「これはいい壷ですな,アイランズ卿」
 「さすがはお目が高い,ウォルター殿。これはいい壷なのだよ、君」





 「で、何だコレは? ウォルター??」
 インテグラは己の執務室で、部屋の隅に飾られた『それ』を指差して呟いた。
 『それ』は、ずんぐりむっくりとした胴体に、口のところは細い。
 磁器であろうか、茶色を下地としてその胴体にはコニカルな目と鼻と口が描かれている。
 高さ30cmほどの『壷』、である。
 はっきり言ってインテグラの質実剛健な執務室には、くっきりと浮いて見えていた。
 「良い壷ではないですか」
 うっとりとした表情で彼女の執事は応答した。目が何処かへとイってしまっている。
 何か物の怪に魅入られているような、そんな危うさだ。
 「せっかくアイランズ卿から譲り受けたのです。そんな嫌な顔をしなくても良いと思いますが」
 「…ああ」
 渋い顔で頷くインテグラ。
 アイランズ卿は幼い頃当主となった彼女の後見人を果たしてくれた恩人でもある。彼の名を出されると、さすがの彼女でも弱い。
 「あれ、局長? この壷、栓がしてありますよ」
 「ふむ、中に何か入っているようだな」
 「壷の精霊とかだったりしてな」
 2人のやり取りを聞いていた男女が、壷に歩み寄り叩いたり振ったりしていた。
 「こらっぁぁ!!」
 血相を変えて駆け出し、壷を奪取するウォルター。
 「割れたりでもしたらど〜するおつもりですか?!」
 アーカード,セラス,ベルナドットに睨みを効かせて老執事。
 「なぁ、ウォルター?」
 「はい?」
 老人の後ろから、インテグラは渋い顔でさっきから浮かんでいた一つの疑問を口にする。
 「ソレ、幾らしたんだ?」
 「ハルコンネン100本分くらいです」
 即答。
 「…良く分からんぞ」
 「お嬢様のショーツ3本分くらいです」
 「何だ、安いものだな」
 もっとも『彼女が履いた』事を確認した写真を同封し、しかるべき所に持ち込んだ場合の価格なのであるが、それは理解の相違というものであろう。
 「ウォルター,ちょっとこっちに持ってきてくれ」
 「はっ!」
 老執事はギャラリー3人をかいくぐり、主に壷を手渡した。
 インテグラはそれを縦に、横にしたりしながら、結局はやはり壷の栓に行きつく。
 「婦警,ちょっと」
 「は〜い」
 インテグラが手招きしてセラスを呼ぶ。
 「ちょっと壷を押さえていてくれ」
 「ええ」
 インテグラは栓を抜きにかかる!
 「ちょ、お嬢様! そんなことをしてはいけません!」
 「良いじゃねぇか、爺さん」
 「何か危険なのか,ウォルター?」
 ウォルターが、ベルナドットが、アーカードが一斉に壷に殺到した。
 そして…
 ぼん!
 栓のコルクを抜いたインテグラはその状態で、固まった。
 彼女を中心として、壷に振れていたアーカード以外の三人も沈黙する。
 10の瞳は壷の上に立つ小人に向けられていた。
 「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ〜ん♪」
 そう間抜けな声上げた視線の中心人物は、中年太りの褐色の肌を持ったアラビア系の男だ。
 体長10cmほどの、である。
 「何だ、お前は?」
 唖然と問うインテグラ。
 小人は彼女にニタリ、微笑み小さく敬礼。
 「ワシはランプの精」
 「壷じゃん」
 「…ワシは壷の精」
 ベルナドットのツッコミに平然と前言を撤回する小人,あまりこだわる方ではない様だ。
 「ワシを解放してくれたそなたらの願いを一つだけ、叶えてやろう」
 「「なぬ〜〜〜!」」
 壷に触れていなかったアーカード以外,4人は小人に殺到。
 「もっともワシはまだ未熟でのぅ。見ての通りサイズが小さいので魔力も小さいぞ」
 「一番、ベルナドット! 行きます!!」
 壷の精の言葉を聞いてか聞かずか,三つ編み男が一歩前に出た。
 「オレは……オレの為だけの、世界一の美女が欲しいぃぃ!!」
 腹に力をこめて、叫ぶ傭兵隊長。
 言い終えた彼のその横顔は非常に漢らしい,例えるなら9回・同点・ツーアウトでホームランを打った英雄のような、そんな表情だ。
 「うむ、さすがは我が寝所を護らせるのを認めただけの事はある」と満足げなアーカード。
 「サイテー!」こちらはセラス。
 賛否両論のようだ。ともあれ、
 「了解した,ビビデバビデブ〜♪」両手を振る壷の精。
 「どういう時代考証だ?」
 インテグラのツッコミは流し,次の瞬間、ベルナドットの目の前には一人の人影が生まれていた。
 「おお?!」僅かに嬉しそうな声をあげるウォルター。
 「んな?!」驚愕のベルナドット。
 「かわいい〜」思わず抱き上げてしまいそうになるセラス。
 そう。
 確かにベルナドットの前には女性がどこともなく現れていた。
 金髪碧眼,木目細かな白い肌はまるで深雪のような純潔さを持っている。
 きっと将来は美女、だろう。何しろ彼女、5歳くらいである。
 それも、すこぶる可愛い。
 「んじゃこりゃ〜〜〜?!?!」
 壷の精に詰め寄るベルナドット。精霊は眉を寄せた。
 「言ったであろう,ワシの魔力は弱いと。だが安心せよ,この娘は必ず『世界一の美女』に育つ。それもだ!」
 精霊の言葉が終わらないうちにベルナドットの三つ編みが後ろに引っ張られた。
 引っ張ったのは少女である。彼女は上目遣いに彼を見上げ、
 「お兄ちゃん、お腹空いた…」
 「『お兄ちゃん』と呼んでくれる特典付きじゃ! 文句あるまい?」
 ベルナドットは少女と、壷の精に交互に視線を送り…
 「オレにそういう趣味はねぇ! っていうかこの歳でオレは子持ちかぁ?!」
 壷の精を両手で締め上げた。
 「お兄ちゃん…私のこと、嫌い…なの?」
 「はぅ! いや、そんなことはないぞ,だから…ああ! もぅ!!」
 涙目で彼を見上げる少女にベルナドットは混乱。
 周りを見まわす。
 インテグラは冷たい視線を,アーカードとウォルターは何故か嬉しそうに『やったな!』と親指を立てていたりする。セラスは…ベルナドットを無視して少女に手を振っていたりする。
 やがて彼は壷の精を投げ捨て、少女を抱えて逃げる様にして部屋を去って行った。
 涙がキラリ、部屋に散る。
 「と、邪魔者が消えたところで次は私だな」
 次はインテグラが壷の精霊に向かう。
 その後ろではセラスがアーカードに小声で尋ねていた。
 「マスター,局長って何か望みってあるんですかね?」
 「さぁな?」
 首を傾げるアーカード,そう、彼もインテグラの心の内は知らない。
 「私の望みは…」
 ゴクリ、息を呑むウォルターとセラス。
 「私を世界の帝王にしろ,カイゼルだ! カイゼル!!」
 「「なぬ!!」」
 どこかの大同人っぽいセリフに、2人は驚愕の声をあげる。アーカードは僅かに右の眉を吊り上げただけだ。
 「承知した」
 小人が言うと…
 どどどどどど…
 足音が、聞こえてくる。それは次第に大きくなって行き、
 ばん!
 執務室の扉が唐突に開いた!
 現わるるはメイド姿の女性達。その数…100。
 「お,お前達は」
 絶句するインテグラ。彼女達はこのヘルシング家に仕えるメイド達。ヘルシングメイド隊だ。
 その規模は東方の異国・ジャパンにある花右京メイド隊に匹敵するとかしないとか。
 ともあれ、彼女達のインテグラを見つめる瞳が、いつも以上に熱い。
 思わず後ろに一歩下がるインテグラ。
 「い、一体どうした…お前達…」
 彼女のアルトな響きを持ったその問いが、彼女達の堰を切った様だった。
 「インテグラ様ぁん!」
 「敬愛しております!」
 「女王様と呼ばせてください!!」
 殺到!
 「い、いやぁぁぁぁ!! こんなのカイゼルと違うぅぅぅ!!!」
 そしてインテグラはメイド達の波に呑まれ、没した。



