大きくて黒いアレ
「っかしいなぁ」
「何探してるんです? ベルナドットさん?」
英国の日も暮れ始める頃、ヘルシング本部である屋敷で三つ編みの男が床をキョロキョロ見下ろしながら歩いていた。どうやら何か落とした様に思えるが…
そんな彼に声をかけたのは、目を覚ましたばかりの、ちょっと寝癖で後ろ頭の髪が跳ねている少女だった。
男はベルナドット。
女はセラスだ。
ベルナドットは彼女に顔を上げる。
「お、嬢ちゃんか。そうだ、見なかったかな?」
「何をでしょう?」
「これくらいの大きさで…」
己の手を広げるベルナドット。
と、その時である!
「きゃーーーーーーー!!!!」
耳をつんざく、甲高い悲鳴。
明かに女性のものだ。
「「?!?!」」
顔を見合わせた二人は反射的に発生元へと駆け出していた。
走ってすぐ,廊下の角でのことである。
そこにはすでにアーカードとウォルター,インテグラの姿があった。
「何があったんですか? マスター??」
「ん」
億劫そうに吸血鬼の王は彼女に振りかえった。
「ああ、なんか黒くて大きくてカサカサ動くものを見たらしい」
応える彼は、腰が抜けた様に廊下にぺたりと座り込むインテグラを見やって言った。
彼女は壁を背にガタガタ震えながら、ぶつぶつと祈りの言葉を呟いている。
「さっきの悲鳴は…局長なのか?」
「局長? どうしたんですか? 局長!」
がくがく、セラスはインテグラの肩を掴んで揺さぶった。
「…はっ! 婦警か」
「婦警か、じゃありません!」
ようやく我に返ったインテグラは、きょとんとセラスを見上げる。
セラスの手に捕まり、よろける足でどうにか立ちあがった。
「お嬢様、一体何を御覧になられたので?」
ウォルターは瞳に険しいものを宿らせて尋ねた。彼女をここまで驚かせたもの,それをまるで切り裂く事を使命としたような雰囲気すら漂わせている。
「あ、ああ…それは…」
「「それは?」」
歯切れの悪い彼女。一同は耳を傾けた。
「あの…その…言うなれば黒い悪魔、だ」
視線をあらぬ方向に向けてインテグラはそう答えた。
「カーバンクルのようなものでしょうか?」
「まっくろくろすけと違うか?」
ウォルターとアーカードが談議を始める。
「いや、もしかしたらヘベレンムッケケ虫かもしれませぬ。この虫は人間の体内に卵を産み付けおよそ三日で、体の穴と言う穴から成虫として緑色の液体を撒き散らしながら無数に飛び出してくると伝えられる…」
そのウォルターの言葉をインテグラはさえぎった。
「そんなものではない,存在自体が言いようのない恐怖を放つアレだ」
おお、神よ,そんなことを語尾に付け加えてインテグラ。
「ああ、それってもしかして…」
ポンと手を叩くベルナドット。しかしアーカードの言葉に皆の注意はそれた。
「どこへ行った?」
「そこの、壁の亀裂に入って行ったのだ」
アーカードは壁の―――この屋敷も古いようだ、所により壁にひびが入っている―――人差し指が入るかどうかのひびに顔を近づけた。
「どれどれ?」
びゅん
飛び出す何か?!
ぺた
「ん?」
屈んだアーカードの顔に、壁の穴に潜んでいたソイツは張り付いた。
人の手の平大の、黒い脂ぎった羽虫だ。
足は六本,さわると暖かいような、そんな感じもする。
「何だこれは?」
アーカードは己の顔に手を伸ばした。
「ソイツは…」ベルナドットが言葉を漏らし、
「「ひっ!」」
同時に彼の顔に張り付いたソイツを見届けたインテグラと、そしてセラスは声を引きつらせた。
直後!
「「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」
耳をつんざく、高周波の大絶叫,ステレオサウンドでお送りしております。
ともあれ、
アーカードの顔に張り付いたモノ。それは…
ゴキブリ、である。
キングサイズだ。
キング オブ キングス,まさにゴキブリの王と言わんばかりのスケール,威圧感!
黒くてかてか光る表皮は、極上のブラックダイヤモンドに勝るとも劣らない。
ソイツは南米に生息するゴキブリである。
しかし、何故ここ英国に?
「イスカリオテの破壊工作か?!」
ウォルターが鋭い視線を周囲に走らせた。
だが、もしそうだとしたらイスカリオテもなかなか味な真似をしてくれる。
「あ、あの、それはオレの…」
「ゴキブリは、ゴキブリは、いや〜〜〜〜!!」
「寄るな、近寄るな、アーカード!!」
音速でアーカードから遠ざかるセラスにインテグラ。
声を出しかけたベルナドットはあっさりと突き飛ばされた。
「ゴキブリ…だと?」
ふるふると震える手でゴキブリを掴もうとする吸血鬼の王の手が、だが空を切った。
カサササ!
彼のマントの下に潜り込む。
「き、貴様! この吸血鬼の王に挑戦か?! 挑戦なのか?!?!」
吸血鬼の王とゴキブリの王、ここに王同士の戦いの巻くが切って落とされたのだ。
もともとの白い顔を、青くなるくらい白くして、アーカードは懐からジャッカルを抜き放つ。
形勢はゴキブリ優位か?!
カササッ!
ひょっこり、彼の右手首の裾からゴキブリが現れた。銃を持つ彼の利き腕から…
まるであざ笑っているかのようだ。
「この!」
カササ!
「ああん、こ、股間はやめてぇぇ!!」
ソコを押さえながら床を転げまわるアーカード。
長期戦が予想された戦いは、始まった時と同じく、突として終息した。
ぷち
「「あ…」」
何かを潰す音が、彼の体の「どこか」で聞こえた。
「ところでベルナドットさん、何を探されてたんでしたっけ?」
セラスは思い出した様に隣を行くベルナドットに尋ねる。
そう、彼は何かを探していたはずだ。
「へ、いや、その…もぅいいや」
額に汗しながら彼は笑って応える。だが婦警は笑って親切を顕わにする。
「一緒に探してあげますよ、確かこれくらいの…」言って婦警は自分の手のひらを広げた。
「えと、何でしたっけ?」
「いや、その…」
煮え切らない傭兵隊長の態度に婦警はしばし何かを考えたのか、動きが止まり、
「?…?!」ひくり、彼女の頬が引きつった。
そう、彼女は気が付いたのだ。
ベルナドットがこの間まで南米で傭兵をやってたのを。
そして何か「ペット」を飼っていたことを…
「もしかして…」
「…まぁ、いやな、アレはマニアの間では高く売れるんだぜ、いや、マジ!」
「天誅!」
「ぶっちゃぁ!!」
ベルナドットは壁をブチ破り、英国の真っ赤な夕焼け空へと消えた。
この日からおよそ3日間、吸血鬼の王の真っ黒なカンオケから絶える事のないすすり泣きが聞こえて来ていたと言うのは、ワイルドギースの間での怪談の一つである。
ギャフン
END