白銀の剣



 君は虚空に何を見る?


Introduction
 リーガル王国はラブレス大陸の西部に位置する小国である。
 北に標高3000m級の山々が連なるジガー山脈を抱え、その更に北には氷結の大地が待っている。その凍った大地に住むのは魔族と呼ばれる奇怪な姿をし、魔法を使う悪魔達。
 南と東は大国メルー帝国が広がり、西に唯一の同等の力を持つ小国であり友好国のニース皇国が位置している。
 リーガル王国はその名の通り国王を中心に運営されていた。そして齢60を越える国王には2人の息子がいたという…。



First Expression  共に歩まん事を
 気が付けば青々とした芝生の上で寝転んでいた。
 俺を取り巻くようにして数十人から成る人の和が俺を見下ろしている。その中心にあるのは真昼の太陽だった。
 「何だ? 一体!」俺は上体を起こし手近の1人に尋ねる。板金の鎧に身を包んだ中年の騎士は驚きと困惑の表情で口を開き、右手で上を指さした。その方向には5階建の塔らしきものがある。
 「あの塔の扉から落ちたのです。御怪我はないのですか?」その言葉に俺は自分の体を眺め回す。高価そうな服装にはほつれすらなく、無論俺に怪我などない。
 「どこにも怪我はないぞ。ところで何階から落ちたんだ?」俺の言葉にいぶかしげな表情を浮かべながらも、今度は白いドレスを着たおばさんが言った。
 「もちろん最上階からです…」
 「5階から?」聞き返すと取り巻く全員が頷いた。
 「本当に御身体は大丈夫ですか? 骨が折れているとか?」
 「大丈夫だって、ほら」俺は立ち上がり、両腕を回して見せる。と、そこに白い髭を蓄えた人の良さそうな老人が、人の和を掻き分けて俺の前に現れた。
 「アリアス! 怪我はないのか? 平気なんだな?」老人は俺の肩に両手を置き、激しく揺らす。そこに俺は一つの疑問を持った。
 「アリアスって…俺のこと?」



