Tea Time
屋敷の主は背もたれの付いた大きなその椅子に、細い身を沈める。
大きく溜息。何か飲み物でも飲みたい気分だ。
「もぅ寝たらどうだ?」
己の影に立つ、低い男の声に部屋の主は薄く微笑んだ。
インテグラ=サー=ウィンゲーツ=ヘルシング,それがこの屋敷の主・彼女の名である。
「これからがお前達の時間なのだろう? アーカード」
彼女は後ろに振り返ることなしに背後の男に問うた。
黒装束に、サングラスの男。ヘルシング機関の鬼札・吸血鬼アーカードである。
彼は軽く鼻で笑ってそれが肯定であることを表す。
「そのお陰でな…」ほとほと困り果てた様に、彼女は続けた。
度はあまり入ってはいない眼鏡を外し、胸ポケットに入れてあるハンカチーフでレンズを拭きながら窓の外を指差す。
「うるさくて眠れやしないのだ」
よく見るとインテグラの目はウサギの様に赤い。寝不足…のようだ。
窓の外、そこは傭兵達の演習場が広がっている。
「ど〜して200も当てらんないのよ!」
「エアガンじゃ無理だっちゅ〜に! そもそもどうしてエアガンなんだ?」
「局長がうるさいからって言うんだもの」
「良いじゃねぇか、郊外なんだしよ」
「直接言ったらどうよ」
「だって恐いし…」
「情けないわね〜」
「うるせ〜! 歌うぞ!」
「セクハラよ!!」
あまり手本にならない女教官を務める婦警と、傭兵達のリーダーの怒鳴り声がひっきりなしに続いていた。
「何とかならんか?」
「フッ…無理だな」
「何もえらそうに言わんでも良いだろう」
眼鏡を掛け直してインテグラ。彼女がうるさいと注意したのは銃声もあるが、それ以上にセラスとベルナドットの怒鳴り声だったのだがどうやら分かっていなかったようだ。
「失礼致します」
「入れ」
ドアの向こうからの慣れ親しんだ声に、インテグラは応じる。
入ってきたのは一人の老執事。
片手にはインテグラが望んでいた物が載ったトレイがあった。
「お茶でございます」
彼は言って、机の上にカップではなく湯飲みを置く。
独特の香りが湯気と伴に立ち昇っていた。インテグラは両手で湯飲みを持ち、香りを楽しむ。
ウーロン茶の独特な香りが彼女の鼻腔をくすぐった。
「これは…どこの茶だ?」
「中国は雲南省で御座います。鉄観音です」
「湯の温度は?」
「60℃」
「水はどこだ?」
「ベイドリック地方から涌き出る硬水を使用しております」
「碗は?」
「唐時代の白磁器」
「二番煎りか?」
「もちろん」
「パーフェクトだ、ウォルター」
「恐悦至極に御座います」深々と頭を下げる老執事。
お茶を楽しむ主を嬉しそうに眺めた後、彼は後ろに控える吸血鬼に同じようにトレイの上のものを手渡した。
血液パックだ。
アーカードはそれを手に取り、おもむろにストローを刺す。
そして一啜り…
「血液型は?」
「Å型はRH−で御座います」
「採血時期は?」
「昨日です」
「男か女か?」
「現役ムチムチ(死語)の女子高生にございます」
「前日の食事は?」
「野菜を主に摂っていたと」
「パーフェクトだ、ウォルター」
「恐悦至極」
ニタリと微笑み合う,まるで同じ趣味を持つ者のように本当に心から微笑む二人の男に、インテグラは少し恐いものを憶えつつ、再び湯飲みに口付ける。
ずずずずず…
三つの音が執務室に響き渡った。
「まぁ、平和だな」
「ああ」
「左様で」
ちゅど〜ん
小さな爆発音は窓の外から。
「局長に怒られるでしょ! バカ隊長!!」
「テメェがレアな地雷を見たいとか言うからだろ!」
「ちゃんと信管は外しときなさいよぉ,私が吸血鬼じゃなかったら死んでるところじゃない!」
「チッ!」
「なぁによぉぉぉぉぉ!!! その『チッ!』ってぇのは!!」
近くに傭兵達の巻き起こす爆発音を聞きながら、この屋敷の主は苦笑とも思える笑みを浮かべた。
少しずつ、やかまし気味に変わって行くこの環境。
これまでの日々の静寂と引き換えに、彼女に舞い込むものは果たして何なのか?
そして彼女はその中で少しづつ、変わって行ってしまうのだろうか?
「まぁ、それも良いか」
「何か?」
「いや、何でもないよ、ウォルター」
彼女は心配そうに尋ねた老執事に、柔らかな笑みを向けて応えた。
窓の外を眺めて、珍しく苦い顔をしている吸血鬼を視界の隅に入れながら………
おわり
これはサカヱダさんへお贈りしたものです。