Diary - mixi etc. Ver.
『僕らの青春は、如何にしてハイメモリ領域に常駐プログラムを叩き出し、コンベンショナルメモリに空きを作るかだった』 これが一体何を意味する言葉なのか、知らない人は知らなくて良い。それはきっと今後知る必要のない知識だから。 一方、心の何処かがうずき出す方は、きっとこの知識はどこかで役に立っているはずだ。そう願いたい。 かつてPC-98シリーズというパーソナルコンピューターがあった。 NECから発売され、公民ともに会社で使われ始めたメジャーなパソコンだったと記憶している。 そしてこのパソコンは当時高校生だった私たち所謂「おたく」な人間の格好の遊び道具だった。このころはまだおたくなんて言葉はなく、コミケも幕張で行われているような時代で、コスプレに至っては何を持ち出そうが特に制限はなく、個々の良識の範囲で行われていた良心の時代だ。 その頃のパソコンは、まだウィンドウズはなかったが、GUIが叫ばれ始める頃であり、コマンドプロンプトが主流で、むしろ「これでなくては信用できない」という、ある意味ハードルの高い世界でもあった。 こんなパソコンで何を楽しんだかと言うと、やはりゲームである。 この98シリーズからエロゲーと呼ばれるジャンルが確立し、様々なソフトメーカーが群雄割拠した。 それぞれが売れるために技術力を切磋琢磨し、今思えば「どうしてこんな低いスペックで音声出るんだよ」だとか「アニメーションしてるよ、スゲッ」なんていう黄金時代を迎えたものだ。 ぶっちゃけ、これが私の青春時代だ。 片やスポーツに青春をぶつける同級生を眺めながら、同士数人と部屋の隅でコツコツとゲームのコピーやらプロテクトの解除やらに勤しんだ、ある意味貴重な時間だったと記憶している。 さてそんな時代、パソコンを起動しDOS画面にするのだが、ここでコンベンショナルメモリ――すなわちベースのメモリ(640KB)をいかに「消費しない」かを自然と競うあうようになった。 競争相手は昨日の自分。仲間は同級生の同志達。 CPUが386か、もしくはCバスのメモリーボードを使用することで640KBから上のメモリ、およそ300KBほどをコンベンショナルメモリとほぼ同様の扱いとして使用することができるようになる。 しかしながら全てのプログラムに対して使用できるのではなく、さらに300KBあまりと案外少ない。 如何にしてメモリブロックを隙間なく埋めて、効率良くコンベンショナルメモリを空けるか。それはパズルのようでもあった。 結局のところ、最大の空きは610KBあたりが上限だったのだが、良い戦いをした記憶が残っている。 さて、コンベンショナルメモリの空き領域を広げることが何故良いのか? それは「ゲームを立ち上げる際、空きが大きくないと立ちあがらないから」。 まぁ、そんなどーしよーもない理由で空きを作っていたのであるが、当時はこれが結構方々で流行っていたのですよ。 そんな昔のことを何故今思い出したのかと言うと、先日ジャンク品として98用のLANボートを105円で入手しことから始まる。 未だに当時の98を所有している私なのですが、これを機に古いこの機体でもLAN接続によるインターネット通信ができたら良いかも、というのが理由。 幸いにもハードウェアの故障もなく、出自も判明し、認識もできた。 OSはウィンドウズ95。しかしLAN接続ができない。 というよりも、OSの仕様なのか、ダイヤルアップ接続しかできん。 本質はもっと深いのだろうけれど、設定が上手くいかずにかなり投げ気味。 そこで昔を思い出したのです。 あの頃はきっと、情熱だけで使えるように解析しただろうな、と。 その情熱は何処からきたものなのか、それはご想像にお任せします。 うん、若かったな……(取りあえずハードのセットアップは完了です)。
1cm×1cmくらいの大きさのチョコレート。 昔は駄菓子屋、今はコンビニなんかで見かけるお菓子です。 発売元はズバリ、チロルチョコ株式会社。 スゲェ、こんな小さなチロルチョコだけで株式会社になっていやがる?! しかし、しかしである。たかだかちっぽけなチョコと思うなかれ。 種類は様々あり、今でも新商品が増えている。 例えば「きなこもち」。こいつはチョコの中にきなこ味の餅のグミが入っている。新触感ダゼ! 新しいものでは「かくぎりいちご」。なんとフリーズドライしたイチゴが入っているというから驚きだ。 ちっちゃな商品に色々な夢を詰め込んだチロルチョコ。 最近はほとんど食べたことがない私だが、応援したいと思う。 で。 会社帰り、寒空の下で駐輪場に止めておいた自転車を引き出したんです。 するとどうでしょう。 かごの中に何故かチロルチョコが2つ。 ああ、思いを寄せる人が入れてくれたのかな? なーんて思ったりもしたんです。 でも知っていますか? 毒物を混ぜるのにはチョコが最適だってことを(香りや味とかがチョコの方が強いので)。 ああ、思いは思いでも「殺意」の方かな? なーんて。 すっぱりゴミ箱へ投げ捨てた、1月の晴れた日です。 ちなみにチロルチョコ株式会社のHPはこちら。 http://www.tirol-choco.com/ 案外、見ていて楽しかったです、はい。
