Strange Voices
著 サカエダ殿


 寝覚めは――良くない。むしろ最悪といえる。
 かすんだ視界に広い天井がぼんやりと広がっている。
 今何時だろう?そう思って振り向こうとすると、鈍い痛みが頭の芯に響いた。インテグラは褐色の整った面貌をきつくしかめてため息をついた。ゆっくり頭を戻して、枕に沈み込ませる。
 「お嬢様」
 ベッドのそばからそっとささやくような呼びかけに、どろんと閉じかかった切れ長の目元をわずかにそちらへと向ける。
 「ああ……ウォルターか……」
 全身を覆う疲労感がそのまま滲み出た彼女の声音には、いつもの落ち着いてそれでいて凛とした響きがない。しかもややかすれていた。
 それでも長年自分を支えてきてくれた老執事を安心させねばとベッドから身を起こしかけて、インテグラは急激なめまいに襲われた。倒れ掛かった彼女の背中を、ウォルターが支えに入る。寝巻きの上からでも老執事の手がやけにひんやりと感じられるのは、体が熱を持っているからだろう。
 ウォルターはすばやくベッドとインテグラの背中との間に枕を割り込ませると、ゆっくりと彼女の身体をもたれかけさせた。
 「すまんな……」
 苦しげに自嘲的な笑みを浮かべて、インテグラは吐息を漏らした。
 「こんな大事なときに風邪を引くなんて……またアイランズ卿に何か言われそうだな……」
 ウォルターは嘆息するようにかぶりを振った。
 「これまでの無理がたたったのでございます。どうか今はお体を直すことだけをお考え下さい」
 「しかし」
 「お嬢様」
 インテグラは老執事の顔をじっと見た。ウォルターもまた彼女を見詰めていた。彼はそれ以上は何も言わない。言おうともしない。が、その穏やかな眼差しに、たとえ主人の命令でもこれだけは聞き入れまいとする強固な意思が感じられる。
 インテグラは観念したように目を閉じると、ふっと口元を緩めた。
 「……そうだな。もう少し休ませてもらおうか……」
 ウォルターの態度に表面的な変化はほとんど見られなかった。だが、かすかな安堵感だけがひっそりと漂ってくるのがわかる。それがわかるのはおそらくインテグラだけであろう。
  ウォルターに助けられ再びベッドに身を横たえながら、インテグラは普段決して部下たちには見せない安らいだ表情で呟いた。
 「目が覚めたら、そうだな……なにか食べさせてもらえるかな……?」
 「かしこまりました。お嬢様。それではお休みなさいませ」
 そっとドアが閉じられる。ほとんど足音も立てずウォルターの気配だけが遠ざかって行くのを感じながら、インテグラはゆっくりと深い眠りへと落ちていった。



