絡んだ糸
10周年記念SS(エルハxジオブリxヘルシング+α)
それは八月某日。
ここ日本では「お盆休み」と呼ばれる季節のこと。
お昼も間近な時間だというのに、ゆりかもめは満員電車だった。
停車駅がテレビ局やイベント会場などが多いことから、きっとそれら目当ての人々だろう。
そんな電車に一組のカップルがいた。
先頭車両に乗り、扉付近で窮屈そうにしている。
男性の方は長身で、すっきりとした体格をしていた。好青年といった感じだ。
対する女性の方は、男性と同じくらいの長身でモデルのようにも見える外人風な印象を受ける。
一見すると冷たい感じを受けるが、青年の言葉に微笑むその表情を見ればそんな思いもすぐに氷解することだろう。
そんな仲睦まじい2人を数m離れた所で監視する一人の影がある。
青年よりも若干小柄で、長い黒髪を持つ女性だ。
白地のTシャツにジーンズを履いているが、シャツの上には毛皮で出来たチュニックのようなものを着込んでいる。
よくよく見れば、彼女の顔は監視対象である男性のそれとそっくりだった。
「フフフ、最後の最後ですり替わって、イフリータを寝取ってやるわ」
彼女は邪悪な笑みを浮かべつつ小声でそう呟いた。
「ふぁとら、ソレムリ」
応えるのは、なんと彼女の羽織るチュニックだった。
右の肩口に猫の頭のような飾りが付いているのだが、なんとそれが言葉を発しているのだ。
「何故じゃ」
「ソレハ」
猫ことウーラは主ことファトラに説明する。
彼女が後をつける青年であるところの水原 誠は、かつてロシュタリアに居た頃とは違うことを。
何が違うかと言えば、あのことからずいぶん時間が経っており、誠は男性らしく、ファトラは女性らしい身体になってしまっていること。
なにせ身長がすでに違う。
「モットモ、ムネハ分カラナイケド。ナイチチハ正義?」
「クソ猫がっ」
ごす、とファトラは左腕で自らの右肩を殴り、そして痛がる。
そんな一人漫才をするかつての王女の隣には、3人の外人がいた。
一人は眼鏡のやたら黒っぽい女性。火のついていない葉巻を咥えている。
その両脇にはこれまた黒い帽子に黒いコートと、およそ日本の夏に向いていない格好の男と、そして白髪を後ろで結んだ上品な感じを受ける老紳士。
「しかし日本人というのはこんなみっちりとした車内に閉じ込められて良く我慢していられるものだ」
ハスキーな声で呟く女性は、慣れない人ごみにイライラしているようだ。
「本来ならば車を回す筈なのですが、生憎道が渋滞で完全にふさがっておりまして」
「しかしウォルター。お前ならば電車を一両貸切るなどのことも考えなかったのか?」
老紳士の言葉に、ボソリと言葉を返すのは黒ずくめの男だ。
「そうですな。しかし何故か今日を挟んで3日間は絶対に無理と鉄道会社から返答がきましてな」
「全く、困ったものだ」
女性が溜息をついたと同時。
電車が止まる。
「東京ビックサイト、東京ビックサイト」
駅名を告げるナレーションが流れ、扉が開いた。
途端。
ドドドドドドド
人が流れ出る。
まるで水風船が破裂するかのように、狭い車内から人が一斉に外へと流れ出した。
「ちょ、うわわわわっ」
人の流れに乗って外へ押し出されるファトラに、
どん
「おっと、失礼しました」
老紳士がぶつかり、そして2人して電車の外へと押し出された。
「おや、お嬢様は一体どこに??」
「イフリータと誠はどこじゃ?」
2人はそれぞれに辺りを見回すが、立ち止まる時間と隙さえ周囲の情況は与えてくれずに人の流れに流されていったのだった。
東京ビックサイト。
ここは東京・有明にある、展示ホールと会議施設をもつ総合コンベンション施設であり、東京国際展示場とも呼ばれている。
折りしもこの日はコミックマーケット76と呼ばれる、世に言うオタク向けの個人誌即売会が行なわれる3日間のうちの中日だった。
見渡す限りの人、人、人に男と少女は呆然としてしまう。