当方はお酒類ならどんなものでも呑むのですが、ウィスキーの美味しさについては未だに『分からない』。 特に水割り。 味がほのかにするだけで、そこにある美味しさが分からないのです。 でもストレートなら少しは美味しい(でも良く分からん)。 「ウィスキー」の名称は、ゲール語のuisce beatha(ウィシュケ・ベァハ 、「命の水」の意)に由来しています。 大麦やライ麦、トウモロコシなどの穀類を原料とした蒸留酒であり、主な生産地はイギリスはスコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダ、そしてなんと日本の5ケ所。 日本に伝えられたのは1853年、アメリカのペリー提督が来航した際に、将軍への献上品としてウイスキーや各種洋酒を携えて来たのが最初とされています。 基本的に産地による分類と材料による分類の2つに分けられるとのこと。 こうしてウンチクを培っても、どうしてもその味の良さを見出すことができずに、一杯、また一杯といってしまうわけです。 ああ、呑みすぎた(ダメじゃん)。
みなさんの家の玄関には、この門松は飾られているでしょうか? 我が家はないです。 っつーか、お客さんが来ないのであっても意味がない。 しかし、しかしであります。 そもそも門松は何故玄関に立てるのでしょうね? 調べてみますと、門松とはその年の神さまをお招きするための目印なのだそうです。 またその神さまがお降りになったときに宿られる場所(すなわち依代)を表すものだそうな。 だから、お客に見せるだとか、そういう「見栄」のためじゃないのです。 あらら、ヤバイじゃないですか。やっぱり門松は必要なようですね。 そう思い、我が家の玄関を見てみたらドアに簡単な注連飾りがくっついていました。母が取りつけたようです。 さて、そもそも門松とはもともとは、松・杉・椎(しい)・榊(さかき)といった常緑樹を用いていたようですが、いつしか主として松を用いるようになり、そのことから門松と呼ばれるようになったもの。 すなわち、よく大きな家とかで見る、竹三本を松で囲んで荒縄で結んだ形でなくとも良い訳です。 なんだそうか、ホッと一息ですね。 ところで話は変わるんですが、クリスマス前に家を電飾でデコレーションしている家庭ってあるじゃないですか。 あれって、外から我々が見る分には「ああ、クリスマスも近いよね」って思うんですけど、当の家の中に住んでいる人たちは見えないじゃん? あれぇ? なんかおかしくないですか?? とか、思ったりするんですよ。 それが『見栄』なんじゃないの? あ、そうかっ!
「あけましておめでとうございますっ!」 「おめでとう、未紅。カメラ目線で誰に言っているのかさっぱり謎だが」 「テレビの前のみんなに決まってるじゃないの、ユウ。そんなことよりアタシの格好見て、何も感じないの?」 「着物、着てきたのか?」 「そう、このアタシの名にふさわしい、血のように真っ赤な色を施した晴れ着をねっ!」 「嫌な色だぞ、ソレ」 「そんなことよりっ! お正月といったらユウは何を始めに思い浮かべる?」 「初夢」 「うぁ、寝ることばっかり考えてますよ、主人公のクセに」 「……なら未紅は何を思い浮かべるんだ? もちろん立派なもんなんだろうな?」 「当然じゃない。お正月といえば年の始め。年の始めといえば、昔からお代官様とかお偉い人が言うじゃないのさ、まずは『姫初め』だって」 「……おまえ、意味分かっていってるのか?」 「とーぜんでしょ? 書初めの仲間かなにかじゃん、違うの?」 「家に帰ったらお父さんお母さんに聞いてみな」 「むー、そーする」 「ともあれ、今年一年」 「よろしくおねがいしまーす」 ふかぶかとお辞儀する2人。 そして柏木の音と伴に幕は一旦閉じたのでした。
あけましておめでとうございます。 今年も一年、どうぞよろしくお願いいたします。 始まりました2005年、果たしてどんな年になるでしょうね? みなさんはもう、初詣には行かれましたか? 私は近所の天神さんに行ってまいりましたよ。 普段はぜーんぜん人がいないのに、今日という日は境内から鳥居のある入り口まで長い人の列ができていました。 こうなるとなんだかえらく立派な建物に見えてくるから、人間ってのは現金なものだなぁ、なーんて思ったりもして。 ―――調べてみたら、実際に歴史のある寺社でした。けっこうびっくり。 お正月三箇日ですが、近所に親戚なんかがいない私といたしましてはとても暇なのでございます。 のんべんだらりとネットゲームをしつつ、半分寝正月の予定。 親戚がいない=お年玉をあげる必要がないという公式は、事実幸せなのかもしれません。 お年玉…という訳ではありませんが、冬コミで某氏のコピー誌にお贈りしたショートショートの1つをここいらに載せてみようと思うのです。 一応、私は小説書きさんとゆーことで。 一人でも「ああ、これか」とか思ってくれる人がいれば幸いです。 お題は『月詠 −MOON PHASE−』より――― 耕平は、葉月を着せ替え人形化させて遊んでいる裕美に溜息一つ。 