チェスは六種の駒を駆使せよ
* トップの資格
「へぇ」
お日様はもぅ高い。
朝、セラスは彼女の上司が購入したと思われるファッション雑誌を読んでいた。
吸血鬼である彼女にとって、この時間は『夜更かし』だ。
「おはようございます、セラス様」
「あ、おはよーございます、ウォルターさん♪」
慇懃に敬礼する初老の執事に、セラスはやや眠たげな瞳で応じた。
と、婦警は思い出したように彼に尋ねる。
「あの、ウォルターさん,ちょっとお聞きしたいんですけど」
「何ですかな?」
婦警は辺りに他に誰もいないことを確認すると、
「局長って一応、フツーの女の人なのに、どうしてこんな職場で、それも吸血鬼だとか卑猥な傭兵隊長だとかを相手に平気でお仕事できるんですかね?」
「それはですね……」
ウォルターが口を開きかけた瞬間、
「おはよう、2人とも,いや、婦警はおやすみか?」
ややアルトな声色を響かせて話題の当人がやってきた。
婦警はウォルターが口を開きかけたその後を引き継ぐように、矢継ぎ早に無理矢理会話を続ける。
「お、おはよーございます、局長。あの、そのですね…」
ふと婦警は今まで読んでいた雑誌に目を落とす。
それに合わせてインテグラもまた婦警の膝の上に開かれたそれを覗き込む。
グラビアの写真は、日本でだいぶ前に流行った『ガングロ』な女子高生だ。
「局長は流行の最先端いってますよねー、私も見習いたいですよー」
ピクリ、インテグラのこめかみが引きつった。
それに気づくのはウォルターのみ。
彼はインテグラの背後で一人静かに十字を切った。
「ほほぅ、見習いたい,そう言ったな? 婦警??」
「え、あ、はい。局長、ジャパンでは理想的な色黒ですよねー」
「ふふふふふふ…」
含み笑いのインテグラ。首を傾げる婦警。
「おもしろい、おもしろいぞ、婦警。人が結構気にしていることを…アニメ版ではどーなるか、冷や冷やしていることを平気で言うその胆力! おもしろすぎるぞ、婦警ぃぃ!!」
その時、婦警は見た。
インテグラの顔が、まさに……
インテグラはセラスを『日当たりの良い場所』に蹴り込んだ。
シュウウ!
婦警から煙が上がる。
「あっちぃぃぃ!!」
慌てて日陰に戻る婦警。
「何するんですかー、こげちゃうじゃないですかぁぁ!!」
体を所々、文字どおり日の光にこがされて突き飛ばした張本人を見上げる彼女。
その時、ようやくセラスは気づいた。
「見習いたいのだろう? 婦警??」
「ちょっとタンマ!」
ゲシィ
「あちーー!」
ゲシゲシィ
「あちちちちーー!!」
ウォルターは途切れることない婦警の悲鳴とインテグラの含み笑いを聞きながら、朝の紅茶を一口含み、そして嘆息。
「分かりましたかな、セラス様? お嬢様は鬼なのですよ」
彼の呟きは小鳥の囀りの様に穏やかだった。
* 孫悟空
「うーむ」
「どうした、婦警?」
「あ、マスター!」
セラスは主の気配と言葉に顔を上げた。
「あの、お聞きしても良いですか?」
「何だ?」
「アンデルセン神父の剣は、一体どこから出てくるんですかねぇ?」
首切り神父アンデルセン。
13課の鬼札であり、アーカードの宿敵とも言えよう。
彼はまるで宇宙銃のように祝福儀礼の施された小剣を懐から取り出すことができるのだ。
「分からないのか、婦警?」
アーカードに逆に問われ、戸惑うセラスは小さく首を縦に振った。
困った風に、アーカードは続ける。
「東洋の物語で西遊記というのは知ってるか?」
「ええ、小さい頃読みましたから」
「そこで出てくる孫悟空は覚えているか?」
セラスは言われなくても分かってる、とでも言うように小さく首を縦に振る。
はて、それと一体何の関係があるのか?
「孫悟空は何から己の分身を次々と作り出すことができる?」
「ええ?!」
「そして懐と言えば?」
「胸毛ッスか?!?!」
* 目玉のオヤジ
ベルナドットは視線を感じ、立ち止まった。
視線は彼の遥か左から。
目をやると、黒衣の吸血鬼・アーカードの姿がある。
“なに見てやがるんだ??”
人とは異なる吸血鬼の思考など分かるはずもない,傭兵隊長はそう思う。
だから無視することにした、が…
「クククッ」
“笑ってるよ、オィィ!”
笑っている、確かにアーカードがオレを見て笑ってるよぉぉ!
