『Operation V』


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 これは、とあるむさ苦しい、男ばかりの環境における、命を懸けた作戦行動の
記録の一部始終である。
 なお、極秘書類であるこれは市民団体への提示等の一切を禁じるものである。



 狭い、アイボリー色のタイル床の薄暗い部屋だった。
 そこで野戦服姿の男達が5人,やはり安っぽい折りたたみ式テーブルを真ん中に、
額を合わせんばかりに熱い口論を交わしていた。
 ここは厚生省管轄の某市内の保健所。
 「唯一の隊員なんだ,何としても!!」唾をまき散らしながら、男は叫ぶように言う。
 「しかし本人にその意志がなければ。自分から気付いて渡すというのが、今回の
基本的な部分だぞ」眉を寄せて、眼鏡を掛けた痩せぎすな男が答える。
 「気付くのではないか? 一応はなぁ」こちらは帽子を目深に被った男。
 「甘い! あの人は結構,いや、かなり鈍感です!!」一番若い、人の良さそうな
青年が意気込んで3人に言い放つ。
 「直接の指導に当たった貴公の言葉なら間違いなかろう」眼鏡の男が溜め息混じり
に呟いた。
 「ならば…一体どうすれば」
 不意に沈黙。
 「隊長!」
 ドン,テーブル一面に広げられた某市内の地図の上に拳を叩き付け、若い男が椅子
に背を預けて議論を一望していた男に振り返る。
 同時に他の男達もまた、一斉に隊長と呼ばれた中年の男を凝視。
 「…」
 ザッ,不意に中年は立ち上がり、右の胸ポケットに指してあった赤ペンを取り出
して地図の右端にこう、走り書く。
        Operation V
 中年は顔を上げる。彼の前には期待に満ちた瞳の男達の顔があった。
 それらを一望し、中年は満足げに頷く。
 「これよりハウンド全隊は私,矢島の指揮下に入る。作戦重要度は特A,実行に
当たっては細心の注意を払い、時として人命の犠牲もやむえん!」
 「「ハッ!!」」
 仕事柄、きわめて男臭い職場の空気は今までにない、そう、彼らの天敵と遭遇
した時以上の緊張に包まれていった。




         日時:2月13日 a.m.8:00

 「行ってきま〜す!」
 とあるごく平均的な日本的一軒家。
 艶やかな黒く長い髪を後ろに流した女性は帽子をかぶりながら玄関を飛び出した。
 その勢いのまま、住宅街を駆け抜け大通りのバス停へ。
 丁度バス停に停まっていたワンマンバスに飛び乗り、彼女はほっと一息付くこと
ができたようだ。




 「こちら菊池。本日非番の成沢,8007に綾金市内行きのバスに乗り込みま
した,どうぞ」
 バス停の影から手のひらサイズの無線機を片手にした野戦服の男が現れる。
 彼は走り去って行ったバスの後ろを眺めて緊張した面持ちで交信する。
 しばしの雑音の後、呟くような男の声が聞こえてきた。
 『こちら内田、バス内に入った成沢を確認。目標が綾金に入り次第、観察を
鈴木に引き継ぎます,あっ』
 「ど、どうした?!」気付かれたか? だが菊池の思惑とは異なる返事が却っ
てきた。
 『じゅ、渋滞にはまった…』




 『菊池です,矢島隊長を!』保健所に急遽設けられた作戦指令室,そこに
菊池隊員の悲痛な声が通信機から入ってきた。
 「問題ない,すでに手は打ってある」
 しかし、矢島は席から立つ事なく、そう答えるよう通信士に告げる。




 「へぇ、いつもは渋滞にはまって一時間は掛かるのに。今日は混んでない
のかしら?」
 終点の綾金駅前でバスを下り、成沢は大きく背伸び。
 だが彼女の呟きとは反して、綾金駅前はいつも以上に混雑している。
 成沢は小さく首を傾げながらも、人の波に 紛れこんで行った。




 ピーピー,通信機に呼び出しが掛かる。
 『矢島君か? 一体これはどういうことだ?! 勝手に道路封鎖などして
もらってはこま・・』
 そこまでで通信士は矢島の切れというジェスチャーに問答無用で切断する。
 「隊長…そこまでやりますか」
 「田中、漢はやるときゃやらねばならんのだ」
 ”…多分違うぞ”言葉にはしないが。
 ザザザ,再び通信が入る。
 『目標が特設コーナーに接近しました!!』今度は隊員の声が入ってきた。




