夜中のバレンタイン ‐龍三×良子
Written by ◆Lumi/2sUEI
「…37度6分。だいぶ下がってきたわね」
大鏡とテレビ、そして段ボールの荷物しかない龍三の部屋で、体温計を見ながらシスター茜はつぶやいた。
「うー…すまねえシスター」
2月12日。
調理研究科主催で開かれたチョコレート製作講習会。若い男の理事長がいるということで多くの生徒が参加して開催された。
糊湖指導の下で皆順調にチョコレートを仕上げて行ったが中には上手く出来ない生徒もいたわけで…。
「田波さん、これ見てくれる?」
「田波さん味を見てくれる?」
作ることには興味になかった龍三はチョコの見た目や味をチェックする役割をになっていたのだが、あまりの生徒の多さに目を回してしまい、どうにか寮の部屋にたどり着いたもののそこで高熱を出して倒れてしまったのである。
「気にすることはないのよ。海平さんも心配しているし」
「まさかあんなに来るとは思ってなかったからな」
「みんな海平さんに渡したくて必死に作ってたみたいね」
「と、いうことは今日の海平はウハウハだったんじゃないんですか?」
中身が解けてしまった氷枕を取り替えながらシスターは答えた。
「そうね、理事長室の机の上はチョコレートだらけで仕事にならないわね」
「(な、なんか怒ってるみたいだけど何かあったのか…?)」
何か嫉妬めいたシスターの発言に冷や汗をかきながら龍三は更に聞いた。
「で、シスターは海平にチョコ渡したんですか?」
「あら、何もあげるのはチョコレートとは限らないでしょ?」
口の端でフッと笑いながら答えるシスターに龍三の冷や汗は増すばかりである。
「(海平…死ぬなよ…)」
「さあ、あとは薬を飲んでもう寝なさい。治るものも治らなくなるわ」
寮に備え付けてあった薬を龍三に渡す。
「はい、すいません。迷惑かけて」
「じゃ、おやすみなさい」
龍三の枕元の電気スタンドを消してシスターは部屋から出て行った。
「眠れねえ…」
最後に薬を飲んでからもう2時間。時計の針は夜の10時30分を指している。
「昼間もずっと寝てたんだから寝れねえのは当たり前だよな…」
古典的手法ではあるが羊の数を数えてみたり、顔を横に倒してみたりしてみるものの眠気が襲ってくることは全くなかった。
「あー…どうすりゃいいんだ」
ガチャッ
「?」
突然ノックもなしに部屋の扉を開ける音がする。
不審に思いながらも龍三はそのままの状態で様子を窺うことにした。
侵入者はゆっくりと入ってくると扉を閉めた。そしてその気配は段々と龍三が寝ているベッドに近づいてくる。
「(誰だ…?)」
その気配は龍三の枕元に近づいてくる。
そして立ち止まるとすぐ傍に置いてあった椅子に腰掛けた。
「……」
「……」
侵入者はじっと龍三を見下ろしている。
龍三も目を瞑って寝たふりをしながら相手の気配をじっと窺っている。
やがて侵入者はその右手を龍三のおでこに乗せた。
「(ん…あー気持ちいい…)」
ひんやりとした手の気持ちよさが龍三の緊張をほぐしている。
侵入者は暫くの間手を動かさず、その手に龍三の熱を吸収していた。
「…良子か」
「うん」
相手の名を呼び確認すると龍三は漸く目を開けた。
「どうしてわかったの?」
「何となくな。こんな時間に来てくれるのはお前以外にいないだろうし。で、どうしたんだ」
良子は右手を龍三のおでこから自分の膝の位置に戻すと、
「龍三が心配だから…2日前に会ってからずっと寝込んだままだし」
「ああ、あの時はみっともない姿見せてしまったな」
「みんなのために一生懸命やってくれたのにはとても感謝してるよ。みんなも龍三に見てもらって理事長に気に入られたって言ってたし」
「まあ、あたし…じゃない俺はあいつの好みを知ってるからな。その通りに教えたんだからみんなうまくいくさ」
「うん。でも次からは無理しないでね。体壊しちゃダメなんだから」
龍三の前頭部を撫でながら良子はお願いする。