 寝覚めは――悪くない。むしろ最高と言える。
 昨日まで頭を締め付けていた痛みも、熱っぽさも、いまやまったく感じられない。身体全体にそこはかとないけだるさのようなものが残っているが、これは寝疲れによるものだろう。喉もとの違和感だけが多少残っていたが、それ以外は全快したと断言できる。
 インテグラはベッドから上半身を起こすと、少しばかりの眠気を残してあとはすっかり軽くなった頭を動かして窓のほうへと目をやった。さわやかな朝の光がカーテンの隙間からもれてきている。
 コンコン
 反対方向からドアをノックする音。
 「インテグラ様?」
 続いて聞こえてきたのはウォルターではなく若い女性の声だった。
 「よろしいですか?」
 「ん」
 寝巻きのしわを伸ばしながらインテグラは返事をした。まだ喉が本調子ではなかったため、とっさにはくぐもった声しか出なかったが、向こうには充分伝わったようだ。
 「しつれいしまーす!」
 やがてエロンドレスをまとった小柄な少女が、陶製の器が載った銀の台車を押して入ってきた。その手つきがどことなく危なっかしい。ヘルシング家に奉公中のメイドで、名はマチ子という。たしか今は婦警の身の回りの世話をさせているはずだが。
 こちらが何か聞く前に表情で気付いたのだろう、マチ子はメガネの奥のぱっちりした瞳に愛嬌のある笑みを浮かべて言った。
 「えへへぇ、ウォルターさん忙しそうにしてるみたいなんで、あたしが代わりにインテグラ様の朝ゴハン作ってきたんです」
 言いながらトレイに載った容器の蓋をあけると、中から暖かそうな湯気が立ち上った。食欲をそそる芳香が室内に広がり、インテグラの鼻孔をくすぐる。
 「あったかいオートミールですよ」
 「ありがとう」
 インテグラの口からは率直な感謝の言葉が放たれていた。
 が、その瞬間なぜかマチ子は硬直していた。
 「イ、インテグラ様……そ、その……声……?」
 不自然に表情を強張らせながら、震え声で聞いてくる。
 「ん?ああ……身体はすっかり良くなったんだが、喉の具合だけがな」
 インテグラはマチ子の態度をたしなめるでもなく、やんわりと教えてやった。自分ではよくわからないが、どうやら端から聞くとよほど変に聞こえるらしい。
 しかしその説明ではマチ子の表情を晴らすことはできなかった。
 「あ、いえ、その、なんていうかその……」
 マチ子はうろたえた目でこちらを見たりそらしたり、そわそわと落ち着かないでいる。片方の手はトレイを持ち上げたまま、もう片方の手を胸元でぎゅっと握り締め、必死で何かに耐えているようにも見える。
 これにはさすがのインテグラもただならぬ不安を感じた。眉をひそめてたずねる。
 「どうした?端から聞くとそんなにひどい声なのか?」
 「あ、あの、その……インテグラ……様、その声……いえその……なんて言ったらいいのかその……」
 マチ子は言おうか言うまいか決め兼ねているようだった。喉元に何か引っかかったような、あいまいな応対を繰り返す。
 「あの……インテグラ……様……その……」
 「どうした?はっきり言え!」
 いいかげんインテグラは苛立った声をあげた。
 マチ子もようやく覚悟を決めたようだった。壮絶な表情でインテグラをズビシ!と指差し、叫ぶ。
 「インテグラ様!」
 「なんだ!?」
 「声がムスカになってますよーッ!」
 「なにィーッ!? (声:寺田農)

  精神的衝撃に続いてインテグラに襲いかかったのは物理的衝撃であった。勢いあまってマチ子が放り投げてしまった器は、空中でいびつな放物線を描いたのち、その煮立った中身をインテグラの頭上にぶちまけたのであった。
 「ずわぢゃああああぁァアアアアッッ!? (声:寺田農)



