英国歌劇団


 夜のヘルシング邸。ロンドン郊外に立つ広大な敷地を持ったここは、一般人が立ち入ることは許されていない,特務の機関があるともっぱらの噂だ。
 その警備を担う私設軍隊,ワイルドギース一行が詰める広い簡素な部屋のテーブルに、婦警の恰好をしている少女が一人、雑誌片手に座っていた。
 不自然な、光景ではある。
 『戦争の犬』とか呼ばれそうな荒くれ者達の中に少女,それも婦警の恰好をした女がただ1人。
 ここが例え古くは国王の命によって創設されたヘルシング機関であっても、襲われる可能性は0ではない。
 そんな彼女に、一人の男が近づく。長い髪を三つ編みにした、若い男だ。
 「おい、嬢ちゃん,何読んでるんだ?」気さくに声をかける男。
 「あ、ベルナドットさん」
 婦警は雑誌から顔を上げる。ベルナドットと呼ばれた男は彼女の手にする雑誌に視線を移した。
 『宝塚グラフ』
 「チャイニーズの雑誌か?」残念ながら、彼には日本語は読めない。
 「ジャパンですよ,見ますか?」
 婦警はそう言って、傍らに積んである内から1冊を手渡した。
 ベルナドットはパラパラ,それをめくる。
 なんか男装をした男らしい女性がきらびやかな衣装を着ている写真がメインに載っていた。
 「…何じゃ? こりゃ??」
 「ジャパンのタカラヅカって言うんですよ。演劇の1つです」婦警は呆れ顔のベルナドットにそう言った。その目が何やら異常な色に輝いていたりする。
 「はぁ、神秘の国だな。オレはどっちかって言うとこんな妙なのよりゲイシャガールの方が…」
 「妙言うな!」
 「うわ!」
 突然怒鳴られ、後ずさるベルナドット。
 「このカッコ良さが分からないの? 究極の男性像じゃない!」婦警は熱弁!
 「そ、そうか??」雑誌を改めて眺め回すベルナドットだが、
 「わからん…」呟く。婦警の感覚はどうも理解できない様だった。
 そんな2人のやり取りを見たワイルドギース達がわらわらと集まってくる。
 「何を見てんの? セラスちゃん?」
 「どうしたのですか? 隊長」
 「うぁ、何だ、このけったいなのは??」
 彼等は2人の持つ雑誌を横から眺めたりしながら、一様に首を傾げていたりする。
 残念ながらセラスの理解者はこの中にはいないようだ。
 「はぁ」
 セラスは肩で溜め息を吐く。
 「やっぱりこの良さは女の子しか分からないのよね」がっくりと呟く彼女。
 「「女の子ぉ??」」
 ワイルドギース一行は彼女のそんな溜め息に、ギョッとして彼女を見つめた。
 皆一様に、「誰が女の子なのだ?」という目だった。
 「な、なによ、その反応は!」
 焦るセラスに、一同は一歩後ろに退く。
 「まがいなりにも小銃で500当てる奴を女の子とは…なぁ?」
 「かわいげないし…」
 「色気ないよな」(←ベルナドット談)
 ふるふる…ワイルドギース達の呟きにセラスの拳が小さく震える。
 「ちょっとまった」
 「「?!?!」」
 突然上がった声に、一同は振り返る。
 部屋の入り口に白衣の男が立っていた。アジア系の若い男だ,眼鏡の奥の瞳が怪しげな光を放っている。
 胸に付いた名札にはこうあった。
 『ヘルシング機関 技術開発部 派遣部員 Gojyo Shioji』
 四王子はつかつか,セラスに歩み寄ると小さな小瓶を掌の上に置いた。
 「これは?」
 セラスは電灯の明かりにかざす。青い液体が入っていた。
 「これを飲んだ者はヅカキャラになってしまうのですよ」ニタリ,微笑んで彼は言った。
 「お、おい,ここの技術の奴等は国の金使ってこんなもんを作っていやがるのか?!」ベルナドットは喚くが、セラスの鉄拳制裁に呆気なく沈黙。
 そして息を呑んで四王子に振り返る。
 「これを…私にどうしろと?」
 「分かっているでしょう?」試すように、白衣の男は告げた。
 「見てみたいとは思いませんか? この英国で日本の宝塚を越える宝塚を!
