BLACK POINT 〜 日陰の晩餐会



Last Experience / Force & Good Luck 

 「あー、良い気持ち! こっちの空気もおいしいわね」隣で大きく延びをする弓。
 「うーん」何の変哲もない川原だった。
 「で、どうしてこんなとこに寄ったの?」
 「…いや、何となく、ね」そう、ごく普通の川原だ。昨日の喧噪など全く感じられない。
 もしかして全て夢だったのか,いや、そんなはずはない,しかし…
 確かに昨日起きたことは普通では考えられないことだが、この身を以て明らかに体験したことだ,そう心の中で自分に言い聞かせ、弓に振り返る。
 「時には朝のおいしい空気を吸いたくなることもあるってことさ」そして僕は学校へと足を向けた。



 「よっ、元気か?」
 「おはよう、南部」相変わらずの木刀を肩に担いだ長髪の男は、妙にさわやかに見える。何かあったのか?
 「おはようございます、那孝さん、弓さん」ファイルを手に、恵がその後ろからやってくる。
 「おはよう、恵ちゃん。ん?」彼女は僕にそのファイルを手渡す。
 「可能性のある方をリストアップしておきました」囁くように小声で彼女は言う。そう、昨日の出来事は彼女にとっても事実なのだ(もっとも河原でのことは知らないが)。
 そして妙な安心感を抱く。もっとも昨日のことが夢であったほうがずっと嬉しいのだが。ふと彼女をよく見ると眼鏡の奥の瞳が赤い。寝ていないのだろうか?
 「何なに? それ?」弓が興味深げにファイルの表紙を除き見る。しかしファイルでしかないぞ、弓。
 「ありがとう、恵ちゃん」そして僕の視線が彼女に止まる。
 「それはそうと、あんた,なんか変よ、今日」弓もまた南部の異変に気付いたようだ。
 「フフフ…まだ知らないのか、お前は。今日転校生が来るんだよ,正確に言うと外国からの急な編入らしいがな」得意気な南部。しかし僕の心はすでにそこにはない。
 「て、ことは女なの?」
 「そう、それも金髪美人という噂だ! それがこのクラスにだ,運が良いぜ」
 「…どうしたんですか? 那孝さん」顔を赤らめて恵。
 「…ごめん、恵ちゃん。このファイルは使わなくて済みそうだ。それに南部,噂には常に尾ビレが付いているもんだぞ」そう、僕の視線は恵の後ろ,教室の前戸を開けて入ってきた、教卓付近で僕に薄い微笑みを浮かべた男から外せなかった。
 昨日の男,しかし長かった髪は切り落とされごく普通になっている。前髪が長かったときの名残りか、右目を覆い隠すような髪型に変わっている。
 回りのざわめきが遠くのものに聞こえ、僕と男の間に緊迫した空気が生まれる。
 しかし視線を逸らしたのはその男の方だった。
 「転校生?」
 「うちのクラスなんだ」男に目を付けたクラスの女子達数人が彼を囲む。はっきり言ってルックスは中々良い(弓の言葉を借りるならばジャニーズ系とのことだ)。
 「はい静粛に!」途端、榎本先生が入ってくる。朝のHRの時間だ。それに僕達は席に付く。
 「さて、今更だけど転入生を紹介します」言って、榎本は教卓の横に立つその男に声を掛けた。
 奴は長い前髪を軽く掻き揚げると榎本の隣に立つ。
 「へぇ、美形ね」弓の声が後ろから聞こえた。
 「さ、自己紹介なさい」
 彼はチョークを取ると黒板に自分の名を書いた。
 「僕はシフォン=冴木,LAから来ました。今後ともよろしく」そしてにっこりと微笑んだのだった。