 と、デパートの特設売り場が見えるところに、ハウンド隊員の彼は隠れる
ように観察していた。
 目標はゆっくりとだがトラップに近づきつつある。
 だが、目標である彼女の前に、2人の影がトラップを包囲した!!
 「田波さんはこれが良い? それともこれ?」乱入した眼鏡娘は、腕を組
んだ冴えない男に尋ねる。
 「高見ちゃんがくれるのならどんなものでも嬉しいよ」
 「もぅ! 田波さんったら!」




 『バ,バカップルが目標の視界を妨害しています!! ああ…目標,
特設コーナーに気付く事なく…作戦1−2は失敗です』悲痛な声が指令
室に届く。
 「「「そんな…」」」指令部は騒然。
 「田中、残務処理を指示せよ」矢島が無表情に呟く。
 「ハッ!」
 「山川,発砲を許可する」




 「船山,応答しろ」
 ガ〜,雑音が聞こえるだけだった。
 「船山,船山!!」田中は再度、交信を試みる。
 「どうした?」
 「綾金デパートに派遣した船山の隊からの応答がないのです」矢島に
答える田中。
 「まだ近くにいるはずの山川につなげてみろ」
 「ハッ,山川!」
 ザザザッ,雑音混じりに通信が開く。
 『こちら山川,襲撃を受けている!! う、うわぁぁ!!』いきなり
先方では緊迫しているようだ。
 バキ,ガキ,ゴキ…・
 スパパパ,規則正しい銃声が聞こえてくる。
 「こ、これは…」その銃声はある部隊が好んで使うものだった。
 「入江か…」悔しげに矢島。
 「いけませんねぇ,訓練で世話をかけた陸自を無視してそんなことを」
 ヌゥ,不意に矢島の後ろから現れるのは眼鏡を掛けたスーツ姿の男だった。
 「やつらをそそのかしたのはお前だろう?」振り返る事なく憎々しげに
言葉を吐く。
 「はて、何のことでしょう?」眼鏡の奥は何を語るのかは分からない。
 「クッ…分かった、イーブンでどうだ?」折れたのは矢島の方だった。
 「まぁいいでしょう」クルリ,入江は背を向ける。
 「どこへ行く?」
 「私は私のやり方でやらせてもらいますよ。陸自には話をつけておきま
しょう」
 「勝手な奴め」
 ”チョコでそこまでやるか…”やはり田中の突っ込みは心の中に
封じ込められる。




 ピピピピピ…
 通信機に、今度は非常通信が入る。
 田中は内容を聞くと、顔を青くして矢島に叫ぶ!
 「矢島隊長! ば、化け猫が真浜原発に奇襲を掛けているとの報告が。
この手口の良さはおそらく黒猫と思われるとのこと!!」
 「大井,真浜はお前の隊に任せる」即座に、矢島は決断。
 「了解しました」指令部に待機していた男の一人がその言葉に立ち上がった。
 「戦力的に辛いとは思うが…ここで臨時招集を駆ける訳にはいかん
のだ!」
 「承知しております。非番の者達を呼び出すということは我々に明日は
ないことも同然!!!」気合抜群だ。
 「すまんな」しかし矢島のその言葉は悲痛に満ちていた。
 ”本業の仕事…しなくていいのか?”通信士は思う。



 カシャ!
 小型銃を携帯したハウンド隊員が4、5名,一斉に小部屋へ雪崩込む。
 「ひぃぃ!!」一人の老人が銃口を突きつけられ、呆気なく降伏。
 それを見届け、一人のハウンド隊員は無線機に報告する。
 「映画館、占拠しました」
 『巻頭CMテープを至急切り張れ!』
 「了解!」その言葉の間にも、すでにその作業は実行されていた。




 ブ〜,開演の音と供に映画館は闇に包まれる。
 まず始めに投写されるは、いかにも怪しい外人の男女。
 「アナタニモ,バレンタイン,アゲタイ」
 そんなセリフを吐いた後、画面には大きく『日活』の文字。
 「あ、間に合ったわ」ハンカチ片手に、慌てて席につく一人の女性の姿が
あった。




 『目標,トイレに行っていたようです! 作戦4−7,失敗しました』
 映写室からの悲痛な通信隊員の声が指令室に届く。
 「やはり手ごわいな」憎々しげに矢島。
 「矢島隊長、やはりここは直接行動に出た方が」
 「直接…だと? どういうことだ,高田?」
 矢島の隣に控えていた隊員は小さく頷き、説明する。
 「ええ、そろそろ現場に辿り着く内田に女装してもらって、目標の前で
私とカップルを演じ、さり気なくバレンタインの話題を」
 「我々に悪魔に魂を売り渡せ…ということか」言葉を遮り、矢島は言葉を吐く。
 「数十年ぶりのチョコです。我々はいつでも命は捨てる覚悟です!!」
 頷く指令部。それに何故か男泣きの矢島。
 「しかし…それはイカンのだ」ぶんぶん頭を振って矢島は言う。
 「「何故です?!」」
 「夢に出てきそうだから」
 「「…」」指令部沈黙。




