魁! ヘルシング高校


 朝の生まれたばかりの風が少女の金色の髪を撫でてゆく。
 スカートの丈は膝下3cm。セーラー服のスカーフはちょっときつめに巻いている。
 彼女が歩むのは、木漏れ日の優しい街路樹の一本道だ。
 そこは朝の静けさをまだ身の内に保っている。
 やがて少女はT字路へと差し掛かり、足を止めた。
 そこには彼女を優しく見下ろした2mほどマリア様の彫像がある。
 少女は瞳を閉じ、マリア様に祈りを捧げた。
 『マリア様、孤児院のみんな、私はとうとうやってきました』
 少女は目を開き、しっかりとマリア様を見上げる。
 『ここ、聖ヘルシング女学院に!』
 少女の名はセラス・ヴィクトリア。
 ロンドンの片田舎から今年、この淑女の通う名門として名高い、聖ヘルシング女学院へ入学した。
 今日は待ちに待った入学式!
 昨夜は嬉しさになかなか眠れず、今朝は今朝で早く起きてしまった。
 せっかくだからと、セラスは学舎までの道を楽しむことにしたのだ。
 彼女は視線を正面のマリア様から、右方向へ向ける。
 広がるのは、白亜の校舎までの一本道。
 遠く、学生達の声が聞こえてくる。
 おそらく部活動の朝練をしている上級生達だろう。
 「よし、がんばるぞ!」
 両手で頬を軽く叩き、セラスは校舎への道に足を一歩踏み出した。
 ざっざっざっ
 遠く、複数の足音が聞こえてくる。
 校舎からこちらに向かって、複数の人影が見えてきた。
 「朝練のジョギングね」
 セラスはやってくる人影を見つめながら、脳内で挨拶のシミュレートを行う。
 ”ええと、背筋を伸ばして軽く45度、だっけ?”
 朝から汗を流す先輩達はどんな方々なんだろう?
 セラスは思う。
 ”何部かな? テニス部かな、それともバレー部とか…”
 見えてきた人影の背が案外高いことに気付く彼女。
 整然と隊列を組んで走ってくる。
 才色兼備で知られるヘルシング女学院の生徒達だ、部活動の練習にもハリと気品がある…と思う。
 ”恥ずかしくないように挨拶しなきゃね”
 と、セラスがやってくる彼女達を再び見つめた時だ。
 「エスキモーの***は〜♪」
 「「エスキモーの***は〜♪」」
 セラスは硬直した。
 駆けてくる生徒達は突然、信じられない言葉を張り上げたのだ。
 それもセラスの思っていたオクターブの高い声ではない。
 セラス自身よりも数オクターブ低い、男達のダミ声だ。
 「*****〜」
 「「*****〜」」
 突然のことに頭の回らないセラスの耳には続けて単語が飛び込んでくる。
 先頭の男の言葉に続けて放たれる、高潔な女学院の中にはありあえない、いやあってはならないはずの単語は、ランニング時の掛け声として静かな学院に響き渡った。
 「へ?」
 呆然とセラスはやってくる集団を見つめる。
 詰襟の黒い学生服を着込んだ屈強な男達だ。
 彼らの身を包むオーラは間違いなく暴力的なそれを含んでいる。
 「俺によーし!」
 「「俺によーし!」」
 「んなっ!」
 わたわたとセラスはやってくる男達と、そしてマリア様の彫像を交互に見た。
 マリア様は当然、無反応である。
 やってくるのは2列縦隊を組んだ詰襟の男達。
 先頭は1人。リーダー格と思われる三つ編みの男だ。
 ふるふると震えるセラスの拳が硬く握られた。
 彼らはセラスの目の前を通過しようとする。
 「お前によーし」
 「「お前によーし」」
 「よしじゃなーい!」
 セラスは先頭の三つ編みの男に向けて渾身の右ストレートを打ち込んだ!
 硬く握った右の拳。その親指は人指し指と中指の間に挟む。
 撃ち込む先は先頭の男の顔面だ。
 親指を右目に突っ込み、殴りぬけた!!
 「げぼらっ!!」
 三つ編みの男は、セラスの思いもかけない豪打にその身を2mほども吹き飛ばされる。
 ドス!
