ぴぴぴぴ…
 「ん〜」
 ぴぴぴぴぴ…
 「う〜〜」
 ぴぴぴぴぴぴ…
 「うるさいなぁ!」
 布団の中から少女のものと思われる声と手が伸び、デジタル時計を引っつかむ。
 ぴぴっ!
 がしゃん!
 最後に悲鳴のようなものを残して、時計は床に叩きつけられ沈黙。
 「さむぅい〜」
 ベットの布団がむっくりと起き上がる。
 布団は彼女がベットを降りる頃には毛布だけとなり、やがて毛布のオバケからは少女の頭が生えた。
 「寒い〜」
 二度目の同じ言葉。
 シャ!
 同時に窓のカーテンを勢い良く開く。
 冬の僅かな暖かさを持った鋭い朝日が彼女の白い顔と黒く長い髪、羽織る薄青の毛布に色彩を与えた。
 少女の年の頃は15、6だろうか? 僅かな幼さを彫りの深い顔に宿したその表情は、しかし眠たげだ。
 「ん? ど〜してアタシ、うつ伏せで寝てたんだろ??」
 毛布から生えた白い両手,しびれているのか、数度軽く振ると彼女はようやく毛布をその身から剥がして窓に背を向けた。
 眠気まなこをこすりこすり,少女はまるで本能の様に心ここに在らずのままタンスに歩み寄り、着替えを取り出す。
 白いYシャツ,学生服の様だ。タンスの横にはスカートとセーラー服がハンガーにきちんと掛かっている。
 彼女はボ〜っとした顔のまま、寝相が相当悪かったのか,何故か肩から半分ズレ落ちたパジャマを脱ぎ捨て、タンスから取り出したシャツの右腕を通す。
 そして左腕……何故か届かない。
 ”あれ??”
 左腕を背中に回すと、シャツではない妙な感触。
 パサパサした…そう、まるで先程までベットの中でかけていた羽毛布団のような…
 ふと、顔を上げる。
 目の前の姿見の鏡には寝癖で髪がちょっぴりぼさぼさの、それでいて上半身裸の見慣れた彼女の姿があるはずだった。
 確かに、あった。
 余分な『モノ』が付いていたが。
 少女は、絶句。
 きっかり2秒後、
 「うっきゃぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
 甲高い悲鳴が、2階建て一戸建て住宅(ローン25年)に響き渡った。
 それに合わせて、やはり2秒後、
 ドタドタドタドタドタドタ!!
 次第に足音が近づいてくる、その音が最高潮に達した時、
 バタン!
 部屋のドアが乱暴に開かれた,同時に飛び込んでくるのはYシャツにスラックスの一人の少年。
 少年は、目の前の少女の姿を目の当たり。
 そしてその姿に………
 「おネェ…」
 搾り出す様に、そう声を上げた。
 少女は少年の表情に,何より己の姿見の鏡に映ったその姿に、顔が青い。
 少年の口が恐る恐る次の言葉を紡ぐ。
 「相変わらず、胸が小さいのな」
 ぷちぃ! 何かがキレた音がした。
 「死にさらせや,愚弟!!」
 少女の力強い右フックが、少年の左頬に炸裂,そのまま彼を廊下にまで吹き飛ばす。
 荒い息を吐く少女の背には、一対の白い翼がぴこぴこと動いていた。
 人間のものではない,しかし明らかに「生えている」白い大きな翼。
 少女の名は藤井由美。
 地元中学の卒業式を間近に控えた、2月末の真冬日のことだった。
 雲一つない、スッキリした青空に太陽場眩しい日の出来事である。


えんじぇる・うぃんぐ...?