もっとも葉月にしても楽しんでいるようなので文句はないのだが。 今はちょうど、メイド服姿の葉月がくるくる回っているところだった。 それを眺めながら耕平は問う。 「お古って言うけどさ」 「んー?」 「こんなの、お前着てたのか?」 「……」 幼なじみである安西裕美が、ちょうど葉月くらいの歳の頃を思い出しつつ、彼は首を傾げる。 「オレ、見たことないんだけど」 「……」 「いつ、着てたんだよ」 素朴な問いに、裕美はぼそりとこう答えた。 「……指名率が上がるのよ」 「ちょっと、オイ!」 「葉月ちゃん、今度こっちねー」 「おい、裕美! お前、中学生はバイト禁止だったろ!!」 いや、論点はそこじゃねぇよ。 っつーか、なんのバイトだよ。 心の中でそう、ハイジはツッコんでいたといふ。 ―――とまぁ、なにやら犯罪くさい内容ではありますな。 今年もいっちょ、張り切って行きますかね♪
とうとう今年も今日一日でお終いです。 みなさんにとって、どんな一年だったでしょうか? 私は「なんか色々あった気もするけど、結果的には何があったのかはっきりしない」一年だった気がします。 あ、通勤地が大阪から、実家のある東京へ変わったのは大きかったかな。 今日31日は大晦日。 大晦日といえば、まず思い付く単語はなんでしょうね? 除夜の鐘? 紅白歌合戦? 終わらない大掃除? おせち料理の用意? それともお年玉の用意/お年玉の使い道の模索とか?? あいや、待たれよ。 日本人の大晦日といえば、コタツに入りながらの年越しソバではないかね? カップ麺でもいい,季節感を取り戻すためにも年越しソバは外せないと思うんです。 さて年越しソバですが、これは何の為に食べるのでしょう? っつーか、いつから始まった風習なのか。 いざ問われるとなかなか分からんもんです。 年越しソバはの謂れには様々あり、 @ 蕎麦は長く伸びるので、それにあやかって家運を伸ばそうという願いを込めて。 A 蕎麦の草は一晩中風雨にさらされても翌朝には立派に立ち上がることから、その七転八起の精神を見習おうというもの。 B 金銀の細工人が飛び散った金銀の粉を取る際に、蕎麦粉の団子で押さえて集めたと言うところから、金運にあやかろうという思いを込めて。 C 蕎麦は五臓の汚れを取るといわれ、年末には貸借勘定を精算してさっぱりとした気分で新年を迎えようという気持ちから。 D 鎌倉時代、博多の承天寺で年の瀬を越せない町人に『世直しそば』と称してそば餅を振る舞ったところ、翌年からみな運が向いてきたため。 E 室町時代、関東三長者の一人増渕民部が毎年の大晦日に無事息災を祝い、世の中にめでたいものはそばの種花咲きみのりみかどおさまると歌い、家人ともどもそばがきを食べたのが起こりだという三角縁起説。 F ソバは切れやすいことから、旧年の労苦や災厄をきれいさっぱり切り捨てようとする謂れ。 G 「本朝食鑑」に「蕎麦は気を降ろし腸を寛(ゆるく)し、よく腸胃の滓穢積滞を練る」とあり、新陳代謝により体内をきれいに清浄にして新年を迎えるという蕎麦効能説。なお葱を添えているのは清め祓(はら)う神官の祢宜(ねぎ)に通じるからだという説。 軽く調べてみてもこれだけの説が出てきています。 すでに江戸時代頃には全国に広がっていた風習らしいので、なかなか古い習慣ではありますね。 さぁ、新年まで数時間。 コタツでのんびり、ソバでもすすって紅白を眺めつつ、ゆっくり年越しを迎える―――なーんてのが一番平和かもしれませんね。 つまりはですね、『カレシカノジョと、なんだかおしゃれな所に行って楽しーく過ごしている奴らなんか、とっとと風邪引いて寝込んでしまえぃ!」ということなのでございますよ。 それでは皆さん、良いお年を。 来年も等しく良い年でありますように………。
『雪』 この単語を聞いて皆さんは何を思い浮かべますか? 白い? 冷たい? 雨が夜更け過ぎに変わるもの? 大腸菌?(それは雪印) ってか、自分で自分にツッコミを入れる寒さも『雪』のせいにしたい今日この頃です。 さて『雪』とは何か? これは簡単なようで実は難しいと思うのです。 庭に積もっているものと答える人もいれば、空から降ってくるもの、だとか「危うく呑みこまれそうになりそうだったぜ」と語るスキーヤーとかいることでしょう。 専門用語では空から降ってくるものを「降雪」と呼びます。 地面に積もった場合は「積雪」と呼んでおります。 さらに「積雪」は雪粒子と空気の混合物で通気性があるのに対し、「氷」は通気性のないものとして区別されていますね。 簡単に『雪』と呼ばれるものにはこのような種類があるわけです。 簡単そうに見えて、実は調べるとソレは複雑で一言では言い表せない。 それは何も雪だけじゃないんですよね。 まったく難しいものですね。特に人のココロってのは(←まぁ、いろいろありまして)。 とまぁ、単純なことでも簡単に迷えたり、考えさせられたりするものです、とゆーことをオチとしつつ。