 「冴木さんの生まれたところってどんなところですか?」
 「学校を案内しましょうか?」
 「好きなものは…」
 (以下略…)
 まるでマンガかラブコメ小説のようにクラスの女子に囲まれながら、彼は次々と来る質問に答えていた。
 それを不機嫌に眺める多くの男と特に不機嫌な南部の姿が、僕に現実にこんな光景があるんだなということを実感させる。
 「ったく、何が学校を案内しましょうか? だ。俺達も二日前にこの学校に入学したばっかじゃねぇか」
 「恵ちゃんみたいに中等部からの編入もあるでしょうが。何ひがんでんのよ,ま、しょうがないか」
 「何がしょうがねぇんだ,こら」
 「…あの人なんですか」尽きないやり取りをする南部と弓を背に、恵がいつにないと思われる鋭い視線を眼鏡の奥に隠し、人垣の狭間に見えるシフォン=冴木なる男を見つめる。
 「ああ、そうなんだ。一体どういうつもりだろう」
 「…昨日那孝さんに何があったか、後でちゃんと聞かせて下さいね」恵は後ろの二人に聞こえないように小声で言う。
 「ああ、分かってる」恵ちゃんには悪いが、弓や南部を巻き込みたくないのが僕の気持ちだ。もっとも信じてはくれないと思うけど。
 「ともかく今日中は大丈夫だと思いますよ。皆の視線が彼に行ってますから」
 「そう、だね」そして二時限目開始のチャイムが鳴った。



 弓は机の上の教科書とノートをまとめ、机の引き出しの中へと放りこむ。
 「螢,お昼にしよ…あれ?」彼女の場所から左斜め後ろにいるはずの男はすでに姿を消している。
 「ねぇ、螢は?」
 「ん、あれ? どこ行ったんだ?」尋ねられて回りを見回す南部。
 「碇さんもいないから…ああ、食堂で席とってくれてんだろ,気が利くな、行こうぜ」木刀を手に、弓を促す。
 「…そうかなぁ、違うような気がするけど」そして弓は南部の後を早足で追った。
 春の暖かい日差しが僕達を照らし、微風が花の香りを運んでくる。
 「…ということなんだ」僕は卵焼きを一切れ、口に頬ばりながら隣の恵に言う。
 それに恵は神妙な面持ちで弁当箱を見つめている。
 僕は恵と校舎の屋上に来ていた。昨日のことを告げるためだ。彼女も色々話したかったのだろう,弁当を僕の分も用意してくれていた。
 「人…じゃないんですか,一体それって」
 「いや、人だよ」落ち着いたその声は柵を越えた背後から聞こえた。
 「ただダーウィンの唱える進化を辿ってきた,すなわち人間という種かと言われるとNOと答えるがね」柵に寄りかかるようにして座っていた僕はゆっくりと振り返る。
 「そして君もだ、那孝 螢君」柵に膝を付き、そいつは言った。
 「どういうつもりだ? シフォン=冴木君」恵はどうだか分からないが、僕は大して驚くことなしに返す。この男の力をもってすれば僕達の背後などいとも簡単に取れるはずだ。
 「おや、驚かないんだね。まぁ、昨日あれだけのことを見せたからねぇ」言って彼は柵を飛び越え僕の隣に座る。
 「昨日の今日の話だが、君の護衛ってところさ。昨日の敵は今日の友と、昔の人が言ったな」僕の弁当箱に手を延ばそうとするが僕はそれを払いのける。
 「生憎お前と友達になる気はないね。何せ命を狙われたんだからな,理由も分からずに!」
 「理由ね…そんなものがあったら僕に怪我を負わせた君を守ったりはしないよ」言い、彼は立ち上がる。
 「君は人としての生活を送っていればそれで良い。友と語らい、学び、人間として生きて行けば、誰も君を邪魔したりはしない」振り向かずに彼はそう言い残し、屋上を去って行った。
 「何が人として,だ。訳の分からないことを」冴木の降りて行った階下への扉を睨みながら、僕は呟く。
 「那孝…さん」そして左腕に強く、柔らかな感触。
 「え?」
 「冴木さんの言う通りだと思う,私は…那孝さんに普通に過ごして欲しいもの」僕の左腕を強く抱き、恵は顔を俯かせて言った。
 「那孝さんに…あの人のようになって欲しくないから」
 「恵ちゃん…」恵が小さく震えているのを感じる。この娘はどうしてここまで人のことを心配できるのだろう,その理由に気付くのに僕にはもう少し時間が必要だった。



