ガタ、ガタン…
風の音が気になった。
幼い彼女は無理に閉じていた目を開く。
ガタ,ガタタ…
”立て付けが悪いのかな?”
時は夜の12時を廻っているはずだ。今日はちょっとだけ昼寝をしてしまったのが眠れない原因なのだろうか?
それとも…
”お父様のなくなった半年前のあの日も、風が強かったっけ”
ベットの中、ヘルシング家の若き,いや、幼き当主・インテグラは傍らの年季の入ったテディ・ベアをぎゅっと強く抱き締めた。
ガタタタ,ガタン…
戸を揺らす風は未だ、止まない。
風を恐れたあの頃
ヘルシング当主・執務室
「昨日の件は片付いたのか?」
「ええ,貴方が眠っている間に日光に曝してやりましたよ」
どこか愉快そうな、2人の男の声が漏れてくる。
「ほぅ,となると…」
「はい。ヤツラの巣くっていた下水道を上からパワーシャベルで風穴を開けてやっただけでございます」
数瞬の沈黙
「最近は力技が多いな」
「昔の私のような『殺し屋』は機関員にはおりませぬ故」
「ふむ。ウォルター老が現役の頃が懐かしいな」
「あの頃は私も、おもしろ半分になかなか死なぬ化物どもを少しずつ切り裂いていくのが楽しみでございました」
それを扉の外で聞いていた小さな手が、ドアノブから思わず離れた。
「化物も異教徒も軍国主義者も,あたり構わず潰していったものだ」
「そうそう、アーカード様,あの件は覚えていらっしゃいますか?」
――――以後、アーカードとウォルターの思い出話,残酷物語より酷いので割愛させていただきました――――
「しかし『今は』あの頃のようでなくて、私も安心でございます」
「フフフ…そうだな。『今の』あの娘にはあの頃は刺激が強すぎる。ヘルシングの血を継ぐとはいえ、せめて人間らしく生きてもらいたいからものだからな」
『人間らしく』のところで思わず笑みを漏らすアーカード。人間でない彼を支配できるのは人間だけであり、そうである限り彼は自由にはなれないのだから。
「それではおやすみなさいませ、アーカード様」
「ああ、おはよう,ウォルター老」
執務室の扉が開く、インテグラは慌てて廊下の物陰に走って隠れた。
彼女に気付かずに廊下の反対方向へ去っていく執事のウォルター。
彼女は彼の背が見えなくなるのを確認すると、おずおずと執務室の扉を開けた。
かちゃり
扉の開く音に、窓の外を眺めていた黒衣の男は振り返る。
古びたテディ・ベアを抱えた、淡い紫色をしたパジャマ姿の少女が立っていた。
「ん、まだ起きていたのか? インテグラ」
「あ…う、うん」
思わずついさっきの立ち聞きの内容を思い出して一歩後ろに下がってしまう彼女。
そのまま背中を壁にぶつけてしまい、拍子にズレていたメガネが床に落ちた。
「…あ」
彼女がしゃがんで取るより早くアーカードがそれを拾い、彼女の頬に手を添える。
「眠れないのか,我が主人?」
インテグラの視界一杯に黒い吸血鬼の顔が映る。
黒いサングラス越しにある冷たいはずの2つの瞳が、どこか優しげに彼女には見えた。
彼女のまだ想像がつかないほど長い刻を生きてきた吸血鬼アーカード。
その長い刻の中の、今この時は彼女が占有している。
”………ほっ”
どこか、安心した。
風に乗ってきた見えなかった不安が、少しだけ何処かへ飛んでいってしまったような気がした。
ふるふる
インテグラは首を横に振る。
「ならば寝た方がいい。もぅ我々夜族の時間だ」
立ちあがるアーカードの、黒いマントの端をインテグラはぎゅっと掴んだ。
「?」
首を傾げるアーカードをインテグラは見上げ、困った様に,恥ずかしい様に小さく呟いた。
「私が眠るまで…傍にいて」
言ってから俯いてしまう幼い彼女の髪を、アーカードはそっと撫でつける。
インテグラは恐る恐る目を上げた。
「了解した、我が主」
サングラス越しのアーカードの瞳は、今はもういない彼女の父に似ている様な気がした。
「へぇ、局長の小さい頃ってそんなに可愛かったんですか〜」
思わず驚くセラス。当然だ、今のインテグラからは想像もつかない。
「どこで間違ってあんなになっちまったんだろうな? アーカードの旦那が嬢ちゃんが眠るまで昔の武勇談とか聴かせてたんじゃないですか?」
「そうだが?」
「「…」」
冗談で言ったベルナドットに当然と言わんばかりに応えるアーカード。思わず2人は凍り付いた。
英国の夜はまだまだ長い。
ガタ、ガタン…
「セラス〜 サボるな〜 ぐぅ…」
長い夜を、インテグラは今や風の音を恐れることなく眠りに就く。
風は吹き続ける