白銀の剣



Second Expression  不調和な協奏曲
 「あのねぇ…、そんなものが出る訳ないでしょうが」セルゲイの非難。
 その隣ではカルバーナは呆れたように微笑んでいる。
 そして俺の前には闘技場いっぱいに騎士達およそ二百人が囲む。
 「この国はお前等に給料を払ってやってるんだ。発掘が嫌な奴は一人づつ掛かってて来い,勝ったらやらなくて良いが負けたら手伝ってもらうぞ,しかし手伝ってくれればもしもモノが出た場合、ボーナスをやる!」
 言って俺は剣を抜き、騎士達を睨んだ。同時にカルバーナとセルゲイは俺の横から退く。
 一人目、大柄な騎士が登場,頬の刀傷がプリティだ。
 「あんた、俺等を舐めてんだろ? 俺等はお前の趣味の剣じゃなく、殺しの剣だぜ」すらりと抜く、大剣に日の光が照り返す。
 「俺は趣味の剣なんて習った覚えはないぜ,さっさと来な」
 そして次の瞬間、騎士は俺の後ろで完全にのびていた。



 九十八人目、騎士の繰り出す槍をすり抜け、剣の塚で水月を叩く。
 「はぁはぁ…まだいるか!」騎士達が弱いのか、俺がカルバーナに鍛えられたせいで問答無用に強くなったのか,今のところ無敗だ。騎士達の間から感嘆の溜め息が聞こえている。
 「よくがんばった,だがこれで終わりだ!」九十九人目,放ち様のボウガンを捻って交わし、その騎士の顔面に裏拳をかます。
 「し、しかし段々と攻撃がえげつなくなってくるな…」騎士の再教育が必要と語るカルバーナだが、これはこれで勝つためには何でもするのだから見上げた根性ではなかろうか。
 「次は俺だぜ!」スキンヘッドのごろつき同然の男が俺の前に立ち塞がる。俺が疲れているから勝てると思っているのだろうが、どんなに疲れていてもある程度の強さは誇示できる。カルバーナの体使いはそういう動きなのである。
 しかし、俺が動く前に男が後ろから蹴り倒された。
 「だ、誰…うっ」スキンヘッドの男はその男を見て、何も言わずに逃げるようにして騎士達の和に消えて行く。
 「これで最後だ。いいな!」それは俺にではなく、騎士達に言ったものだ。それに渋々ながらも肯定の雰囲気とこの男が勝つに決まっているという安堵感があちこちから生まれる。
 「こいつは」白い板金の鎧はその古さは分かるが全く汚れてはいない。すなわち返り血を浴びる事なく戦い続けてきたのだろう,それは剣を振ってはいないのか、もしくはそれほど鋭い太刀筋なのか。
 騎士達の雰囲気からそれが後者であることが想像が付く。
 そして二十代後半か,がっしりとした体格にどちらかと言うとこっちの方が身分は上,といった風な貫禄と容姿をしていたりする。
 「しかし帰ってきてみれば変わった方がいるものだ。だが、何とも好感が持てるな」
 「勝手なこと言ってないで、さっさと始めるぞ!」しかし俺は気付いている,この若者は俺より、いやカルバーナよりも数段強いことを。
 「まぁ、待ちなさい」言って彼は何やら呟き、掌を俺に向ける。
 淡く輝いた彼の右手は俺の疲労を完全に取り去った!!
 「回復の法か、それも強力な」レティアのそれよりも遥かに強力なのだろう,疲れはほとんどなくなっている。
 「まず初めに自己紹介を。私はファウス=ラウンズ,正教会より祝福を受けし聖騎士です。以後御見を知りを」言って敬礼。
 なんだか何のことやら良く分からないが、そこいらの騎士とは格が違うということだ。聖騎士というからには、この国の騎士ではないのだろう。
 「そうか、ではいざ尋常に」
 「勝負!」打って出てくる。
 下段の剣を受けるが重たい,バランスが崩れたところで横一閃! 後ろにたたらを踏んで交わす。
 いかん、強すぎる。これ以上受けにまわっていてはいつかやられる。
 今度は俺が打って出る。上段から下段への切り返し、そしてその繰り返し。が、騎士の顔にはくやしくも余裕が見える。
 「強いですよ、貴方は。もしかして私よりも強くなるかも知れませんね」 
 「今、強くなくてはいけないのだがな」
 「私も立場上、負ける訳には…うっ!」突如、苦悶の表情で、一瞬ファウスの動きが鈍くなる。
 逃せないチャンスに俺の剣はファウスのそれを強く弾き、彼の背後に突き刺さっていた。
 「俺の…勝ちだ」ファウスに剣を突き付け、静まる闘技場。
 そして数瞬後…。
 うおおぉぉ! 沸き起こる歓声,それは紛れもなく俺に贈られたものだった。
 「勝負としては不本意なものだったが、ここは我慢してくれ」言って俺は膝を付くファウスに手を差し出す。それに彼は諦めの表情を浮かべた。