 夕日が空を赤く染めている。大気中における光路長が長くなるために単波長成分である青などの色はチリなどによって散乱し、熱に近い散乱されにくい波長である赤い色がこうして僕の目に届く。
 何事も理由があり、それは全て単純な事柄の組み合わせによって説明されうる。
 それ、すなわち科学が今の世を支える考え方であり、担任の榎本や樋口はこれを崇拝すらしている。
 僕にしてもそうだ。全ては説明されうるものだと思っていた。全て,人の心以外の全ての出来事は理解しうるものだと。
 学校の屋上で僕は一人、待った。
 待つこと数分、そいつはやってきた。
 「やっぱりきたね、那孝君」夕日を浴び、目を細めてそいつは言う。
 「ああ、全部とは言わない,聞かせてもらうよ」夕日を見つめながら、僕は格子に両肘を付いて言った。彼は僕の横で同じ態勢を取る。
 「僕が君を殺そうとした理由,まずそれからだね」僕はそれに振り向かずに頷く。
 「君の曾祖父は力を使ってこの国を左右していた,明治時代半ば余りのことだ」僕は両手で支えていた自分の顎を柵にぶつける。スケールが大きすぎるぞ、おい。
 「…我々,ここでは力を持つ者と呼ぶとしよう。我々にはその正確から二種類ある。力を用いて権力や名声を得ようとする者と、人間社会と同化しその力を見せない者だ。そして後者の結束力は前者を闇から闇へと葬り、また葬られてきた」
 「力…か」僕は自分の手のひらを見る。何の変哲もない手,力なんてあるとは思えない。
 「君の曾祖父は力を持った後者だったが、何かのきっかけで前者となった。そしてその地位は君の祖父へと受け継がれて行く。戦争とその後,全て裏から君の祖父は力を以てして関わっていたんだよ」昔話を語るように彼は淡々と語る。
 「力を持つ後者は幾度も君の祖父を葬ろうとした,だが彼のやり方に賛成するものは多かったんだ,僕も正直そう思う、戦争に負けながら短期間でここまで復興した国なんてそうあるもんじゃない」初めての自分の意見,それは信用たるものだった。
 「しかし豊かになり、余裕が生まれてくると強引な君の祖父のやり方は力を持つ者達の標的となって行った。そして映画なんかでよくある裏の世界の首領である君の祖父は同じ力を持った仲間達の裏切りや幹部,血族の暗殺によって地位が揺らぎ、そして病死した」そして彼は言葉を止める。
 「…僕の両親が死んだのも君ら力ある者達の仕業ってことか?」それに彼はしばらくの沈黙の後、頷く。しかし怒りは湧かなかった
 「我々、穏健派の社会は広い。そして同じ力を持つ者に対しては妥協を許さない」何かを読むように彼は語る。
 「そう、しかし何でその時に僕を殺さなかったんだ?」彼の言葉を真実とすると僕はその時点で一番の標的になっているはずだが。
 「それには我々の力について知らないといけない。力は我々の先祖の血に流れる契約の力,それ以上もそれ以下も語る統べはない。そして君の血は純粋な契約の力を持った血だった」
 「つまり両親とも力は持っていたと」頷く冴木。
 「契約や約束は我々にとっては絶対のものだ。それを破ることは自らの存在を否定することになるそうだ」そうだというあたり、彼もよく知らないようだ。
 「君の祖父と穏健派の長は、君が力を十分に発揮できる歳であるとされている16歳になるまで監視、傷害などの行為を決してしないと約束を交わしたそうだ」
 「そうか」だからか、こうなったのは。
 「で、どうして昨日の敵は今日の友なんだ?」
 「言ったろ? 力をへたに使う者に対して制裁が下ると。君にその気がまるでないのが建て前だな」すなわち…。
 「へたに刺激して死者を出すより放って置いたほうが良い,そういうことか」
 「そういうことだ,しかし君をそそのかす連中が現れるかも知れない。その時の監視兼護衛ってとこさ,僕は」
 「とんだとばっちりだな」彼は上の命令でここにいなくてはならないということだ。