良い子にしていると夜中にやってきて、子供の枕元に忍び寄り、プレゼントを置いて去って行くという怪しい白ヒゲじじい。 この良い子にしているという定義が曖昧な為、戦時下では「敵をいかに油断させて殺したか」という場合もあったとかなかったとか(これは嘘)。 さて誰しも子供の頃は一度くらいは信じたことがあるだろう。 「知らない人に物を貰って付いて行っちゃダメ」と教育されていても、やはりモノをくれる人=なんだか良い人と思えてしまうのが幼いところではある。 でも結局のところ、サンタクロースは親だと知り、いつしか普通に親にプレゼントをねだっている――そんな子供時代を過ごした方は多いはずだ。 ではサンタクロースは本当はいないのか? それは誰にも分からない。 いないと言ってしまえばいないのだろう。しかし信じることは別に罪ではない。 個人的には「まぁ、いても良いんじゃないの?」でありますよ。 だからこんなサイトもある。 http://www.santaclaus.jp/ っつーか、こんな『組織』だ。 どんな形であれ、夢を与えるという行為は人としてあるべき行為だと思うのです。 今日はいつもとは違う調子でお送りいたしましたとさ。
今日はクリスマス・イブであります。 明日がクリスマスなのですが、巷ではクリスマスよりもクリスマス・イブのほうが盛り上がるようで。 これは流行り物好きな日本人の性格をあらわしているような気もします。 もっとも世間的に目立っている『ごく一部』の日本人、とゆーような気もしますがそれはまた別の機会にでも。 さて、クリスマスは英語で書くと「Christmas」です。 これは「キリスト(Christ)のミサ(mass)」という意味。 ドイツ語では「Weihnacht」と書き、これは「聖夜(キリストが生まれた夜)」という意味なのです。 すなわちクリスマスとはイエス・キリストが約2000年前にこの世に生まれたことをお祝いする日なのであります。 もっともイエス・キリストの誕生日に関する記録は残されていないため、正確な日付は分かっていません。 初期の頃は色々な日に祝ったようですが、その内に12月25日に祝われるようになり、4世紀にこれが確立したそうな。 他方、ローマでは12月の冬至に太陽を祭るお祝いをしていました。 冬至まで短くなっていく昼が、この日を境にまた長くなって行く―――すなわち太陽が再び力を取り戻し、光が蘇ることを祝っていたのだそうです。 273年にローマ皇帝アウレリアヌスは12月25日を太陽神の誕生日と定めました。イエス・キリストは「正義の太陽」「世の光」と呼ばれていたことから、336年に当時の教会はこの祭日を利用してイエス・キリストの誕生を祝う日と定めたということです。 ようするにクリスマスとはキリスト教の祭事日なのですよ。 私は無神教者でありますから、別にクリスマスだろうがイブだろうが、関係ないのです。 はい、関係ないんですとも。ええ。 ………でも一般的に、クリスマス・イブに普通にサイト更新してるのはどうよ? ちなみにクリスマスにちなんでクリスマス島のHPでも。 聖なる夜、貴方の優しさをクリスマスカードとしてわけてみては如何でしょうか? http://xmas.site.ne.jp/island/
今流行りのハバネロを使った東ハトのスナックを購入してきました。 リング状のポテトにハバネロを用いた調味料がかけてあるのです。 これをアテに、母とビールを傾けます。 「お、意外とイケる」 「そんなに辛くないわね」 「ハバネロ、恐るるに足らず」 「これが激カラなの?」 そして数十秒後。 「「か、からっ!!!」」 慌てれビールを呑む。炭酸が染みて、 「「さらに辛っ!!」」 でもビールは進みました。辛くても美味しいですね。 さてハバネロとはメキシコのユカタン半島が原産とされる世界一辛いトウガラシ。 辛さの度合いにはスコヴィルという単位が使われています。 ハバネロの辛味は300,000スコヴィル程度。これはタバスコの約10倍の辛さに当ります。 今回お菓子に用いられているハバネロを使った「Red Savina Habanero」は世界でもっとも辛い調味料としてギネスに公認されており、その記録は577,000スコヴィルなのです。 ともあれ美味しく頂いた訳ですが、明日の朝はお尻が痛いかもしれないのが恐怖ですな(ま、お下品)。 なお今回食した『暴君ハバネロ』のHPはコチラ。 http://tohato.jp/products/habanero/