 「あ〜、酷い目にあったわ」
 椅子に体を預けてインテグラは脱力して呟く。
 ようやく静かになった執務室,今度はセラスが小人に願った。
 「それじゃ、次は私…」
 「あ、ダメダメ」
 「ええ?!」
 小人が首を横に振る。慌てて婦警は詰め寄った。
 「どうして?!」
 「ワシが叶えるのは人間の願いだけ。吸血鬼はちょっと…」
 「マスター,この人、殺っちゃってください」
 「ままま、待った待った!」
 懐のジャッカルに手をかけたアーカードに慌てて壷の精は待ったをかけた。
 「仕方ない、特例で聞いてあげよう」
 「じゃ、私を超人にしてください」
 「「はぃ?」」
 全員が首を傾げる。
 「吸血鬼の力はそのままで、人間の体にしてください」
 セラスは言い直した。小人は難しい顔で、セラスを見る。
 「超人か?」
 「超人です」
 「そうか…」
 彼は右手に黒のマジックペンを出現させると、セラスの額にまで飛び、
 きゅきゅ♪
 何かを書いた。
 「これは…」
 『肉』である。
 俯いて、ふるふる震えるセラス。
 「テリーマンの方が良いか? 『米』もできるけど」
 「いるかぁぁ!!」
 セラスの鉄拳が小人を吹き飛ばした