このイベントは毎年来場者数が増えていくようだが、この3日間の総来場者数は公式発表では56万人だったらしい。
しかしそんなことはこの2人には知る由もなかった。
「社長、何でこんなに人がいるんだ」
困った顔の男の言葉に、
「何かのイベントみたいねー」
社長と呼ばれた少女が答える。彼女の片手に持つハンディパソコンのカバーには「神楽総合警備」とプリントされていた。
「本当にこんなところに化け猫が?」
「うん、封印していた猫が逃げた先がここの管理コンピューターだったのは何とか追跡できたわ」
男の名は田波 洋一。少女の方は菊島 由佳。
表向きは警備会社、本当の仕事は世の闇を渡り歩く化け猫たちを封印する仕事を受け持つ、神楽総合警備の社長と社員である。
しかしサラリーマンである彼らにも、今の時期はお盆休みだった。
現に他の社員達は実家に帰ったり、一人旅に出たりで連絡がつかない。
特に何もやることがなかったこの2人が、たまたま会社のメインコンピューターである「波動砲」でソリティア対決をしていたのが全ての始まりだった。
ヒートアップしていた2人は、お茶がこぼれていたのに気付かなかったのだ。
液体はじわじわと波動砲に浸み込み、そして。
変な音を立てて故障。その際に封印していた化け猫が一匹、逃げ出したのである。
「ところで逃げた奴、どんなやつだ?」
社長に問う田波。
「ヴァシュカよ」
「げ」
嫌な顔をする。
ヴァシュカは黒猫の腹心で、ロシアから持ち込んだ500kt級核弾頭を米海軍から奪取したロサンゼルス級原子力潜水艦コロンバスに運び込んだ化け猫である。
人間の姿では女性のそれだったが、猫ではどんな姿だっただろう?
ロシア生まれだから……チンチラ?(ペルシャ原産である)
田波は考えるが、結局のところ「こんなところにいる猫は化け猫くらいしか居ないだろ」という結論に落ちついたのだった。
所変わってここはお台場海浜公園。
フジテレビを背後に、小規模ながらビーチもあり、レインボーブリッジを臨む景観は一見の価値がある。
時々、趣味人が楽器の生演奏などを行なう、賑やかながらも穏やかな公園だ。
そのビーチ沿いで2人は出会った。
先程、満員電車だったゆりかもめに乗っていた長身の女性――イフリータと。
暑い日差しの中にもかかわらず、真っ黒なコートに身を包んだ男――アーカード。
視線を合わせた瞬間、互いは互いを感じ取った。
コイツはデキる、と。
ともに単身でいたこともあるのだろう、遠慮なく敵意を発散する。
穏やかな公園は、一触即発の状態にこれまでにない緊迫に包まれたのだった。
そこからやや離れた場所で。
自動販売機に水原 誠はコインを入れていた。
「コーヒーでええかな」
「一体どこに行ったのだ、ウォルターは?」
その真後ろをぶつぶつ言いながら眼鏡の女性が通る。
気付かずに誠は缶を取り出すために少し屈んだ、途端。
どん
誠が女性――インテグラにヒップドロップを食らわせた形になる。
「うわ、ごめんなさい」
「いや、こちらこそよそ見をしていた、スマンな」
僅かによろけたインテグラは、誠の手の中にある缶に目を留めた。
「ぬ、それは」
「これ?」
誠は己の手の中にある缶を見せる。
それは『MAXCOFFEE』。正式名称は「ジョージア・マックスコーヒー」という。
とにかく甘く、それ故に甘党には大人気の飲み物である。
「日本へ行く前に婦警……いや部下から是非ともお土産でと頼まれていてな」
「なかなか通な方ですね。確かにこの銘柄は置いてあるところが限られてますし」
「ふむ、ではここで。買っていくかな。感謝するよ」
「いえいえ、そんな」
どう見てもタイプが異なる2人だが、案外会話は弾んでいるようだった。
満員電車以上の人口密度の東京ビックサイトは、その中に入るとサウナ以上に暑く萌えていた。
とにかく汗が出る。そしてそれが一切乾かない。
まるで熱帯のジャングルにでもいるかのような環境である。
ファトラはとうとう、根を上げた。
「暑いわ!」
べし!