 アリアス=マシュールはリーガル王国の2人の王子の内の兄であり、当年とって19歳。
 性格は粗野かつ乱暴であり、物事を正しく理解する事なく若くして酒と女に溺れ、無能者としての烙印を押されていた。
 その弟、イリアスは4歳年下で将来有望視される文武了見の天才である。2人は全く正反対の性格でありながらその容姿はそっくりであり、黒い髪に緑色の瞳、身長が高くとも惰弱とは言えぬ。そして王族にふさわしい顔立ちをしていた。
 父は2人の息子に対して、まさに目に入れるくらい可愛い状態である。その母は5年前に他界していた。
 またアリアスは母の葬儀に際しても、それを汚すという振る舞いを起こしたそうだ。
 「…ひどい言われようだな。本当にこんな奴が存在していたのか?」 
 「御自身の口からおっしゃらないで下さい。それにしてもこの大切な時期に記憶を無くしてしまうとは…」
 「大切な時期?」
 「来月には隣国ニース皇国の皇女ラシーヌ様との御婚約が控えております」大臣と名乗る中年の男は溜め息を漏らした。
 あれから俺は医者にあちこち小突かれた後、ただの記憶喪失と診断された。ただの記憶喪失と楽観できたのは一瞬で、ぜんぜん只事ではない。
 父を名乗る老人に体を気づかわれながらも、そのうち全て思い出すと言い聞かせ、通りかかった男を部屋に連れ込み、自分の過去を聞き出しているのだ。中肉中背の白髪混じりの壮観な男であった。
 「しかし…変わられましたな、殿下」大臣は呟く。
 「変わった? 何がだ?」
 「いえ、以前の殿下の印象が余りにも強かったので。以前は無闇やたらに人を殴り付けたりなさったものを」しみじみとおっさんは言う。
 「何だか記憶を失って良かったと言ってるようじゃないか」俺は憮然と言い放ち、カップに注いだ紅茶をすする。ほのかな香りが未だに白濁する意識をはっきりとさせてきた。
 「いいえ、そんなことは…しかし実際それを喜んでいる者が多いのが事実ですな。以前の殿下は陛下とイリアス殿下以外心配してくれる人がいないほど嫌われておりましたし」答えて、同じく紅茶を啜る。
 「多分以前の俺なら君を切り殺しているかも知れないな」ずけずけと物を言う大臣に俺は言うが、彼に脅えの色は全くなかった。
 「おそらくその通りでしょうな。しかし殿下は変わりましたよ、こんな私にお茶を出すくらいですからね」
 その後、俺は様々なことを男から知った。それは知ったという新しい知識であり、決して思い出すというものはなかった。
 このリーガル王国は狭い国土をいつも侵略されようとしている。
 その1つの要因は北の魔族の脅威。山脈を越え、暖かい土地を目指す魔族と呼ばれる魔法を操る一族が、山脈の麓を狙っているのだ。
 もう1つはこの国が南東にある大国メルー帝国である。
 元来この国の土地は痩せ衰え、ちょっとした冷夏などがあれば飢饉に陥る。また、湿地帯が多いことから疫病が流行る事が多い。その際に帝国から経済的に大きなダメージを与えられることが多いのだ。
 それは国家レベルではなく商人達個人レベルだが現在のリーガル王国の市場の半分は帝国の影響を直接受けているといっても過言ではない。
 またこの国は戦力,経済力,文化レベル全てが低い。特に戦力などは常備軍がおよそ1000,兵力を総動員しても2万程しかない。
 同じような国が西のニース皇国であった。今回の俺との婚姻は弱小国2つが合わされば何とかなるだろうという、楽観的な発想からだ。また、ニースの世継ぎは3人の女子であり、男はいない。
 そして弟のイリアスはその秀でた能力から、3ヶ月前にメルー帝国の官僚として連れて行かれ広大な帝国の領土の遥か東に土地を与えられ、一諸侯となっている。
 3ヶ月前は疫病が流行り、その特効薬を帝国に買い占められ人質としてイリアスを出すことで提供してもらったのである。
 と、すればこの弱小王国を遠からず継ぐのは俺しかいない。しかし俺の評判は自分でも驚くほど酷いものである。今はまだ王子として国の政治に関わることはないがどうにかするべきではある。
 …ということです」ひとしきり説明を受ける。
 ちなみにこの男の名はセルゲイ,大臣は大臣でも宰相だそうだ。
 「まいったな,俺はそんな中で記憶がなくなっちまったっていうのか? マイナスでしなかないな」
 しかし宰相セルゲイは首を大きく横に振る。
 「今までがマイナスでしたから、0に戻った今、プラスですよ」
 「そんなに俺って悪い奴だったのか?」
 「…」無言のセルゲイ。なんか過去を調べたくなくなった。
 「なぁ、セルゲイ,お願いがあるんだが…」俺は今の状況を危ぶむ。
 ここいらでまともになっておかないと、記憶喪失を良い事に利用させる可能性が高い。
 「俺は何をやったら良いんだ?」この男を信用する訳ではないが、評判の悪かった王子に対し、物事をズケズケという辺りに,それもかなりの正論を言う辺りに少し信頼が持てる。
 セルゲイは瞬考の後…
 「まず、王族の為に必要な礼法,文字の読み書きを完璧にマスターする事ですな」言って、彼は嫌な笑いを浮かべた。
 「頼んで良いか?」
 「ええ、喜んで」
 そう、こうして地獄のような日々が始まったのである。