 その言葉に、ワイルドギース達はセラスの雑誌に載った男っぷり全開な写真の女優からある人物を想像したそうな。
 そのある人物とは…
 ウ〜ウ〜ウ〜
 突如、警報がここヘルシング本部に響き渡る。
 はっと,一同は我に返った。
 『緊急事態発生! グールおよそ20体をを連れた吸血鬼2体を捕捉,中央突破してきます!』
 そのアナウンスに一同は素早く動き出した。



 「ひゃ〜はっはっは〜 楽しいな、兄ちゃん!」
 「騒ぎ過ぎだ,ヤン」
 銃を乱射する弟に、スーツの男は苦笑。
 と、彼等の前に屋敷を守るように一団が現われた。
 スーツの男は右手を横に伸ばし、グールと弟の動きを止める。
 対峙する2隊。
 「あ、何でアンタ達生きてんの?!」ヤンを指差したのは婦警。
 「ほぅ…」こちらはスーツの男を見つめて面白そうな声を上げるアーカード。
 その後ろでは明らかに驚きに満ちた表情のインテグラと、グローブをはめ始めたウォルターの姿がある。
 ヤンはニタリと笑みを浮かべて言い返す。
 「知りたいか? ならば教えてやろう! 俺達は―――中略―――ミレニアムの力によって―――中略―――前の3.141592…倍の力を得て―――中略―――蘇ったのだ!」
 「「ぐぅ」」
 「寝るなぁ! ルーク兄ちゃん,何とか言ってやってくれよ、ガツンと!」ヤンはルークに振り返る。
 「ぐぅ」寝ていた。
 「と、ともあれ!」ヤンは叫ぶ。
 「オレ様ちゃんの事をこう呼べ,帰ったきたヤン=ウェンリーとな!」
 「「ウルトラマンと銀英伝?!」」あらゆる意味で慄くヘルシング一同。
 そんな一同を見渡して、ニヤリとこちらはルーク。待っていましたとばかりに口を開いた。
 「私のことはルーク改な」
 「「百式?!」」
 バカなやり取りを横から聞いていたベルナドットを始めとするワイルドギース達は、既に行動展開済み,夜陰に紛れて彼等を包囲していた。
 「撃て!」
 ドガガガガ!!
 ベルナドットの指令に従い、四方から純銀製の銃弾がグール達に降り掛かる。
 戦闘開始,だ。
 セラスはサーベルを腰に差したインテグラに駆け寄る。
 「何だ? セラス?」ルークにはアーカード,ヤンにはウォルターが向うのを後方で確認しながらインテグラはセラスを見る。
 「局長,これをどうぞ」
 「??」手渡すは青い液体の入った小瓶。
 「なんだ? これは??」
 「一定時間、暗闇の中でも真昼のように視界を確保できる薬だそうです。ウチの技術部が開発に成功したそうで」
 「ふぅん,そうか」セラスのいけしゃあしゃあとした言葉に、彼女はポン,小瓶の栓を抜いた。
 そして小瓶にルージュを薄く引いた唇を付け…
 コクリ
 飲み干した。
 ゴクリ
 セラスは息を呑む。
 「う…あ、あれ?」途端、インテグラは額を押さえる。
 表情にはいつもの落ち着いたポーカーフェイスは消え、戸惑いが映っている。
 「セラス!」
 「は、はいぃぃ!!」
 ルークと拳を交えるアーカードの叱咤に、セラスはビクリを反応。
 「ワイルドギースどもが苦戦している,何を遊んでいる?」
 「今行きますぅ!」
 セラスはインテグラを顧みることなしに戦火の中へと飛び込んだ。
 グールの放つ自動小銃の銃弾を彼女は上体を反らして避け、腰の小銃を放つ。
 バィン!
 国際条約で使用不可のはずのダムダム弾は、しかしグールの構える盾を凹ませただけだった。
 「Shit!」
 次弾装填に小銃をコッキング,その瞬間である!