ウーラを脱ぎ捨て、床に投げ捨てる。
「ヒドイ」
しゅるん、と猫の姿に戻ったウーラは非難の声を主に挙げるが、当のファトラはフラフラとした足取りで、とにかく外の空気を求めて歩き出す。
中の空気はなんともいえない、息が詰まりそうな汗の匂いが充満しているのだ。
「外に、外の空気をわらわに…」
やがて視界が開ける。
ファトラの目の前に広がる光景、それは。
「ウホッ、良いコスプレっ!」
王女の死んだ目に一瞬にして生気が戻った。
彼女が地獄の果てに至ったのは、屋上コスプレ会場。目の前には可愛らしい魔法少女の姿をした女の子の姿があった。
それだけではない。あちらこちらにファトラの食指をくすぐる光景が広がっているではないか。
「ヒャッハー!」
「チョ、マテ。ふぁとら!」
会場に踊りこんだ主を、ウーラは必死になって追いかける。
「お嬢様は一体どこに…」
ウォルターは照りつける夏の日差しに目を細めていた。
目を細めているのは他にも理由がある。
周囲は変わった格好をした人々が多いことだ。人によっては目のやり場に困る格好の者もいたりする。
「というかここは一体どこなのでしょう?」
呟く彼に、本日何度目かの言葉が投げかけられる。
「目線お願いします」
「ハッ」
ビシッ!
右手を胸の前に添え、左手を前に出す。
ポーズをとるウォルターに、いくつものフラッシュが浴びせられた。
「むぅ」
ウォルター、ちょっと快感。
折りしもリストランテ・パラディーゾがアニメ化され、深夜放映されているこの時期。
老紳士萌えブームがコスプレ会場でも広まりつつあった。
「本物の外人はやっぱり違うわね、高見」
「ホントですよね、先輩」
そんなウォルターをフレームに何枚も収めつつ、嬉しそうに微笑む女性――いや腐女子2人。
そこそこ歳はいっているようだが、なのはとフェイトのコスプレをしたかなりの猛者である。
その足元をふわりとした何かの感触が横切った。
2人は気付かなかったが、すぐ傍を歩いていた少女はその存在に気がついた。
毛の長い、猫だった。
しかも。
「ふぁとら、ドコダ」
人間の言葉を呟いている。
「猫?」
少女は呟く。
「?」
そして猫と視線が合った。
「今、しゃべった?」
「うーら、ジャベッテナイヨ」
「化け猫発見!」
少女こと菊島は隣の田波の袖を引っ張る。
田波は猫の正体を確認することなく、手早く目標の手前と右脇の地面にお札を展開。
菊島もまた素早い動きで、ウーラの背後と左脇にお札を貼り、そして。
ハンディパソコンのReturnキーをバシッと叩く。
「デリート!」
ばしゅん!
「フギャーー!」
四方のお札が白く輝き、中心のウーラは黒く焦げた。
「あれ? なんか化け猫と違うような??」
焦げたウーラと、手持ちのパソコンを見比べつつ首を傾げる菊島社長。
「ちょっと! 会場でパフォーマンスは禁止でしょ!!」
「最近の子は舞い上がっちゃって抑えが利かないんですよ、先輩」
そんな騒ぎの方向を見る腐女子2人。
「今の声って、もしかして」
顔を上げる田波。
彼は腐女子の片方と、目が合った。真ん丸眼鏡の、やや小柄な女性に彼は間違いなく面識がある。
「あ、あれ?」
「あ」
対する腐女子の片割れはその白い頬をゆっくりと上気させていき、
「高見…ちゃん?」
「はわわわわっ」
問う田波の言葉に答えることなく、周囲に逃げ場を探すが隠れ場所などない。
「その格好は一体??」
「見ないでくださいっ、どうか、どうか見ないでくださーい!!」
顔を隠してしゃがみ込むしかなかったのだった。
桜木 高見―――オタクが会社の人にばれた、夏。
場所は戻してお台場海浜公園。
「へぇ、インテグラさんはイギリスから来はったんですか」
「ああ、仕事ついでに見たいものがあってな」
「ここはお台場海浜公園言うて、狭いけど綺麗なトコですよ。人も結構多くて、賑やかでそれでいてゆっくり出来ると…」
