『ギ・桜木伝説』

著者:元



 社員が出払ったのか、昼休みに入ったのか,物静かな神楽のオフィス。
 そこに閉じられた扉が開き、小柄な少女と思われる容貌の女性が一人入ってくる。
 「最近暇ねぇ〜、なんか面白い事ないかしら?」
 と、彼女・神楽総合警備社長,菊島由佳は視線をオフィス全他に滑らせた。
 瞳がデスクの一つの上に止まる。
 「あら? これって…」
 彼女はトテトテ、その机に向かうと、上に置かれた眼鏡をまじまじと見つめた。
 机は社員が一人、桜木高見の場所だった。
 「高見ちゃんの眼鏡かぁ…ん?」
 菊島は怪訝に眼鏡を見つめ、手に取った。
 その怪訝な表情は次第に驚きのそれへと変わっていく。
 「これ、度が入ってない…ま、まさか!」
 ちゃらら〜ん、ちゃらららちゃちゃ,ちゃらら〜ん♪♪♪
 「な,何何何,この仕事人チックな音楽わぁぁ!!」
 眼鏡片手に身構える菊島!
 じゃかじゃん!!
 「ぐっぅ!」
 菊島の動きが止まる。後頭部より下、首筋に何か冷たいものが突き立っていた。
 恐る恐る手を近づける菊島。
 「危ないですよ、下手に動かすと…死にます」
 「なっ!」
 淡々とした声に、菊島の動きが止まる。
 蘭堂の机に置かれたデスクトップのモニターに、彼女自身の姿が映っていた。
 うなじに近い首筋には、一本の細身のバタフライナイフが血を噴出すこともなく突き立っている。
 菊島はゆっくりと背後を振り返った。
 そこに佇むは見知ったはずの女性。
 しかし顔つきが、菊島の知るものとは異なる。
 「高見…ちゃん?」
 「…」
 そこには「眼鏡のない」桜木が無表情で佇んでいる。
 「社長、私の秘密を、知ってしまいましたね」
 一歩、桜木は足を踏み出す。
 同じ距離だけ、菊島は後ずさった。
 「高見ちゃん…あなたの眼鏡は…」
 「そう」菊島の確信にも近い言葉に、桜木は不敵な微笑を浮かべつつ、頷いた。
 「私は『眼鏡っ娘』であるからこそ、存在意義があるんです。眼鏡のない私は、もう私じゃない」
 ニタリ、凍る様な笑みをはっきりと浮かべる「眼鏡のない」桜木。
 「そこまでして…そこまでして大衆のウケを取りたかったの?!」
 「社長には分かりませんよ、スポットライトの外へ出されてしまうかもしれないっていう恐さを
 「…」
 「まやちゃんだけでなく成沢なんて強敵も出てきて私の立場は今、微妙なところにあります。眼鏡を外して一部の熱狂的なマニアの後援をなくすわけにはいかないんですよ!」
 「それで、眼鏡の秘密を知った者を消すって訳ね」
 「それは安心してください」
 ギラリ、怪しく光る瞳で、桜木は菊島に厳かに告げる。
 「記憶をなくすツボをそのナイフで突かせてもらいました。安心して眠ってください、社長」
 「くっ!」
 菊島の視界が歪む。意識が薄れて行く。
 「高見ちゃん…例えあなたが『眼鏡』と『オタク』という2つの特徴を兼ね備えたとしても…いつの日か、まやや成沢に追い越されるわ」
 「そんなこと…」
 「OVAを見なさい。私も悔しいけど、成沢なんてヒロインみたいな扱いじゃない?」
 よろめく足元に気遣いながら、菊島は桜木に言い放つ。それに桜木は己の下唇を強く噛む事しか出来ない。
 「それによ、まやにしたってヒロインの特権『捕らわれの身』じゃない。そんな二人に対してあなたはどうだった?」
 「わ、私は…そうよ、ファミレスの制服を着ました!」
 「それだけじゃない」冷たく菊島。立っていられなくなったのか,その場に膝を付く。
 「くっ…だまれだまれだまれ!」桜木は叫びながら彼女に詰め寄った。
 菊島は気丈にも、そんな桜木に虚ろな瞳で告げる。
 「私は予言する。ジオブリーダーズの副題,「魍魎遊撃隊」は「うるるんまや」もしくは「成沢奮闘記」になることを…」
 「絶対に嫌!!」叫ぶ桜木は、そこまで言って倒れた菊島をひたすら前後に揺さぶり続けた。
 いつしか彼女達二人の瞳には涙が溢れていたと言う。



 「社長、社長!!」
 「ん?」
 「こんなところで寝るな」
 菊島が目を開けると桜木と田波の顔が視界に入ってきた。
 「あれ、私…」
 彼女は身を起こす。オフィスの床の上だった。
 「私達が戻ってきたら社長、こんなところで寝てたんですよ」小さく微笑んで桜木。
 「あれ? 私…なんかすっごいことを忘れたような…」
 「変な夢でも見てたんじゃないのか?」
 「そうですよ、社長」
 「う〜ん…そうね!」
 そう言って元気良く起きあがる菊島を見つめた桜木の眼鏡の奥は、キラリと怪しい光を放っている。
 それに気付けるものがあったとしたら、それは彼女の眼鏡だけであったろう…