その心配そうな言葉と表情に龍三も強く出ることはでいなかった。
「ああ、わかってるよ。調理研究科は体が資本だからな」
「ありがとう」
「それでね。あたしも龍三に作ってたんだよチョコレート」
「へー、作ってくれたのか」
「うん、今見せてあげる。みんなに教えながらだったからそんなに多くはないんだけど」
龍三は電気スタンドのスイッチを入れ上半身を起こす。
良子は足元においてあった紙袋からチョコレートの入った箱を取り出した。
「はい、これ。開けてみて」
龍三が箱に結ばれているリボンを解いて箱を開けると、そこに入っていたのは12個のトリュフだった。
「すごいなこれ。サンキュー。作るの大変だったんじゃないか?」
「うーん、1時間くらいかな。皆に教えてる最中も一緒に作ってたしね」
「そうか。なあ今食べてもいいか?」
「もうすぐ11時だよ? もう寝たほうが」
「1個だけ、な。いいだろ。これ食べたら寝るから」
暫く考えていた良子だったがやれやれという表情で龍三に答えた。
「仕方ないわね。じゃ1個だけね」
「サンキュー」
「あのさ…」
「どうしたの?」
「食べさせてくれないか?」
「? トリュフを」
「そう。俺病人だから」
龍三は、へへっと軽く笑って良子にお願いする。良子はもう仕方がないと笑みをこぼした。
「甘えん坊なんだから」
箱の中からトリュフを1つ取り出すと、
「はい、口をあけて」
龍三が口をあけると良子はその中にトリュフを放り込み、龍三は舌の上でトリュフを溶かして味わう。
「これは…オレンジを使ってる?」
「わかった? オレンジのリキュールを使ってみたの。おいしい?」
「ああ、おいしい。サンキューな」
「よかった。初めて使ってみたから心配してたんだ」
「それでさ、もう1個いい?」
「…しょうがないわね。これで最後よ」
仕方ないといった表情でトリュフをもう一つ取り出すと先ほどと同じように龍三の口に持っていこうとする。
「いや、そうじゃなくてさ」
「?」
「ここで食べさせて欲しい」
そういうと龍三は良子の唇に人差し指を当てる。
意味を悟った良子は一気に赤くなった。
「なっ…」
「いいだろ。これで最後だから、な?」
龍三に真正面から見つめられて良子は顔を逸らす事すら出来ない。
「…本当に最後?」
「本当だって。これでもう寝るから。な?」
「じゃあちょっとまって」
そういうと良子は前歯と前唇でトリュフを半分露出させた状態で銜えた。
「…」
落とさないようにゆっくりと顔を近づける。
龍三は良子の後頭部に手を回して誘導し、自分も良子の唇に顔を近づけた。
「ん…」
トリュフが龍三の唇に触れる。
突然龍三は舌でトリュフを良子の口の中へ押し返した。
「!!」
良子が驚いた好きに龍三は良子の口腔に自分の舌を侵入させ、良子の舌に乗っているトリュフに舌を絡め始めた。
「んっんふぅっ…んふっ」
良子の口腔内で龍三の舌が暴れ回る。
トリュフだけでなく良子の内頬や歯茎も念入りに舌先でなぞる。龍三に後頭部を抑えられている良子はただ龍三のなすがままになっていた。
「(甘いな…)」
トリュフが持つ甘さと良子の味が微妙に絡み合って独特の味を作り出していた。
それを舌先で徐々に吸い取っていく。
「(良子…)」
龍三がうっすらと目を開けると、良子は顔を真っ赤にしながら口を尖らせて必死に応えているのが見えた。
空いている手で良子の頬をさすりながら龍三は舌の動きを続ける。
「うん…むぅっ」
「ん?」
慣れてきた良子はトリュフが乗った舌を龍三の口内に差し入れる。
そしてトリュフを器用に龍三の舌に移しそれに舌を絡めた。
不意を突かれた龍三はバランスを崩して良子諸共ベッドに倒れこんだ。
「ん…リュ…ウゾウ…」
「良子…ん…」
くちゅくちゅと淫靡な音を立てながらお互いの舌を貪りあう。
良子の口の中でトリュフは既に解けてトロトロになってしまっていたが、龍三の口の中にあるそれはもうその形を成していなかった。
「(もういいか…)」
