〜 それは遠い夏の記憶 〜
風が、彼女の頬を撫でた。
僅かに湿り気を帯びた、緩やかな風。澄み切った突き抜ける青空に、雲が早い。
そろそろ夏が終わる。
屋根の上、彼女は穏やかな日差しの下で彼女の住む街を見渡していた。
とは言っても3階建てのこの新オフィス,せいぜい見渡せる範囲は限られて
はいるが。
パンパン,彼女は天井に上る際に擦れて黒くなった白いエプロンを、軽く叩
いて埃を落す。
改めて、手にする太いハリガネを見上げた。
アンテナ,そう呼ばれるものである。これを電波が入るように設置するのが
あの人の頼み。
彼女の身の丈よりも高いそれを、ゆっくりと見上げていく。
やがてそのてっぺんを通り越し、視線はそのまた先へ。
果てしなく広がる青い空に、少しづつ増えてゆく白い雲。
「…………」
ほけっと、彼女は青の先を見つめ続ける。
”……そぅ”
ほんの僅かに、彼女の頬がほころんだ。
「探していた、青い空………」
とある仔猫の遠い夏
with BGM 〜 Hosi wo Sora ni (Yukari Yoshida)
「みぃ…」
私は声が、漏れる。
しとしとしとしと…
天からの雫は、暖かいこの季節でも私の小さな命を削るには十分なものだった。
「みぃ」
助けを求めたわけじゃ、ない。ただ…
ただ、自分の弱さを呪っただけ。
「みぃ…」
雨に打たれる私の体は、もう動かない。
私のいる小さなダンボールは、雨に濡れてボロボロになってしまっている。
「みぃ」
ダンボールの壁の向こうには、神社とか呼ばれている人間たちの神様の居る
建物がある。
あそこで雨がしのげたらな…でも、もぅ足は悴んで動かない。
「…みぃ」
最後に、諦めた息を吐く私。醒めることのない睡魔が襲ってきた。
「あ…」
そんな声。同時に、私を打つ雫は消える。
私はゆっくりと目を開けた。
そこには、しゃがんで私を心配そうに見つめる少年の姿。
黄色い傘が、おひさまの様に眩しかった。
彼は私に小さな両手を、差し出す。私は途端、暖かな彼の両手に抱かれた。
「みぃ」
”濡れちゃうよ”
「良かった、生きてる」
嬉しそうな少年の顔。びしょぬれの私に、シャツが湿ってゆく。
「帰ろう」
そんな優しい声が私を包む。
彼の笑顔、黄色い傘,その先のどんよりとした雨雲でいっぱいの空。
今は、すぐ近くの物だけを見ていたい………
相変わらずしとしとと天は泣いている。
「ごめんな」
重たい、彼の顔。ダンボールの中の私を寂しそうに,悔しそうに見下ろして
いる。
「みぃ」
”そんな顔、しないで”
彼は最後まで反対してくれた。私の為に喧嘩までしてくれた。
「……」
「みぃ…」
”ごめんね、私のせいで。あなたにそんな顔、させちゃって…”
さらさらと、空気を濡らす雨は降り続く。その湿り気は、私達の心にまで霜を
おろしていった。
「…みぃ」
”風邪ひいちゃうよ,さ、私は大丈夫だから…”
少年は、じっと私を見つめ続ける。黒い瞳が様々な感情に揺れ動いていた。
その様子に、私の心は辛くなる。私も同じキモチだから。
こんな想いをさせてしまうのなら、会えなければ良かった。
でも,でも、会えて良かった。
「みぃ…」
”さようなら、短かったけど楽しかった…”
「…ごめん」
彼は搾り出す様に声を出し、私のいるダンボールに広げたままの黄色い傘を
置いた。
「みぃ!」
”風邪、ひいちゃう!”
「さよなら!」
細雨に濡れながら、彼は振りかえらずに境内を駆け去って行く。
「…みぃ」
”ありがとう…”私は去って行く彼の後姿を、見えなくなってもずっと、
ずっと見送っていた。
ぽたぽたぽた……
傘から雨雫が落ちる。
私は上を見上げる。
黄色い傘の向こうには雨雲で一杯の落ちてきそうな灰色の空。
「みぃ………」
”あなたと同じ場所で、あの雲の向こうを見たかったな……”
ザッ,境内の砂を踏みしめる音。途端、傘が、持ち上げられる。
私は人影に入った。
見上げると、そこには雨に濡れた黒コートの中年の姿。
いや…
「あの男の、笑顔が見たいか?」
彼は境内の向こうを見ながら、私にそう語り掛けた。
…人間?
「あの男の傍で眠りたいか? 喉を鳴らしたいか?」
私に振りかえる。
黒い帽子の向こうに輝くは一対の猫の瞳。
「あの男と一緒に、同じ空を見上げたいか?」
「…はい」
そして、猫の私は死んだ。あの人の傍で猫であるために………
ガタリ
そんな物音に彼女はビクリと震える。
「お〜い、まや。一人で大丈夫か?」
屋根への扉を開いたのは一人の青年。顔だけを出して屋根の彼女に声掛ける。
仄かに頬が赤いのはアルコールのせいであろうか。
コクリ
少女はそれに小さく頷いた。
「そか、しっかし早く来ないとアイツらお前の飯まで酒の肴にしかねない
からな。適当で良いから早く終わらせなよ」
言って、彼は引っ込もうとする。
「あ…」
「ん?」
少女の呟きに、青年の動きが止まる。
「空…」ボソリ、恥ずかしそうに呟く。
「空?」
青年は不信げに見上げた。
真っ青なそこの見えない青に、白がゆるりと流れている。
「秋晴れ…だな」
「ん」
二人はしばらくそんな広い空を見上げていた。
やがて、青年はゆっくりと視線を少女へ戻す。
「ところで空がどうしたんだ?」
言葉の途端、一際強い風が少女のエプロンを,黒いスカートをなびかせる。
湿った風だ。
「雨…」
うっすらと笑みを浮かべて、少女。
「雨が降るって?」
「ん」
青年はもう一度、空を見上げる。確かに雲が次第に増えていっている。
「降る前に、一緒に見たかったの…」
「ん? 何を?」
少女のか細い声をキャッチした青年は優しい微笑を浮かべて尋ねた。
しばらく、ほんのしばらく少女は目を閉じて風に身を任せた後、ゆっくりと
彼に柔らかな視線を向けて声を奏でる。
「あなたと見れなかった、あの日の青空を…」
She wishes that Time has be continued …
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あとがき
かもしか氏リクエストのSSです。
今回はアクションなし、お笑いなし、すべりっぱなしのギャグもなしでした(爆)。
静かな話にしてみたかったのですが如何なものでしょう? ちょっと(かなり)ベタな
気もするけど…(汗)
時間はOurs11月号のアンテナ直してるまやのシーンより5分前くらい,多分(笑)。
ってことは、久々に時事ネタやん!
ともあれ、これからも宜しゅうね。
1999/10/04(Mon)
文/元
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