魔の14日



 湯煎された金属製のボウルの中に、茶色のどろりとした液体の入ったビーカーが入っている。
 老いた手を持つ研究者は、そのビーカーの中にスポイトで青い液体を垂らした。
 しゅぼ!
 青白い煙が一瞬立ち昇り、そして何事もなかったようにビーカーの中身はわずかに表面を揺らしただけだった。
 老いた手はビーカーをボウルから取り出し、そして冷やした金属板の上に中身をゆっくりと垂らした。
 金属板の上にはハートの形をした金型が置かれており、その中にビーカーの中身が満たされていく。
 「ふむ」
 ビーカーの中身――元はチョコレート『だったもの』――をハート型に固め終わるのを待ちながら、それを作成していた彼は満足げに一人頷いていた。
 彼の名はストレルバウ。このロシュタリアの頭脳と呼ばれるほどの知識の持ち主であり、人々の尊敬をその身に受ける存在である。
 だが、一部の人間にしか知られていない一面も存在する。
 それはすなわち、エロ魔人。もしくは特殊な趣味を持つ孤高の狼。
 彼はハート型に固まったそれにホワイトチョコレートで器用にデコレーションすると、小さな箱に入れて包装紙で可愛らしく包んだ。
 最後に赤いリボンで箱をしばって完成。
 「クックック……完成じゃ。このワシの×××と特殊な惚れ薬の入ったチョコを食べた者は、もぅワシのことしか考えられなくなってしまうのじゃ!」
 ×××とはなんなのか……エルハザードでしか使われていない言葉のために適切な意味が見つからないため、伏字とさせていただいたっ!
 「これをルーン様やファトラ様にお渡しすれば…クックック…どうなることかのぅ?」
 邪悪極まりない表情で、脳内であんなことやこんなことを想像しつつ、彼は包みを手に己の研究室を後にした。
 まるで獲物を探す肉食獣のようにロシュタリア城内を徘徊し始めた彼の前に、見慣れた人影が現れた。
 「おや、ストレルバウ博士。お一人で如何なされましたか?」
 それはルーンやファトラの周辺警護を担当するロンズであった。
 彼を見た途端、天才的なストレルバウの頭脳に邪悪な計算がなされた。
 「うむ、ロンズ殿。実はワシの教え子がこれをルーン様にお渡し願いたいと」
 言いながら、ストレルバウはロンズに包みを手渡した。
 「これは?」
 「ふむ。ほれ、バレンタインデー、じゃったかの? アレじゃよ。ルーン様に憧れておる教え子が、ワシを通して渡して欲しいと、こう言ってきたのじゃ」
 「なるほど、確かにお預かりいたしました」
 「ふむ。それでは頼んだぞ」
 「はい、お任せください」
 ストレルバウはロンズに背を向ける。
 その顔には言いようのない邪悪な笑みに満ち満ちていたのだった。