ちゅうっ ぺろっくちゅくちゅっ…
既に口の中に移されたトリュフを呑み込むと、良子の舌に残っていたのも吸い上げていく。
そして残っていたトリュフを舌ですべて掻っ攫うと一思いに呑み込んだ。
「ごくんっ…」
「おいしかったぜ、良子」
激しい吐息をする良子を見上げながら龍三は余裕のある返事をする。
落ち着きを取り戻した良子は漸く声を出した。
「そう…それはよかった」
「隠し味が絶品だったからな」
「! …もう、バカ!」
笑みを浮かべて龍三に応える。
立ち上がろうと体勢を整えようとしたとき龍三は良子の腕を掴んだ。
「なあ…いいだろ?」
腕を引っ張って倒そうとする。しかし良子はすばやく龍三の手を解き言い放った。
「だめよ。病人なんでしょ。約束なんだから早く寝ないと」
「えー…」
「あたしの言う事がきけないの?」
厳しい表情で龍三を睨みつける。龍三のことが心配でこのような表情を見せるのだが、時々見せる良子のこの表情はいつも龍三の背筋を冷やす。
痛い目に遭いたくないと、龍三はすごすごと引き下がる。
「はいはい」
寝転んだ龍三に掛け布団を掛けてる。
残りのトリュフが入った箱を枕元において再び椅子に腰掛ける。
「じゃ、おやすみ龍三」
「ああ、おやす…み」
トリュフに使用したリキュールが効いてきたのか薬が効いてきたのか、龍三は目を瞑ると同時にすうすうと寝息を立て始める。
龍三が眠りに着いたことを確認すると、良子は龍三の頬に唇と落とし、静かに部屋を出て行った。
「あ、リュウ!もういいんだ」
「おお、オレ…じゃないあたしはもう大丈夫だぜ」
レストランルミナスの調理室にに糊湖と龍三の声が響き渡る。
糊湖と良子がランチの準備をしているところに白衣を身に着けている龍三がやって来たのだ。
糊湖の問に腕をぶんぶん振り回し完全浮復調をアピールしている。
「何日も寝てちゃ体なまっちまうからな。さっそく今日から復帰するよ」
「でも病み上がりだからいきなり調理というわけには行かないし。じゃ、簡単な作業からお願いしてもいい?」
「おお、なんでもいいぜ」
「じゃ、たまねぎの皮をむいてくれない?今倉庫から持ってくるからちょっと待っててね。良子、下ごしらえお願いね」
糊湖はそういうと調理室を出て倉庫に向かっていった。
糊湖が出て行ったことを確認すると龍三は良子の背後に立った。
「あれからよく眠れた?」
「ああ。おかげで体調も回復したしな」
「そう。とにかく元気になってよかった」「心配掛けて染まなかったな」
「で、お返しをしなきゃいけないな」
「?」
「チョコレートもくれたし、看病までしてくれたんだからな」
「そう。じゃホワイトデーは期待して待ってるからね」
「それと続きもやらなきゃいけないな」
「?」
「昨日は病人だったから仕方なく寝たけど、元気だったら問題ないんだろ?」
「!!!」
『なあ…いいだろ?』『だめよ。病人なんでしょ。約束なんだから早く寝ないと』『あたしの言う事がきけないの?』
きのうの会話を思い出して良子は思わず作業の手を止めて赤面する。
まさか昨日の会話をの言葉尻を捕らえて、このように解釈してくるとは思っていなかった。
真っ赤になった良子の耳元で龍三は囁いた。
「夜、眠らせないかもしれないからな。覚悟しておけよ」
「…」
「なんなら1ヶ月も待たなくても、今夜でもいいんだぜ」
「!!!!!」
「おまたせー。あれ?どうしたの」
たまねぎを抱えて戻ってきた糊湖は顔を真っ赤にしている良子を見て首をかしげた。
「ああ、なんでもないよ。それよりこれをやればいいんだな」
「うん、じゃこれお願いね」
龍三はさっさと皮むきにかかる
「良子? りょーこー?」
「うひゃぁっ!」
大声で名前を呼ばれ、放心状態だった良子は思わず声を大きくしてしまった。
「大丈夫?」
「う、うん大丈夫。さ、続きするよ」
然しその日の良子は龍三の『誘い』のことで頭が一杯で注文は愚か食材や調理法まで間違えるという有様であったとさ。
了