ワイルドギースの詰所,その大広間の真中に備え付けられた重厚なテーブルを囲んでこの屋敷の住人達は談笑していた。
時は夜半,12時を回った頃だろうか?
「そうだ、局長! 私と勝負しませんかぁ?」
舌足らずな言葉で彼女は、隣でグラスを傾ける金髪の令嬢に突拍子もなくそう提案した。
彼女は婦警の衣装に身を包み、その右手には今年のボルドーワインのボトルを手にしている。どうやらへべれけのようだ。
対する令嬢は細く冷たい目を婦警に向けて…グラスを傾ける,空だった。
「ウォルター! もぅ一杯、このジュースを持って来い!!」
視線を向けることなく、彼女はグラスを背後に差し出す。
目の前に突き付けられて当惑するは白髪の老執事。
「これはジュースではございませぬ,ドンペリという立派なアルコールでして…」
「いいじゃねぇか、爺さん。ほれ、呑め呑め!」
「ああ、ベルナドット様,なりませぬ!!」
老人の手から意匠の凝ったボトルを奪い取ったのは三つ編みの男だ。彼は老人の制止を軽くいなし、令嬢のグラスになみなみと注いだ。
令嬢は確認することなく一気に煽る。
「で、何の勝負をすると言うのだ?」
細い目をさらに細めて彼女――インテグラ――は目の前の婦警――セラス――に問うた。
セラスはにへらと笑い、ビシィと人差し指を立てる!
「どっちかが笑ったら負け!」
「ほぅ、にらめっこか?」
インテグラは瞳の中に鋭い光を走らせ…ない。どうやら冷静に見えてかなり酔っているようである。
「それではつまらん」
「「??」」
言葉を切り裂く男の声に二人は振り向いた。
声の主は黒き貴公子,夜の王、アーカードだ。
「やるならとことんやれ,私はリボルバーに銀の弾を詰めよう。引き金も引き照準も合わせよう。しかしトリガーに指をかけるのはインテグラ,お前だ」
ふらつき、おぼつかない足取りで,しかし言葉は淡々と放つアーカード。
言っていることがさっぱり的を得ていない。
だが付き合いの長いインテグラには何かが伝わったのか,大きく頷くとセラスに,いやこの場全員に大声でこう宣言した!
「これから私は一日,お前を、いや、お前達を必ず笑わせる!! 一人でも笑った奴が出たらお前達の負け,来月の休暇は一切なしだ。しかし誰も笑わずに私が負けたら…一ヶ月、フリル付きのスカートを履いてやろうじゃぁないかぁ!!」
「「うおぉぉぉぉぉぉ?!?!?!」」
こうして、酔っ払い達の饗宴は新たに幕を開けたのである。
彼女がアフロに着替えたら
朝。
「ううん…あったま痛ぁ〜」
ベットの上で彼女は最悪の状態で目を覚ます。
頭の芯がずきずきと痛む。初めての体験だ。
「…これが二日酔いというものなのか?」
視力のためだけでない,僅かに歪んだ視界の中でベットの中から這い出し、テーブルの上に置いた眼鏡に手を伸ばした。
“昨晩はワイルドギースの奴らとホームパーティを開いて…思い出せんな”
こんこん
「入れ」
「失礼いたします」
いつもの時間だ,彼女は部屋に入ってきた老執事に、やはり酔いの為に歪んでいた視線を向ける。
「おはようございます」
「ああ、おはよう、ウォルター。ところで二日酔いの薬はないか? 頭が痛くてたまらん」
「はい、今お持ちいたしましょう」
彼はテーブルの上に香り立つ紅茶と、ハム・エッグ,サラダとクロワッサンの添えられたトレイを置くと、一つ微笑を浮かべて部屋を出て行く。
いつもの彼だ。
インテグラの乱れた寝巻きに気を取られるでもなく、血圧が低いために朝は機嫌の悪い彼女を刺激するわけでもなく、至って平静に、無駄な部分なく執事の仕事をこなしている。
そぅ、例え主であるインテグラが…
「そういや、今日は円卓会議が10時からあるのだったな」
インテグラは呟きつつ、化粧台の鏡に目をやり、
「??????」
目を目一杯見開いた。最大限に広がった彼女の瞳はレンズの屈折率も影響してまるでマンガのように大きい。
彼女が鏡の中に見たモノ。それは、
アフロヘアな彼女自身である。
いつもセラスに羨ましがられていた自慢のストレートは見る影もなく、普段の頭の大きさを五倍ほどにした見事なまでのアフロになっているではないか!
“何? 一体何が??”
恐る恐る、彼女は己の頭に触れてみる。
いきなり触感。
普段は何もないはずの空間に、確かにふさふさした髪の塊があった。
“何だ、一体何が起こったのだ? 夢か? そうだ、夢だろう?? 酒の飲み過ぎか???”
ふるふると頭を振るインテグラ。途端にぐりんと視界が歪み後ろによろける。
“そうだ、これは幻覚だ。さっきウォルターも何も言わなかったではないか。完璧なまでの執事ぶりだった。私がアフロならあんないつも通りの微笑を浮かべるわけはあるまい!”
がちゃり
背後で扉が開く。
「お待たせいたしました、お嬢様」
薬を持って戻ってきたウォルターだ。
「なぁ、ウォルター?」
「はい」
「私…何か変ではないか?」
インテグラはウォルターを凝視。
対するウォルターは…困った視線を宙に泳がせインテグラを下から上に眺め、
「円卓会議まで余り時間はございません。ご用意を」
真顔でそう告げた。
インテグラは首を捻って廊下を行く。
いつもの黒スーツに…金色のアフロだ。引っ張ってみたがウィッグではない。
と、彼女は廊下の先に見知った二つの人影があるのを発見,小走りに近づく。
「アーカード、セラス,おはよう」
その挨拶に振りかえる二人。
ぴぴくぅ!
一瞬、セラスの右の頬が僅かに痙攣したように…見えた?
「おやすみ、インテグラ」
「おやすみなさい、局長」
普段通りの、二人だ。
「あ、ああ。ところで」
「はい?」
「何だ?」
呼び止めておいてインテグラには特にこれと言って尋ねることはない。
いや、ないことはないのだが…それ以前にインテグラにまだ昨晩の酒気が残っているのは確かなことだった。
何気なく彼女は自分の頭を撫でてアフロをアピールしてみるのだが、二人の吸血鬼は純粋に首を傾げるだけだ。
「…いや、もういい。おやすみ、二人とも」
「ああ」
「はい」
背を向ける彼女の後ろで、セラスとアーカードの肩が大きく震え始めていることに残念ながらインテグラは気付くことはなかった。
円卓会議。
それは英国を裏で支える著名人・実力者達の会合である。
「いかん、酔いを醒ますのに時間がかかりすぎた!」
インテグラは一人、屋敷の大広間へと走る。
すでに客人達11人は揃っている時間である。
彼女は会議の場である扉の前で停止,大きく深呼吸。
そして、扉に手をかけた。
「遅くなって申し訳ない」
開口一番。
同時に、
11人の実力者達と、唖然とするウォルターの顔がインテグラの目に焼きついた。
そのうち一人、インテグラの後見人でもあるアイランズ卿が北極海の深層水よりも冷たい瞳で彼女に問うた。
「…何だね、そのアフロは?」
この瞬間から一週間、インテグラは屋敷の中の通称『開かずの間』に閉じこもることとなる。
彼女をそこから引きづり出すエピソードはまた別のお話。
お・わ・り