 「さて、最後はお主じゃ」
 精霊はウォルターに言う。
 老執事はニタリ、微笑んだ。
 「気をつけろ、ウォルター。こいつの魔力は中途半端だぞ」
 「ロクなコト、出来ませんよ」
 インテグラとセラスがウォルターに警告。
 「大丈夫ですよ、お嬢様。私の願いは簡単なものですから」
 言って、彼は精霊に向き直る。
 「私の望みは…」
 「望みは?」
 問い返す精霊。
 そして、ダークホースはウォルターだった。
 「時間を戻して欲しい。インテグラお嬢様を、かつての可愛い女の子に戻しておくれぇぇ!!!」
 老人の心の叫び。すでに彼の心は10年以上前に戻っている。
 「んな?! 何を言ってる?! ウォルターァァァ!!」目を見開いてインテグラ。
 「ナイスだ、ウォルター。貴様は最高の執事だ」
 「お褒めに預かり恐悦至極」
 アーカードとウォルターは『心友』の瞳でお互い見つめあった。
 と、逃げ出そうとするインテグラをがっし,後ろから羽交い締める人物がある。
 「セ,セラス?!」
 「私も見てみたいしぃ〜」
 他人事の様に婦警。吸血鬼(+額の『肉』マーク)だけに、非力なインテグラでは身動き一つ取れない。
 そんな彼女の前に小人が現れ…
 「や、やめろぉぉ〜〜!!!」
 インテグラの姿がみるみる変わって行く。
 驚愕の3人。内2人は今か今かと待ちわびている。
 すなわち幼い頃の、可愛すぎるインテグラ嬢を…
 と、途中で壷の精の魔法が、止まった。
 「もぅ魔力が尽きた…それではさらばだ」
 小人は、消える。
 そこに残ったのは…
 「はにゃ?」
 羽交い締めにするセラスの体が不意に浮き、部屋の壁に向かって投げ飛ばされた!
 どべしぃ,と壁にまるでマンガの様に人型を残して婦警はくずおれる。
 ゆらり…そいつは立ちあがり、2人の男を睨みつけた。
 「テメェラ…」
 ぶわり、金髪がどこからともなく吹いてきた風に,なびく。
 「インテグラ…お嬢様?」
 「お前は…」
 絶句する執事と吸血鬼。
 インテグラ=ウィンゲーツ=ヘルシング。
 齢17歳当時は、ロンドン暴走族(レディース)『経流神愚』総長。
 釘バットを持たせれば、フーリガンすら土下座して道を譲ると言われた伝説の女だ。
 「死にさらせぇ!!」
 襲い掛かる、鬼のインテグラ。
 「ア、アーカード様,ジャッカルを!」恐怖に引きつった顔の死神ウォルター。
 どむどむどむ!
 インテグラは右手を一閃,次の瞬間にはその掌に弾丸が収まっていた。
 「き,きかん!」
 アーカードの額に一筋の汗。
 「教えてやろう、ヘルシングの血を持つ者の怒りの力を…」
 ざわざわ、彼女の髪が生き物の様に揺れている。
 「「ギニャーー!」」
 その日、老人と吸血鬼の断末魔が屋敷に木霊したという………



 「これはいい壷ですな,マクスウェル殿」
 「さすがはお目が高い,アンデルセン。これはいい壷なのだよ」



おわり