存在意義


 彼女の背後,両開きの大扉の向こうでは異例の会議が開かれている。
 プロテスタントとカトリックの、共に歩み寄ることの出来ない者同士が同じ席に就く、英国女王をも交えた意見交換会。
 だがその入り口を護衛する2人は、やはりそれぞれの宗教を有した女性だ。
 護衛…とは言ってもつい先程、共闘すべき敵の侵入をあっさり許してしまったのだから名目に過ぎないはずだ。
 要は人払いである。
 右の扉の前に立つ彼女は、左扉の前でじっと廊下の先を見据える女性の横顔を盗み見た。
 サングラスをかけた彼女は無表情。
 一見すると常に発する殺伐とした気配から男性にも見えなくもないが、タイトなスーツのラインは女性特有の湾曲を描いている。
 対する彼女はヘルシング機関の女性隊員の制服だ。
 だがその『中身』は人間ではない。
 ほんの一瞬なのか、ひどく長い時間なのか,彼女は意識では後者であることを、重くのしかかる沈黙を背負いながら、おずおずと隣の女性に声をかけた。
 隣の彼女はイスカリオテに所属する今までの、そして多分これからも敵である女性だ。
 「あ、あの…ハインケルさん、ですよね」
 「なんだ?」
 鬱陶しそうに、サングラスの女性は婦警姿のセラスに顔を向ける。
 「良い天気、ですね」
 「ここからどうやって空を見るんだ?」
 窓一つない廊下の突き当りであった。
 「え、えと,本日はお日柄も良く…」
 訳が分からない。
 再び重たすぎる沈黙がセラスの背中にのしかかってくる。
 と、次に声を発したのはハインケルの方だった。
 「なんでお前は吸血鬼になんてなったんだ?」
 前置きのない、ストレートな問い。
 ただ問う為だけの問いだ。
 セラスは一瞬面食らいながらも反射的に答える。
 「選んでいる暇なんてなかったですし」
 ハインケルはそんな答えに僅かに眉をしかめた。
 「なんのために生きている?」
 「な、なんの為って…」
 戸惑うセラス。
 ある意味では人として見ていない酷い問いではある。
 ハインケルは表情なく、サングラスの向こうからセラスを見据えたままで続けた。
 「『死んで』なお、その身を化物に変えてまで何故お前は存在し続けようとする?」
 死という単語にセラスは一瞬身を強張らせる,発する言葉も、堅い。
 「死にたく…ありませんから」
 「お前はすでに死んでいるだろう? なんの意味があって死への苦しみと恐怖を味わい続けるんだ?」
 「生きることが、辛いんですか? ハインケルさんは?」
 ハインケルの口調の中に異質なものを捕らえ、逆に問い返す婦警。
 「私は『まだ』生きているからこそ、辛くはない。お前の様に化物に姿を変えてまで、いつともなく迫りくる死への恐怖に永遠に打ち勝ち続けられるほど頑丈ではない」
 まるで独白する様にハインケルは呟く。
 と、思い出した様に先程の問いを形を変えて続けた。
 セラスに向ける表情には、理不尽な未知への僅かな怒りが見て取れる。
 「この世に存在することはお前にとって一体なんの利益があるんだ? なんの意味があるんだ?」
 セラスは右手の人差し指を顎に当て、瞬考。
 ニッコリ微笑み、ハインケルにこう告げた。
 「『生きて』いれば、きっと何か良いことありますよ」
 あっけない,楽観的観測に基づく返答。
 ハインケルはサングラス越しながらも明らかに一瞬、呆気に取られた表情を浮かべたかと思うと、初めて軽く微笑んだ。
 「お前がカトリックでなくて良かったよ」
 「どうしてですか?」
 「吸血鬼であるお前を私が狩らなきゃならなくなるからさ,ファジーなプロテスタントに護られていて良かったな、セラス・ヴィクトリア」
 「どういたしまして、ハインケル・ウーフー」
 そこで会話は途切れ、沈黙が再来する。
 しかしすでに、2人の間には重たすぎる沈黙は訪れることはなかった。
 見つめる二人の声は、僅かに震えていたそうである。