 ぶつかって止まったのはマリア様の像。
 背をしたたかに打ちつけ、三つ編みの男は沈黙した。
 「はぁはぁ」
 肩で息をして、セラスは後に続いていた男達を睨みつける。
 男達の動きは止まり、セラスを呆然と見つめていた。
 「部長が一撃で…」
 男達の誰かが唖然と、マリア様に背を預けて気を失っている男を見つめ、呟いた。
 「今のは伝説のディオ・パンチ」
 「えげつねぇ……ジョジョから財産を全て巻き上げるつもりかよ」
 「何訳分かんないこと言ってるのよ!」
 キッとセラスは男達に一喝。
 「どうしてこの学院に男がいるの?! それもお下劣な声を張り上げて!!」
 学生服の男達はセラスの言葉に、互いに困った顔で見詰め合う。
 「なんとか言ったらどう?!」
 叫ぶようにして詰め寄るセラス。
 と。
 「朝から騒がしいな、それもマリア様の前で」
 耳の奥にまでストレートに届く、ややハスキーな女性の声にセラスはハッと後ろに振り返る。
 そこに立つのは金色の長い髪を持つ女生徒だ。
 シワ一つないセーラー服から伸びる、細く長い手足は薄い褐色。
 セラスよりも高い身長に、まるでモデルのようなプロポーションを誇っている。
 眼鏡ののった端正な顔には、厳しい色が浮かんでいた。
 胸の標章は3年生を示す3枚の桐の葉が朝の光を浴びて鈍く輝いている。
 「あ、ええと、その」
 セラスが言葉を放つよりも早く、上級生は言った。
 「ごきげんよう」
 「は、えと」
 「なんだ、朝の挨拶もできんのか、今年の新入生は」
 瞳に明らかな侮蔑の色が浮かぶ。
 「あ、いえ! ご、ごきげんよう!!」
 慌ててペコリと頭を下げるセラス。
 「まったく…」
 上級生の彼女は呆れ顔で肩の力を落とすと、セラスに歩み寄った。
 セラスは慌てて背筋を伸ばし、硬直。
 上級生の彼女の指先が、セラスの首筋に伸びた。
 「え?!」
 彼女の細い指は、セラスの緩んだスカーフを優しく調える。
 ほんのりと、紅茶と思われる香りがセラスの鼻腔をくすぐった。
 「服装にもしっかり気をつけるように。さらに今年からは共学になったのだからな」
 セラスのスカーフから手を離し、上級生の彼女は校舎へと足を進める。
 「あ、あの」
 セラスの突いて出た声に、彼女は足を止めて僅かに振り返る。
 「セラス・ヴィクトリアです!」
 唐突な自己紹介に、彼女の唇が良く見なければ分からないほどに、僅かに笑みの形を作った。
 「……インテグラだ」
 小さく呟き、インテグラは校舎へと去っていく。
 それを呆然と見送りながら、セラスは彼女の言葉を反芻する。
 「そうね、服装には気をつけなきゃ……それと今年から共学……え?」
 セラスは学生服の男達に振り返る。
 「共学?」
 「「共学だ」」
 呆れ顔で学生服の男達はセラスにそう答えたのだった。


 聖ヘルシング女学院は今年から兄弟校である、こちらは共学であったイスカリオテ高等学校と合併し、ヘルシング高校となった。
 学力的にも学風でも異なる部分が多々あったが、互いに「ない」部分であるとして半ば強行的に合併となったという。
 「知らなかったの?」
 「うん」
 セラスは席で頭を抱えて彼女の説明を聞いていた。
 セラスの前の席に座る彼女――度のきつい黒ふちの眼鏡をかけた、そばかすの似合う女の子だ。
 寮通いであるセラスのルームメイトでもある彼女の名はリップバーン。
 初めて会った昨夜は、胸の大きさのことで随分と羨ましがられたものである。
 さて、登校初日である彼女達は、まず学院中央にある大ホールで入学式を済ませた。
 そしてクラス別に分けられ、つい先程担任の挨拶と自己紹介を終えたばかりである。
 本日は授業もなく、学校行事としてはこのまま終わりとなる。
 これから生徒達はちょっと早い昼ご飯か、または部活の勧誘活動に応じることになるだろう。
 セラスとリップバーンは寮通いを始めたばかりなこともあり、これから2人で生活に必要なものの買出しに行くことになっている。
 「でもセラス、ついてるわね」
 「どーしてよー」
 リッピバーンの含み笑いにセラスは首を傾げる。
 「だってインテグラ様にスカーフ調えてもらったんでしょ?」
 「う、うん。リップは知ってるの、インテグラさんのこと?」
 「当然よ! ヘルシングの黄薔薇として有名じゃないの!!」
 「黄…薔薇?」