 「まぁね、だが僕の力が多少は認められたということだ。君の命を一人で狙ったのは僕の力を上にみせしめたかったから。力に気付いた者に対して組織は血の濃さで順序分けをするんだ。僕はかなり薄いからこれまでひどい生活を余儀なくされてきた。しかしこれでまともな学生生活を送れるんだ,感謝するよ」だからか、普通に過ごせと言っていたのは。彼も彼で色々大変だったようだな。
 「しかし…余り驚かないな、君は」冴木は細い目をこちらに向けて言った。
 「ああ、結局は関係ないことだし。僕は今の生活に不満はないから」正直な答えだ。
 「君の血族が殺されたんだぞ」
 「昔だろ、それにそれなりの状況だったみたいだし…」
 「両親が殺されても?」
 「ほとんど覚えていないからね,よく僕のことを置いて出てたから」覚えているのは何となくあった祖父の面影。そして何より一番僕に構ってくれ、ここまでまっとうに育ててくれた逸美さんの若い姿。
 「その代わり、今の僕の回りの人達を傷つけることは決して許さない」
 「…そうだな、こんな事を話しても何か生活が変わるだとか、そんなこと、ないものな。もっとも力を使えば別だが」
 「力…ねぇ,そんなのを使う練習をする暇あったら英単語だとか公式の一つ二つを覚えたほうがよっぽど役に立つと思うぞ」正直、高校の勉強は難しい。
 「…現実的だな、しかしこの世の中、確かにそうかも知れない。世界征服したってそれなりの責任感が必要だし」
 「心労増えるもんなぁ」二人してしみじみ頷く。ふと聞きたかったことを思い出す。
 「そうそう、精霊って何だ?」それに冴木は苦い顔になる。
 「あの精霊のことか。精霊というのは我々の力の根元,古来からあるものだ」
 「?」分からない。
 「全ての物質には心が宿っている。木の心、火の心、土の心、石の心…それが長い年月を経ると精霊になる。昨日の君を守ったのは水の精霊だ,それも強い、な」
 「水の…精霊?」
 「土地神信仰って知っているだろう? あれの原形が精霊だ。基本的に精霊は意識の集合体でしかないから人格は持たない。近頃はさらに人々の者を思いやる心が薄れているから精霊は滅多に見られなくなったな。そんな現代であんな強い精霊に守られたなんて君は全く変わっているよ」
 「じゃあ、あの娘は今は?」冴木は首を横に振る。
 「精霊は…よく分からない。この世の中には科学じゃ説明できないことは沢山あるんだ。僕が知っているのはこの契約の血の力だけ。僕は血に潜む地の精霊に応えるの力をほんの少しだけ発動させる事が出来るだけなんだ。詳しい事は情けないけど分からない」
 「…あの娘は精霊,なのか」人間らしい表情も見せたあの娘,しかし佐伯の言う精霊とは思えない。
 「僕よりもずっとずっと契約の血の力が強い娘なのかもしれない。だから強すぎる故に精霊そのものに見えるのかも」
 「ふぅん,分からないな」さっぱりだ。
 「唯言えるのは、精霊はいつもすぐ側にいるってことさ」微笑み、佐伯は言った。
 「…あと、僕の力はなんなんだ?」一番気になる事。精霊など行使する力は僕にはない。
 「君は魔獣使いさ。僕たち精霊使いとは全く異なる力を根元に持つ存在。特に君は直接祖父から魔獣を受け継いでいる。最凶と言われる3体の魔獣をね」
 「3体…ってあと2匹もいるのか?!」玉ちゃん以外にも何処かにいるのか,なんか監視されているようで嫌だなぁ。
 「ああ、でも君が必要としない限り現われないだろうよ,いや、現われるべきじゃない」後悔するように、彼は呟いた。
 「そうか…ところでどうして髪切ったの?」ずっと不思議に思っていた。
 「…火傷したのは知ってるだろ?」頷く。
 「あれは直してもらった。だが、治す奴の力の関係で髪の毛の縮れまでは完全には治してくれなくてな。仕方無く切った」なるほど。
 「ま、楽しい学生生活を送るとしようぜ」言い残し、冴木は僕に背を向けた。
 「楽しい学生生活…か。昨日のこと、そして過去のこと…すごいことかも知れないけど、結局はこれからには全然関係ないことだな」手品師になれば話は別だが,そう思いながら、知らないことからの苛立ちから解放された僕の心は入学当初のそれに戻って行った。