 あくる日、俺はさして広くはない城内を見学ついでに歩き回っていた。
 3階建ての城は会議室やら父のいる王の間やらがあったり、国教である豊饒と地の神,安息と水の神の神殿があったりする。
 そして悲しいことに俺の姿を見ると文官や女官等は逃げるようにして走り去り、騎士は汚いものを見るような目をしていた。
 俺は少々憮然としながら城の裏庭へとやってきた。そこは常備軍の訓練場となっていた。今でも蒸し暑い6月の日差しを浴びながら数十人の騎士達が木刀をぶつけ合っている。
 「何か御用ですかな? 殿下」ふと後ろから声を掛けられて振り返れば簡素な白いチェニックと腰に長剣を提げた騎士風の巨漢が俺を見据えていた。その視線に俺は驚く。
 敵意こそ向けてはいないが好奇の色を灯した3つの瞳に。
 その中年男の額には第三の目があった。セルゲイからそういった種族がいることは聞かされていたが実際目にすると驚くものである。
 確か彼ら三つ目族には不思議な力があると聞いたが。
 「ちょっと剣の稽古をつけてもらおうかと思ってね」
 「良い心構えですな。私がお相手いたしましょう」冗談半分で言ったつもりが彼は本気に取ったらしく、俺の腕を掴むと訓練場へと引っ張って行った。
 「さぁ、どこからでもかかってきなさい」木刀を構え、彼は言う。
 俺達2人を囲むように訓練していた騎士達が見物にはいる。俺は今更冗談だとは言うわけにもいかず、仕方無く木刀を取った。
 3つ目男は木刀を下段に構えている。俺は見よう見まねでそれを真似る。 
 「かかってこないのならこちらから参りますよ」言うが早いか、彼は信じられないスピードで突っ込んできた。男の木刀が見えない!
 俺は右側に木刀を構えた。運が良かったのか、男の木刀は俺の右を狙ってきたので何とか食い止めることができた。男は間合を取る為、後ろに下がる。
 「感,ですな。次はそうは行きませんよ」男が剣を構え直す前に俺は切り掛かって行った。確かに先程は運が良かったにすぎない。再び止めることができるほどの自信はなかった。
 「せりゃ!」俺の剣は軽く弾かれ、男の剣先はその隙に俺の額を叩いていた。
 そのまま意識が暗転し倒れる。薄れてゆく意識の中で見物人達の笑い声が俺を現実へと繋ぎ止めた。ここまでコケにされて黙っている訳にはいかない。
 痛む頭を押さえながらその場を去ろうとする3つ目男を呼び止める。
 「誰も参ったなど言ってないぜ」俺のセリフに男は口を吊り上げて不敵な笑みを浮かべる。そして再び剣を構えた。
 「どぉりゃっぁぁ!」切り掛かるが軽く受け流され、水月に木刀の塚を叩き込まれた。俺はうずくまりながらも木刀を杖代わりにして立ち上がる。 
 見物人の騎士達は笑っていたが、この3つ目男から笑みは消えていた。
 「思ったよりタフですな。手加減しなかったのですが。貴方、本当にアリアス殿下ですか?」
 「何寝ぼけ、てんだ…行くぜ!」俺は三度切り掛かる。しかし何故か3つ目男の剣の動きは変わっていた。
 「脇が甘い!」木刀を振り上げる俺の右腕を叩く。剣を落としそうになり後ろへ退く。そして今度は脇をしめて中段から切り上げた。だが今度は無防備の臑を叩かれた。余りの痛さに涙が出そうになる。
 「もう降参かな?」
 「まだまだぁ!」かくして日が落ちるまで俺と3つ目男の訓練は続いた。



 両手の間に生まれた青白い光が俺の痣だらけの体を包んだ。そして信じられないことに全ての怪我が消えていた。
 しかし疲労は一段と増したような気がするが。
 俺は癪だが3つ目男の肩を借りて、水の神の神殿へと連れて来られた。
 怪我と何より疲労で動けない俺を置いて、3つ目男は神官達のいる部屋へと行ったかと思うと一人の少女を連れて戻ってきた。
 漆黒の長い髪に純白の神官着と、 素朴で対称的な色の組み合わせをした17,8歳の、美女の部類に入る女性である。
 そして彼女は神の力を借りた神聖魔法なるものを行使し、俺の怪我を癒したという訳だ。
 「治った…嘘みたいだ」手足を確認して肝胆の声を上げる。
 「それでは…」やはり逃げるように立ち去ろうとする彼女の腕を俺は掴む。
 そこから彼女が震えていることが分かった。記憶を無くす以前の俺は一体どんな奴だったんだ?
 脅えた目で振り返る彼女に俺は務めて優しく言った。
 「ありがとう、また明日も来ると思うがその時はよろしく。君の名は?」
 少し驚くような表情で、それでいてやはり脅えながらも彼女は消え入りそうな声で答えた。
 「レティア…」
 「レティアか。可愛い名前だ。よろしくな」微笑み手を放すと、彼女は今度は逃げる事なく静かに戻って行った。
 「殿下、やはり記憶が戻っていないのですか」3つ目男は確認するように呟いた。
 「まぁね、今になって戻らないほうが良いような気がしてきたよ。取り合えず明日こそお前を打ち負かせてやるからな、3つ目男」ふらつく足で何とか起き上がる。
 「拙者にはカルバーナという立派な名前があります。ところで大丈夫ですか」3つ目男と呼ばれたのが気に入らない様子で憮然と尋ねる。
 俺はそれに無言で頷いた。
 「正直、驚きましたぞ、素質があるのですな。最後の方など、私の太刀筋を三回に一回は交わしていましたし」
 「あれだけ殴られればね。逃げ足だけは早くなるさ」傷は消えているが、一番痛かった額に、ふと手が行く。
 「これでも私がこの城では一番の剣の使い手ではあるのですが…そのうち陛下に抜かれてしまうでしょうな」
 「お世辞はいいよ」答えるが、カルバーナと言う男がセルゲイと同様にお世辞など気の効いた言葉など言わない男だと、俺は気づいてはいた。
 「剣術か…カルバーナ,といったな。明日から稽古を頼む。自分の身くらいは自分で守りたい」正直、記憶を無くす前は素手では強かったようだ。しかし武器を持った争いには勝てる自信がない。
 それにカルバーナは嬉しそうに鷹揚に頷いた。
 「明日から特訓ですぞ,私が陛下を国一番の剣士に仕立てあげてみせまする!」見えない夕日に向かって拳を握るカルバーナ。
 「あの〜、剣士じゃなくて王子なんすけど…これでも」だが、俺の言葉は騎士には届いていなかったようである。



