BLACK POINT 〜 日陰の晩餐会



    真実という名の真実は常に真実ではなく、
              個々にとって、それは全て真実なのであろう。


Introduction

 広く、それでいて酷く無機的な,時間の流れが酷く遅く感じる空間。
 「呼べ…」二十畳はあろうか,その畳の香りのする、燭台の明かりが灯った薄暗い部屋に一人布団に横たわる老人が呟く。
 「はっ…」何処からかの声。そして沈黙。
 老人から遠く、襖が開く。そして彼は駆け寄る。
 「おじいちゃん、どうしたの?」三,四歳であろうか、澄んだ瞳の少年は布団の横に座る。それに老人の見えなくなった白眼に色が灯ったように見えた。
 「…螢や、わしの願いを…一つ聞いてくれはしまいか?」少年の小さな手を取って、白髪とそれに伴う白く長い髭を揺らし、老人は優しく尋ねた。
 「いいよ、なに?」屈託のない返事。それに老人は見えないであろう,その白眼を僅かに少年から背けた。しかしそれは数瞬、決したように言う。
 「わしはこれから遠い所へ行く。もう、螢とこうして話すことはできなくなるだろう」
 「やだ」それに少年ははっきりと老人の言葉を遮った。
 「やだよ、おじいちゃんと会えなくなるなんて」そして涙ぐむ。
 「嘘じゃよ、わしが螢の側を離れる訳があるまい。だから…」狼狽えるように老人。彼をしてこのようにさせるのは、おそらくこの少年一人であろう。
 「…良かった。それで、おじいちゃんの願いって?」一変、笑顔に戻って少年は今度は彼から尋ねる。
 「…になって欲しい」老人は穏やかな表情で呟くように言った。
 「? いいよ。でも良く分かんない…」首を傾げる少年。
 「今は良い。時が来る,その時まで…そしてその時、螢は螢自身、自分が正しいと思う方向へ進むんだよ…」少年の手を弱々しく握り、老人は微笑みながら言った。
 「うん、良く分かんないけど…分かったよ」しかし少年は笑顔で頷く。
 「…ほら、外でフレッドが呼んどるよ。行ってあげなさい」
 「あ、忘れてた! ボール、投げっぱなしだったんだ! でもおじいちゃん、よく聞こえるね。螢はフレッドの声、聞こえないけど」立ち上がり、少年は駆けて入ってきた襖に戻って行く。
 そして再び部屋は無機的な雰囲気に戻って行った。
 「ありがとう、螢…、逸美よ、あの子を頼むぞ」呟く老人の横で何かが揺れる。
 「…さらばだ、螢」広いその部屋に、本当の沈黙の帳が下りた。

Are you Ready ? 


First Experience / Run! Run! Yellow ?? 

 朝、暖かな日差しが僕を包む。その明るさに僕の中の暗闇が緩やかに氷解するが、今度はそのやわらかさに再びまどろみの中へと落ちて行く。
 「螢君、いつまで寝ているの!」優しいが叱咤を含んだ声が遠くから聞こえてくる。しかし僕の体は動かない。気持ちは動こうと思っても体が動かなかった。
 「おら、起きんか!」突然、体の上に重みを感じ、布団が引き剥がされる。そして、
 「あ゛あ゛〜、ウメボシはやめてくれ〜!」こめかみを拳で思いきり押し付けられて、僕は絶叫を上げながら完全に目を覚ました。
 「いつまで寝てんのよ! 今日は入学式なんだからね!」目の前に赤毛の少女。歳は僕と同じ十六歳の高校一年生。
 人はこいつのことを良くできた子(大人談)、かわいい(同年代男子談)、思いやりのある(これまた同年代女子談)などと言うが、僕にはとてもそうは見えない。
 彼女の名は、本庄 弓,僕の遠い縁族に当たり、その血に四分の一、外人が入っているという。赤毛はその為なのだそうだ。
 弓とは地元岡山で近所だった、小学校からの長い付き合いである。中学までずっと一緒の学校で高校受験の際ようやく縁が切れると思っていたのに、同じ学校を受けられてしまっていた。
 そしてどう考えてもありえない確率で同じ学校へと通うことになったのである。
 高校、城東平成高校は僕の住んでいた岡山にはなく、千葉の沿岸に建つ、中・高・大学と総合的な学校で、自由と自発性を売りにしている新しい学校だ。
 その校風から受験制度も変わっていて、そこそこの学力と一発芸ができれば即合格という所である。学力の乏しい僕にとってはそれでも難しかったが、成績の優秀で通っている弓がこの学校へ来ることになろうとは…意図的なものを感じるのだが。
 そして僕の一家は岡山からここ千葉へと引っ越して来た。しかし弓の家族は引っ越しなどは以ての外だった。そこで再従兄妹の誼みでという事で、弓が同居することになったのである。
 ちなみに僕は力一杯反対したが、逸美さんの”いいじゃない”の言葉には逆らえなかった。
 しっかし、こいつは何考えてるんだか…ここよりもずっと良い学校へ行けただろうに。
 当人曰く、”滑り止めは要らないと思ったけど、一応遊び程度に城東を受けてみた”などとほざいてはいるが…。
 「何、ぼぅっとしてんのよ!」奪われた枕を顔に押し付けられる。
 「起きるから…退いてくれ〜」
 「さっさと着替えてよ!」僕から言って飛び退くと、部屋の扉を思いきり閉めて出て行った。
 「…これから毎日こうなのか? 疲れる…」僕は欠伸を一つ、そしてパジャマに手を掛けた。