 その夜のことだった。
 コンコン
 ストレルバウの寝室の扉がノックされる。
 『ムフフ、ルーン様かのぅ?』
 「誰じゃ?」
 思いつつ、誰何の声を上げた。その答えは意外なものだった。
 「私でございます、ロンズです。ストレルバウ博士」
 『はて、何故ロンズ殿がこんな時間に??』
 「何かあったのかの?」
 扉に手をかけようとしたストレルバウの手が、扉越しに発せられている異様な気配にビクリと止まった。
 ストレルバウは鍵穴から向こうを覗く。
 そこにはハァハァと荒い息をしながら目を血走らせたロンズの姿が!
 『ヒ、ヒィィィィィ!!』
 明らかに様子がおかしい。というよりむしろ、
 「ロ、ロンズ殿? もしかしてチョコのようなものを最近食べましたかの?」
 恐る恐る問うた、その答えは。
 「ルーン様への贈り物の毒見で……そんなことよりもストレルバウ博士、ここを開けてくだされ」
 「あ、開けて、どうするつもりかの?」
 その返事はない。
 代わりに。
 白光が扉に走った。
 「うひぃぃぃぃ?!」
 ごとん
 扉が刀で叩き切られ、抜刀したロンズがのそりと部屋に侵入した。
 ギロリと異様な光を放つ瞳は、寝巻き姿のストレルバウにロックオン。
 「な、なんのつもりじゃ、ロンズ殿?!」
 壁に背を当てながら、ストレルバウは引きつった顔で言った。
 「私は、私はもぅ、我慢ができんのです」
 ずずいと迫るロンズ。
 「大好きです、もぅ博士以外のことは何も考えられません。私は、私は博士が欲しい!」
 ロンズ、一世一代の大告白。
 「嫌じゃーーーー!!!」
 ストレルバウ、全力で拒否。
 「嫌よ嫌よも好きのうちーー!」
 「ひ、ひぃぃぃぃぃ!!!」
 ストレルバウに向かって「ふーじこちゃぁ〜〜ん」状態で飛び掛るロンズ。
 それをストレルバウは振り切ることができずに―――
 「世の中には色々なことがあるものね、ファトラ」
 「そうですなぁ、姉上」
 ルーンとファトラは、ロシュタリアに生まれた新たなカップルの知らせに、よそよそしい微笑を浮かべる。
 そしてまるでそんなカップルの当事者など知り合いでもなんでもないように、公務に戻ったのだった。


 月日はめぐり、その一ヶ月後。
 その日はひどく空が晴れた、ロシュタリア城でのことだ。
 「ファトラ様に菜々美殿、ご機嫌は如何ですかな?」
 城の廊下で話をしながら歩いている2人の少女に声がかかる。
 「あ、こんにちわ、博士」
 「おや、ストレルバウではないか。しっかり研究は進んでおるか?」
 「もちろんでございます。それはそうとファトラ様。今月14日はホワイトデーでございますな?」
 「そうじゃな。わらわはお返しでヘトヘトになりそうじゃ」
 「ヘトヘトって、アンタ……」
 ジト目でファトラを睨む菜々美。
 「ふぉっふぉっふぉ、お若いことは良いことでございますな」
 「博士……」
 「ところで何故ホワイトデーはホワイト、つまり白の日というか、ご存知ですかな?」
 「それはもちろん」
 と菜々美が答えるより早く、ファトラが口を開く。
 「それはもちろん、汁が――」
 ごす!
 問答無用のエルボーアタックをファトラのこめかみに加える菜々美。
 「な、菜々美殿?!」
 ギロリと睨まれ、ストレルバウは身を縮めた。
 「ったく、さっさと行くわよ」
 彼女はぐったりとして動かなくなったファトラの襟元を引きづりながら、ガクガクブルブル震えるストレルバウの前から消えたのだった。


 同日、夕日の美しいロシュタリア城でのことだ。
 「おや、アフラ様、ご機嫌は如何ですかな?」
 城の廊下で歩いている1人の少女に声がかかる。
 「あ、こんにちわ、ストレルバウ博士」
 足を止めるのは風の大神官アフラマーン。
 「そうそう、今月14日はホワイトデーですな」
 「ほぅやね。ウチにはあまり関係ない日おすが」
 「ところでアフラ様。何故ホワイトデーはホワイト、つまり白の日というか、ご存知ですかな?」
 ストレルバウの問いに、アフラは天使のような微笑を浮かべてゆったりとこう答えた。
 「セクハラで訴えますぇ、博士」
 ほんのりと風のランプに光が灯っている。いつでも老人の命の一つや二つ、殺れる力だ。
 「ごめんなさい」
 こんなに素直に謝った博士は初めて見たと、物陰からたまたま覗いてしまっていた誠は後に語ったそうな。
 また、こうも彼は述べている。
 『2人の言葉のやりとりは、今思えば非情に高度な会話だったと思います。アフラさんが博士の質問のどこにセクハラを感じ、博士は博士でそれを認めて謝っているのですから。これを見て僕はまだまだヒヨッ子だと思いましたわ』


おわり