 想像していたより質素な夕飯の後、セルゲイに文字の勉強を受ける。
 「ちがぁう! これはaです。cではありません!」カルバーナに木刀で殴られるよりも辛い時間が続く…,いつまで続くのか、こんな生活は…。
 そして記憶が戻る事なく、こんな調子で地獄のような三ヶ月がものすごく遅くも早く感じながら過ぎていった。



 ある昼下がり、カルバーナと一動きした俺は一人、何気なしに城門に足を運んだ。そう言えば、この3ヶ月,カルバーナと剣を買いに行ったというくらいでしか、外に出たことがない。
 セルゲイが言うには、一国の首都のくせに小さすぎるとのことだが、それでも首都は首都だけあり、それなりの活気はある。
 ふと空腹に腹が鳴る。城の料理にも飽きたところだ,外で食べるも悪くないな、思うが金を持っていなかった。
 「だいたい、金を持たせてもらえないとは一体どういうことだ?」そうセルゲイに言ったところでおそらく返ってくる言葉は、外に出る暇があったら勉強しろ,だろう。
 カルバーナに金を借りるという手もあるが、おそらくセルゲイと密に連絡を取り合っているだろうからやはりまずい。
 そもそもこの城に金なんてあるのだろうか? セルゲイが金がないないといつも頭を抱えているのを考えれば、俺への小遣いもカットされるのは当然のことか,いや、そこまでは…
 「…そういえば俺って友達いないよなぁ、あと頼れると言ったら…」ふと少女の顔が浮かぶ。
 「陛下、何を一人言、言ってるのですか?」その声が突然背後から。
 「だぁ〜、と,びっくりした。どうしてレティアがこんなところに」そこには驚きに目を大きく見開いた神官がいた。
 「…私の方が驚きました。どうかしたのですか? カルバーナ様の打ち所が悪かったとか」真摯な目で俺に尋ねる。
 レティアは最初にあった頃より、ずっと親しく話せるようになっていた。
 それだけ、カルバーナに痛めつけられたという事の裏返しだけど。
 「ま、まぁ、いろいろとね。レティアはどうしたんだい?」
 「私ですか? 買い物を神官長から頼まれて、これからそれを。殿下はこんな所で一体?」不思議そうに見つめるレティア。そう、彼女になら。
 「レティア!」俺は彼女の両肩を掴む。
 「な、何でしょう?」目を白黒させて、神官は驚きながら尋ねた。
 「金貸してくれ」
 「…上島竜平か、あんたは」



