「わぁ〜〜」
 セラスはついつい声を上げてしまう。
 テーブルの上に広げられた総カラーページの図鑑のような本を開いていた。
 「何を見ている? 婦警」
 「あ、ますたー?」
 アーカードはしげしげと本を横から覗く。
 『ねこねこばんざい!』
 という題名の本であった。
 「マスター、ほら、この子,ふさふさしててかわいいですねぇ」
 仰向けに寝転がってカメラ目線のペルシャ猫の写真を指差して、セラスは楽しそうに続ける。
 「そうだ,仔猫飼っていいですか?」
 「ダメだ」即答のアーカード。
 「ちゃんと世話しますからぁ!」
 アーカードの袖を引っ張って、セラスはねだる。
 「ダメだ!」強い調子で黒衣の吸血鬼。セラスは主である彼からただならぬ気配を察し、はっと息を呑んだ。
 「…どうして、ですか?」
 「猫アレルギーなのだ」恐る恐る尋ねる婦警に、アーカードは忌々しげに言い放った。
 「アレルギー…ですか…」
 「婦警、飼うのだったら犬にしろ」
 「犬ですか?」婦警はもこもこほわほわな子犬を想像する。
 婦警の表情がにへぇ〜と微笑みに歪む。可愛い想像をしたらしい。
 「犬も、良いですねぇ」
 「そうだ、犬は良いぞ。邪魔者は食い殺してくれるし、何より主に従順だ」
 ちょっとセラスの観点から外れている様だが?
 と、
 「否! いけません,ヘルシングに犬はいけません!」
 ツカツカと靴音を立ててやって来たのは執事のウォルター。瞳に険しいものが宿っている。
 「犬がイカンだと?」気分を害してアーカードはキッと彼を睨む。
 「そうです。奴らはヨダレはたらすわ、毛にノミはついてくるわ,お嬢様が噛まれでもしたらどう責任を取るおつもりで?」
 ギシィ
 アーカードとウォルターの間の空間が軋んだ。
 「あわわわわ…」うろたえる婦警。
 「さすがは猫好きウォルター、言うことが違う」
 「!!」
 懐に手を入れるアーカードにウォルターもまた右手を軽く動かす。極細ワイヤーを確認しているのか?
 「猫の天敵である犬に対しての酷すぎるまでの見解,何も変わらんね。4000年前から貴様ら猫好きは何も変わらん」
 「ふん,犬など所詮は畜生。高貴なる猫とは雲泥の差だ」
 目を光らせて対するウォルター。
 「貴様は…私の愛する犬を畜生と呼んだ」
 ズィ、アーカードはジャッカルを抜き放つ。
 「お前、生きてこの館から出られると思うなよ。ブチ殺すぞ、執事!」
 「フフフフフ…」
 チキキィ,ワイヤーを引き伸ばしながらウォルターは含み笑い。
 「ロートルとルーキー,二人足して一人前でございましょう? クックック…」
 「ふぇぇぇ?! 私も強制参加デスカ?!?!」いきなり振られて慌てふためくセラス。
 こうして、
 クロムウェルを発動させたアーカードと、封印していた殺人技を披露するウォルター+ひたすら逃げ回るセラスの戦いが、唐突に切って落とされたのである。


Dog or Cat ?



 「あ〜、酷い目にあったわ」
 全身ズタボロになりながら、セラスは屋敷の廊下を壁にもたれかかりながら歩いていた。
 未だに廊下の向こうからは壮絶な破砕音やら、何かを潰すような嫌な音が聞こえてくる様な気がするがきっと気のせいであろう。
 「ん?」
 セラスは立ち止まる。何かが聞こえた様な気がしたのだ。
 彼女は耳を澄ましてみる。
 「貴様を分類A以上の執事と認識するぅぅ!」
 「一世紀前の初代ヘルシング卿に比べればこの程度、苦境の内にも入りませんぞぉぉ!!」
 おっと違う、こちらではない。
 「みゅ〜、みゅ〜」
 か細い動物の鳴き声だ。
 廊下の先から聞こえてくる。
 「あ!」
 しばらく歩くとセラスは廊下の真ん中に手のひらに乗る程度の小さな黒い塊を見つけた。
 しゃがんでつついてみる。
 「みゅ〜」
 鳴き声とともに黒い翼の間から覗くのは赤い大きな瞳。
 つんつんと立った短い毛は、子猫や子犬のような柔らかさを持っている。
 「こうもりの子供?」
 「みゅ〜」
 ぱたぱた
 一声鳴いて、その場で翼をばたつかせる。幼いせいか、飛べない様だ。
 いや、
 ぱたり
 ひっくり返り仰向けになったまま、翼をぱたつかせている。
 「みゅ〜みゅ〜」起き上がれないらしい。
 動きを止め、ひっくり返ったままクリクリした瞳で婦警を見つめた。救いを求めている視線だ。
 ”か、かわいい!”
 セラスは思わず両手で拾い上げ、胸に抱き締める。
 「むゅ〜〜〜」
 胸の間で苦しげな声を上げるこうもり。
 「あ、ゴメン」
 セラスは慌てて両手を戻し、自分の視線の高さにする。
 「みゅ?」
 小さな赤い瞳にセラスが映っていた。
 「どうしたの? 迷子なの?」言うまでもなく答えるはずもない。
 こうもりは彼女の手の上で丸まり、そして安心した寝床を見つけたとでも思ったのか,すぐに眠ってしまう。
 「…こうもりなら飼ってもいいかなぁ?」
 夜明けが近い。セラスは大きな欠伸を一つ。
 今日はこのこうもりを胸に、カンオケで眠りに就く事にした。


 翌深夜。
 「何か探しているのか? アーカード」
 廊下をうろうろする黒き吸血鬼に、人間である彼女はこれから眠るのであろう,不思議そうに尋ねた。
 「ん? インテグラか」クルリ、アーカードは彼女に振り向き、
 「ぐっはぁ!」
 彼の顔を見た途端、彼女はうめく様な笑いをまさにこぼした。
 「ななな…なんだ、アーカード,その…あの…右のもみあげがないんだ??」
 爆笑>ショックな精神状態で、眠気も吹き飛んだインテグラが問い詰める。
 アーカードの右のもみあげがきれいさっぱりなくなっているのだ。
 まるで床屋で「お客さん、すいませんや,剃っちまいました」ってな感じである。
 「ふむ、昨夜にウォルター老と一戦をやらかした時にな。分裂したこうもりが一匹返ってこないのだ。何処かで見なかったか?」
 「分裂した…こうもりだと?」
 「ああ。名前はミッフィーちゃんだ」
 ”そんなファンタスティックな名前、貴様がつけたのか? アーカード”
 僅かならぬ疑問を抱きながらも、インテグラの記憶に引っかかるものがあった。
 そう、さっきセラスが見せてくれた、可愛い子供のこうもり。
 あれはもしかして…いや、きっとそうに違いない!
 ”何故?! お父様たちは何の研究を”
 アーカードに初めて出会った時の感覚と同じものを抱きつつ、インテグラは
   「出ておいで〜、みっふぃ〜ちゃ〜ん」
 と呼びかけながら廊下を練り歩く吸血鬼の後ろ姿を見送って行った。


 セラスが泣く泣く子供のこうもりを手放したのは、また別の機会に…



おわり