 「「グォォ!」」
 「うきゃ〜!」
 数で迫ってきたグールに、セラスは思わず目を瞑る。
 彼女はそのまま倒れ込んでくる彼等に押し潰され…
 チャキィィン!!
 金属を引き裂くような、そんな硬質の音が夜空に響き渡った。
 「あ、あれ?」押し倒されるはずの感覚がないことに、セラスはおずおずと目を開ける。
 金色の海が、彼女の目の前に広がっていた。
 「え…??」思わず目を疑い、それを見上げる。
 金色の長い髪が、死臭の中にたなびいている。黒いスーツに身を包み、片手に曇り一つないサーベルを提げたその影は…
 「インテグラ様ぁ?!」
 素っ頓狂な彼女の声に、インテグラはゆっくりと後ろを振り向いた。
 セラスは彼女の目の前に折り重なる様にして倒れるグール達を見る。切られる如きじゃ死にもしないはずの彼等が、何故か身動き一つしていなかった。
 驚きに満ちた目で、セラスはインテグラを見上げた。
 眼鏡を振り仰ぐように外し、インテグラはマリンブルーの瞳で婦警を見つめる。
 「怪我はないかい,お嬢さん?」柔らかな視線で、インテグラはセラスに手を差し伸べた。
 セラスは訳が分からずに、彼女の手を取る。何の反動も無しに、セラスは立ち上がり、そのままインテグラに抱きすくめられる。
 「ええ?! イ、インテグラ様?!」目を白黒させ、婦警は慌てる。
 と、インテグラはセラスの耳元に口を寄せ、小さく囁いた。
 「ここは危険だ,私が命を賭して、君を守ろう」
 “はぅ!”
 そんな耳元に当たる吐息の感触と、一生聴くこともなかろう魅惑的なセリフ,ハスキーで品のある声のトーンに、セラスは背筋をぞくりと震わせた。
 “何何何?! これって…さっきの薬が効いて…”ぼぅと頬を紅潮させて、セラスはインテグラを見る。
 男前なインテグラの瞳に、そんなセラスが映っていた。
 不意にインテグラは視線を婦警から外す。鋭い目つきで、前を睨んだ。
 セラスの腰に廻したインテグラの左腕にグィと力がこもり強く引き寄せられる!
 「あん!」何故か女の子っぽい声を上げるセラス。
 ジャカジャン!♪
 いきなり何処からか、勇ましいBGMが流れる。
 「来るが良い,闇に住まいし死者どもよ。このインテグラ=サー=ヘルシングが再び闇へと還そうぞ!♪」インテグラのハスキーな歌声が闇夜に木霊した。
 「「グォォォ!」」待っていたかのように,いや、待っていたのだろう。一斉にグール達はセラスを片腕に抱いたインテグラに襲い掛かった。
 キラリ,インテグラは芝居がかった動作でサーベルを天に突き上げる。
 月光が照り返し、眩しいはずもないのに嘘のようにグールの動きが踏み止まる。
 「嗚呼、私はこの剣をお前の為に振るおう♪」
 ズシャァ!
 グールの一体が彼女のサーベルに袈裟切りされ、後ろに倒れ伏す。
 「全ての闇を払い…」
 ズシャァ,ズシャァ!
 白光が闇を舞い、インテグラの歌声とBGMが木霊する。
 「清らかなる君を光の聖地へと導こう♪」
 ズシャァ!