 街は始めてみるものばかりだった。三階建ての建物や見たこともない食料品,道具が店頭に並んでいる。
 そのどれもが俺の目には新しく、興味深いものだった。
 「殿下はおいくつなのですか? 大人のように見える時もありますし、今みたいに子供のように見えることもあります」隣を行くレティアが尋ねる。その青い瞳が楽しげに見えた。
 「十九だよ」俺は答える。父に聞いた所によるとだ。
 「じゃあ、私の方が年上なのですね」微笑むレティア。
 年上? …彼女をまじまじと見てしまう。雰囲気と体型はどう見ても俺より年上とは思えないんだが…。
 「君は何歳なの?」女性に歳を聞くな、と死んだ母が言っていたような気がするが、記憶を無くしているのだ,気のせいだろう。
 「22歳です」
 「ぶっ!」どう見ても十六、七くらいにしか見えない。
 俺はレティアに頼んで(騙して)城の神官専用の出入り口から出してもらったのだった。休みを貰ったということになっているのだが、ま、これくらいならセルゲイも許してくれよう(願望)。
 昼ご飯をおごってもらう代わりに、買い物を手伝っているのだが…。 
 「ま、まだあるのかい?」
 「ええ、あと少し」前が見えないほど荷物を持たされて、俺はレティアの後ろをよろよろと付いて行く。
 俺が手伝わなかったらこの荷物は全てレティアが持つ訳だ。こんな買い物をさせる上の連中は何を考えているのやら。
 「あとはシーツが十枚…と。おばさん、これ下さいな」俺ほどではないが同じように両手に荷物を持って、彼女は振り返る。
 「これで全部です。さ、お昼でも食べましょうか?」
 「そうだね、良く分からないから君に任せるよ」そう言った俺にふとレティアが俺の手を掴んで立ち止まる。
 そこは往来の多い通りに面した小さなレストラン。食欲をくすぐる香りが俺の鼻をつく。
 「ここの料理がおいしいんですよ。殿下はセルベルト風がお好きですか?それともアイリ風ですか?」
 「…任せます」ほとんど暗号のレティアの言葉に俺は額を押さえながら、導かれるままにその店に入った。