 茶色のニットの帽子が、詰襟の学生服にはどこか不釣合いだった。
 「まぁ、今日は休んどけばいいじゃん」
 彼は気楽にそう言った。
 玄関先。
 少年はスニーカーを履きながら、背後の少女に振り返る。
 「町内会の温泉旅行に感謝しないとなぁ。と〜ちゃんもか〜ちゃんも、おネェのそんな格好見たら泣くぜ,『グレた〜』ってね」
 「他人事だと思って気楽に言うんじゃないわよ!」
 ゲシィ,グリグリと彼の背を踏みながら、翼の生えた少女・由美は憮然と言い放つ。
 「じゃあ、病院行く?」
 「…ん、ん〜〜〜」
 少年は姉である少女に詰め寄った。
 「ノコギリでぎっこぎっこ切ってもらう? いや、それよりも先に解剖かな? うん、実験動物にされるだろうなぁ,ワケの分からない注射とかされて、肉体的にも精神的にも壊された末に動物園行きとかねぇ」
 由美の先程まで怒りに赤く染まっていた頬は一瞬で青くなる。
 「…アンタ、アタシをからかってるでしょ?」
 「うんにゃ,スゴイ心配してるよ」
 真摯な瞳を少年は向けてくる。
 真摯な……瞳…を。
 ニヤリ
 「テメェ,やっぱり面白がってんな!!」
 拳を振り上げる由美。
 「今日は家でジッとしてろよ、おネェ! んじゃ、行ってきま〜す!!」
 振り上げた彼女の拳は、空を切る。
 少年は一陣の風を残して、家を飛び出して行った。
 彼の名は藤井巧。
 地元中学でサッカーにそこそこ燃える、二年生である。
 冬の青空の下で駆ける彼の頬を、凍てついた空気が容赦なく撫でて行く。



 「どうしよう」
 由美は自室の窓べりに膝を付き、大きく溜息。
 彼女の心情を反映しているかのように、背の翼もまた力なくだらりと広がっていた。
 と、彼女の目に「それ」が映る。
 帰宅する弟の巧だ。
 その彼の隣には一人の少女の姿が、ある。
 ”愚弟めぇぇぇ!! このアタシがこんなに困ってるってぇのに、オノレはでぇとだとぉぉぉぉ!!”
 次の瞬間には体が動いていた。
 部屋を飛び出し、階段を駆け下り、玄関に向ってダッシュ!
 がちゃり
 開き始める玄関の扉の向こうに向って、見事な飛び蹴りを放つ。
 「ただいま〜〜って?!?!」
 巧の目の前に展開されるのは、足の裏。
 どげしぃぃぃぃ!!
 「ぐっは!」
 顔面に由美の飛び蹴りを食らい、巧は後ろに吹っ飛んだ!
 そして、
 「「え?!」」
 少女の驚きの声が2つ、重なる。
 一つは滞空中の由美の声。
 もう一つは巧の横にいた、そして何故か彼と一緒に家に上がろうとしていた少女のそれ。
 絡み合う2つの視線。
 その視線は同じ気持ちを有していた。
 ぽて
 巧が地面に力なく倒れ伏した時、
 『同じ顔を持つ』少女が2人、不思議そうにお互い顔を見合わせていた。



 藤井邸,1Fリビング。
 テーブルを挟んで同じ顔の少女がお互い、まじまじと鏡に映ったような目の前の相手を眺めていた。
 ニット帽をかぶった少女の隣に腰を下ろした巧は、小さく咳払い一つ。
 「えっと,おネェ、この人はエレンさん。なんとゆ〜か、その…天使なんだって」
 「はぃ?」
 素っ頓狂な由美の声に、巧は隣のエレンに目配せ。
 彼女はは巧のニット帽を脱いだ。
 するとどうだろう,ポンっと金色のわっかが、彼女の頭上に出現した。
 「エレンと申します。えっと…その…天使なんです」
 由美と同じ声をも持つ天使は、心底困った様にそう言う。
 「そう、天使なの」
 「そうなんだよ」
 「そうなんです」
 「「「……………」」」
 沈黙が、落ちた。
 一秒。
 二秒。
 三秒…
 「えと…それはそうと巧!」
 耐えかねたのか、「それはそうと」で片付けた由美は弟に尋ねる。