 日はほとんど沈みかけている。春になって日が長くなったといっても六時頃には沈んでしまう。
 始まったばかりとは言え、運動部の活動もほとんど終わっている。僕は人気のない廊下を歩き、靴に履き変えて校門へと向かう。
 校門が見えてきたところで、ふと後ろを振り返る。薄明かりの中、花見をやった桜林と校舎が見える。
 そう,僕は受験をして、そして高校生としてここへやってきた。それ以上でも以下でもない。静かに佇むその風景は僕にそのことを再認識させた。
 冴木の言う力,僕にもあるというそれは役には立たないだろう。それは冴木を見れば分かる,彼もそんな力に気づいてしまったばかりに要らない束縛をされている。
 「僕の求めているものはこんなものじゃないのにな」では何か,聞かれると答えられない。心踊る何か,しかしそれは何か分からない。
 少なくともこんなどろどろとした黒いものではないのは確かだ。
 「何か帰る気しないな…」校舎に背を向け、僕は校門へと向かう。
 校門にはさっきまでなかった影が一つあった。
 「…あれ?」それが誰だか気付き、駆け寄る。
 「那孝さん」恵だった。いつもの笑顔はなく、悲しそうな表情をしている。
 「どうしたの? こんなとこで」それは愚問だった。しかしやはりこの時は僕は気が付いていなかったのだ。
 彼女は僕の顔をしばらく見つめると、小さく微笑む。
 「ん,なんでもないの。安心しちゃた」それに僕は首を捻る。
 「? そうだ、恵ちゃん,時間ある?」彼女は不思議そうに頷いた。
 「これからだけど街の方、出てみない? 軽いものだったら驕るよ」
 「え…は、はい」頬を僅かに赤く染め、彼女はそう答えた。



