の白い伝書鳥。
 その鳥はアフラが誠へ連絡用へと渡したものだ。
 何かあったときのための緊急用として渡したつもりなのだが、最近ではお互いの愚痴をこぼす文通用と成り果てている。
 シェーラやクァウールに見つかったらいろいろと文句を言われそうだが。
 「誠はんからの手紙?」
 窓を開け、アフラは伝書鳥を招き入れる。
 その足にくくられた手紙を取り、広げる。
 「さて、今回は菜々美はんにどないなことさせられていじけとるんやろ」
 口元を自然と笑みの形に歪めながら、文書を読み進める。
 しかしアフラの表情は次第に難しいものへと変わって行った。
 「先エルハザード文明の遺跡の調査依頼、どすか」
 「あら、本当ですね」
 唐突な声は背後から。
 「へー、おもしろそうじゃねぇか」
 もう1つは窓の外から。
 慌ててアフラは視線をそちらへ。
 真後ろには手紙を覗き込むクァウールとシェーラの姿があった。
 「?! どっから沸いて?!」
 「人を虫みたいに言うなよ、アフラ」
 「虫は嫌ですよ」
 「……虫で十分どすぇ」
 こうして3人は先エルハザードの遺跡であるここへやってきたのだった。


 澄んだ水に満たされた泉はしかし、延々と続く底の暗黒を映している。
 周囲の音は水面に落ちる雫の音と、人の息遣いだけだ。
 薄ら寒いのは雰囲気だけではなく、気温自体が低いと思われる。
 ここはマルドゥーンの麓に数多くある洞窟の一つ。
 アフラはよもや自分の足許にこんな遺跡などあるとは思わなかった驚きに難しい顔を続けている。
 先エルハザードの遺跡とはこの泉のことらしい。
 吸い込まれそうな水面を見つめていたシェーラが腕まくりをしながら言った。
 「ここはいっちょ、アタイの炎で水を蒸発させ…」
 「ダメですよー、私の法術でこの水をどけてみますから」
 クァウールが珍しく強気でシェーラの動きを止めた。
 「なんでぃ、オメェ、アタイの方法を無視する気か?」
 「そんなことありませんよ。でも大切な誠様の遺跡だから言わせていただきます、シェーラ様は荒っぽすぎます!」
 「な・ん・だ・とぉぉぉ!!」
 「やめんか」
 どぼん
 アフラは問答無用で二人を後ろから泉へと蹴りこんだ。
 ―――と言う次第である。


 「炎の大神官様はなんとも気さくな良い方だ!」
 「水の大神官様はおしとやかで、それに知的であらせられるなぁ」
 昨今、エルハザード全土で囁かれる噂だ。
 そんな2人の大神官がフリスタリカへと足を運んだ時だった。
 「おや、誠。研究は進んでいるか?」
 「まぁ、誠様。ちゃんと寝てらっしゃいますか? ちょっとお疲れ気味に見えますよ」
 研究室にこもっていた誠の陣中見舞いに訪れたのは三神官だ。
 「え…あ、どうもこんにちわ」
 明らかに知っている2人とは様子が違うことに、誠は戸惑いつつアフラへ小声で問うた。
 「アフラさん、これがその泉の効果ですか?」
 「ええ、そうどす」
 不安げな誠とは相対的に、アフラの表情は満足げだ。
 「ようやくウチも大神官として胸を張って生きていけますえ」
 「…それほど以前の2人は?」
 「そりゃもぅ、言葉にあらわせんほど酷いもんどす」
 「心中、お察しします」
 誠は苦笑。
 「でも、でもですね、今の二人は本当の2人と言えるんでしょうか? 偽りの2人なんて、おかしいですよ!」
 「そう、思います?」
 「はい!」
 自信を持って誠は頷く。
 アフラは見た、誠の中の揺ぎ無い自信を。
 一瞬だけ、だが。
 その彼の自信があっさり崩れたのはシェーラの次の一言だ。
 「あ、虫が」
 「?!」
 誠は硬直。ここは彼の研究室内だ。
 そして現在、彼が寝る間も惜しんで実験中のもので溢れている。
 「きゃ!」
 クァウールの小さな悲鳴。
 「大丈夫だぜ、追い払ったからさ」
 「あ、ありがとうございますー」
 シェーラの背中に回って小さく震えていたクァウールは感謝の言葉。
 誠はそのクァウールの行動に可愛らしさすら感じてしまった。
 いつもならば研究室を水で全て洗い流してしまうというのに……
 「なんとも普通で平和ですね」
 シェーラとクァウールを改めて見つめて、誠はしみじみと呟いた。
 「誠はん、変えた方が良いですやろか?」
 「このままにしましょう」
 アフラの問いに、誠はあっさりと前言を撤回したのだった。