 そこは小奇麗な店だった。入った時間が遅かった為か、お昼のピークは過ぎて人はそれほどいない。
 「え…若鳥の、何だ?」メニューを見るが、まだ良く文字が分からない。ということで、レティアに任せた。
 「まだ文字は無理ですか?」
 「半分くらいは読めるんだけどね。どうも接続詞でつまずくんだ」
 「私も初めはそうでしたわ。じき、慣れますよ」言って微笑む。
 「初めっていつ?」
 「確か六歳頃…」確かに六歳の子供に負ける訳には行かない。
 「レティアはどうして神官になったんだい?」なんか近頃、ごたごたしていたが、振り返れば彼女と、そしてセルゲイとですら、ゆっくりと彼ら自身に関して話したことはなかった。
 「私の一族は代々王家付きの神官なんです。神官長は私の祖父ですわ」言われて神官長の顔を思い浮かべる。確か白髭の豊かな、今にも折れそうな老人だったような気がする。
 名前はフラーレ,だったか?
 「殿下は記憶を無くされて…不安に感じませんか?」ためらいがちに、逆に尋ねてくるレティア。
 それに俺はふと考える。不安でないというと嘘だが…。
 「過去を知る方が恐いね。なんかロクな事をしてなかったみたいだし」苦笑しながら応える。
 「…」無言になるレティア。
 「? どうしたの?」
 「い、いえ,何でもありませんわ…何でも」まるで自分に言い聞かせる様に彼女は小さく首を横に振った。
 「…俺が何かしたのか,かつて」
 「今の殿下には関係のない事ですから…記憶が戻っても、今の殿下でいて下さいね?」寂しく彼女は微笑んだ。その表情を見て、俺は何も聞けなくなった。
 “とんでもないこと,したんだな。おそらく…”
 「殿下は近頃カルバーナ様とセルゲイ様にしぼれらているみたいですね」忘れるかのように、レティアが努めて明るい声で言う。その配慮から本当に優しい娘だと、俺は実感する。
 「まぁね、でも為になることだしさ。それに何もせずにブラブラしてるよりずっとましさ。辛いことも多いけど、それと同じだけ嬉しいことも多いし」
 「嬉しいこと?」首を傾げ、レティア。
 「うん、例えばカルバーナと勝負しなけりゃ、君にもこうして合えなかっただろ?」
 「…はい」顔を赤らめ、俯くレティア。言った後、かなり恥ずかしい台詞であることに気が付く。
 しばらく静かな時間が過ぎる。
 と、給仕が料理を運んできた。
 香辛料の香りが鼻と食欲を刺激する。
 「さ、食べましょう」顔を赤らめたまま、レティアが言う。
 「ああ、いただき…」
 「出るんだ! 必ず、あの地層にはミシニア石が多く眠っているはずなんだ!」大声が店内に広がる。ナイフとフォークの手が止まった。
 「呼び出しておいて、そんな法螺話か,わしは帰るぞ!」隣のテーブル,顔をそちらに向けると商人風の中年男が悪態をつきながら店を出、ひょろりとした三十歳前半の眼鏡を掛けた学者風の男がその後ろ姿に何か悪言を投げている。
 「法螺話とは何だ、法螺話とは! これはちゃんとした調査に基づいて…」しかしその言葉は中年には届かず男は一人、頭を垂れて椅子に座った。しばらくの店内の沈黙の後、元の静かなざわめきが戻った。
 「レティア,ミシニア石って?」小声で俺は彼女に尋ねる。
 「魔力を帯びた希少金属だ,魔導師や神官の間では魔力増強に、錬金術師達にはエリキサなどに利用できるのだよ!!」
 「「わぁぁ!」」レティアは口を開くより先に、突然俺達の間に先程の男が入り込み、説明をかます。
 「い、いきなり何だ! あんたは!」椅子ごと一歩後ろに引き、俺は男に怒鳴る。
 「私は地質学者をやっている,ガイナ=ブラックモンドという者だ。あんた、この国の王子だろう?」キラリ,眼鏡の端が光る。
 「何を根拠に!」レティアが珍しく、はっきりとした否定の態度。
 「そうだ。良く知っているな」しかし俺はあっさりと認める。
 「陛下,はっ」言ってから彼女は俯く。
 「まぁな、我々学者や錬金術師と言った輩はあんたらのようなパトロンがいないと生きていけないからな」先程のテーブルから椅子を一つ、持ってきて俺達のテーブルの空いている所を陣取る。
 しかしおっさん,態度でかいぞ。心の中でそう呟く。
 「おまちどうさまでした」同時に追加分の料理が運ばれてくる。見たことのない料理とそれに伴う匂いがさらに俺の食欲をそそった。
 「いただきます」気を取り直して魚料理らしきものにフョークを刺す。
 「私の調査によるとここから70km程行った所に大きな岩山があるのだが、その真下にミシニア石が眠っているはずだ。そもそもミシニア石は数百年地殻変動の起こらない地層でのみ、生成される」
 「地の精霊アーシアの祝福を受けるためですね」オレンジジュースを一口、口に含んでからレティアは言う。
 「そう、他にも色々と生成される要因はあるがそれを全てクリアしている。これを見てくれ」言ってガイナは色々と資料を取り出す。が、当然俺達は見ても分からないので料理を摘みながら聞き流す。
 「で、この街の商人達にこの話を持ちかけているのだが…全く相手にしてくれん。証拠がないとか、発掘にいくら掛かると思っているのか、などとな」悔しげにガイナ。
 「例え発掘して出てきたとしても、そこに生まれるのは所有権を奪い合う争いだけです。発掘されなくて良かったと、私は思いますよ」穏やかに、レティアはそれに付け加えた。
 「私は出てくるという事実だけで良いのだ。所有権などは勝手に商人どもがやっていればな。学者としての実績は金などでは買えないのだから」
 「変わってるな、学者っていうのは。食べる?」フライドポテトを俺は勧める。
 「…ありがとう、すまないな,つい愚痴ってしまった。さて、気を取り直して次のパトロンを捜しに行くよ」ポテトを一口、彼は摘み立ち上がる。
 「その必要はないだろう? な、レティア?」
 「え? ちょっと、陛下,まさか」
 「この国の状況は知っている。今の王家に発掘するだけの資金がないことくらい私も知っているぞ」レティアとガイナの否定的な言葉。
 「その点は心配しなくても良い。ガイナ,働いてもらうぞ」料理の最後の一口を放りこみ、俺は立ち上がった。


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