トランクに二日分の着替えと荷物を詰め込む。
 「え〜と…あとは…」
 彼女は部屋を見渡す。ややジメっとした窓のないコンクリ床の部屋。
 タンスに机,クローゼットに、そしてベット…はなくあるのは棺桶一つ。
 ヘルシング隊員・セラス=ヴィクトリアの私室である。
 「さて」
 部屋の主は薄地のトレンチコートを羽織ると、トランクを手に部屋を後にした。
 無人になった棺桶のある部屋は直前までと同様に、生命の息吹はない…


Siesta



 西の空は仄かに明るい。そこを起点にしてオレンジから暗紫色のグラデーションが頭上に広がっていた。
 夜風が、涼しすぎる。短かった夏がもう終わっていた。
 彼女は背後の邸宅に一度振り返り、見納めると前を向いて歩き始めた。郊外に位置する邸宅,HELLSINGロンドン本部であるここ一帯にはタクシーはおろか、一般者の通行もない。
 プ、プ〜
 しばらくの後、彼女の背後からそんなクラクション音と車のエンジン音が聞こえてきた。
 「あ…」
 彼女は足を止め、それに振り返る。
 後からやってきた一台のジープが、トランク片手の彼女の横に止まった。
 「よっ、嬢ちゃん,乗せてくぜ」
 「ベルナドットさん?」
 彼女,セラスは傭兵をしばらく見つめた後、ジープの助手席に乗り込んだ。
 ガゥン
 動き出す。
 「ロンドン駅まででいいか?」
 「あ、はい」
 切る風の冷たさに、セラスはトレンチコートの胸のところで手を合わる。
 「旅行か?」
 そんなセラスに、ベルナドットは声を掛けた。
 「ええ、短いですけどお休み頂いて」
 「どこ行くんだい?」
 「えと…故郷を覗いてこようと思いまして…」
 「ふぅん」
 やがて車は一般車が行き交う一般道らしいところまでやってくる。
 同時に道路に沿って民家や家が増えていった。
 「故郷に帰って、家族に会うのか?」ボソリ、ベルナドットは思い出したように口にする。
 「え…いいえ」それにセラスは困った様に首を横に振って続ける。
 「私は死んだ事になってますから…あ、いえ,死んじゃってるんですけどね」寂しそうに笑って、彼女はベルナドットを見た。
 「止めた方が良いぜ,嬢ちゃん」
 厳しい顔をした彼は、前を見たままハンドルを軽く右へ。前を行くトラックを追い抜きながら呟く様に言う。
 「どうしてです? ベルナドットさん?」
 「余計辛くなるだけさ,俺の様になりたくなければ、止めておけ」苦笑いして答えて、ベルナドットは包帯で隠した左目を上から掻く。
 「辛くなるって…その左目ですか?」上目がちに、彼女は訊いた。
 「あ、いや、これはただの『ものもらい』。なかなか治らなくてな」
 「そうなんですよね〜,クセになっちゃうって言うか…って違います!」
 ほのぼのしかけた空気を取っ払うセラス。
 「…見なくて良いものを見ちまって、見る前の方がまだ良かったってコト,あるだろう?」
 「でもそれは見てみてないと良いか悪いかは分かりませんよね」
 「……違いねェ」
 クスリ,顔を見合わせて笑う二人。車はロンドン市街に入り、そしてロンドン駅に到着。
 ジープはタクシーターミナルに横付けされた。
 「ありがとうございます、ベルナドットさん」ペコリ、頭を下げるセラス。
 ベルナドットはしかしそれに苦い顔を浮かべた。
 「どうでもいいが堅苦しい呼び方だな,ベルでいいぜ」
 「ベ、ベル??」
 「もしくは俺の仲間が呼ぶ様にダンディーなベル,略してベルダンディーでも構わん」
 あるキャラと目の前の男が重なって見え…ない,相似点が全くなかった。
 「ベルで許してください…」涙ながらのセラス。
 「あ、そうそう! ちょっと待て!」
 ベルナドットはトランクを手にしてジープを降りたセラスに慌てて声を掛け、ジープの後方座席をあさる。
 探し当てたのは小さな紙袋。
 それをセラスに投げて渡す。
 「何です? コレ?」
 「局長閣下からのプレゼントだとよ。昼間、幾ら夏が終わったからって言っても厚着は変に見えるだろ?」
