君は吸血鬼の存在を信じるかい?
 いや、これは冗談ではない。私はこれでも英国で屈指の記者だ。いい加減な事は言わないよ。
 これまで私の掴んだスクープは皆さんの目に止まるようなモノが多いはずだ。
 最近のモノでは英国王室に仕える庭師と王女のスキャンダル,あれは私が掴んだモノだ。
 私は己の目に見えるモノ,説明の出来る事しか信じない。
 それこそが記者として大事な要素だ。あと記者に必要なのは如何にして取り上げた事件を大衆に魅せるか,この持って行き方くらいだ。
 さて、話を戻そう。
 君は吸血鬼を信じるかな?
 私は3年前まで、まるっきりそんなオカルトなモノは信じちゃいなかったさ。
 科学万能のこの時代だ,非科学的なことはどんなに頭が柔らかくったって信じがたいもんだ。
 だが、ある取材が私を変えた。いや、私はその瞬間に『彼女』に魅了されたに違いない。
 ある取材。
 それは忘れもしない,チューダースという小さな村に『オオカミ男』が出る、なんていうクソくだらないゴシップ記事の取材の折さ。
 その頃の私は今以上に大きなスクープを釣り上げ続ける、ノリにノッていた頃だった。
 だから、編集デスクのこんな馬鹿馬鹿しい取材を命令された時は腹が立っていたのを覚えている。
 思えばこの取材がなければ、あの頃の私は今のようにフリーになることもなく、現役を退いて揺ったりとした椅子に座って部下に指示を出す編集長くらいにはなっていたに違いない。
 だからといって、今の状況に後悔しているだなんてとんでもない。
 私は非常に充実している。今までのスクープはあくまで世間にとってのスクープ。
 これからようやく取り上げることが出来ることは、私自身にとってのスクープなのだから。
 さて、そのチューダース村でのオオカミ男だが、思った通りどうでも良い噂話だった。
 私の到着した夜半、一匹の大柄な野犬が村長の玄関で死んでいた。
 首筋を噛み切られたような傷が付いていた,野犬同士の喧嘩だろう。
 村人の話によると、この野犬の毛の色とオオカミ男の色がそっくりだったという。
 結局のところ、野犬をオオカミ男と見間違えただけの話さ。
 思った以上に話が早く片付きほっとする気持ちと、これをどうやって記事にするかの苦痛,そして幾ばくかの脱力感を感じながら、私はその日の内にロンドンへの帰路についた。
 帰路は最寄の駅まで徒歩で30分,タクシーすらない驚くほどの田舎だ。
 その日は眩しいくらいの満月だった。足元は良く見えていたのは幸いだ。
 私は心地よい秋風を背に受けながら郊外の墓地を通りすぎようとした。
 その時さ,その時に見た彼女は、今でも網膜に焼き付いて離れない。
 風向きが不意に変わった。
 私は本能的に墓地を見やる。
 すると墓地の中に建つ古びた教会の屋根に人影が一つ、見えたのさ。
 それは若い女だった。
 黒い男物のマントを羽織った、金色の髪の女。
 満月の光を全身に浴びて髪は仄かに光り、首下と頬は白磁のような白い肌が覗いていた。
 この時ほど、私はカメラマンでないことを悔やんだことはないね。
 まるでそこは一枚の絵だった。
 絵画的な美しさは生気を感じさせない、どこか死を匂わせる幽玄の美がそこにあったよ。
 私は息すら止めて彼女を見つめてしまった。
 瞬間がまるで永遠に思えるくらいの錯覚を受けたね、この時は。
 きっと僅かな時間だったに違いない,彼女は私の気配に気付いたのだろう。
 こちらに目を向けた。
 二つの瞳は血の様に赤かったよ。
 見つめられた時、私は心臓が止まるかと思った。
 過剰な評価じゃない,カエルがヘビに睨まれると動けなくなる,あれと同じさ。
 彼女は『人間を食らう』者だと人間の本能で悟ったよ。
 しかし彼女は私を食らうことはなかった。
 僅かに自らの牙を紅い唇の間から見せて、私に向って微笑んだんだ。
 この微笑みの意味は何だったのか?
 それは今夜はっきりする。
 しかしこれだけははっきりしている。
 微笑みの意味が何であれ、この瞬間に私は彼女に取り憑かれたんだ。