ベルナドットは今の自分のどこに吸血鬼が笑えるところがあったのか、考えるがさっぱり見当もつかない。
未知の者に対して、背中に冷たいものを感じた。
その時のアーカードの思考――
“ベルナドットの眼帯の下には何がある?”
アーカードは特に意味のないことを考えていた。
“もしかして――
おぃ、ベル!
なんだい、ダディ?
――な〜んて、鬼太郎みたいになってたりしてな“
「ククク…クハッハッハ〜〜!!」
「ひぃぃ!!」
ベルナドットは爆笑し出したアーカードを背に、とうとう悲鳴を上げて駆け去っていったという。
* 脅かす魔
「すでに被害はこの地区全体に及んでおります」
神妙な面持ちで状況を説明するのはこの地区の保安責任者・ウィリアム=ホーネスト。
定年間近の、できれば問題ごとを起こしたくないお年頃だ。
彼の説明を聞くのは、対化物のスペシャリスト・ヘルシング局長インテグラであった。
「この地区全体だと?!」
少なくとも1千戸はある、見たところ平和な町並みを見渡してインテグラは戦慄する。
一体何人の人間が化物の被害に遭ったと言うのだ??
「それで被害者は? グール化してるんですか、やっぱり?」
問うのはインテグラの背後に控えていた婦警・セラス=ヴィクトリアだ。
保安責任者はしかし、首を傾げた。
「被害者…はこれら家屋に住んでいる住人達ですが? それにグールって何ですか?」
「「はぃ??」」
男の言葉に首を傾げるヘルシング一行。
「身の丈4m,長い牙を持ち、爛々と輝く瞳をした化物が出たと聞いているのだが?」
こちらはアーカードだ。しかしそれに保安責任者は首を縦に振った。
「その通りです。恐ろしい姿をしたピンポンダッシュ魔がこの地区全体を…」
「総員撤収!!」
* 制服委員会
「「決定だ!!」」
ヘルシング機関の構成員たる彼ら――アーカード、ウォルター、ベルナドット、他傭兵の皆さん――の全会一致により、新しいヘルシング機関の制服が決定した。
「ほぅ、新しい制服とな?」
フン、鼻で笑ってインテグラがまるで下克上のような勢いで決定されたその『制服』をウォルターから受け取った。
「はい、対魔用の公式衣装として遥か東洋・ジャパンでも古来より一般的な服装でございます」とウォルター。
「へぇ、これが新しい『ヘルシング機関』の機関員の制服ですか」
こちらも、インテグラ並みに冷たい声色で言うセラス。
「その通りだ」
「さぁ。お召しくださいませ」
アーカードと、そしてウォルターは2人の女性『機関員』に薦める。
新しい制服、それは、
――白い着物、赤い袴、足袋――
「着てやろう、だがな」
インテグラは無表情のまま。こう言った。
「なぜおまえ達は着ないのだ?」
「「?!?!」」
この日より、ヘルシング機関は巫女委員会になったと言う(朝霧の巫女より)。
* 弱点
アーカードはその部屋に入った途端、顔をしかめた。
「どうしたんだぃ、旦那?」
問うはベルナドットだ。
ここは食堂,ベルナドットは夕食を摘まんでいた。
夕食のメニューはガーリックとたっぷり効かせた子羊のソテー。
アーカードは明らかに、このガーリックの匂いに顔をしかめているのだ。
「へぇ、旦那にも苦手なモノがあったんだな」
「ああ」
アーカードはソテーの上にたっぷり盛られたニンニクを眺めながら生返事。
彼はそぅ、15年ほど前の記憶を思い出していた――
「ガーリックとオニオンをたっぷり効かせたステーキは美味かったな、ウォルター!」
「赤ワインも絶妙にございましたね」
それはまだインテグラが幼かった頃だ。
アーカードとウォルターは一仕事を終え、食事も済ませて執務室にたどり着いた。
時間は夜、インテグラもすでに眠っているだろう、そう2人は思っていた。
そこへパジャマ姿の幼いインテグラがクマのぬいぐるみを片手にやってくる。
「おや、お嬢様」
ウォルターが気づき、問う。
「風の音がうるさくて眠れないの」
呟き、彼女はアーカードの下へ。
吸血鬼はインテグラを抱き上げて、彼には珍しい優しい声色でこう尋ねた。
「お嬢様,風は君に子守り歌を歌ってあげているのだよ」
それに対する答えは、しかめた顔をしたインテグラのこの一言。
「おじちゃん、お口臭い」
「ポリデ★ト?!」
遠き日の、忘れられぬ想い出だった――
「泣くほど苦しいのかい? 旦那??」
「ああ。あの頃は可愛かったなぁ……そう思ってつい、な」
吸血鬼アーカード,彼の弱点であるニンニクは切ない思い出……
おわり