 ベルナドットの言葉を聞きながらセラスは紙袋を開ける。
 ファンデーションが一つ入っていた。インテグラの指示によるものなのであろう,オリジナルな銘柄のそのコンパクトのフォルムはシンプルでいて且つ飾り気もある。
 コンパクトと一緒にインテグラの書いた物であろうメモが同封されていた。
 『UV遮断の効果がある。化粧くらいしろ,セラス』
 日常の言葉をそのまま文字にしたそれに、セラスはクスリと笑みを漏らした。
 「それじゃ、ベルナドットさん,行ってきます!」
 セラスは手を振ってジープの上の同僚に言い、駅の中へと消えて行った。
 「…ベルって呼ぶんじゃねぇのか?」
 やや憮然としてベルナドットは呟き、そして軽く笑ってアクセルを踏んだ。



 「あ…」
 「セ、」
 「セラスぅ?!」
 駅を降りていきなり、セラスは二人の男女と鉢合わせ。
 セラスは己の失態に,二人は死んだものを見るような,というか死んでいるのだが、そんな驚きに立ち尽くしていた。
 セラスは昨夜のロンドン発の夜行に乗って今朝、故郷であるこの地に辿りついたのだが、インテグラお墨付きの特製ファンデーションを付けたとはいえ、やはり朝日はサングラス越しでも厳しかった。
 そんなフラリと駅を出て油断した、丁度その時であった。
 「メイリィ…それにクローズ?!」
 メイリィはセラスのジュニアハイスクールからの幼馴染み,赤毛の綺麗な女性だった。
 そして隣のクローズもまた、メイリィと同じ頃から知り合ったユダヤ系の青年である。当時メイリィと付き合っていることから知り合った、セラスの数少ない男性の知りあいだ。
 「アンタ…死んだんじゃ…」あんぐり口を開けたままのメイリィに、一早く我に返ったセラスは慌てて首をブンブン横に振った。
 「わ、私はただの旅行者ですぅ,あなたの知ってるセラスさんとは似てても全然他人,っつうか、誰です? それは? そんな訳で、じゃ!」
 シュタ! 手を挙げて走り去ろうとするセラスの腕を、青年が捕らえる。
 「あわわわ…」ジタバタとセラス。ゆっくりと後ろを振り返ると、真剣な表情のクローズの視線が刺さっていた。
 「やっぱりセラスか…一体どういうことだ?」サングラス越しに、セラスの視線を捉えて青年は詰問。その間にメイリィがセラスの残る片方の腕を捕まえていた。
 「え、ええと…あの、その…」
 セラス,あっけなく知人に拘束。a.m.9:00のことだった…



 『また少女が行方不明・チューダース村』
 カラン,アイスコーヒーの氷が溶けて、音を立てる。
 シロップが下に,ミルクが上に,三層がその衝撃でゆっくりと混じり合い、その境が琥珀色になる。
 バサリ,前の客の新聞が紙送りの音を立てる。
 『今月に入って4人目の行方不明。二年前の連続殺人魔の再来か?』
 ”物騒な世の中…でもあれから一年かぁ”
 ふぅ、セラスは小さく溜息。
 前方5mの客の読む新聞の文字が、今の彼女にははっきりと見えていた。人間離れした視力だった。
 セラスがアーカードにより吸血鬼として生を取り止めたのは丁度一年前,この地でのことだった。生を取り止めたのか,いや、すでにその時点でセラス=ヴィクトリアは戸籍上・法律上で『死』に、現に彼女の体に流れる血は冷たい。
 ”死んじゃってるのよね、私…”
 ふぅ、二度目の溜息。
 セラスは気を取り直して顔を上げる。
 そこには彼女の一挙一動を逃さんとする二人の男女がいた。
 ここはチューダース村・駅の近くの喫茶店。
 二人の知人に拘束されたセラスはそのまま近くのここに連れ込まれたのである。
 「ところでメイリィ,私の家族は…元気?」
 セラスは戸惑いながら、目の前の赤毛の女性に尋ねる。
 「ええ。また子供作ろうかって張り切ってたわよ」
 「そ、そぉ…」
 「うん!」笑顔でメイリィ。それはしかし昔からよく見た彼女の気遣いだと、すぐにセラスは気がついた。
 アイスコーヒーのストローに唇を濡らす。