 どことなく百合っぽい響きに、セラスの額に汗が浮かんだ。
 「いいなぁ、セラス。私も黄薔薇様にスカーフ直してもらいたいなぁ」
 「そ、そう??」
 瞳をきらきらさせて妄想世界に突入したリップバーンから距離を置きながら、セラスは朝のことを思い出す。
 ”確かにカッコいい方だったなぁ”
 「セラス・ヴィクトリアはいるか?!」
 帰る者、部活動を覗きに行こうとする者、昼ごはんにクラスメートを誘う者、そんなざわめく教室に一際大きな声が響いた。
 セラスが声のした戸口に視線を移すと、そこには詰襟の上級生が2人。
 「何をしたの、セラス?」
 「さぁ?」
 やがて2人の上級生はセラスの前へやってきた。
 「じゃ、セラス。私は気になる部活があるから、先行くね」
 「ええ?! 買い物に行くんじゃ…」
 「無事に帰ってくるのよー」
 「ああっ、待ってよっ!」
 セラスはひらりと去っていくリップバーンの背を追おうとするが、その行く先を2人の男達が塞いだ。
 「セラス、だな」
 「一緒に来て貰おう」
 「あ、ちょっとヤダ!」
 両脇を抱えられ、連行される宇宙人状態になるセラス。
 「はーなーしーてーーー!」
 叫び空しく、彼女はクラスメート達の好奇の視線を受けながら連行されていったのだった。


 「よぉ、嬢ちゃん。今朝は世話になったな」
 眼帯三つ編みの男が、椅子の背もたれを抱く格好で薄暗いその部屋で待っていた。
 校舎の端にある、部室長屋の一室。
 サバイバル同好会「ワイルドギース」の部室である。
 セラスは息を呑む。
 「……誰?」
 「朝、問答無用でお前に殴られた男だよっ!」
 がたんと座っていた椅子を蹴って、彼はセラスに迫る。
 「俺の名はベルナドット。このワイルドギースの会長だ」
 「はぁ」
 気のない返事でセラス。
 「伝統あるワイルドギースの会長が見知らぬ新入生の、それも女に一撃でやられたとあっちゃ、部員にも先輩にも顔向けできねぇんだよ」
 ギロリとセラスを睨むベルナドット。
 セラスは周りを見回す。
 同じように部員達がセラスを取り巻いて睨みつけている。逃げ場がない。
 「で?」
 「なに?」
 セラスは気丈にも、ベルナドットを睨んで問うた。
 「私にどうしてほしいのよ?」
 ベルナドットはニヤリと微笑む。
 「勝負だ」
 「勝負?」
 「そう、男と男の決着をつけさせてもらう」
 「私、女だけど?」
 「………」
 「「………」」
 沈黙するベルナドット以下ワイルドギースの面々。
 「まさか女の子に対して暴力振るおうっていうの?」
 「先に暴力ふったのはオメーだろうがっ!」
 ベルナドットは振り上げた拳をなんとか自制して収めた。
 「勝負の方法は、これだ!」
 彼は机の上に2丁の銃を叩きつけるようにして置く。
 「??」
 「早撃ちで勝負だ!」
 「早撃ち…って?」
 セラスの言葉にベルナドットは鼻で笑い、答える。
 「先に撃たれた方が負けってことだ」
 そのままひねりのない内容だ。
 「俺が勝ったら嬢ちゃんにはこの同好会のマネージャーをしてもらうぜ」
 「え?! 何よそれ!!」
 セラスは周りを改めて見回す。
 女っ気のない、野郎どもの巣窟だ。こんなところで花の高校生活を終えたくはない。
 「じゃ、私が勝ったらどーすんのよ?」
 「この同好会の会長の座を譲ってやる」
 「一緒じゃない! いらないわよ!」
 「い、いらないだとっ」
 おののくベルナドット。
 「ならば…そうだな、何でも1つだけいうことを聞いてやろうじゃないか」
 セラスは考える。分のいい勝負ではない。
 しかし鬱陶しい連中に今後もあれこれとちょっかいを出される前に、この場で今後は近づいてこないように約束させるのも一つの手だ。
 「……分かったわ、勝負してあげる」
 「よし。じゃあ、銃を手に取れ」
 ベルナドットに言われ、セラスは机の上の銃の1つを手にする。
 エアガンだが案外重い。銃床は金属製だった。
 「まずはお互い背中合わせだ。前に向いて歩き、3つ数えたら撃ち合う。分かったか?」
 「分かったわよ」
 セラスとベルナドットは部室の中、部員達が見守る中で背を合わせた。
 「1」
 互いに一歩、足を踏み出した。
 「2」
 早足でそれぞれ3歩。
 「3!」
 振り返る2人。
 ベルナドットの持つ銃のトリガーが、セラスのそれよりも断然早く引かれた!