 灼熱の炎が背中に迫っていた。
 爆炎が数瞬前まで踏み止まっていたアスファルトから吹き出す!
 吹き出した炎は、商店街の人も、物も、その悲鳴すらも飲み込んでいく。
 「那孝さん、何か近ごろ多いですね、こういうシュチュエーション…」
 「結構余裕だね、恵ちゃん」彼女の手を引っ張る左手は、熱か緊張か、汗ばんでいる。気を抜くと放してしまいそうだ。
 「佐伯さんの仕業…でしょうか?」
 「さぁ…ね!」
 「あらら…」ペースの落ちてきた彼女を抱き上げ、ペースアップ。
 追いついてくる炎との間を一気に離した。
 ゴゴゴ…
 背後で地面が持ちあがる音!
 それを契機に背後の熱気が収まった。
 足を止め、振り替える僕。
 商店街のアーケードの屋根くらいまで、地面が壁のように競りあがっている!
 その高さ10mはあろうかというアスファルトの壁の上に立つ人影がある。
 「佐伯さん!」
 「いいからここはさっさと行きな,ここは食い止める!」
 「さんきゅ!」
 僕は振り返る事なく、そのまま駆け抜けて行った。



 今日は日曜日。
 部活には入っていない僕は暇だったので町をぶらぶらとしていた。
 と、このアーケード街で恵に出会ったのである。
 彼女は何でも本を探していたと言う事で、それに付き合う事にしたのだが…
 あとはこの通り、何の前触れも無しに炎が意志を持ったかのように全てを巻き込みながら追いかけてきていると言う訳である。



 佐伯の作り出したアスファルトの壁は押し寄せる炎の奔流を撒き散らした。
 「炎の精霊使いか…まさか」壁の上に立ち、呟く佐伯。
 その彼の前に、炎の柱が立ちあがった!
 柱を内側から破るように一人の巨漢が現われる。
 黒いワイシャツにスラックス,サングラスを掛けた浅黒い肌の若い男。
 20代後半くらいであろうか,野生的な感を与える威圧感を持っていた。
 「佐伯の坊やじゃねぇか,そこをどきな」彼を見下ろす男。
 「炎龍王…何故指令を破る?」佐伯の声はしかし態度とは裏腹に震えている。
 その彼の言葉に炎龍王と呼ばれた彼は鼻で笑う。
 「俺達の成すべき事は邪悪なる黒を一掃する事だろう? 白が黒を認めてどうするってんだよ」試すように男は言い放つ。
 「っく!」根本的な彼らの存在理由を言われ、佐伯は口篭もる。彼とて、上からの命令は正しいとは思っていないのだ。
 だが…
 「ここは…通せないな」
 「良い度胸だ」ぞっとする微笑みを炎龍王は浮かべた。



 ごごん!!
 背後でこれまでにない爆発音が轟いた。
 「大丈夫かしら? 佐伯さん」
 「多分駄目だろうな」僕は恵を抱きかかえたまま、相変わらず走り続けていた。
 と、その僕の前に見慣れた少女が1人、現われた。
 思わぬ事に立ち止まる僕。
 「榎本先生!」
 「何か面白い事になってるじゃないのよ、私にまっかせなさい!!」ドンと小さな胸を叩く担任,そのあと、お約束のように咳き込んでいるし。
 「任せなさいって…」降りた恵が唖然と呟く。
 「任せます!」その手を引いて、僕達は三度走り出した。



 炎を纏った男は、辺り一面を焦土に変えながらゆっくりと歩いていた。
 その前に1人の少女が立ちはだかる。
 肩には何か長い円筒状のものを担いでいる。
 「へぇ、面白いわね。それって、『精霊力』ってやつでしょ?」満面の笑みを浮かべ、少女。
 「ガキはすっこんでな」
 「献体してもらうわよ」少女・榎本は肩に担いだそれを男に向ける。
 その先端から光と爆音がほとばしった!!
 爆炎の後には無傷で咳き込む男の姿がある。
 「あらら…無傷か」呆れたように榎本。
 「てめぇ,俺の服にホコリが着いちまったじゃねぇか!!」
 「かなり強い防御フィールドが働いているみたいね」男の文句もろくに聞かず、榎本はその場で軽くステップを踏んだ。
 ゴゴゴ…
 アスファルトが隆起する。
 榎本がその場から持ち上がる,いや、彼女の足元から戦車に似たモノが現われたのだ。
 さすがの炎龍王も、思いもよらないこの展開に後ずさる。
 「いっくわよ! ふぁいや〜!!!」
 がちゃこんがちゃこん
 ありとあらゆる所からミサイルのようなものが飛び出し、辺り一面を更なる焦土と置き換えた…。