いんたびゅ〜 うぃず ばんぱいあ



 24XX年 午前2:00
 私は吸血鬼の女王・セラス=ヴィクトリアとのアポイントを取る事にようやく成功した。
 この為に準備した三年間がようやく報われようとしている。
 彼女と接触する為に、私は持て得る限りの取材・ツテ・コネ・時にはスクープを交換条件に情報を集めてきた。
 セラス=ヴィクトリアは齢500余りを数える、この世で最後の吸血鬼。
 その存在はここ英国の女王・エリザベス陛下の下で完全に庇護されており、一般人は近づくことの出来ないロンドン郊外の森の中に建つ旧貴族の屋敷に住んでいる。
 彼女と会うことが許されるのは王室関係者,または円卓の騎士に連なる者達のみ。
 …そう、私は彼女に会う為に女王を脅したのだ。記者の持て得る力を持ってして。
 当然、何度か死にかけた。
 だが突如、『向こう』から会うことを承諾してきたのである。
 これは何を意味しているのか?
 セラス=ヴィクトリアが私に関する情報を手にしていることに他ならないだろう。
 そして私を始末することなく会うと言う,私の何かに興味を持ったということだ。
 私は嬉しかった。
 英国女王すら恐れる、人外の力を持った『彼女』が、一介の人間である私に興味を持つとは。
 私はまるで、初めて女の子をデートに誘う少年のような気持ちでロンドン郊外の森をくぐったのだった。


 その屋敷はかつてヘルシング卿と呼ばれる貴族が住んでいたとされる屋敷だ。
 かなり古い作りだが、使用人がいるのだろうか? まったくくたびれた様子はなく、庭の芝もきれいに切り揃えられている。
 私は門の前に立つ,古い古い門だ。それはギギィと軋んだ音を立てて開いた。
 恐る恐る、屋敷に足を踏み込む。
 人の気配は皆無,門もひとりでに開いたようだ。
 私はしかし、強がるように胸を張って玄関へと赴く。
 こちらも私が前に立つと同時に音もなく開く。そして真っ暗な邸宅の内部の進むべき回廊に蝋燭の火が灯ってゆく。
 足を踏み込む。
 絨毯の長い毛が足首をくすぐった。
 壁に灯る蝋燭の明かりを頼りに私は奥へと進んで行く。
 階段を幾つか登った気がする。そう時間がかからないうちに大きな両開きの扉の前に。
 私はノッキング。
 「どうぞ」
 澄んだ、女性の声がした。
 「失礼します」
 開ける,そこは書斎のような部屋だった。燭台に灯る蝋燭と、天窓から差し込む満月の光で視界は充分満足できる。
 その部屋の中心,重厚な机の前で大きな椅子に身を沈めた人物に私は目が釘付けになる。
 「良く来ましたね、記者さん」
 若い声だ,しかし内にどことなく重みがこもっている。
 椅子に身を預けているのは三年前に見た姿、いや、あの時よりもどこか温かみを感じさせる少女だ。黒い男物のマントの下に、僅かに白いドレスが覗いて見える。
 天窓から差し込む月明かりは、彼女の全身を取り巻き彼女自身を闇から浮かび上がらせていた。
 「どうしました,そこのソファにでもどうぞ」
 向けられる紅い瞳,彼女の声に我に返り、危うく瞳の魔力に魅了されそうだった己の頭を軽く横に振りながらソファに腰を下ろす。
 吸血鬼の瞳には魔力がこもっていると言う,地方によってそれは邪眼と呼ぶ。
 彼女も己の瞳の魔力に気付いたのだろう,私の視線からわずかに自身のそれを背けて言葉を続けた。
 「お茶でも如何ですか? ウェールズの良い葉っぱが入ったんです」
 彼女がパチン、指を鳴らすと私の前のテーブルに湯気を上げたカップが二つ現れた。
 私は己の目をこする,幻…ではない様だ。
 カップを手に取り、熱い紅茶を口にする。
 熱さと、鼻腔に広がるさわやかな香りが現実であることを,今私がこの場にいるということを再確認させてくれる。
 「さて」
 足を組んで、吸血鬼の女王は私に言葉を投げかける。
 「私に何を聞きたいのですか?」
 こうして前座なしに、私の取材は開始された。