         日時:2月13日 p.m.12:00

 晴れた暖かい土曜日のお昼である。
 「はぁ」双眼鏡を首に提げた、私服姿のハウンド隊員・鈴木は映画館の前でそう
溜め息を付いた。
 もうかれこれ2時間経っている。目標の尾行を目的とする彼は、ずっと待ちぼうけを
食っていた。改札口の所で座り込んでいる。
 「何をため息ついてるの,新夜くん?」耳に言葉と共に息を感じ、慌てて彼は振り
返った。
 「?」
 そこには同じくしゃがみ、鈴木と視線を同じくした成沢が首を傾げている。
 「うわぁぁぁ!!」
 「な、なになになに?!」ぶんぶか,辺りを見回しながら成沢。
 「あ、いえ、何でもないです」内心の驚きを悟られない様に、
 「こんなところで何やってるのよ。その格好からすると…もしかして!!」
 「い、いえ,化け猫がらみではないです」
 「デートの待ち合わせしてて待ちぼうけ食ったの? って聞こうと思ったんだ
けど…」
 “双眼鏡と無線機を提げてデートの待ち合わせをするんですか,貴女は?”無言
のツッコミ。
 「ハウンドの仕事がらみなのね? じゃ、何やってるのよ」
 「うっ…それは…」
 「それは?」まじまじと彼の瞳を見つめながら成沢。
 鈴木は、とあるショーウィンドウをビシィ! 指さす。
 「?」
 「厚生省独自の調査でして、バレンタインに対する人々の意識という…」
 彼の指差すウィンドウにはバレンタインチョコの展示がされている,お菓子屋か
何かのようだ。
 「ふぅん,そうなの」




 『ふぅん,そうなの』
 「「でかした! 鈴木!!」」
 司令部騒然!!
 ひょんな所から最も効果的な手が打てたのだ。




 「新夜くんは貰える人はいるのかしら?」
 「え? ええと…どうでしょう?」愛想笑いの鈴木。
 「ふぅん,ま、私には関係ないか。じゃ、がんばってねぇ〜」それを聞いてか
聞かずか,成沢は後ろ手に手を振ってその場を去って行く。
 「おいおい…」その人込みの中に消えて行く成沢の背中を、鈴木はただ
黙って見ているしかなかった。




 「撤収だ,これは…無理だ」顔を青くして、矢島は呟く。
 「矢島隊長!!」特急で仕事を終えてきたのだろう,傷だらけの大井が叫んだ。
 「奴には明日の行事のことなど、これっぽっちも興味がない!」
 ドン,矢島は憎々しげにテーブルを叩いた。
 司令部には脱力感と悲壮感が満ち満ちる。
 “やな部隊に入っちゃったなぁ”通信士・田中は心の中で愚痴るのだった。




         日時:2月13日 p.m.18:00

 「たっだいまぁ〜!」
 玄関を開ける成沢。と、その玄関に山のように小箱が詰まれていた。
 小箱を一つ手に取り、裏を見る。そこに張られたラベルには『チョコレート
菓子』とある。
 「どうしたの、お母さん、このチョコレート?」
 靴を脱ぎながら、成沢は台所にいる母親に尋ねた。
 「あしたはバレンタインでしょう? 職場の人達に配って上げなさい」
 「う〜ん,皆こういう行事には感心なさそうだけど…ま、いいか,ありがとう。
でもお母さんも良く気付いたわね」
 「訪問販売の人が来てね」タオルで手を拭きながら成沢母が玄関までやってくる。
 「『男ばかりの職場の娘さん用に義理チョコ一ケース如何ですか?』って」
 「訪問販売?」
 「ええ、眼鏡をかけてスーツでキメた男の人だったわね。妙に安いから買っ
ちゃったの」コロコロ笑いながら成沢母。
 「…へぇ,変な訪問販売もあるものね」





         日時:2月14日 a.m.10:00


     「義理チョコですけど…受け取って頂けます?」
     やや頬を上気させて両手で小さな箱を差し出す彼女。
     翌日2/14
     隊員一人一人に小さな箱を配り歩く成沢の姿が確認されたそうな。




                                  おわり   

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あとがき

 ハウンド隊,全員で倍返しか?!
 そんな訳で元より愛を込めて…(って俺,男やん)

                                                       1999/02/14(Sun)
文/