今日あたり、お風呂に柚子を入れたり、小豆粥や南瓜を食べているご家庭は多いと思います。 我が家ではお風呂に柚子が入っておりました。 さて、本日は冬至。 冬至(とうじ)とは二十四節気の一つで、一年を通じてもっとも昼の短い日です。 科学的には太陽黄経が270度のときで、北半球では太陽の南中高度が最も低く、夜が最も長くなる日であり、『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明されております。 またこの日を頂点として日増しに日が延びてゆきます。これを「タタミの目、一目ずつ日が延びる、米一粒ずつ延びる」などと古来から言ったりしていますね。 冬至に柚子湯に入って小豆粥や南瓜を食べると、風邪をひかないと言われており、今でもこの伝統を守っているご家庭は多い模様です。 ともあれ本日は柚子の香りのする風呂に肩まで浸かって、出張の疲れを癒しておりました。 今年は暖冬で「12月だぞ!」というような恐ろしいほどの寒さを未だに味わっていないのですが、これから日の長さが長くなっていくことを思うと「取り敢えず寒くてガタガタする事は少なくなりそう」とほっと一息つく反面、「スキー場に雪が積もってなくて大変だよなぁ」なんて思ったり。 つれづれと考えつつ、当面の問題は、目の前に浮かぶ柚子がお風呂のお湯の熱さにパンパンに膨れ上がり、ちょっとした振動で暴発しそうなことです。 つんつんと突っつきつつ、「まぁ、平和だな」と心の底から感じるのでありました。
日本を代表する山である。 よく外人が日本に来た際のセリフとして「スシ、フジヤマ、ハラキリ、スキヤキ」などとして出てくる単語に1つにもなっている。 富士山は標高3,776m、日本で最も高い円錐形の独立した火山であり、世界の火山中29番目の高さを誇る。 体積は1,397立方km、年間雨量は約20億トン。 山の直径は東西に39km、南北37kmに及ぶ。 富士山の頂上には直径約800m、深さ約200mの噴火口が天に向かって開いており、山頂の最高峰にあたるのは火口の西端、富士山測候所のある剣ヶ峰である。 さてそんな富士山でありますが、関東に住んでいると大抵どの場所からも見える時があります。 毎日見えるわけではないんですけど『非常に天気が良い日』であり、『空気が澄んでいる日』であり、『見通しが良い場所』という条件が重なると見えるのです。 先日も朝の満員電車の中から、ふと窓を見ると遠くにくっきりと富士山がそびえ立つのが見えたのです。 瞬間、ホッとしたと言うかなんというか、周りのラッシュ状況を忘れて穏やかになれました。 不思議なもので、別に他の山を見てもそんな気持ちにはならないのに、富士山に限ってはそんな気持ちになれたりします。 多分、それは私だけではないはず。 では日本人だけ? と思ったのですが、後日小田原へと向かう電車の中からやはり同じように、今度は大きく見えた時です。 隣に座っていた外人が小声で「Great...」と呟きました。 別に育った国に関係なく、富士山には見た人を惹きつける何かがあるようです。 麓は青っぽく、山頂は白く見えるわけですが、実物が青いかと言うとそんなわけがありません。 ぶっちゃけ草木が少ない岩石だらけで、山頂には雪が積もっているだけ。 中学時代に実際に登ったことがあるのですが、空気が薄いためか、肌が黄色くなりました。それを証明するかのように大学生らしき人が携帯コンロでスパゲッティを茹でて「やっぱり堅いなぁ」などとバカなことをやっていたのは余談です(水の沸点が低い)。 もっとも山頂からの景色は素晴らしく、「ああ、ここまで来たんだなぁ」と幼くも思ったりしたものです。 そんな近くても遠くても「素晴らしい」と言う言葉を吐かせることができる存在というものは、なかなかないものですね。 遠くから見て「あ、怪しそうな人間」と思われ、実際に会ってみて「ああ、やっぱり怪しい人間」と思われる私とは大違いです。 っつーか、山と人間を比べるな?(←何かあった模様) P.S. 曇った日に羽田空港行きの飛行機に乗っていたら、眼下の雲海に富士山だけがにょっきりと頭を出していました。 天空と地上を結ぶ山といっても過言はねぇなぁ、と思った一瞬でしたよ。
未知の物に対して、人は己の想像力を以ってそれが何であるかを納得させようとする。 大抵の場合、実物は想像したものよりも案外普通で、知ってしまったが故に肩透かしを食らってがっかりすることも多いのではないだろうか? むしろ知らなかった方が良い,そう思うのは知ってしまったが故の意見ではある。 さて、食べ物をとってみる。 人にはそれぞれに好物、苦手なものがある。 それがもぅ理性ではどうすることもできないくらい好きなものであったり、体質上どうしても苦手であるというモノを持っている人はある意味幸せだと思う。 何かしら好きなもの、嫌いなものがあるとは思うが、それはちょっとした我儘で、気にしなければ大抵大丈夫という人がほとんどだと思う。 私も好きなもの、嫌いなものがあるが、別に気にしなければ問題ない。 それ故に『想像もしないほど美味しいもの』というものに出会ったことがなく、期待して食べてみれば「ああ、そうだよね、こんなものだよね」で終わってしまうことが多い。 みなさんはどうであろうか? パップラドンカルメと言うものがある。 これは過去に「ひらけ!ポンキッキ」の中で流されていた歌であり、未知のお菓子であるところのパップラドンカルメについて謡われている。 歌詞によればパップラドンカルメとは、 * クリームみたいに真っ白 * カステラみたいに四角 * プリンみたいな味もする * ケーキみたいな味もする * マシュマロみたいにプワプワ * ポップコーンみたいにモコモコ * バナナみたいな味もする * メロンみたいな味もする だけれども、どこにも売っていない。 全ては噂で聞いた話で、その噂も友達の友達から聞いたもの。 なんとまぁ、未知の物体である。これほど想像力を掻きたてられるものはない。 『いったい、どんな味がするんだろう?』 『むしろどんな物体なんだ??』 分からない。 分からないから想像する。 想像によれば、とてつもなく美味しいものなんだろう。 うん、そうに違いない! この世のどこかに、想像を遥かに凌駕する真実があるに違いない!! そう思いながら、今日も豚ドンを食べています。 まいうー。