 「実家には帰らないほうが良いな」クローズがはっきりとセラスに言い放つ。
 「な、なんで!?」
 「「アンタ、ドジだから」」口を揃えて二人は言う。
 「あう…」現に二人に見つかった実績があるだけに反論できないセラス。
 「親父さんに見つかってもみな,心臓止まるぞ」
 「それに…帰って来らんないんでしょう?」
 メイリィの言葉に、セラスは無言で頷く。
 苦しい無言が三人に落ちた。
 再びセラスはアイスコーヒーのストローを咥える。
 「セラス,私達…」
 「ん?」メイリィの沈黙を破った言葉に、セラスは顔を上げる。
 「私達、結婚したの」
 「ぶっはぁ〜!」
 アイスコーヒーを二人に向かって噴出すセラス。
 「うわ、きったねぇ!」
 「何すんのよ〜」
 「な、な、な…いつ?! どうして私を式に誘ってくれなかったの?!」
 「「ちゃんとアンタの墓に報告したよ」」
 ハンカチでコーヒーまみれの顔を拭きながら、二人は非難がましくセラスに答えた。
 「あ…そか,私、死んでることになってるしね」彼女は苦笑い。そして背を伸ばして二人に微笑みかける。
 「改めて、結婚おめでとう! メイリィ,クローズ!」
 「ありがとう,セラス」照れた様にクローズ。
 「それで今は二人は何処に住んでるの?」
 「この近くのアパートよ。クローズの仕事先の近くだからね」
 「あれ?」セラスはメイリィを思い出して首を傾げる。彼女はロンドンで働いていたはずだが…
 「仕事は辞めたの。子供と三人で故郷で過ごすのもいいかなって思ってね」
 「へ…?? もしかして」
 「そ、来年かな」メイリィは嬉しそうに微笑んで自らの腹部をさする。
 「おめでとう、ホントに…なんか私だけ時間が止まってるみたい…」嬉しそうに笑いながらセラスは言う。しかしその笑みはやがて心の中では苦いものに変わる。
 ”そか…私はもう時間からも外れちゃってるんだね…”
 セラスはもぅ老いる事はない。死ぬ事もない。一年前のあの時、不老不死を得たのだ。
 同時に変化というものを失った。メイリィの様に母になることもなければ、愛する人と共に老いて行く事も出来ない。
 「セラス,詳しくは訊かないけどさ…」笑みが失せ、メイリィは真剣な表情でセラスに身を乗り出す。それにセラスはハッと我に返った。
 「なに?」
 「アンタ、今は幸せなの? 死んだと偽って全てを捨てて、それに見合うだけの幸せが今のアンタにあるの?」
 「…うん」セラスは瞬考の後、小さく頷いてアイスコーヒーに三度口をつけた。
 「辛かったら、戻ってきたらいいさ」
 「え…?!」不意なクローズの言葉に、セラスは目を見開く。
 「誰もお前を拒んだりしない。今日、お前に会ったことは俺達二人の胸にしまっておく。でもな、お前が戻ってきたいんなら遠慮はするなよ。皆、待ってるからさ,親父さんにしてもお袋さんにしてもな」
 「う、うん…ありがとう」
 コトリ,アイスコーヒーをテーブルの上において、セラスは呟く。
 ”その言葉だけで、十分だよ…”暖かいものを感じながら、彼女は胸を押さえた。
 「じゃ、今日はひっさびさに三人揃って遊び歩きましょうか!」
 メイリィの嬉しそうな声。
 「「お〜!」」セラスとクローズはかつての学生時代に戻って声を合わせた。



 「すっかり遅くなっちゃったね」
 「汽車、間に合うか?」
 「夜行だから大丈夫だよ」
 夜道を走りながら、三人は市街に向かっていた。
 あの後、チューダース村市街を歩き回り、セラスの希望もあって昔遊んだ郊外の森や川に足を運んだのだ。
 お陰で日はとっぷりと暮れ、天の満月だけが唯一の灯りとなっている。
 「ん?」
 セラスは気配を感じて足を止める。
 「どうしたの?」
 メイリィ,クローズもまた不意に立ち止まったセラスに合わせて立ち止まる。
 ガサリ,道の脇に生える丈の高い草が鳴った。
 ”何? この嫌な感じ…これって…”
 「メイリィ,クローズ! 私の後ろに!」
 セラスがそう叫ぶか否や、草むらから飛び出す影4つ!
