局長の憂鬱
黴臭い、どんよりとした風が流れる。
3人は廃墟と化している、ロンドン郊外の森の中に立つ洋館の前にいた。
月明かりと一つのランタンのみが唯一の光の暗闇の世界。
「敵は吸血鬼2,喰人鬼10と推定される。武装レベルはともにDだ」淡々と語るのは長い金髪を後ろに流した女性。荒廃したこの場にそぐわぬ,貴族特有の高貴さを身に纏っている。
そのハスキ−な彼女の声に、黒ずくめの男がサングラス越しに答えた。
「メシ前の運動にもならんな」吐き捨てるように言うと、懐から銃を取り出す。
「まぁ、こいつの練習にはなるか…」重量16kgの黒身のそれを手の中で廻しながらアーカード。
「あのぅ、高級レストランでディナ−っていうから付いてきたんですけどぉ」
その後ろから、おずおずと声を挙げたのは婦警姿の女性である。
そんな疑問に金色の髪の女性・インテグラは、彼女には珍しく聖母のような微笑みを浮かべて、きっぱりと答えた。
「ああ,これが終わったら王立病院で採れたての血を用意させてあるぞ」
「いらないですぅ〜」ただ、涙,涙。
「ん?」そんな婦警は足元に生まれた感触に視線を下に向ける。
「あ、子猫?」
黒い小猫が婦警の足元に、甘えるように絡み付いていた。婦警はそのまま小猫を抱き上げる。
ゴロゴロゴロ…
「かわい〜い,喉鳴らしてるぅ」頬を寄せる婦警。
「行くぞ、婦警」アーカードは彼女に振り返る事なく、スタスタと館に向かっていく。
「あ、待ってください,マスター!」婦警は小猫をその場に下ろし、彼の黒い背中を追いかけた。
「…」
館に入って行く二人を、インテグラは黙って見送る。
やがて、館内から銃声や叫び声がひっきりなしに届いてきた。それはやがて収束の方向へと向かい始める。
ミャ?
事体にそぐわぬ小さな声に、彼女は視線を下げる。
先程の子猫がインテグラを見上げていた。
しばらくの沈黙の後、インテグラはふいにしゃがむ。子猫に手を延ばす。
「…おいで」本当の笑顔。
ふぃ
子猫はしかし彼女に背を向け、館の入口付近まで逃げてしまう。
「…嫌われたものだな」笑顔は苦笑に。
と、その苦笑も凍り付く!
前方と後方に、瘴気を察知。
ガサリ…
草叢からそれぞれ一つづつの人影。
ただ食らうだけの欲望に動く怪物・喰人鬼だ。
後方の喰人鬼はまっすぐとインテグラに,前方の喰人鬼もまた駆け出し…
足元に立ち竦む小猫を発見する。小猫は喰人鬼の放つ人外の異様さに動けない様に思える。
立ち止まり、新たな獲物を見つける喰人鬼の口の端が釣り上がった。
前菜のつもりなのか。
「?!」インテグラは素早く懐から銃を取り出し、背後へ一発,二発,三発…
何かが倒れる音が背後に一つ。
前方の喰人鬼が振り上げる爪は、足下の子猫へ!
「チィ!」銃を投げ捨て、腰の剣を抜きつつ喰人鬼にスライディング・タックル!
振り下ろされる爪!
胸に子猫を抱き、インテグラは剣を横にないだ。
「クゥ!!」肩口に走る痛み。赤い雫が頬にまで飛ぶ!
喰人鬼の顔が、鼻の上を境に横にズレ、上半分が嫌な音を立てて地面に落ちた。
「私らしく、ないな」インテグラは胸にしっかりと捕まって、脅える子猫の頭を優しく撫でる。
「どうしたんですか、局長! その血は?」
「返り血だ、首尾はどうか」婦警の心配を軽く受け流し、インテグラは報告を求める。
「問題ない。やはり運動にもなりはしないな」その黒い服には赤いものが一つもなかった。
「局長、怪我されてるのでは?」
「返り血だと言っているだろう」溜め息一つ。
「だって…血の匂いがします」しかし婦警は食い下がらない。
「血も飲めない吸血鬼がよく言うな…」
「だ、だって…」
「撤収だ,王立病院でレアなRH−の血を飲ませてやる」
「ほぅ、楽しみだな」
「いや〜」その夜、婦警の悲痛な叫びが、郊外の森に響いていたという。
森の中から、二対の目が光っていた。
そのうち一つは、彼女らが去り行くまでじっとその後ろ姿を見つめていた…
Fin
これはさとをみどり氏のHP『Sang Pour Sang』祝一般公開記念として奉納したものです。
閉鎖の為に、再びここに掲載致しました。