 「セルゲイはガイナとともに現場に必要な物資を,カルバーナは騎士達を選別してくれ。明朝には出発させろ」レティアに渡されたタオルで汗を拭いながら、俺は3人に指示を出す。
 否定的だったセルゲイはもはや諦めたのだろう、出ることを祈ってかガイナを伴って彼の作業に移る。
 カルバーナもまた、楽しげに微笑んで闘技場の方へ戻っていった。
 残るレティアとファウスを伴って俺は城内へと足を進める。
 「…レティア,やったね」俺は彼女に視線を移す。
 「まさかお前があれ程の力を出せるとは思いもしなかったぞ」こちらはファウス。それにレティアは溜め息をついて微笑む。
 「だってあそこで負ける訳にもいかなかったし。大体、兄さんはずるいわ,もっと早く出てくれば殿下もこんなに苦労しなくて済んだし、魔石探しなんて言う賭けをしないで済んだのに」レティアもまた魔石探しには当初から反対だったのだ。しかし途中で考えが変わったのだろう。
 あの時、ファウスの動きが一瞬鈍くなったのは彼女が何等かの魔法を使ったのである。その一瞬、彼女の雰囲気がファウスを捕らえたのを感じた。 
 「ちょっと、兄さんって?」言葉の中に引っかかるものがあった。それにファウスが答える。
 「私はラウンズ家の長男,レティアは私の妹ですよ」
 「え…じゃ、神官長の跡取り?」
 「まぁ、そうなります。言ったじゃないですか、聖騎士だって」
 「聖騎士って何なのか、知らないからなぁ」後でレティアに教えてもらったのだが、聖騎士とは普通の騎士とは異なり、神道にも精通した魔法戦士に属する万国共通で騎士として向かえられるのであるそうだ。
 当然、その強さは一人で一個師団に値するとも言われている。ちょっと大袈裟だが。
 「では、私達は神殿の方へ戻りますので」そう言うレティアに手を振り、俺は相変わらず資料という勉強道具の溜まる自室へと足を向けた。