正直、この手の話は疎い。 私自身、多分霊感とかそういう類のものが全くなく、かつ信じていないというのが主たる理由かと思われる。 でもUFOは信じる。 人間がいるのなら、宇宙人くらいいるだろう。そんな理由。 さて怪奇現象に出会ったことがないから怪談が語れない――ということはない。 別に超常現象こそが怪談につながると言うわけではないからだ。 これから語ることは、私が学生時代に電気店でバイトをしていた際に、TVやPCなどの配達/設置をしていた経験上、発生した出来事である。 ちょうど、夏の暑い時期だ。 店に中年の女から一本の電話がかかってきた。 「昨日配達してもらったTVが上手く映らない。変なものが映るので何とかしてもらいたい」 運悪く、配達したスタッフはお休みで、私ともう一人のバイトがそのお宅へ伺うこととなった。 「どうせ配線間違えたんだろう」 気軽な気持ちで出発した。 問題の一軒家に到着し、チャイムを鳴らす。 出てきたのは30台に差し掛かったであろう、主婦の方一人。 早速上がらせてもらい、TVを同僚とチェックする。 1チャンネルはNHK,問題なし。 2チャンネルは砂嵐、これもここ関東では問題なし。 3,4,6,8,10,12と確認し終わる。 「あのー、問題ありませんよ?」 私は主婦に問う。 しかし主婦は首を横に振り、乞う言い放った。 「2チャンネルに変なものが映るんです」 「「??」」 私は2チャンネルに合わせる。 「ザーーーー」 砂嵐の雑音だけが部屋にしばらく響き渡った。 「2チャンネルに相当する番組はありませんので、問題はないと思いますけど?」 同僚がそう彼女に言う。 そのとき、彼女はじっと画面を見つめながらこう言うんですよ。 「ほら、画面の向こうで男の子が『たすけてー』って叫んでるじゃないですか」 戦慄が私達2人を貫く。 ヤバイ、これはヤバイ、と。 私は営業スマイルのまま、TVの電源を消します。 TVの裏に回り、アンテナケーブルを抜いて同軸ケーブルを剥き直して再度配線。 「配線が上手くできていなかったようですね。直りましたんでもう大丈夫です」 TVの電源をつけずにそう告げ、同僚をせかして立ち上がる。 「そうですか、ありがとうございます」 「いえいえ。それでは失礼します」 よくよく見れば常人の目つきと異なる主婦に頭を下げ、私達は現場を逃げるように立ち去ったのだった――― この世で怖いものは、間違いなく人間であるとようやく悟った19の夏。
街の喧騒が嘘のように遠く聞こえるここは、昼間ならサラリ〜マンやOLがたむろする小さな公園だ。 CRIMEのコンサートの帰り道。 北からやってくる12月の冷たい夜風は、オレと隣を行く未紅の火照った体を急激に覚ましてくれる。 「ねぇ、ユウ?」 「ん?」 柔らかな声に、視線を横に。 「来年も、また来ようね」 「そうだな」 当たり前な質問に、当たり前のように答える。 それに満足したのか、未紅は嬉しそうに微笑んだ。
現在、藍さんと製作中のノベルゲー「もみじひとひら」。 秋ごろ公開予定でありますよ。 ![]() 冬村 雄(18) 軽音楽部に一年次に所属したが、廃部の憂き目に遭う。 中学時代からギタ〜に目覚めるも、特定の師を得ることもなく独学。故に上手いかどうかは聴く者の好みが分かれるところ。 一段高いところから自分を見る傾向がある。 性格は「冷静沈着」。周囲環境次第で熱くなる事もある、らしい。 ![]() 秋月 未紅(17) 合唱部に一時所属するが元来の協調性のなさから幽霊部員化。 声はキレイ、らしい(自称)。 一度決意するとソレしか見えなくなる頑固さと、一途さの持ち主。 性格属性は「快活明朗」
ビールと聞くと、季節はいつを思い出すだろう? 真夏の夕べ、屋上のビアホールでキンキンに冷えた大ジョッキをグイっと一杯。 うん、夏だよなぁ。 では冬は? 実際、今私は部屋で缶ビールを開けているのですが、ぶっちゃけ「寒い」。っつーか、寒い部屋で冷え切ったビール飲むのなんてどうかしてる。 冬といったら熱燗だろう? もしくは焼酎のお湯割とか。 体が温かくなるものが良いねぇ。 ブランデーとかも良い。非常に良い。 ではビールは冬には合わないものなのか? 嫌違う、それは違うのだ。 そもそもお酒の呑み方次第で、同じ物でも味は違う。 すなわち『あて』次第だ。 思い出してみるといい。アツアツの鍋を突つきながらビールを一息。 うん、コレは美味い。むしろビールがあるからこそ、鍋の味が引き立つ。 このように単品では力がなくとも、組み合わせによって2倍も3倍もポテンシャルを上げることができるのだ。 無論、これは酒の話に限ったことではない。 組み合わせの妙技――― ただし、それを間違えると大変なことになるので注意が必要だ。 例えばドリアンとビールとか(最悪死ぬぞ)。 ワインと私とか(吐血するぞ)。 日本酒と私とか(請求金額が大変だっ!)。 「オチてる?」 「いやオチてないだろう??」
