「局長! 危ない!!」
セラスの遠くからの叫びに、インテグラは反射的に腰の剣に手を回した。
彼女の目に僅かな驚きの色が浮かんぶ。
殲滅目標である吸血鬼が、やはり人間離れした速度でインテグラに接近,長い刃物と化した爪を今まさに振り下ろさんとしている。
剣を引き抜くのは鞘から半ばまで。
”間に合わんな”
仄かに香り始める死の香りに対し、しかし落ちついていられるのは何故だろう?
そんなことを思えるくらい、冷静なのが彼女自身でも不思議だ。
同じ吸血鬼であるセラスにはこの吸血鬼の動きを捉えることが出来るが、人間であるインテグラに同じことを要求するのは無理な相談。
だが、彼女は目の前の死に身を委ねるつもりはない。
あと十分の一秒後には訪れるであろう死への一撃は、彼女の中では訪れるべき未来ではないと確信している。
そんな不確定な確信は現実となって実行される。
黒い影がインテグラと吸血鬼の間に割り込んだ。
黒い霧のような影。
影から吸血鬼に向って腕が突き出される!
ドスゥ…
鈍くて重い音。
インテグラは見る。
目の前の黒い背中を。
その黒い壁のような背中で見えないが、すでに今彼女に迫ろうとしていた吸血鬼はこの世には存在しないだろう。
それはいつものコト。
「撤収だ,戻るぞ」
インテグラは影を見上げることなく、黒い背中に背を向ける。
それもいつものコトだった。
X'mas Present を貴方に
ロンドン市街。
幼い彼女はショー・ウィンドウの向こうに広がる世界を見上げていた。
――10年も前の事だ。
少女を見つめる彼女は10年後の少女。
彼女は夢を見ていた。
古い、古い夢だ。
それ故に夢と実感できる夢。
――どうして今頃こんな夢を見るのか?
幼い自分自身を眺めながら、苦笑い。
少女はショー・ウィンドウの向こうに羨望の瞳を浮かべている。
そこに展開されるのはクリスマスパーティを行うマネキンの一家。
身に纏う商品に値札を付けての、動かないパーティだが。
「どうした? インテグラ?」
しばしの時間の後、少女に問うのは隣に影のように佇んでいた男。
黒いコートに白い肌,サングラスの向こうに覗くのは真紅の瞳だ。
「ん、何でもないわ」
そう言って少女は笑顔を男に向ける。
入れ替わる様にして、男がショーウィンドウに目を向けた。
「インテグラ,お前は家族が欲しいのか?」
「もぅ! 何でもないんだったら!」
少女は苦笑いを浮かべながら、男の手を引こうと掴む。
「冷たい…」
「死んでいるからな」
少女の驚きの声に男は抑揚なく答え、続けた。
「私は死んでいるし、ウォルターは老いてはいるが……お前が望むなら、あの世界の様に振舞おう」
インテグラは男を見上げる。
男の表情は相変わらず読み取りにくい上に、サングラスのお陰で瞳の動きは分からないが、
「ありがとう、アーカード」
少女は微笑み、掴んだ彼の手を引いた。
やがて2人の手の温度は同じになる……
「どうしたんですか? 局長??」
「ん、ああ。少し考え事をな」
インテグラは今朝方に見た懐かしい夢を頭から追い出し、目の前の婦警を見つめる。
「で、聞いてらっしゃいました?」
やや怒り顔の彼女にインテグラは首を傾げた。
「すまん、まったくさっぱりぜんっぜん聞いていなかった」
「……むぅ〜!」
頬を膨らませるセラスを眺めつつ、インテグラは全く別の事を思う。
――先日の吸血鬼との戦いで確信した安心感。
――今朝方の夢。
――素直に言えた少女の頃の「ありがとう」の一言。
――いつから全てを当たり前と思うようになってしまったのだろう?
「クリスマスくらいは休ませてくださいよぉ!」
――あの頃から,初めてアーカードと出会ったあの頃から、彼は変わっていない。
――……変わってしまったのは私か?
「休みとは言わないまでも、ロンドンの都会の空気を吸いたいんです!」
――別に言葉にしなくとも、思いは伝わる。それは彼も知っているだろう。
――だが言葉にしないと伝わったと思えないのは、人間故だろうか?
「お願いです、局長」
――その点、セラスは羨ましいかもしれん。思いを言葉にせずとも完全に伝えられる。
――念話には範囲はあるというが……まぁ、不便なことの方が多いかもしれんが。
「ちょっと、局長! 何をニヤニヤ笑ってるんですか??」
――私は人間だ。人間として、彼に感謝の意を表わすのも悪くはあるまい。
インテグラはセラスを見上げる。
「何より、クリスマスだからな」
その一言にセラスの純粋な微笑みと、インテグラの裏のある笑みが同時に浮かんだ。
12/25 深夜0:25
「おはよう、アーカード」
「まだ起きていたのか、インテグラ?」
「まぁな……今日はクリスマス、だからな」
インテグラの執務室,彼女は微笑を浮かべながらワインのボトルを取り出した。
「少し付き合わんか?」
「お前が望むのなら」
ソファに身を沈め、そう答えるアーカードにインテグラは思わず吹き出す。
「? 何だ?」
「10年前と言うことが変わらんな、アーカード」
「10年前?」
訝しげに問う吸血鬼の持つグラスに、インテグラは赤いワインを注ぐ。
「10年前に私が何を言った?」
「さぁな」
ペロリと舌を出すインテグラ。
そんな彼女を見て、アーカードは一言。
「お前もあまり変わらないぞ、インテグラ」
「お褒めの言葉として受け取っておくわ」
チリン
二人が合わせたグラスが澄んだ音を響かせる。
月夜に、2人のクリスマス・パーティが始まった。
グラスを傾けたアーカードに、インテグラは後ろ手に持った小箱を差し出す。
「メリークリスマス,そして………いつもありがとう、アーカード」
素直な微笑みを浮かべる彼女に、アーカードはいつも変わることのない表情を向ける。
サングラスに瞳が隠れた、10年前も分からなかった表情を。
だが彼女は知っている。
そのサングラスの奥に浮かんだ表情が、10年前と同じであることを。
ところで、その頃のセラス=ヴィクトリアは………
「ピピ〜、ピッピ! ピ〜」
泣きながらロンドンの市街で交通課の応援,すなわち交通整理をやらされていたという。
その後、プレゼントを受け取ったアーカードは………
小箱の中に入っていたのは赤い勾玉のペンダント。
『ハ○ターG2』という製品名のそれは、「恋の火花を撒き散らし、あの子の心を炎上させる愛の放火魔!」とか何とか説明書に書かれた魔法の品だった(アワーズの裏表紙参照)。
「………一体これをどうしろと? インテグラ??」
棺桶の前で呆然としていたそうな。
Merry Chirstmas !