 それは三人を取り囲んだ。月明かりに曝される4つの影。
 「「?!」」
 それを見た瞬間、メイリィとクローズはあまりの常軌を逸した状況に硬直。
 セラスの脳裏に今朝の新聞の見出しが浮かぶ。そう、あの記事は確かに一年前の事件の再来であったのだ。
 目の前の4人は腐りかけた死体,食人鬼だった。
 「「うおぉぉん」」自我があるのかないのか、4人は包囲の輪をじっくりと狭めて行く。
 「いやぁぁ!!」我に返ったメイリィが、叫ぶ。
 「来るな!」クローズがそれを守る様にグールの1体に殴りかかる!
 グシャ,何かを潰した音とともにクローズの右の拳がグールの頬に叩きこまれ…そのまま腕が掴まれる!
 メキィ
 「ぐわぁぁ!!」クローズの腕が途中でおかしな方向へと曲がる。グールの握力にへし折られたのだ。
 「いけない!」セラスは目の前のグールに、常人を逸した速度の手刀で首を切断すると、クローズを掴むグールの額に拳をぶちこむ。
 グールはクローズの腕を離してそのまま後へと倒れて行く。
 それが倒れ伏す頃、セラスは残る二体も同様に葬り去っていた。
 「一体…何? 何なの? セラス!?」メイリィは腕を押さえるクローズを後から抱きしめながら、息切れ一つしないセラスを見上げる。
 月明かりを背に、セラスの瞳が金色に輝いていた。
 「セラス…」美しい,メイリィはそんな場違いな単語が脳裏に浮かび、慌てて否定。
 「吸血鬼なのですよ,彼女は」
 「誰?!」突然の聞いた事のない男の声に、メイリィはビクリと震える。
 霧が、セラスの背後に生まれていた。それが瞬時に形を作る!
 「セラス,後!」
 「え…」振りかえるが遅し,セラスは黒衣の男に羽交い締めにされる。
 「く、くそ!」セラスはもがくが、拘束は解かれない。
 黒衣の男は20代後半くらいであろうか,痩せぎすな目だけギラギラしている吸血鬼だった。
 「霧にも蝙蝠にも姿を変えることが出来ないのか…もしくは変えるのが嫌なのか」男は身構えるメイリィとクローズを眺めながら、呟く。
 「どの道、人間と馴れ合う吸血鬼など不用!」男の左手に木の杭が生まれ、セラスの胸にゆっくりと突き立てられる!
 「う、うわぁぁぁ!!」苦悶のセラス。
 「セラス!」赤い飛沫がセラスを,吸血鬼の手を濡らして行く。メイリィは吸血鬼に体当たりをかます!
 すぅ…
 「きゃ!」
 あるはずの感触がなく、メイリィはそのまま地面に転がる!
 「通り…抜けた?!」まるで霧を掴んだような感触のなさに彼女は困惑する。
 「セラス!」クローズは腕の激痛に顔をしかめながら、立ち上がった。
 羽交い締めという無理な体勢からか、ゆっくりとではあるが男の手に握られた木の杭がセラスの胸に沈んで行く。
 「くそぉぉ!」クローズは足元の石を黒衣の吸血鬼に向かって投げ放つ!
 ガコン!
 「痛ったぁ〜」涙目のセラス。またしても男を通り抜け、セラスの後頭部に直撃した。
 「私に触れる事などできぬよ、人間ども」不敵に笑いながら黒衣の吸血鬼。
 「すぐにこの出来そこないを始末して貴様等を食らってやるわ」
 吸血鬼から放たれた見えない覇気が、メイリィとクローズをその場に縛り付ける。
 「させない!」セラスは叫び、空いた足で足払いをしかけるが…やはりそれは空を切った。
 「死ね…」黒衣の男の小さな呟き,杭が押し込まれ…
 バキィィン!
 空をつんざく炸裂音!
 「っち!」
 セラスの束縛が外れる,彼女は誌面を転がり、胸の杭を抜く!
 冷たい血が流れ、やがて止まる。
 ザッ,足音を背後に聞き、セラスは振りかえる。
 「生きてるかい? お嬢ちゃん」
 「ベルナドットさん…」
 「ベルって呼びな」ニカっと帽子の下に笑みを浮かべると、ベルナドットは目の前で左手を押さえる黒衣の男に構えたショットガンの引き金を引いた。
 ガウン!