 「アーッハッハッハッハッハッハ!キャハハハハッ、ハヒーッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
 局長室の床の上を、婦警が文字通り笑い転げている。仰向けになったり、うつ伏せになったり、横向きになったり、跳ね回ったり――
 インテグラは机の上に肘をのせて両手で顎を支えながら、不機嫌顔でそれを見下ろしていた。あれから半日。いつもの黒スーツに身を固め、仕事に復帰しているわけだが。
 「……おい (声:寺田農)
 「キャーッハッハッハッハッハッハッ」
 「おい (声:寺田農)
 「ヒヒヒャハハハハハハハハハハハハ」
 「おい!! (声:寺田農)
 椅子を蹴って立ち上がり大声で怒鳴りつけて、ようやく婦警は床上回転運動を停止した。きょとんとした顔で、インテグラを見上げる。
 「いつまで笑っているつもりだ? (声:寺田農)
 だがそう注意した途端、婦警はまたブッと吹き出す。
 「ぶッハァーッハハハハハハハハハハハハ!やッ、やめッ、やめてくださいイヒヒヒンテグラ様やめてお願いしゃべらないであたし死ぬッ死んじゃう笑い死んじゃうもう死んでるんだけどこれ以上死んじゃうとあハハハハハハハハハハハハハ!」
 「いい加減にしろッ! (声:寺田農)
 「ハヒーッヒヒヒヒヒヒヒヒ!!やッやめてくださいってば!ムスカッムムムムムムムスカッムスカァーッハハハハハ!」
  婦警はしまいには涙を流して大笑いしながら、床をバンバン叩き出した。
 「……ハァ…… (声:寺田農)
 インテグラは諦めの表情を作ると、なにやら酷い疲労感を覚えて椅子に身体を沈めた。頭を抱えてため息をつく。
 「……なあアーカード (声:寺田農)
 横あいの壁にもたれかかっているアーカードを、ちらと横目で見る。返答は待たずに彼女は続けた。
 「私は今までも『男?』とか『モンティナ・マックス?』とかいろいろ言われてきたが、いくらなんでも『ムスカ』はひどすぎるんじゃないか……なあ?」
 アーカードは何も答えてこなかった。腕組みしてうつむいたまま、こっちを振り向こうともしない。
 「……アーカード (声:寺田農)
 「……」
 「お前笑ってるだろ? (声:寺田農)
 数秒の沈黙、
 そして、
 「……プッ」
 アーカードの肩が揺れた。
 「アーカードおまえもかぁーッ!? (声:寺田農)
 「クッ、クハハハ、クハックハハハッ、よっ、よせインテグラそれ以上しゃべるなハハッ、おっ俺のクールで寡黙なイメージがハハッ、ククッ、ククククククク」
 それでも壁に頭を押し付けながら必死で笑いをこらえようとしている分だけ、アーカードのほうがマシかもしれない。婦警など笑いすぎで、いまでは床に横たわったまま全身をピクピク痙攣させるところまできている。
 「はぁ〜〜 (声:寺田農)
 インテグラはもう怒りを通り越して、泣き出したい気分にさえなってきた。でもムスカ声でそれはいただけない。
 「はッ、はッ、はあッ、はあッ……イッ、インテグラ様」
 婦警もようやく笑いやんでくれたらしい。フラフラしながらこちらに歩み寄ってきた。インテグラがにらみつけるのにもかまわずに、婦警はおぼつかない手で胸ポケットを探ると、何かを取り出してきた。
 「はあ、はあ、これッ……かけてください」
 それはなんの変哲も無い、楕円形のレンズをした眼鏡であった。
 質問する間も、ましてや拒否する間すらなく、婦警はインテグラが今かけている眼鏡を強引に外してそれと取り替えてしまった。そして、
 「プウッハァーッ!」
 また豪快に吹き出す。
 訳が分からずにいるインテグラの新しいメガネをかけさせられた顔を指差して、ゲタゲタ笑いながら婦警は口走った。
 「ムッ、ムスカッ!ムスカメガネッ!」
 「何? (声:寺田農)
 「そッ、それッ、ムスカがかけてたのと同じメガネなんですよプハァーッハッハッハッハッハッハ!」
 「な……! (声:寺田農)
 「ハヒーッヒッヒッヒッヒッヒ!ケッサク!ケッサクですインテグラ様!いまのインテグラ様サイコーにムスカってます!これ以上はないってほどにムスカって感じですプハーッハハハハハハハハハ!」
 しまいに足元をもつれさせて転んだ婦警は、三度床の上で転がり始める。
 殺「シャー」!
 胸の内に確かな殺意を覚えつつ、インテグラは懐へと手をやった。そこに収められている拳銃を力いっぱい握り締める。
 と、震えるその肩にポンと誰かの手がのせられた。
 振り返るとそこにアーカードの微笑があった。彼は何も言わずそっと手を差し伸べると、インテグラの顔からムスカメガネを外してやった。そして口元にほんの少し、白い歯をのぞかせる。
 「アーカード…… (声:寺田農)
 インテグラの胸に、思わす熱いものが込み上げる。
 はずしてくれたのか?このメガネを、ムスカメガネを?ああ、お前も一緒に笑ったりはしたが、本当は気を遣ってくれてるんだな……
 と、アーカードのもう片方の手が奇妙なサインを示しているのが、インテグラの目に入った。握り拳から人差し指と中指を突き出した形。何の事はない、よく見かける――
 Vサイン?いやピースサインか?
 次の瞬間、そのどちらでもないことを、インテグラは身をもって知らされた。
 アーカードの二本の指先はインテグラの両目にもろに突きてられていた。
 「ぐはあッ!? (声:寺田農)
 目潰し。
 なんの脈絡もなく、理不尽に、突然襲いかかってきたた激痛に、インテグラは両目を押さえて仰け反った。
 「目がぁ!?目がああぁーっ!? (声:寺田農)
 「あーッ!それムスカのセリフ!」
 混乱しかかった意識の隅に、しかし婦警のやけに嬉しそう声だけがはっきりと聞こえてくる。
 「今のって、映画のラストでパズーとシータが滅びの呪文を唱えた時のムスカのセリフですよね!?すごいですマスター!マスターも『ラピュタ』観てたんですね?」
 「フッ、まあな。この台詞を言わずしてムスカとはいえんだろう」
 「さっすがマスター!」
 「はっはっは」
 「お…… (声:寺田農)
 両目を押さえてよろめくインテグラを無視して、婦警とアーカードの会話は続く。
 「ね、ね、マスター、インテグラ様にほかのムスカセリフも言ってもらいましょうよ。『見ろ、人間がゴミのようだ!とか』」
 「ん、なかなか目のつけどころが良いな」
 「でしょでしょ?ね?インテグラ様?」
 「お、お、お…… (声:寺田農)
 「インテグラ様?」
 ようやくこちらに注意を示したらしい婦警がにすっと手を差し伸べてくる。
 「お前らぁーッッッ!!! (声:寺田農)
 ただでさえ真っ赤に充血している両目を血走らせながら、インテグラが婦警に飛び掛かったのはほぼ同時であった。
 「キャーッ!?ムスカが怒ったーッ!?」
 「ムスカ言うなぁーッ (声:寺田農)
 ドカーン!
 「きゃあああああああ」
 「私ゃ寺田農かっつーのーッ」
 パリーン!
 「ギャース!」
 「まあまあやめんかい」
 「チェストーッ!」
 「あああああああああ」
 「ギャオース!」
 「……!」
 「……ッ!……ッッ!……!」
  ヘルシングの夜は騒々しくも更けて行く……