 レティアはファウスとともに無言のまま神殿の間へと歩き続ける。
 「何故手を出した?」沈黙を破ったのはファウスの方だった。しかしそれにレティアは答えない。
 「何故あの男に笑顔を見せる? それにあの男の為に私を越える力を出せる?」そしてレティアは立ち止まり、ファウスに振り返る。
 「兄さんは殿下のことを…どう思うの?」極めて無表情に彼女は兄に尋ねた。
 「殺しても飽き足らないな,お前をあんな目に合わせた者だ」冷たく、言い放つ。
 それにレティアの体がビクリと震える。立ち止まる2人,レティアは何かを堪えるように、項垂れる。
 「さすがは視察官、とでも言って欲しいの?」顔を上げ、再び歩き出す二人。
 「剣の腕は非凡,報告からは異常なまでの上達速度だな。剣闘士としての素質はある。しかしレティア,お前が力を貸すのかは分からん,蒸し返して悪いが、お前にとって最も忌むべき存在のはずだろう?」
 「…友達に力を貸すのは悪くて?」
 「過去を捨て、友達か。友達で済ませられるのならば私も文句は言わん。だからといってお前が私の動きを止めるほどの力を出せるとも思えんが」
 「…人を好きになるのに理由なんてあるの? 兄さんは人を表面でしか見れないから、だからどんなことでも理由を欲しがる,違う?」一瞬の緊迫が二人の間を走る。が、この場を折ったのはファウスの方だった。 
 「ふふ,そうかもしれんな。報告はしばらく様子を見てからにするとしよう。だが、私は認めんぞ,これからのためにも」表向きの笑みは冷たい眼光の下ではその意味を失っている。
 が、レティアはそれを気にする風でもなく、神殿の間に足を踏み入れた。



 「ふぅ」俺は身をベットに投げ出す。早めの晩飯(やはりまずい)を食べ、これからセルゲイ出された宿題を片付けねばならないのだが、やはり昼間のあれが効いている。
 一度こうして横になると体が動かなくなる。今日のは本当に効いた。明日、動けるだろうか?
 「しかしファウスのお蔭で騎士全員と殴り合いしないで済んだんだよな、まぁ良しとしよう」しかし逆に考えるとあそこで負けてたら、魔石掘りの計画自体おしゃかだった。そうすると九十九人倒した意味がなくなる。
 「やっぱりあの騎士には気を付けないとな…」妙に俺の第六感に嫌なものが走る。好感を受けるレティアとは対称的な兄だ,表面は取り繕ってはいたが…。
 ガタッ! 音がした,近くだ。この俺の部屋の回りには人が居住する部屋はない。ちなみに警備兵なども俺自身の希望で払ってある。
 俺はベットで上を向いたまま耳を澄ます。
 バキッ! 固いものが割れる音。
 「きゃ!」
 「おぶっ!」
 そしてそれは天井を抜けて現れた。



 レティアはただ、黙々と運ばれてくる食器を洗い続ける。
 「ねぇ、見た? 今日の?」
 「すごかったよね、あのファウス様に勝っちゃうんだもの」彼女の隣で同じく洗い物をする二人の神官が話し始める。二人ともレティアと同じ、二十前半か十代後半の女性だ。
 「でもファウス様の方がかっこいいけどね」言うところは言う神官A。
 「そうそう、ファウス様が次期王様なら安心なんだけどね,そう思わない,レティア?」神官Bに急に振られて、レティアは手を止める。
 「…私は…べつに」再び手を動かしながらレティア。
 「そう? 普通なら断然ファウス様って思うけど」
 「ああ、いつもあの人の怪我,治してるから情がうつったとか?」
 「そんなんじゃ…ないけど」ゴシップを求めるおばさんのような二人の神官に彼女は口ごもりながら答える。
 「でもアリアスと話してる時のレティアってすごい楽しそうよ」アリアスと呼び捨てにされるところが、評判のが回復されていない事の証だった。
 「そうそう、普段と違ってなんか明るいし」
 「…私は」
 「ほら、しゃべってない」突然の声に三人は振り返る。そこには中年の神官服を着た女性がいた。
 「レティア,神官長がお呼びよ。いってらっしゃい」
 「は、はい」彼女は答え、濡れた手をタオルで拭くと三人を背に台所を出て行った。
 「神官長が何か?」神官Aが中年女性に尋ねる。
 「さぁ? 昼間のお使いについての何かじゃないかしら,さ、さっさと仕事仕事!」