 パン!
 軽い音とともに、
 ぽよん
 セラスの左の胸のふくらみにBB弾が辺り、軽く跳ね返って床に落ちた。
 「やったぜ……え?」
 ベルナドットの勝利の叫びは途中で消える。
 パンパンパンパンパン!
 「いててててててててて!!」
 セラスは無慈悲にベルナドットに引き金を引きながら迫る。
 「あ、あたっただろ!」
 ベルナドットは弾を受けながら抗議。
 しかし。
 「フッフッフ……私がたった一発で倒れるとでも思うの?」
 ニタリと邪悪な笑みを浮かべるセラス。
 「せめて3発くらい当たれば死ぬと思うけど?」
 パンパンパン!
 「いてててて!」
 カチカチ
 やがてセラスの銃の弾が切れる。
 その時にはすでに彼女はベルナドットに手が届く距離にいた。
 「ちょ、ちょっと待て!」
 ベルナドットの顔が恐怖に歪む。
 セラスが銃を振り上げたからだ。
 ベルナドットに振り下ろされるエアガンの銃床。
 「ひぃぃぃぃ!」
 ごす!
 くぐもった音はベルナドットの頭から。
 ごす、げし、ごし!
 殴打音とともに、言葉では表現しきれない残虐非道な景色を見せられた部員達の顔から血の気が引いていく。
 どさ……
 音を立てて、ベルナドットは床に伏した。
 ぴくぴく震える手足はかなり危ない痙攣状態だ。
 「私の勝ち、ね?」
 点々と返り血を浴びたセラスに、ベルナドットは無言。
 部員達は人形のようにカクカクと頭を上下するのだった。


 「ったく、ぶっ」
 部室を出た瞬間セラスは、やわらかいものに顔から突っ込んだ。
 「おや、無事のようだな」
 頭の上から降ってきた声に、セラスは一歩後ろに身を引いて改めて前を見た。
 「あ……インテグラさん」
 目の前には朝と同じ、冷たいまなざしのインテグラがいた。
 その胸に飛び込む形になったしまったようだ、セラスは思わず赤面する。
 「先輩は一体何故こんなところへ?」
 おずおずと問うセラスにインテグラは困った顔をして答えた。
 「無茶な勧誘をやっている部があると聞いたものでな。生徒会長である私としては放っておく訳にいかん」
 セラスはインテグラの後ろでピースサインを出しているリップバーンに気付く。
 どうやら彼女が呼んできてくれたようだ。
 「せ、生徒会長だったんですか…」
 「ああ、そうだ。今朝の入学式で挨拶したと思うが」
 「え、あと、そうでした」
 入学式の行われたホールで、椅子に腰掛けてグッスリ寝ていた自分の数時間前の姿を思い出し、彼女は引きつった笑いを浮かべる。
 インテグラはそんなセラスに首を小さく傾げ、そして彼女の全身を上から下へと眺める。
 「それはそうと、大丈夫だったか?」
 「は、はいっ」
 顔を覗き込んで問うインテグラに、セラスは慌てて大きく頷いた。
 「む?」
 しかしインテグラは懐からハンカチを出すと、それでセラスの頬を拭く。
 「返り血、か?」
 「あ…」
 一通りセラスの顔にうっすらとついていた血を拭うと、インテグラはワイルドギースの部室を覗いた。
 「なるほど、私が手を下すまでもないか」
 冷淡だったその顔に、初めて笑うが浮かぶ。
 もっとも苦笑いであったが。
 「セラス、と言ったな」
 「はい」
 インテグラはセラスをまじまじと見つめる。
 思わずセラスは顔を背け、俯いてしまう。
 「ヘルシング高校へようこそ、セラス・ヴィクトリア」
 右手を差し出すインテグラ。
 セラスはそれを見つめ、そしてその意図を知ってちょっと慌てた後、おっかなびっくり握り返した。
 「あまりはしゃぎ過ぎないように、な」
 「はいっ!」
 こうしてセラスの高校生活が幕を開けた。
 これから想像を超えた様々な苦労が降りかかることを、彼女はまだ知らない。

To Be Continued ...?