 人間と話すのは久しぶりである。
 この男とこうして話すということは、すでに3年前から予定していたことだ。
 この3年間、なかなか楽しませてもらった。
 だからこそ、今宵は礼をする為にも彼をここに招いたのだ。
 記者はまず最初の質問をぶつける。
 「貴方が吸血鬼になったのはいつ,どのように?」
 定番といえば定番であるが、懐かしいことを聞いてくれる。
 私は遠い過去の記憶を思い出す為にしばし、目を閉じた。
 私が吸血鬼になったのはチューダースという小さな村でのことだった。
 そこは地獄だった。
 吸血鬼として私が知りうる限り、『人間』であった私にとっての最初で最後の本物の恐怖だったと記憶している。
 吸血鬼と化していた牧師に捕らえられた私はそこで師であり、それ以上に大切な存在となる彼と出会ったのだ。
 吸血鬼アーカード
 吸血鬼にして、夜族の王。だがしかし、『人間』に従う者。
 私は地獄の底であがいた。
 「どうする?」
 そう、師は終わりゆく私に問うた。
 選択
 私は「続ける」ことを選択した。
 それは生きることではない。私はすでに死んでいるのだから。
 あくまでセラス=ヴィクトリアを『続ける』ことだ。
 そして私は未だに続けている。吸血鬼をではなく、セラスを、だ。


 「言ってしまえば、私は生まれた時から吸血鬼だったのかもしれない。どこから吸血鬼となったのか,とは、そのような問いはひどく曖昧なもの。あくまで私はセラス=ヴィクトリアであって、吸血鬼というのは人で言うところの若者、老人といった区分の一つに上げられるのではないか?」
 「はぁ」
 記者は生返事だ。それはそうだろう,私自身もよく分からない解答をしたと思っているのだから。
 彼は次の質問に移る。
 「貴方が戦ったとされる500年程前、初めて化け物と戦った時、どう思われました?」
 これは答えづらい質問ではある。
 師の下に付いたばかりの私は、半人前どころか4分の1前のようなものだったのだから。


 迫り来るのは元・アパートの住人達。
 生ける屍…ならまだ良い。彼らには未だに意志がある。
 「うぁあああ!!」
 ズバン!
 ジャコ
 ズバン!
 ジャコ
 ショットガンを夢中で発射。
 しかし彼ら、食人鬼達は脇腹が吹き飛ばされようとも、片手を失おうとも迫り来る速度に衰えはない。
 「こいつら、人間じゃない?!」
 当たり前のことをセガタサンシロー風に叫んでみても、状況は変わらず。
 そんな時に、頭の中に師の声が響いてきた。
 ”婦警―、頭を狙え、頭を。こいつらも好きでこんなんなったわけじゃない”
 頭?
 ズバン!
 びしゃ!
 私に手を伸ばそうとしていた食人鬼の頭が吹き飛ぶ。
 するとまるで糸の切れた操り人形のように、怪物は倒れ伏せる。
 怪物の返り血が私の頬に跳ねかえり、伝って私の口の中に。
 ドクン
 胸が高鳴った。
 それからのことは、あまり良く覚えていない。
 気付いた時には私は儀式を施された小剣で全身貫かれていたのだから…


 「初めての戦い、ね」
 私は紅茶のカップに口をつける。程よくぬるくなっていた。
 「少し…恐かったかな」
 答えに、記者の表情に安堵が映る。それはおそらく、私にも恐怖の感情があるという意味での安堵だろう。
 だが、私の言う「恐い」はこの場合は異なる。
 「怪物を倒すことに喜びを感じてしまった自分自身が、恐かったね」
 その時の私の顔はどんな顔だったのだろう?
 記者がゴクリと唾を飲む音が大きく聞こえた。