 レティアは扉を軽くノックする。そして特に返事がないことを確認するとそれを開けた。
 「お呼びですか? おじい様」
 「入りなさい」柔らかな声に導かれ、彼女は部屋に入る。
 そこには歳にしておそらくこの城で最年長であろう。白く豊かな髪と顎髭を延ばした神官着を纏う老人がいた。
 神官長フラーレ,この国で唯一誇れる人物である。
 「今日は大変だったみたいだね」見えているのかいないのか、蝋燭の炎に照らされる細いその瞳は孫娘であるレティアに向けられている。
 「いいえ、私が大変だった訳では」答える彼女に老人は小さな手に乗るくらいの木箱を手渡す。
 「これは?」
 「殿下に渡してきて上げなさい。わし特製の疲労回復剤じゃ」
 「私が…ですか? おじい様がこれを?」老人は小さく微笑む。
 「嫌ならば他の者に行かせるが。もっともお前の笑顔が一番の薬になるじゃろうがな。さ、行きなさい」
 「はい…」そしてレティアは箱を手に老人の前を後にした。



 「う…」顔一面を柔らかい何かが覆う。息ができない。
 「いたた…ったく、天井が腐ってるなんて」声とともにそれは退かされる。
 「…」
 「…はろ〜」
 「…誰だお前?」俺の上に馬乗りになるそれ,歳の頃は二十かそこら、金色の長髪に茶色の瞳で俺を見つめている女性の姿があった。
 着ている黒一色の服装はどうみても泥棒のそれであった。
 「私はアイシャ、盗賊ギルドの使いよ。貴方かアリアス殿下ね」何か企みをその瞳に秘め、彼女は怪しく微笑んで言った。
 「そうだが…この城は貧乏で盗むものなんて家庭菜園にある野菜くらいだぞ」
 「泥棒じゃないわよ。私は取り引きにきたの,ギルドの長の代理としてね」盗賊ギルドとはどこにでもある裏の世界の元締めだ。
 犯罪にもルールはある。それを取り仕切り、ある程度管理抑制するのが集まって盗賊ギルドというものができたと言われている。
 「で、盗賊ギルドが俺に何の用だい? 取り引きなんてしても得るものなんてあるのか?」
 「ええ、貴方、ミシニア石を発掘しようとしているでしょう?」未だに馬乗りになったまま、彼女は続ける。話の流れから退いてくれというチャンスを失ってしまった。
 「もし発掘できたら、それを私達に流して欲しいのよ。もちろん正当な値段で引き取らせて頂くわ」
 「で? こっちが得るものは?」それに彼女は首を傾げる。
 「ミシニア石をさばいてあげることよ。知っているんでしょう? あの魔石は普通の商人じゃさばけないのよ。消費者が消費者だから」確か言っていた。ミシニア石を使うのは魔術師や錬金術師だと。当然、こういった輩は余り外をうろつかない。
 しかし俺はミシニア石が見つかった場合、それをどう使うかを決めている。もともと仲介者を通して売ってもらうなどと考えてはいなかったのだから。
 「お断わりするよ。わざわざ利益をギルドにくれてやる気はないし、それ以前につるんで良い相手といけない相手は見定めるつもりだ」
 「…」その返答に女性の目は点になる。予期していなかったようだ。
 「…へぇ、面白いわね。あんな学者の話に耳を貸すような奴だから変わっているとは思っていたけど…気に入ったわ、個人的にね」言って彼女はそのまま横たわる俺に唇をその頬に寄せる。
 「ミシニア石は出るわ。でもあの土地は竜が出るの,気を付けて」右の耳元に吐息をかけながら小声で囁く。
 トントン,不意にノックの音。そして扉が開く!
 「失礼します、陛下…あ…」立ち竦むレティア。
 「あ」
 「あら」身を起こすアイシャ,しかし遅い。
 パタン,扉が閉まり、駆け去って行く足音。
 「ああっ、誤解された!」アイシャを撥ね除け、俺は立ち上がる。
 「誤解されちゃ、まずい相手なの?」ベットの上で首を傾げる盗賊。
 「そうだよっ!」言い捨て、俺は彼女を追って部屋を飛び出した。
 「…あの娘が本命ね、私の色気が効かない訳だわ、こりゃ」アイシャは困ったような微笑みを浮かべると、そのまま一つしかない窓の方へと向かう。
 「また合おうね、殿下!」そして扉を開くとその身を外へと躍らせた!