 コーヒーの良い香りが漂う。十四年間、この良い香りが僕の朝をいつも満たす。
 学園都市周辺の閑静な住宅街、その内の一件屋が僕達の住まいだ。
 「おはよう、螢君。目は…覚めたようね」朝に日差しに優しい微笑みが浮かぶ。
 「おはよう、逸美さん」答え、僕は食卓に付く。すでにテーブルでは弓がパンにジャムを付けて頬ばっている。
 「螢君はオレンジ,それともイチゴのジャム?」
 「じゃ、オレンジで」すでに置かれたコーヒーに口を付ける。香ばしい香りが僕を包んだ。そしてパンを取り、ジャムを付ける。
 僕の一家は逸美さんと犬のフレッドの二人と一匹だ。その環境でこの十四年間を過ごしてきた。
 僕が四歳の時、かなり悪どいことをして贅を極めていたという祖父が亡くなり、その二週間後に僕の両親は事故でこの世を去った。
 一人きりになった僕を、当時祖父に世話になっていたというこの逸美さんが僕を引き取り、今日まで面倒を見てくれたのだ。
 当時のことは全然覚えていないが、両親よりも悪どかったという祖父が僕にとってすごく優しい存在であったような、そんな感じだけを覚えている。
 そしてこれははっきりと覚えているのだが、一人きりになって泣きじゃくっていた僕を安心させてくれたのが当時二十の逸美さんで、数多くの引き取り手を退けてくれたのも彼女だ。
 当然ながら、祖父には莫大な遺産があり、その直接の継承権は当時僕にあったのだ。と同時に祖父のやってきたことへ対する償いもあり、それを全て正当に処理してくれたのが彼女であったという。
 結局手元に残った遺産はごく僅かなものだったらしい。お蔭で遺産目当ての引き取り手も後を絶ち、僕は当時自らの望む,彼女の元で暮らすこととなったのである。
 なお、逸美さんの仕事は小説家。結構マニアの間では有名らしい(どんなマニアか知らんが)。
 それにしても、岡山のクラスメートにも言われたが…逸美さんは若い。当然現在の年令は三十を越え、四十に達しようとしているのに、どう見ても二十四,五に見える。
 その逸美さんがテーブルに付く。コーヒーカップを手に僕の方へ顔を向けた。
 張りたての障子の様に白い肌,零れるような腰までの髪を後ろで一つに束ねている。元々化粧っ気のない人だが、いや、化粧をする必要がないのかも知れない。化粧とは偽りの自分になることであり、逸美さんは偽りを必要としないからだ。
 ふと、その心の奥まで見通すような黒い瞳が僕に向けられた。
 「どうしたの、螢君? 私をじっと見つめて」優しく微笑む。
 「あ、いや…」我に返った僕のこめかみに再び朝の痛みが襲う。
 「早くしないと遅れるって言ってんでしょ!」
 「あ゛あ゛〜、それだけはやめて〜」弓のウメボシ攻撃2!
 それを逸美さんは驚きつつも微笑みながら見守る。
 そして怒濤のような朝はそのまま,そう、そのまま入学式へと雪崩込んで行ったのであった。