 「ああ、インテグラ様…ステキ…」
 まるでペアのダンスを踊るように戦うインテグラに、セラスは熱い眼差しを向けてその胸に顔を埋めた。
 「な、何だ何だ?!」
 「お嬢様??」
 「マイマスター,何があった??」
 訳の分からない展開に、思わず戦いの手を止める一同。
 「兄ちゃん,ヘルシングのアバズレが狂ってる…」ヤンの言葉は途中で途切れる。
 「醜悪なる悪の闇に蠢くウジ虫達を、私は正義の心で打ち砕かん♪」
 袈裟切り
 「うぎゃぁぁ!!」まるで見えない手に捕まれたように動けなくなったヤンは、インテグラの一刀の下に灰燼に帰した。
 「「な、なんだと??」」
 ルークはおろか、アーカードすらもその光景に驚く。
 その驚きで、全てのスイッチが入った。
 「おお、貴方こそ勇者の中の勇者ぁ〜♪」無理な高音を歌い出すは…
 「ウ、ウォルター,どうし…うう…」アーカードもまた頭を抱え…
 「君こそ世界に光をもたらす伝説の貴公子〜♪ この私の全てを貴方に捧げましょうぞ♪」くるくる廻りながら彼もまた歌い出す。
 「今こそ仲間と共に手を取り合い〜♪」
 ガッシ,インテグラはサーベルを握った右腕を、アーカードに捕まれる。
 お互い、イッちゃった表情で力強く頷き会う。
 「さぁ、セラス〜,君はここで見ているが良い〜♪」セラスを手放すインテグラ。
 「いざ行かん,魔王を滅ぼしに!♪」
 彼女はアーカードと共に掴んだサーベルを天高く振り上げた。
 「ああ、インテグラ様,お気を付けて…セラスは…セラスはいつまでもここでお待ち申し上げております!♪」
 セラスは熱い視線で2人を見送る。
 2人の向う先にはルークの姿が…
 「来たな,ヘルシングよ〜♪ お主らにこの私が倒せるかな〜♪」
 響く声で歌うルーク,BGMはおどろおどろしいものに変わった。
 ぱきぱき,ルークの姿が崩れ、何だか良く分からない化物に変わって行く。
 クロムウェルを発動させたようだ。
 「さぁ、かかって来るが良い♪」くぐもった声でルーク。
 「「今こそ諸悪の根元をここに葬らん♪」」インテグラとアーカードはハモり、サーベルを振り下ろす。
 さくり
 何だか分からない化物は光に包まれ、消え去って行く。
 「おお、人の心の闇がある限り〜♪ 私は何度でも〜♪」ルークの声が消えて行った。
 「「我々の勝利だ♪」」キラリ,サーベルが月の光を受けて光り輝いた。
 BGMが讃美歌に変わる。
 「「ららら〜♪」」
 歌い出すはワイルドギース達。
 「我らのインテグラ様こそ英雄の中の英雄♪」ワイルドギースの歌声をバックにウォルターは涙を流しながらインテグラを眩しい目で見つめた。
 インテグラはアーカードから離れ、セラスに近寄る。
 「インテグラ様♪ 無事に、無事に帰ってくると信じておりました〜♪」
 「セラス,我が心の姫君よ〜♪ 私はお前を…」
 セラスを抱きしめるインテグラ。スポットライトが2人だけを照らし上げた。
 インテグラの唇が、セラスのそれに3cm,2cm,1cm…



 「っは!」
 インテグラはガバリ,身を起こした。カーテンの隙間から朝日が入っている。
 「…はて? なんかすごく嫌な夢を見ていたような…いや待て??」
 ベットの中で上身だけを起こして額に手を置く彼女。
 「昨晩はいつ寝たのだ? 確かミレニアムからの襲撃があったようななかったような…」
 眠りに就く前を思い出そうとすると、どうも頭が痛くなる。記憶が白く靄がかかったような、そんな感じだ。
 「ううん…」
 「は?」
 インテグラはそんなうめきに、首を傾げ傍らに目を移す。
 「?!?!?!」
 全身から汗が引いた。そこには…
 「セラス…何してる??」
 下着姿も乱れた婦警が、インテグラに寄り添うように眠っていた。
 怒涛のように夢と思っていた記憶が蘇ってくる。
 “いや、まて,そんな馬鹿な…”記憶の回復を気力で塞き止める彼女。
 ふと己の姿を眺める。
 黒いネグリジェが右肩から落ち、胸があらわになっていた。
 そして傍らの婦警の、僅かに見える胸の谷間には見覚えのあるルージュの痕が…
 「いや〜〜〜〜!!」



 「何だ? あの叫びは?」
 アーカードは痛む頭を軽く叩きながら、話に戻る。
 目の前には白衣の青年がいた。片手には赤い液体の入った小瓶が握られている。
 「まぁいい。で、これがそうなのか?」
 「ええ」四王子は自信を持って頷く。
 「これがムトゥになれる薬です」
 なりたいのか? アーカード?!?!


ギャフン

END