 翌朝――
 を通り越して、翌夜。
 彼の一日は夜はじまる。
 アーカードは地下に据えられた自室のベッドの上で眠りから覚めた。むろん棺桶などといった無粋なものではない。ちゃんとした人間用の普通のベッドだ。寝返りだってうてる。実際そうしながら、アーカードは含み笑いをもらした。
 昨日はなかなかに愉快だった。たまにはインテグラをからかってやるのも面白いものだ。しかしだからと言って何もハルコンネンまで持ち出すことはなかろうに。婦警なんか当分元には戻らんぞ、あれは。……まあかなり怒ってたようだし、仕方ないか。しかしそれにつけても――
 やけに体がだるい。昨日は随分と派手に撃たれまくったからな。それに頭も重い。頭に打ち込まれた銀の弾丸がまだ残ってるのか?そしてノドの痛み……
 ――ひょっとしてこいつは風邪と言うやつか?どうやら昨日のバカ騒ぎの間に、インテグラにうつされてしまったらしい。
 情けない。ノーライフキング――不死の血族ともあろうものが人間のウィルスに感染するなど、とんだお笑い種だ。これではインテグラのことをとやかく言えない。
 「……まったく」
 アーカードはいまいましげに呟いた。
 と、奇妙な違和感。
 「誰だ?」
 アーカードは頭の痛みを無視して、ぐるりと室内を展望した。一通りで見渡せる、これと言った調度も無い、簡素な部屋。
 気のせいか? いや、たしかに今誰かの声がした。自分以外の誰かの声が。
 ……いや。
 アーカードは今度は頭に響かない程度にゆっくりとかぶりを振った。今この部屋に自分以外の誰かがいるはずなどない。そもそも気配が無い。聞こえてくるのも、自分の声以外にありえない。そう、いま喋ったばかりの自分の声――
 ……自分の声?
 「まさか……」
 いや、間違いない。アーカードは確信した。
 「な……!」
 なんてこった!
 「なんかオレの声かわいくなっちまってるうゥーッッ!? (声:小桜エツ子)」


ギャフゥン
END




 ムスカ…スタジオジブリの名作『天空の城ラピュタ』の敵役にしてニヒルなオヤジキャラ。
 知らない人はいないと思うけど、例えるならエヴァのゲンドウのようなオヤジっす。声がシヴイんですな。
 しっかし…おもいろい、面白すぎるよ!! インテグラがあのムスカ?! ぐっは!(吐血) 良い! 良すぎる!! ヘルシングSSの中でも最高峰に入る作品ですよ,これはぁぁ!!
 お嬢ファンにはそれこそ「目がァァ」て感じかもしれないけど(笑)。
 ありがとぉ!! サカエダさん!! 見事にムスカってますぜ!!
 アーカードを最後にお茶目にキメてるところが、さらにGood!!

1999.5.17. 自宅にて by 元.

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