 「この…エレンさんだっけ? どこで知り合ったのよ」
 「帰り道でばったりと」
 あっさりした答えだ。その後をエレンが引き継ぐ。
 「私、昨日から翼を無くしてしまいまして……そこで道行く人に「翼落ちてませんでしたか?」って聞いていたんです。そしたら巧さんが知ってるよって」
 エレンに、由美は訝しげな目を向ける。
 「それでノコノコと付いて来た訳?」
 「「え??」」
 これには巧も首を傾げる。
 「『偶然』にも巧だったから良いようなものを、もしもヤバい奴らだったらアンタ、どうなってるか分かってる?? サーカスに売られちゃうかもしんないわよ」
 「今時サーカスはないだろ〜」
 呟く巧にジト目を向ける由美。しかしエレンはあっさりと切り返した。
 「私、人を見る目だけはありますの」
 「…ないじゃん」
 弟を眺めながら由美。
 「おネェ…それって遠回しにオレを馬鹿にしてない?」
 「直接的だと思うけどねぇ。ま、いいや。それで天使ってのは…どゆこと?」
 エレンは己の頭上を指差す。
 そこには金色のわっかが一つ。
 「私達天使はこの世界にたっくさんいるんですよ。で、このわっかと翼がセットで天使になれるんです。二つ揃ってれば、人の目に私達は見えないんですけど…一つでも無くなっちゃうと見える人には見える様になってしまうんです」
 エレンはそう言って、由美の背中で動く翼に視線を向けた。
 「でもどういう訳か、昨日の夜に翼がぽろっと落っこっちゃいまして…ずっと探してたところに巧さんに出会ったんです」
 巧に天使の微笑みを向けながら、彼女は胸にニット帽を抱く。
 「ぽろっと落ちるって…ア○ンαか何かでくっついてんのかね?」
 由美は背中の翼を片手で引っ張ってみるが、背中が痛いだけだった。
 「あ、今たくさんの天使って言ったわよね」
 「ええ」
 「アンタら、普段はなにやってるの?」
 突拍子もない質問だった。そんな突拍子もない質問にエレンは同じように突拍子もない答えを返していた。
 「良いコトしてます。それが天使の仕事ですから」
 「良いコト…って?」こちらは巧だ。
 エレンは「ええと…」と呟きながら一つ一つ指を折ってゆく。
 「落し物を拾ってあげたりだとか、迷子のお母さんを探してあげたりだとか、お年寄りの荷物をもってあげるだとか…」
 「「うはぁ、地味っ!」」
 「でも、今の人はそんな地味なことがちゃんとできないんですよ」
 苦笑いのエレン。
 「世も末じゃの〜」まるで他人事のように由美。
 「っと、問題はそんなグローバルなことじゃなくて。どうしてエレンさんの天使の翼が、悪魔みたいなおネェにくっついちまってるかってことでしょうが」
 「誰が悪魔じゃ!」
 軽快な右フックを頬に受けつつも巧は体勢を持ちなおしてエレンに問う。
 「性格が違っても姿・格好がそっくりだから、翼が間違えちまってるんじゃないかな?」
 「どう…でしょうね?」
 「まぁ、そっくりだけどさ。この翼自身にそんな意思があんのかね?」
 ぴこぴこ動く白い翼は実は由美の意思通りに動いていた。手足と同じ感覚だ。
 困った同じ顔二つをチラリ、見た巧は僅かに思案。
 そして「わざとらしく」ポンと手を叩いた。
 「そうだよ、違いを見つければ良いんじゃないか!」
 「「ええ??」」
 「二人の違いをおネェの翼に見せつけてやれば、きっとエレンさんに戻るんじゃないかな?」
 「なるほど〜」
 「一理あるような…」
 思案顔の二人に、巧は畳み掛ける様にこう言った。
 「んじゃ、二人とも脱いで」
 「「へ??」」
 間抜けた同じ声が二つ。
 「どこか違いを見つけないと。それには詳しく調べないとダメだろ………」
 言葉は最後まで続かない。
 「「死にや!!」」