 走る、走る、走る…。
 「もぅ、ど〜して螢はいつもそうゆっくりなのよ!」隣で汗を流しながら制服姿の弓。
 「好きでゆっくりしてる訳じゃないよ! ああ、ガクランは首が苦しい」
 城東の制服はその制度が変わっている。男子はガクランかブレザー,女子もまたセーラー服かブレザーという選択があるのだ。自由をモットーにというのが理由なのだそうだが、まぁ、変なところではある。
 今は八時二十六分、三十分に入学式で大講堂に集合なのだ。確かに僕達二人は二十分には校内にいた。しかし…広いのだ、この学校は,半端じゃなく!
 「お、おかしいわね,ここら辺にあるはずなのに…」走りながら弓は呟く。周辺は右手に小等部,左手に緑地だ。
 「おや、君達は高校一年生ではないかな?」僕達二人を伴走するように、スーツ姿の口髭を生やした中年男が腕を組みながら僕達を正面に,いわゆるカニ歩きで横に並ぶ。
 真ん中で髪を分け、鷹のように鋭い眼光を放つ茶色のスーツの四十代後半の男。
 「そ、そうです,あなたは?」弓の足に合わせてはいるが,このオヤジ、どうしてこのスピードでそんな走り方ができる?!
 「私は碇だ。初日から遅刻しかけるとは,いやはやなかなか学生生活を楽しんでおるな! さぁ、若人よ,付いてくるが良い!」そして笑いながら男はそのままの体勢で僕達の前に出た。
 「…弓、大丈夫か?」ペースが落ちた弓に目を移す。その隙に男との間が広くなっていく。
 「そのペースでは遅刻だぞぉ」今度はやはり腕を組みながら後ろ,僕達の方を向いて走る。何で後ろ歩きしている奴の方が早いんだ?!
 「も、もう駄目…」
 「しゃあない!」止まろうとする弓を僕は抱き抱えた。
 「な、何すんのよ!」暴れる弓を腕に、僕は中年男に追い付く。足の早さならばそこいらの奴等よりも早いと自信がある。
 「おお、ワシに追い付くとは中々の剛の者ではないか! さぁ、ペースを上げるぞ」 「おう!」答え、僕達はスピードを上げた。弓も諦めたのか、もう暴れていない。
 やがて木々の間から白いドーム状の建物が見えてくる。
 「さぁ、着いたぞ。ではまた会おう! カレーの好きなイエローレンジャーよ!」
 「誰がだ、誰が!」訳の分からないことを言いながら、男は脇道へと逸れて行く。僕達はそのまますでに人のいなくなった講堂入口へと駆け込んだ。



 講堂は無秩序に人に満ち溢れていた。どうやらクラス発表も何もされていないらしい。 東京ドームの四分の一くらいか、そんな広い講堂にやはり広いステージが壁に面した一角にある。ここにいる生徒数はおよそ五,六百。
 「間に合ったみたいだな」
 「相変わらず足は早いのねぇ」咳き込む僕の背中を擦りながら、弓は言った。
 「静粛に!」
 講堂に女性の声で放送が入る。それに小さなざわめきの後、沈黙が訪れる。さすがは高校生,子供以上大人未満と言ったところか。
 そしてステージに何かきらびやかな衣装を着た金色長髪の若い男が現れた。会場の視線がステージに集まる。男は手にしたマイクで…。
 「皆、今日は俺のために集まってくれて」
 「何やってるの!」
 男は新たにステージの端から現れた女性に蹴り落とされた。おそらく女性は教師の一人だろう。すると今の男は一体…
 「それでは第十二回高等部入学式を始めます。まず始めは校長先生の挨拶」女性のお決まりの文句。
 「それでは校長先生、お願いします」そしてステージの端からスーツ姿の中年の男が現れる。男はマイクを貰い…
 「皆、今日は俺のために集まってくれて…」
 「あんたも何考えとんじゃ!」女司会の鮮やかなボディーブローが校長に決まる。
 それに会場の新入生達は呆気に取られ…
 「痛そうですねぇ」隣の女性徒がのんびりとした口調で呟く。一部はそんなに驚いてはいないようだ。その一部に僕達二人は含まれていた。
 「あの人、校長だったのか…」校長は先程僕達を案内してくれた男である。
 「その内、潰れるわね,この学校」
 「いえいえ〜、校長先生はああ見えてもしっかりとした人なんですよぉ〜」先程の女性徒が僕達の呟きを聞いて、そう話し掛けて来た。
 「知ってるんですか?」丸い眼鏡にショートカットの彼女に尋ねる。結構可愛い。
 「父ですの」のほほんと彼女。
 「…」
 「…なるほど」聞かなかったことにして僕達はステージに視線を戻す。
 「…という訳で私が校長の碇だ」言って咳払い一つ。会場は静まり返った。この校長には、しかしながら確かに人を惚きつける何かがあるようだ。
 「諸君等は受験だの何だのという忙しい時代に生きているが、人生の中で大切な時間は今の君達の時間であると私は思う。この時期に人は最も大きく成長する,私はそう考えている。だからこそ、今の時間だけでも良い,自ら正しいと思ったように行動して欲しい。以上,入学式終わり!」
 「うおぉぉ!」会場の歓声。
 「終わるなぁ!」そして校長もまた、ステージの端へと司会者によって蹴り出された。 色々な意味で騒ぎたつ構内。それを見回し、諦めたのか,女司会はおそらく予期していたのであろう,この事態に対する対処を取った。
 「…以上で入学式を終了します。外の電光掲示板に組分けの表が出ていますのでそれを確認してから所定の教室へと向かうように」疲れたように彼女は目頭を押さえてステージから下りていった。