忘年会シーズンでございますね。 忘年会といったら呑み会。 呑み会といったら隠し芸? 隠し芸といったら、その一つにコスプレなんてのもあります。 先日、古巣の大阪の方での会社の呑み会では、全員が『動物のコスプレをして呑む』という暴挙が発生いたしまして、「どーして私がいる時にそういう嬉恥ずかしイベントが起こらなかったんじゃ!」と世界の中心で叫んだわけです。ごめん、そんなに大げさじゃない。 さて、簡単なコスプレ――と言いますか、その一つにネコミミというモノがございます。 ネコミミとはヘアバンドに猫の耳のようなものが付いた物。 これを装着することにより♀なら最大で魅力値が50%アップいたします。 さらに装着者に妹属性があったとすると、攻撃力は3倍、むしろ10倍界王拳並みでございます。 なお♂ですと最悪の場合、周囲から殺意を抱かれるという諸刃の剣ですのでお気をつけください。 こんなネコミミではございますが、この愛らしさに狂う人も多いようです。 軽くググってみると、ドイツの哲学者であるカントの「人倫の形而上学」の中の文章を次のように意訳する方までいらっしゃいます。 「もし正義が滅びるならば,人間が地上に生きることはもはやなんの価値もない」→「もしネコミミが滅びるならば,人間が地上に生きることはもはや何の価値もない」 ここまで思えれば、あっぱれ。 しかしながら私は未だかつて現実のネコミミを拝見したことがございません。 ウサミミならあります。っつーか、レア度は世間的に見ても低い。ROではネコミミを材料にしてウサミミを作りますが、現実は逆だろうと感じるのです。 それはさておき。 この「見たことがない」ということは「想像によって補完するしかない」ということにつながります。 この工程によって「萌え」が発生してくると思うんですよ。 要するに、知らないから萌える。 もしも世界中の人がネコミミを付けていたとしたら、きっと萌えないでしょう。 実際に妹のいる人が、大抵は妹萌えが分からないのと一緒なのです。 だから、ネコミミを見たことのない私は敢えてこう言おう! 「むしろ見ない!」と。 ―――それって、拗ねてるだけじゃ?
さて、先週の出張ラッシュ&付き合いのゴルフは『苦行』8割でした。かなりしんどい。 肉体的にも、むしろ精神的にかなり疲弊し、この日曜日は久々に12時間睡眠をかましたのでございますよ。 さて、そんな愚痴はさておき、出張先では連日上司とサシで呑んでおりまして。 互いに酒が好きなもので、こういうやつらの最終形態は日本酒をやりながらお刺身を食べるというパターンになるのが一番多いと思います。 さて、この刺身。刺身といったら皆さんは何を思い浮かべますか? やはり「まぐろ」だと思うんですよ。 なにせ日本人は世界一のマグロ好き。日本人のマグロ消費量は世界の水揚げ量の約55%だと言うのですから驚きです。 食卓でよく見るのは赤身。案外高タンパク・低カロリーということでトロよりも健康には良いそうです。 ……酒入っていればどっちも美味しいんですけどね。 まぐろにはいろいろな種類がありまして、まず一番有名なものには「くろまぐろ(本まぐろ)」があります。 こいつは他の種類に比べて最も大型で、色・脂ののり具合ともに最高級品として扱われ、トロが好まれています。小型のものは「めじ」とも呼ばれるそうな。 次に有名なのは「みなみまぐろ(インドまぐろ)」。 コイツは赤みが濃く味にもコクがあり、コイツの大トロが料理番組なんかでもてはやされています。 次に「めばちまぐろ」。目が皿鉢のように大きいため「目鉢」と呼ばれ、漁獲量がもっとも多いマグロ。 大抵、回転しているすし屋に行くとコレだと思います。 「きはだまぐろ」は体側・ひれが黄色いため「黄肌」と呼ばれています。薄紅色で脂肪が少なく淡白。 最後に「びんなが(びんちょう)まぐろ」。コイツは小型で胸びれが長いために「びんなが」と呼ぶそうな。 淡いピンク色でツナ缶にも多く使われてます。 ぶっちゃけ、どのマグロでも私は好きなのでございますが、先日の出張先では呑み屋さんで「良いマグロが入りまして」なーんて言うんですよ。 試しに頼んでみると、確かに『美味い』。 赤身はぷりぷりしているし、中落ちに至っては中トロが入っています。 漁港がすぐ傍にあると言うことで新鮮なんでしょうね。 でも流通がしっかりとした現代、別に私の実家のある埼玉県でも新鮮なマグロがあっても良いんじゃないかと、ふと感じましてね。 そこで思ったわけですよ。 「家で食べてるマグロって、なんとなくぱさぱさっとしてるって、言うじゃな〜い♪」 「だって、タイムセールスとかで買ってきてて、結構鮮度的に古かったりしますから。残念!」 「拙者、給料安いですから。切腹!!」 ギター侍風に〆るようで〆らない。切腹!!