 一発,吸血鬼の腹に炸裂。
 ガゥン!
 二発,右肩を散らせる。
 ガゥン
 三発,右足を飛ばす。
 「チィ,慣れない銃は使うもんじゃねぇな」弾の切れたショットガンを放り捨て、懐からベレッタを取り出す。
 「…この威力…銀の弾か,小僧」霧だろうが再生の効かないダメージに黒衣の男は苦笑を漏らしながらベルナドットを睨みつけた。
 「ランチェスター大聖堂の銀十字錫溶して作った13mm爆裂鉄鋼弾だ。こいつ食らって平気な化物はいねぇよ…ってあの人の受け売りなんだがなぁ」ベルナドットは額に汗しながら呟く。目の前の男はさしたるダメージがある様には思えない。
 「まぁ」男は足元の小石を拾う。
 「人間にしてはよくやる方だな」それをベルナドットに向かって弾く!
 ドン!
 「ぐぁ!」右肩に高速で飛来したそれを埋め込まれ、ベルナドットは後ろにもんどりうって倒れる!
 「ベルナドットさん!!」駆け寄るセラス。
 「多少血を流しすぎた,補給させてもらう」黒衣の吸血鬼はそんなセラスとベルナドットには目もくれず、金縛りに会うメイリィとクローズに視線を移した。そこには余裕しかない。
 「ヤバイぜ、お嬢ちゃん…」ベルナドットは血に濡れた右手をセラスに差し出して、黒衣の男を睨みつける。
 「俺の血を飲みな,お嬢ちゃん」
 「え…」
 血に濡れるベルナドットの掌には、彼の血が溜まっていた。
 「助けろよ,あの二人を」
 その間にも黒衣の男の口が開きながら、メイリィの首筋を露わにする。
 「早く!」
 「…飲めません。でも、助けます!」
 メイリィの肌に、吸血鬼の牙が触れ…
 セラスの姿が消えた。
 「ぐっはぁ!」
 黒衣の男の左胸に、血に濡れた腕が生えていた。
 背中からセラスの手刀が突き抜けたのだ!
 「滅びてよ…」冷たく囁くセラス。
 ズゥ…
 引き抜く,同時に吸血鬼の全身から血が噴き出した。
 「………なんだ、吸血鬼じゃないか,お前…」血の涙を流しながら、黒衣の男は最後の言葉を残し、塵と風に消えた。
 「メイリィ,クローズ…」セラスは金縛りが解けたはずの二人に笑顔で見遣る。
 しかし二人のセラスに対する視線は、恐怖。
 「メイリィ,クローズ…」落胆と共に再び呟く。二人のその視線は、黒衣の男に対するものと同じだった。
 セラスは空を仰ぐ。ロンドンの様にスモッグのない、澄んだ夜空。
 冷たいほどの月明かり。
 そして吐息を一つ、漏らし幼馴染みに笑みとも泣きとも分からない、複雑な表情で、
 「ごめんね、そして…さよなら」
 背を向ける。
 ベルナドットがその後に続き、メイリィとクローズはいつまでもその後姿を眺めていた。



 「ねぇ、ベルナドットさん」
 「あ?」
 ぷっ,煙草を吐き捨て、ベルナドットは助手席に答える。
 「やっぱり私、故郷に帰って良かったですよ」
 「そうかぁ?」
 「そうですよ,だってあんなデンジャラスな吸血鬼野放しにしてたら、いつ私の知ってる人を食べるか分からないでしょう? それに…」
 「それに?」
 「…何でもないです!」苦笑して、セラスは打ち止めた。
 「……そか」
 二本目に火を付け、ベルナドットは適当に相づちを打つ。
 「ところでどうしてベルナドットさんはあそこに居たんです?」
 「調査だよ,最近あの辺で妙な行方不明事件があってな、局長が俺に調べて来いってな」
 「そうなんですか,てっきり私がドジらないように監視してたのかと思いましたよ」
 ”ま、そっちが主な任務だったがな”心の中で付け加えるベルナドット。
 「ところでな,お嬢ちゃん」
 「はい?」
 「俺の事はベルと呼べ」
 ジープは二人を乗せて夜の田舎道をひた走り、居るべきところへと帰って行く。
 天に輝く月だけが、セラスと同じく行く年を経ても変わることなく地上を照らし続けていた。


END