 大講堂外にある巨大な電子掲示板。それを僕達は首を痛くしながら、自分の小さな名前を捜して見上げていた。
 「…B組か,にしてもここまで腐れ縁とはなぁ」
 「そうねぇ、Nまであって一緒だもんね。私もびっくりよ」と言っても、同じクラスになったことに余り驚いていないように見える弓。
 「あら、私もB組ですの。よろしく」先程の自称校長の娘が僕達の隣で言った。
 「よろしく、碇さん」僕のその言葉に彼女は驚きに両手で自分の口を押さえる。
 「まぁ、どうして私の名前を御存じなんですか?」
 「…自分で校長の娘って言ってなかったっけ?」僕は言うと彼女はポンと手を打つ。どうやら分かってくれたようだ。
 「何処かでお会いしたんでしたっけ?」
 前言撤回、全く分かっていなかった。彼女のこの学校を受ける際の一発芸はおそらくこの天然ボケに違いない。いや、もしかして附属の中学から入ってきたのかも知れない。
 「…私は本庄 弓。こいつは那孝 螢よ,よろしくね」僕の頭を叩きながら弓は言う。おい、頬が引き吊ってるぞ,お前。
 「碇 恵と申します。今後ともよろしくお願いしますわ」深々と頭を下げる。
 「それじゃ、ま,教室に行きますか」僕は腕を頭の後ろに組み、天高い青空を見上げて電光掲示板に背を向けた。



 碇は窓から見える外を見ていた。広大なグラウンドには校舎へと移動していく新高校生等が見て取れた。
 「失礼します」ノックと供に先程の女司会が入室する。
 リリン,リリン…電話が鳴る。碇校長は振り向き、電話を取った。
 「碇だ…またお前か、ここは学徒の地,その要求を飲む訳にはいかんな。お前がそのつもりならば私も手を下すまでだ…」言って彼は受話器を投げ置く。そこにはいつものどこか安心できる雰囲気はなく、周囲を黙らせるそれを放っていた。
 しかしそれも数瞬,すぐにいつもの彼に戻る。
 「校長…?」
 「何か,才乃先生?」
 「い、いえ,頼まれておりました進行表の方をお持ち致しましたので」
 「ありがとう」微笑む碇。それに才乃は一礼して立ち去ろうとする。
 「そうそう、才乃先生,今回の一年生は…いろいろと難しいからそのつもりで」校長の言葉に動きを止める才乃。恐る恐る顔を上げ、碇を見るとそこにはいつものふざけた表情は払拭されている。
 「はっ,出来る限りのことを…」
 「時には気を抜くのも大事だからな」そして校長は微笑んだ。それは才乃の反応からか、それともこれから起こりうる事に対してなのかは、定かではない。


To Be Continued ...



Back Born

 古来より人以外の生命,魔獣,精霊などが数多く大地に生息している。
 その力を利用し、平和をもたらす者達。
 その力を利用することを恐れ、それを阻止せんとする者達。
 前者を闇,もしくは魔獣を手なづけることから「式神使い」と
 後者を光,「精霊使い」と…
 時の権力者は呼び、常に畏怖しているという。
 明治に入ってから人外の力を用いる者達は、光,闇ともに表立った行動を控えるようになった。
 言葉を交わした訳ではないが、暗黙の了解の元、互いに世に干渉することを止めることによって現状を静観しようとしたのであろう。
 だが、時は全てに平等に訪れる。
 古きは消え、新しきが新たな考えを持つ。
 そして…再び光と闇が合い見舞えんと動き出す。
 短い休戦は、昭和中期には破られた,同時に両陣営とも世の中の目の届かないところで甚大なる被害を被った。
 再び、互いに牽制しつつ緊張した静かな時が流れることとなる。
 時は平成初期,これはある少年の物語―――


[TOP] [NEXT]