別名『出張る(でばる)』とも言う。 この行為は行く先に何が待ち構えているかによって『楽しい旅』になるか『苦行』になるか変わってくると思う。 大抵、クレームや無理な交渉事や無茶なお願いなんかは『苦行』コース。 この場合、交通手段や割り当てられた時間などもおおよそタイトだったりする。 なので食事はむしろ食餌。立ち食いそばなら御の字。 対して余裕のある交渉事や新規のお仕事といった苦しみが少ない場合には『楽しい旅』になる。 そういう時は時間自体に何故か余裕があり、帰り際には楽しいお酒が楽しめたりする。 お酒が楽しめるのは、どちらかというとその時の精神具合にもよるのだが、まぁ大抵『楽しい』。 ならば『苦行』の場合も心の持ち具合によっては『楽しい旅』とすることができるだろう。 うん、そうだよ、難しく考えなければきっと楽しい旅になるんだよ!! ……明日から金曜日までちょいと出張ってきます。 心の持ち様さっ(冷や汗を流しながら)
私は営業のお仕事をしておりまして、お客さんまわりの際の移動手段はもっぱら電車なのです。 電車は車と違って、確実に時間が読めること。これが営業にとっては非常に重要なファクターであります。 さて最近ではここ関東において、地下鉄や私鉄は『パスネットカード』と呼ばれる支払い共通の磁気カードが。JRに至っては改札に触れるだけで自動的に支払いを済ませることのできる『Suica(スイカ)』があります。 このSuicaは「Super Urban Intelligent CArd」の略でして、「スイスイ通れるICカード」という意味も込めているそうな。 ぶっちゃけ、関東ではこのパスネットカードとSuicaの2枚を持っていれば切符を買うなどという、非常に面倒な作業をせずにすむのです。 これ、電車を使う営業職には非常に重要。 なにせ、 切符を買うのにも並ぶ→小銭がない→お札→あれ?通らないよー!→ああ、通ったけどおつりは50円玉で返せよ! というスキームを経なくて済むのです。 時間的にも精神的にも軽減されるのは自明の理なのであります。 さて、関西にもこれに相当するものがあります。 大阪を縦横無尽に走る地下鉄には『地下鉄・バス共通カード』、もしくは私鉄にも応用したいのならば『レインボーカード』。 そしてJRには『ICOCA』。これは「IC Operating CArd」の略。「ICOCAで行こか」という語呂合わせでCMが流れております。 Suicaとの違いは残金が10円でも残っていれば駅構内に入場出来ちゃうことだったりするのはあまり知られておりません。 さて、長々とウンチクを書き綴ってきたのですが、これからが本題です。 ICOCAのマスコットは変なカモノハシ。これは「イコカモノハシ」という名前だそうで、「ICOCAを『も』って『の』れば『は』やくて『し』あわせ」とゆー、かなり無茶な由来。 対するSuicaのマスコットはペンギン。由来は謎。多分スイスイ行けるってところからのイメージ?(知っていたら教えてください)。 案外、両方とも愛嬌があって可愛いのですが、このSuicaのペンギンを見るたびに、私はあるキャラクターの詳細を忘れてしまうんです。 PINGUってどんな顔(ってか模様)してたっけ? と。 長々と書いて、オチはこれかよ……
藤さんからのススメでこのmixiに参加してみました。 とりあえず『まだ使い方がよく分からない』。 というか『えっと、日記?』っていう感じです。 ぼちぼち使っていくうちに分かっていくかな? さて本日は↑のタイトルの通り、ボジョレー・ヌーボー。 ボジョレー・ヌーボーとは何ぞや? という声もあるかもしれないので、ちょいとサントリーのHPに行って見てきました。 ボジョレー・ヌーボーとは収穫したばかりのガメ種からつくられるフレッシュなワイン。 手軽な日常酒として、もともとリヨン周辺の地元住民に愛されてきたそうです。歴史は古く、ワイン専門書「The Oxford Companion to Wine」によれば、1800年代には存在していたそうな。 日本で言うところの地酒であったボジョレー・ヌーボーは、1951年、フランス政府によって公式に11月15日を解禁日として発売されることが認められたのです。 まずはパリのビストロで人気を呼び、1970年代には陸路・空路の飛躍的な発達に伴い、今日のように世界中に知られることとなったのです。 ぶっちゃけ、欧米のブランドモノに弱い気質のある日本人には、このブームはさくっと浸透して今日に至っているわけですね。 さて、お酒が好きな私ですが、ワインについてはあんまり好きではありません。 もともとワインだけで呑むのは酔った気がしませんし、それ以前に呑んで酔うような性質のお酒ではありません。 料理と一緒に、あくまで脇役として楽しむお酒。 それがワインだと思うのです。 それを知らずに呑んだ25の夏。 たらふくビールやら日本酒やら焼酎を飲んで、良い気分のところにワインと洒落込んだのです。 ちゃんぽん効果(口当たりが違うと呑みすぎてしまう効果)によって、へべれけになった私はそのままリバース。 その際、呑んでいたのは赤ワイン。 出てきたのは真っ赤な吐瀉物。 「ひぃぃ!! 血、血がぁぁぁ!!」 今思えば漢らしい吐血(?)でした。 教訓――まぁ、ほどほどにね。 お後が宜しくない様で……… |