 街を一望できる、高台にある氷室神社。
 その境内から2人は眼下のアーケード街を見ていた。
 「…大爆発してるね」
 「あれ、絶対・榎本の仕業だよ」
 「凄い事件になっちゃったね」
 「過去形になれば、良いんだけどね」
 そもそも昨日の佐伯の言葉だと、力を持った彼らのような奴等,精霊使いだったか,は手を引いたはずじゃないのか?
 「上からの一言で納得できるような性格じゃなくてな」
 野太い声は僕の背後で聞こえた。
 黒いシャツを着た大男。
 豪快な、嬉しそうな笑みを湛えて僕を見下ろしていた。
 「最凶の3匹の魔獣を従える魔獣使い,その力を見たいっていうのがホントの目的ではあるんだがな」
 「恵ちゃん,下がってて」僕は彼女を背に隠す。
 「でも…」
 「危険よ」
 その言葉は全く別の方向から飛んできた。
 僕たち3人はそちらへ視線を移す。
 氷室神社,その建物の前に青い髪の少女が立っていた。
 「水穂…無事だったのか」
 「…何だお前は,水の精霊?」怪訝そうな男。
 「ま、とにかくお前の力、見せてくれや,俺の名は炎龍王!」大男は拳を振り上げる。その拳にはいつやら紅蓮の炎が纏っていた。
 「くっぅ!」僕は恵を抱き、横へ飛ぶ。
 ギィン!
 硬い音
 『やれやれ,いつの世も炎の精霊使いの王は気性が荒いものだ』その拳を、灰色の長い髪を腰の辺りまで伸ばした、羽織を纏った優男が片手で掴んでいた。
 正反対の体躯,しかし現われた和服の男には薄らとした笑顔が浮かぶのみで、炎龍王の一撃に何の衝撃も受けていない様だ。
 優男の雰囲気は僕の知るモノに合致していた。
 「玉ちゃん?」
 『玉藻前っつうとるだろうに…,ったく!』
 「こいつがか!」嬉しそうに炎龍王,その拳にさらなる力が篭ったに見えた。
 玉ちゃんの表情が一変する。
 『あ、コリャイカン!』
 ゴゥ!!
 境内に爆音が響いた!!
 「!!」僕は思わず目を閉じ、来るはずの衝撃に身構える。
 何もなかった。
 目を開くと、彼女の背があった。
 「水穂?」
 「倒しましょう、あの男を,生き抜く為に」チラリ,彼女はこちらに振り返り呟く。
 先日の、僕を守った時の目だった。
 守るのは僕だったはずなのに…
 守る?
 そういえば恵は!!
 「螢殿,この娘は責任を持って守りましょう,ま、適当にがんばってくれや」神社の家屋の屋根からそんな声が聞こえた。
 見上げれば、恵を抱いた人型の玉ちゃんが笑って手を振っている。
 あ、恵ちゃん,おろおろしてるし…
 「水の精霊如きが何をする? 形も残さずに蒸発してくれるわ!」炎龍王が炎を身に纏って突っ込んできた!
 「いけない!!」僕は迎え撃とうとする水穂の手を取って炎龍王の突進をかわした。
 反動に焼け付くような熱気が僕たちを襲う。
 「クッ!」顔をしかめる水穂。今、感じた熱気は彼女の張る水の防御フィールドを越えて受けたものだ。それがなかったら蒸発しているだろう,ぞっとする。
 「つまらんぞ! 奥義を一丁,爆龍乾坤撃!」炎龍王が両手を合わせて気合一発,息を吐く!
 業炎が僕達2人を襲った!!
 「大丈夫,貴方は守ります」微笑む水穂,前に出ようとするその手を掴む。
 「違うよ,約束したろ。守るのは僕だ」
 「…憶えていて、くれたの?」
 炎が僕達を飲み込んだ。
 僕は水穂を抱き寄せる!
 水に溶ける,そんな感覚が僕達を襲った。