 左右それぞれからのアッパーブローに、巧の体はきれいに放物線を書いて床に落ちた。
 合掌。



 ふらふらと巧がリビングルームを何故か出ていったのはそれからしばらくしてからのことだった。
 二人だけにしては広い部屋で、翼を持った少女とリングを持った少女は向かい合う。
 巧がいた時とはうって変わって、言葉はない。
 長かったのか短かったのか,先に声を発したのは由美の方だった。
 声はそれも友好的ではない。
 「アンタ、猫かぶってるでしょ?」
 ピクリ,エレンの体が僅かに動く。
 「……どうしてそんな事を思うんです?」
 警戒に目を細め、エレンは問う。
 「何となく、そう思うの。だってアンタの今までの態度…」
 由美は一息。
 「アタシの外での態度と恐いくらい同じなんだもの」
 「そうですか。由美さんの外での態度というと…例えばどんな時に私のような態度を取るのでしょう?」
 エレンの反撃に、由美は思わず閉口。
 再びしばらくの沈黙の時間が、続く。
 息苦しい沈黙だ。
 「だって私は…あの…」
 今度は先にエレンが口を開いた。戸惑った声だ。
 「何よ」
 鋭い声で先を促す由美。
 「巧さんが…」
 「うちの愚弟が何?」
 がしゃん。
 食器を鳴らす音が聞こえ、二人の会話は止まる。
 「お茶でも飲まない?」
 紅茶の香りが立つティーポットと、角砂糖・ミルク,カップを3つ,市販品のクッキーをトレイに乗せた巧が笑顔で現れた。
 「どしたの? そんな切羽詰った顔して?」
 「え…そんなことは…」
 「これが地顔よ」
 二つの反応に巧は笑いつつ、トレイをテーブルに置き、テーポットの中身をカップにそれぞれ注ぐ。
 そして巧はその後の二人の行動に目を走らせた。
 由美は角砂糖二つにミルクを気持ち程度。
 エレンは角砂糖二つにミルクを気持ち程度。
 由美はまず紅茶を一口含み、香りを楽しんだらクッキーに手を伸ばす。
 エレンもまた、まず紅茶を一口含み、香りを楽しんだらクッキーに手を伸ばす。
 ”なるほど、ね”
 紅茶をストレートのまま、傾けた彼はニヤリ、微笑んだ。
 そして、
 「何となく分かったよ。おネェにエレンさんの翼がくっついちゃったワケが」
 「「?!」」
 クッキーを口に運ぶ手を同時に止める二人。
 「何もかも、そっくりだよ,おネェとエレンさん。姿だけじゃなくて多分性格とかも。だから翼は間違えちゃってるんだよ、きっとさ」
 「「んな!?」」
 由美とエレンはお互い顔を見合わせる。
 『性格までもか? それだけは信じたくない』という想いが二人は伴にどこかにあるようだ。
 その理由は何かははっきりしない、もやもやしたものではあるが。
 「で?」
 「え?」
 由美のジト目が巧を捉える。
 「解決法はどうすんの?」
 「いや、そこまではなんとも…」
 姉のやり場のない怒りの捌け口のターゲットにされたことを本能で感じた巧は、額に汗。
 「無責任な発言ね」
 冷たい目で一蹴の由美。
 それにエレンが噛み付いた。
 「由美さん,それは酷いです。巧さんが一生懸命考えてくれてるのに!」
 「酷くも何とも無いわよ! この愚弟は自分に関係ないことだからテキト〜なこと言ってるだけじゃないの!」
 「テキト〜だなんて…由美さん,巧さんに謝ってください!」
 「あ、あの、ちょっと…」割って入れずに巧。
 「誰が謝るかってんのよ! も〜やってらんないわ!」
 由美は吐き捨てる様に言い残し、席を立つと2階の自分の部屋へと駆け上がっていった。
 「由美さん!」
 追い駆けようとするエレンを巧は無言で引き止める。
 紅茶の入ったティーカップからはもぅ、湯気は立っていなかった。



後編『えんじぇる・りんぐ...?』へつづく