誠の言葉は途中で凍りつく。
目の前に広がる狭いけれど綺麗なビーチには緊張感が張り詰めていた。
まるで殺気が電気変換されて、空気中が帯電しているかのようだ。
その中心には、今にも戦いが始まろうとしている鬼神と吸血鬼の姿。
「「何やってる!!」」
誠とインテグラが同時に叫び、互いに相方へ手にしたMAXCOFFEEを投げつける。
スコカーン!といい音を立てて、それぞれド頭に中身の入った缶が炸裂する。
「痛い」
「何をする」
同時にこちらを見る2人。
一触即発の危機は寸前で回避されたようだ。
「貴様とは全力で戦争をしてみたいものだ」
「いつでも受けて立とう」
「「はいはい」」
誠とインテグラは互いに互いの最終兵器をひっこめる。
「ところでインテグラさんはここへ何をしに? 僕らは散歩した後に観覧車でも乗って、レストランで食事って感じやけど」
ありがちといえばありがちなデートコース。
だが遥か千億の夜を1人で過ごしながらも再開を果たした誠とイフリータだ。これくらい甘いほどだろう。
しかし対する鉄の女ことインテグラには、そんな甘い生き方は一片たりともない。
あるのは常に修羅の道だ。
誠の問いにインテグラは、そしてアーカードは非常に良い顔でこう答えたのだった。
「「等身大ガンダムを見に!!」」
東京ビックサイトは東館。
壁際大手サークルは昼前には早くも完売するところがちらほらと見えてくる。
そしてこの時間には、歴戦の猛者達が担当する区域の収穫物を仲間達と均等に分け与える光景も見られ始める。
館内から出たところのベンチに、3人の軍服姿の男達がいた。
一人はデブ、一人は眼鏡、そして一人は長身で無口。
しかし3人には共通点があった。
歴戦の軍人であること。そして今この場で当てはまるのならば古参のオタクであること。
そんな彼らの目の前を一人の女性が通り過ぎた。
3人は同時に気付き、そしてこの時だけは前者の方の顔で彼女に相対した。
「そこのワーキャットさん」
デブが声をかけたところで、女性は足を止める。
「ミレニアムへ来ないかにゃ?」
「……いや、化け猫だからって語尾に「にゃ」はつけないだろう」
この後、ミレニアムと化け猫達が手を組んだか否かは定かではない。
お台場海浜公園のビーチは元の静けさを取り戻していた。
そこに1組の男女がいた。その1組は先程まで繰り広げられていた緊張感にも逃げ出すことなく唯一留まった2人だ。
「んっ」
「目が覚めました、亮クン?」
覗き込むように女性が彼に問う。
「乙音さん……オレ、寝てたんですか」
「久々の都会な上に、人混みもすごかったですしね。疲れていたんですよ」
「結構な時間寝てたみたいですね、すいません」
亮は視界に入る乙音の背景に目を細める。
青い空に浮かぶのは眩しい太陽。それは天頂から傾き始めていた。
時間的にお昼ちょっと過ぎといったところだろう。
「ダメだな」
体力が落ちている、彼は思う。
「そんなこと、ないですよ」
「へ?」
乙音の言葉に、亮は首をかしげた。
「あんな中で熟睡できるのは、すごいことですよ」
「あんな中??」
「まー、色々ありまして。そんなことより、もう少し寝ますか? 私の膝枕で」
にんまり微笑む彼女に、亮は膝枕をしてもらっている状態で苦い顔をする。
「道理で頭が痛いと思ったら。岩のような大腿筋ですね」
「ふふーん、そんな岩みたいな上でこれ以上ないくらいの安らかな寝顔をしていたのは誰ですかねー」
返されて、彼は溜息一つ。
そして起き上がって彼女に手を差し出した。
「挑戦するんでしょ、名物のモンスターバーガーに」
「はい!」
乙音は嬉しそうに笑って、彼の手を取る。
そして。
一瞬のうちに絡まりあった物語は一瞬にしてほどけ、各々の話をこれまで通り紡ぎ続けるのだった。
了