 ジュウ…
 花火にバケツの水を掛けたような,そんな虚しい音を立てて炎龍王の炎の技は消え去った。
 「? あれ?」首を傾げる大男。
 彼の前に青い髪の男が立っている。
 古の精霊使いの纏う幾何学模様の入った法衣を着込んだ青年だった。
 「水よ」彼は静かに呟く。
 矢の様に無数の水が炎龍王に襲い掛かった!
 「ぬ! 炎よ!!」同時に炎がそれを迎撃する!!
 同じ数だけの水蒸気爆発が轟き、それは氷室神社を,近くの建物を破壊し尽くして行く…。
 「魔獣使いじゃないのか? 精霊使いとは…そうか、そうだったのか! だから奴は手を出すなと言ったのか!!」炎龍王は爽やかな笑顔で炎を紡ぎながら笑い出す。
 やがて炎の力が次第に弱くなって行く,水に飲み込まれて行くように。
 「強い、強いよ,お前! 気に入ったぜ!」叫ぶ大男。それを最後に大量の水の奔流に彼は炎ごと押し流されて行った…
 一変して静寂が支配する水浸しの境内の中、青い髪の水の精霊使いは、目を閉じ、己の肩を抱く。
 その姿がブレる。
 青年の姿は消え、青い髪の少女と、彼女を背中から抱いた少年の姿がそこには代わりにあった。



 …水穂ちゃん?」
 「はい…」上気した顔で、彼女は地面から僕に視線を移す。
 暖かい夢の中にいたような気がする。
 水穂の過去は分からない。
 しかし今の彼女の事を知ったような気がする。
 僕の力が何なのかは良く分からない。
 ただ、言える事は僕の守りたいと言う気持ちと彼女の同じ気持ちが重なったと言う事だ。
 同調し、融合した。
 そんなところだろうか,詳しい事は佐伯にでも調べてもらおう。
 僕は水穂を,恵を,弓も新しいクラスの皆を,逸美さんを守りたい。
 今の暮らしを逃したくない,ただそれだけだ。
 そしてその守る力は…ここにある。
 逃げる必要はないだろう。



 「懲りましたか?」翼を持った少年は彼にそう問うた。
 大男はそれにニカッと白い歯を見せる。
 「今回はお前の言う事に従ってやるよ」
 「安心しましたよ」大男がそう言う事を、少年はすでに分かっていた。
 だから今回はこの騒ぎを黙認したのだ。
 どの道、片付けは彼にやらせるのだが。
 「気に入ったよ、アイツ。アイツなら何とかするんじゃないのか?」
 「いいえ、まだそんな時ではないですよ,それ以前に今はこのつかの間の平和を楽しもうじゃないですか」
 「そうだな。あの少年,白の中の黒 Black Point が大きくなるまで…な」



 ……であるから」
 き〜んこ〜んか〜んこ〜ん
 「「っしゃ!!」」一斉に立ち上がるクラスのメンバー。
 「って、待てよ、おまえら!!」榎本の怒号,しかし聞く者はいない。
 昼の購買は戦場なのだ。
 駆ける道すがら、僕は佐伯を階段から突き落とし、樋口を転倒させと、次々とライバルを減らして行く。
 そして目的のものをGet…できず!
 「おばちゃん,やきそばパンね」ターゲットを奪ったそいつの声が聞こえる。
 「まいど!」
 それを持った弓は僕の方を向き、ペロっと舌を出した。



 「昼御飯!」南部が弁当箱を開ける!
 中には白御飯,中央に輝くは赤い梅干し!!
 …それだけだった。
 「南部さん、私,一人では食べきれませんので手伝って頂けると嬉しいです」
 「恵ちゃん…ありがとう」おずおずと大きめの弁当箱を差し出す恵に、感涙する南部。
 「で、私らは購買パンなわけね」ジト目の弓。
 「んだよ、僕だって寝坊する事あるんだから仕方ないだろ!」
 昼下がり、暖かい夏を前にした日差しの中、僕達4人は芝生の茂る木の下、いつものランチタイムだった。
 食堂から近頃はもっぱら弁当にしているのだが…
 弁当は僕が作る事が多い,というか弓は.料理がてんで駄目なので僕が作らざるを得ないのだ。
 それなのについ作れないと文句ゆうし,こいつは。
 と、僕を木陰以外の影が覆った。
 顔を上げる。
 青い髪の少女の微笑みが、そこにはあった。
 「隣,空いてますか?」
 「ええ」
 彼女に負けない微笑み。
 次の日から、ここに集うのは5人になった……


END


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