 その頃、マルドゥーンの泉の遺跡から怨嗟の声が生まれていた。
 「あーふーらーぁぁぁ!」
 「あーふーらーさーまーぁぁぁ!」
 二人の修羅だった。
 その足許には目を回した二人の泉の乙女が倒れている。
 「「同じ思いを味あわせてやる!」」
 ギラリと2対の目が洞窟の中に光る。


 その夜。
 「むーむー!!」
 すまきにされたアフラが二人の大神官に担がれて、泉の水面を前にしていた。
 「さぁ」
 本物のシェーラがニタリと微笑む。
 「アフラ様、私達も正反対のアフラ様と過ごしたいですわ」
 こちらも本物のクァウールだ。邪悪に顔がゆがんでいる。
 「むむーーー!!!」
 さるぐつわもされたアフラは二人によって泉に、
 どぼん!
 放り込まれた。
 やがて水面の波紋が消える頃、
 「貴女達の落としたのはこちらの優秀なアフラですか? それとも乱暴なアフラですか?」
 泉の乙女が出現する。
 「な、なにするんどすか、アンタらはっ!」
 騒ぐアフラを右手に掴んで。
 その彼女は優秀な方のアフラだ。
 シェーラとクァウールは恐怖に歪むアフラの表情を満足げに見つめると、声を合わせてこう答えた。
 「もちろん」
 「乱暴な方のアフラ様です」
 「こらーーー!!」
 そして優秀な方のアフラは泉の乙女とともに再び水面の下へと沈んでいったのである。


 穏やかな昼下がりだった。
 しかしここ霊峰マルドゥーンには嵐が吹き荒れている。
 しずかな、そして陰湿な嵐だ。
 綺麗に磨かれた神殿。
 中央を歩いていたアフラはふと通路の端へ。
 床にしゃがみ、人差し指で廊下を一撫で。
 わずかに埃が付いた。
 彼女は厳しい視線を前方へと向ける。
 その先には三角巾をかぶってモップを抱える清掃婦…いや違う。
 げっそりとした表情のクァウールが震えてアフラを見つめていた。
 「クァウール! どこを掃除しとる、全然ダメやおへんか! やりなおし!!」
 「ひ、ひーん」
 アフラはすれ違いざまにビクビクと震えるクァウールに蹴りを一撃。
 水の大神官は床に置いたバケツに頭を突っ込んで転倒。廊下も水浸しになった。
 「丁度良いどすなぁ。しっかり完全無欠に、隅々まで水拭きするんどすぇ。ウチも優しいわぁ」
 「はぅぅーーーー」
 『乱暴』なアフラは高笑いを上げながら台所へと向かう。
 「料理はできた、シェーラ」
 「は、はい!」
 背後からの風の大神官の言葉に、シェーラはビクッと震えて背筋を伸ばす。
 そんなシェーラを見やることなしに、アフラは彼女が作っていた鍋の中のスープをスプーンで一口。
 カラン
 スプーンがアフラの手から落ちた。
 「え…今度のこの味は自信があ…」
 「からい! やり直し!!」
 がしゃーん
 「ひぃぃ!!!」
 シェーラの言葉はアフラが鍋をひっくり返したことで悲鳴に変わる。
 「飯の1つも作れんもせんと、誠はんを追いかけるなんて無謀も無謀やわ」
 「あぅぅ……」
 アフラはシェーラの心をえぐるセリフを残し、自身は優雅に読書をするために自室へと戻っていく。
 シェーラとクァウールは彼女の背を見つめ、心からこう叫んだ。
 「「もとのアフラ(様)に戻ってぇぇ!!」」
 結局、クーリングオフはできたそうな。


おわれ