 私は幾つの質問をぶつけたことだろう?
 夜もそろそろ明ける頃まで、こうして彼女の話に耳を傾けていたが時間の経過を感じさせないほどだった。
 ともあれ、「取材」としての最後の質問を私は投げかける。
 「吸血鬼が一番恐れるものは、何ですか?」
 問いに、彼女は「ほぅ」と嘆息を漏らした。
 僅かに微笑んで、吸血鬼の女王は答える。
 「吸血鬼が真に恐れるものは、太陽でも十字架でもにんにくでもない」
 「…そうなのですか?」
 映画や小説では最も効果的なものとして扱われているのだが…
 「不死である私が最も恐れるのは、時間」
 紅い目を天蓋に向けて、彼女は言う。
 酷く重たい雰囲気を纏った言葉だった。
 「永遠に続く時間,皆変わってゆくのに自分だけ何も変わらない…これほど恐ろしいものはない」
 私に視線を戻し、言う。
 しかし私には彼女の言葉の意味を知ることは難しい。
 所詮、私は寿命のある人間なのだから。
 「寿命がないということは素晴らしい事ではないのですか?」
 「時間が希薄になってゆく…自分が生きているのかどうか分からなくなる。永遠という時間は、得てして瞬間をなくすものなのかもしれない」
 彼女は私を見ている。しかしその紅い瞳は私を見ていない。
 時間を遥か遡った、遠い時代を見ているように思える。
 「自分が生きているかどうかを確認する為に、彼は戦いに身を置いたわ。滅するか滅せられるかの刹那で生きる事」
 誰のことを言っているのだろう?
 きっと彼女の仲間のことであろう、そう確信した時、彼女の紅い瞳は過去ではなく私に向いていた。
 「貴方なら分かるのではなくて?」
 「どういうことです?」
 吸血鬼の気持ちが私に分かるとは…どういうことだ?
 「私に会うという目的の為だけに生きたこの三年間,人生で最も充実していたのではないの?」
 「まるで見ていたような言い方ですね」
 苦笑,しかし私のその笑みの表情は彼女の紅い目に映る表情によって凍りついた。
 「そぅ。私は貴方を三年間、見つめさせてもらった。楽しかったわ」
 決定的な一言だった。
 この時、全てが私の中で繋がっていた。
 そして私は私自身の「最後」の質問を口にする。
 「あの時に見せた微笑みは…」
 質問を最後まで言うことなく、彼女がそれに答えるまでもなく、答えは己の内に浮かび上がった。
 吸血鬼の女王は長い時を持て余していたのだ。
 永遠を生きる彼女にとって、私の三年間など映画を見るようなものなのか…。
 「今の貴方の顔,『人』の表情というのは面白いわ」
 今まで声の内側にあったはずの感情の起伏が、まったく失われた声を私に投げかける吸血鬼。
 彼女から、冷たい空気を感じた。
 ”違う”
 心の何処からか、自分自身の声が響く。
 操られていたことに対する失望と脱力感の向こうから響く己の声。
 ”違う、私は操られていたのでは、ない”
 心に響く己の遠い声。
 同時に蘇る、3年前の彼女の微笑み。
 ”違う、な”
 心の声は大きく聞こえ、失望と脱力感は嘘の様に消え去った。
 「私がここまで来たのは、私の意志だ」
 「そうね」
 素っ気無く答える吸血鬼の女王。
 「貴方に操られたのではない」
 「私は操った覚えはないけどね」
 軽く答えた彼女に、私が見せた表情は、
 微笑み。
 彼女の言葉が本当であっても嘘であっても、今まで歩んできた自分の道には自信があり責任もある。
 私がここまで来た理由。
 それは彼女のあの時の微笑みをもう一度見たくてここまでやってきたのだ。
 私だけに向ける、吸血鬼の女王の微笑み。
 それは彼女の長い刻の一部分だけでも占有したいという、自分勝手な欲望だ。
 「良い顔ね、『人間』の表情は久しぶりに見たわ」
 彼女の声に感情が蘇る。
 「今日、貴方をここに呼んだのはお礼をする為。何でも一つ、願いを叶えましょう」
 「何でも…願いを?」
 予想だにしなかった言葉に、さすがに私はうろたえる。
 「貴方が不死を望み、吸血鬼になりたいのなら、してあげる」
 「私は永遠の時間を生きていけるほど、強くありません」
 「賢い選択ね」
 微笑む吸血鬼の女王は怖かった。
 彼女にとって私に与えるものなど造作もないことなのであろう,そしてそれは『人間』でない彼女にとって無価値なものに相違ない。
 「私が欲しいのは………」
 私が欲しいものは、彼女にとって価値のあるもの。
 与えたことを、覚えていられるもの。
 それは、
 彼女の長い刻の中で、私という人間がいたことを刻んでおけるモノ。
 私はソファから立ちあがり、彼女に歩みに寄る。
 右手で頬にそっと触れた,驚くほど冷たい感触。
 吸血鬼は避けることなく、ただ私を紅い瞳で静かに見つめている。
 その瞳が驚きで見開かれる前に、私は願いを叶えた。



 彼女はそっと己の唇に人差し指で触れる。
 「久しぶりに昔の事を思い出してしまったわ」
 登り来る太陽に目を細め、セラスは呟いた。
 「今朝は懐かしい夢が見れそう…」
 かつての主と、仲間を思い出しつつ彼女は唯一の帰るべき地である棺へと向う。



 私は、今の私が得られる最も貴重なものを彼女から半ば無理矢理奪った。
 吸血鬼の唇。
 死者であるはずの吸血鬼の唇は、不思議に仄かに温かかった。
 それは彼女故に、なのかもしれない。
 人間である私の一日が,限りある一日が、今日もまた始まる。
 私は登り来る朝日を謳歌しながら、吸血鬼の住まう敷地内を後にした。