Valentine Presents
その日は2月の中頃だったような気がする。
異臭がした。
アーカードは普段、あまり変わらない表情に不快なものを示す。
感覚が人並み以上の彼は、嗅覚においても除外できる訳ではないのだ。
50名近い王立国教騎士団の隊員を有するヘルシング邸の廊下,彼はその一番奥にある執務室に向っていた。
「入るぞ」ノックも無しに両開きの扉を押す彼。
趣味の良い調度品でまとめられた部屋の中には、しかし執事の老人が一人いるだけだ。
「? 如何いたしました? アーカード様」慇懃に頭を下げ、尋ねる老紳士。
それにアーカードは小さく頷くと屋敷を漂う異臭について尋ねる。
「?? 異臭でございますか。私には何も…調べてみましょう」
「その前に、インテグラは何処へ行った? 婦警も昨日から見ていないのだが」
「インテグラ様ならセラス様と厨房に朝から篭っておりますが」
「厨房・・・?」
「はい、厨房です」
「厨房か」
「厨房ですな」
「…」
「…異臭,ですね」
「偶然か?」
「そうあって欲しいものです」
「「…」」
所変わって某国イスカリオテ13課。
「むぅ!」
「どうした? アンデルセン」
小さな境界,体躯の良い中年男が眉を寄せて唸るのを、老人が尋ねる。
「身の危険を感じたような気がする。そこはかとなく恐ろしい、何かがこの世に生まれたような、な」
「この国にではなかろう? 異教徒が死ぬぶんにはかまわん」
「それもそうだ」
そういう訳でもなかったりするんだなぁ,これが。
「ゴクローさまです!!」
「しっかり頑張るのだぞ」
詰所,ヘルシング隊員達に二人の女性が箱に入った何かを配り歩いていた。
「仕事、ご苦労」インテグラは通信機で何かを読み取っていた隊員の背に声を掛ける。
「?! 局長! ご苦労様です!」ビシィ,敬礼する若き隊員。
その彼の手に小さな箱が置かれた。
箱は赤い飾り紙で奇麗に包装されており、赤いリボンなんぞがかけられていたりする。
「? 局長,これは?」首を傾げ、隊員。
それにインテグラは、照れたように目線を彼から小さく逸らして、ぶっきらぼうに答える。
「セラス婦警の奴のアイデアでな,忙しいヘルシング隊員にバレンタインのチョコレートでも配ったら、皆喜ぶのではないかと言い出しおってな…」語尾の方は柄にもなく消え入りそうな声で告げた。
隊員もまた、つられたように顔を赤らめるながら答える。
「あ、ありがとうございます,そのお心遣いだけでも、我々に元気が出ます!」
「ふむ、そうか。では、がんばれよ」
「はっ!」
インテグラは満足そうに頷くと、次の隊員へと声を掛けた…
対する婦警は。
「おっつかれさんです! 精が出ますね!」射撃訓練をしていた隊員の一人にそう、声を掛ける。中年を過ぎた、燻し銀の魅力のある男だ。
「おぅ、セラス嬢ちゃん,いつも元気が良いな!」
「はい!」怒涛のように箱を手渡す。
「なんだい、これは?」首を傾げる隊員。
「バレンタインチョコレートですよぉ。私とインテグラ様とで作ったんですよ,近頃忙しくて疲れてますから、これで少し元気出してもらおうと思いまして」
「ありがとよ、そんなセラス嬢ちゃん見てるだけでも、元気が出てくるよ」
「ありがと!」
元気に答え、セラスもまた次の隊員に向って箱を手渡していた。
「厨房で何をやっているか分からんが、大事にならんうちに辞めさせるべきだろう」
「そうでございますな」
二人の意見がそうまとまった頃である。
執務室の扉が開いた。入ってきたのは二人の女性。
「やっぱりここでしたね」
「思った通りだな」セラスの言葉にインテグラが頷く。
「お嬢様,厨房で一体何を…」
ウォルターが何かを言う前に、当の彼女から箱が手渡された。
「何でございましょう??」
「バレンタインチョコレートというものだそうだ。ウォルター,これからも健康に気を付けて、私をサポートしてくれよ。これでも食べて精をつけてくれ」
「お嬢様…」
いつになく優しい瞳のインテグラの言葉に、好々爺と化したウォルターの目頭に熱いものが込み上げる。
「このウォルター,お嬢様が立派に嫁入りするまでは決して耄碌いたしませぬ!」
「…そ、そうか」ちょっと痛いところを突かれたか,インテグラ?!
一方、セラスは…
「何だ,これは?」
怪訝にセラスに差し出された箱を受け取り、眺めるアーカード。
「き、今日は2/14ですから」先程とは違い、婦警はしどろもどろと言葉を紡ぐ。
「?」
「べ、別にマスターに気があるとか、そんなんじゃなくて…いつもお世話になってますし」
「なんだか良く分からんが、そうか?」
「…はい。これからも…これからも私なりに頑張りますので宜しくお願いしますね」
不思議なものを見るようなアーカードに、婦警はこれまでにない微笑みを向けていた。
相手の心を思う、優しい微笑みを…。
翌日、隊員の全員が謎の食中毒で倒れたというのは、あながちこの二人が原因ではなかろうか?
「ヘルシングが機能していないようだ」
「ほぅ」
某国イスカリオテ13課、老人は神父にそう告げた。
「お前の言った身の危険,といった奴が奴等を襲ったようだ」
「そいつは気味が良いな」鼻で笑うアンデルセン。
「神父様ぁ〜」
背後から子供の声が近づいてくる。やがてその声の主はアンデルセン神父の胸のうちに抱き付いた。
「どうしたのかね?」
「荷物が届いたよ!」言って子供が彼に一つの掌大の荷物を手渡した。
差出人の名前は不明だ。
「ありがとう」神父は子供の頭を撫でる。子供は満足そうにうなづいて走って去っていった。
アンデルセンは荷物を開ける。するとそこには…
『いつもお忙しいアンデルセン様江』という女性の字とともにチョコレートの包みが一つ。
「ほほぅ、羨ましい限りだな」老人が神父を冷やかす。
アンデルセンは小さく微笑み、手作りと思われるチョコレートを一摘み。
「どうぞ」
「ああ」老人にも差し出した。彼もまた、一つまみ口に運ぶ…
「「ギニャ〜〜!!!」」
ギャフン
END