 「何やったんです?」カルバーナは開口一番そう言った。
 「何もやってないよ…」見事に掌の形に赤く染まった右の頬を押さえ、俺は答える。
 朝一番、ガイナと騎士5名が、ミシニア石の眠るであろう場所へと向かって出発した。
 取り敢えずは身辺の調査といったところだ。
 目的地は十日程行った森の奥,一つだけ目立った岩山があるという。
 面倒なのはその森にはエルフと呼ばれる森の民が住んでいること。彼らは排他的なため、俺達が森に近づくことさえ許さないかも知れない。
 さらにその岩山付近は竜が住んでいるという。人を襲う被害などはないらしいが、いるのは確かのようだ。
 この辺をどうやって折り合いを着けていくかが問題だ。こちらが侵入者である限り、争いは絶対に避けたい。
 元傭兵の騎士を選りすぐったので、無事に戻ってこれると信じている。
 もっともガイナが戻ってこなければこの話はなかったものになるのだが。
 「先は長いな」昨夜の女盗賊の『ミシニア石はある』という確信に満ちた言葉を頭の中で反芻しながら、俺は青い空を見上げていた。



 それから一週間後、俺は相変わらず体を痣だらけにしながらその報告を耳にした。
 ニース皇国から婚約解消の親展が届いたのである。
 理由は俺に隠し子があったからとものだ。その噂はすでにこの国やニースだけでなく帝国にすら周知の事実であった。
 「そうなのか。隠し子がいたとはなぁ」新たなる事実に、もう勝手にしてくれという心境で俺はぶっきらぼうに呟いた。
 「しかしこれは虚実です」セルゲイは言う。
 「虚実と?」カルバーナが俺の心を代弁した。
 「隠し子がいるという噂だけで実際にその子供は存在しません。また噂の広がるスピードが自然のものではありません。おそらくこの婚姻を望まない者の仕業でありましょう」
 「誰だ? それは」
 「おそらくは帝国の仕業でありましょう。帝国は我らを潰しに掛かっています。例え弱小国であろうと2つ集まればそれなりのものになりますから」
 「帝国か…イリアスが人質だからな。まぁ、ということは帝国の手の者が大量にこの国に紛れこんでいるってことか?」未だ知らない弟の顔を思い浮かべる。
 「いいえ、この噂を流したのはおそらく盗賊ギルド…」暗い表情でセルゲイは呟いた。
 「盗賊ギルド…か」夜の女盗賊を思い出す。
 「街の裏世界を支配してる奴等だ。国単位でまとまっていることが多い。おそらく今回は帝国とこの国、ニースの3つのギルドが同時に依頼を受けたのだろう」カルバーナは陰鬱に答えた。確かに厄介な存在だ。
 「カルバーナ、この国の盗賊ギルドはどこにある?」
 「? そんなの聞いてどうするつもりだ?」警戒の色を浮かべ尋ね返す。 
 「乗り込んでデマを流すのを止めてもら…」
 「アホか、お前は!」
 「何も叫ばんでも…」
 「とにかくそんな危ないことはしないで下さい」セルゲイにも静かに叱られ、仕方無く引き下がることにした。
 こいつらに聞けないとするとあとは…。



 「相変わらずですね。さ、治りましたよ」夕方、カルバーナとの訓練で受けた傷をレティアの神聖魔法で癒してもらっていた。初めに比べて傷は減ったものの、やはり俺はカルバーナに傷一つ与えることはできずにいる。
 「サンキュ、レティア。ところで聞きたいことがあるんだけど」
 「何でしょう?」俺の隣に座り、清んだ黒い瞳を向けて尋ねる。
 「盗賊ギルドってどこにあるんだ?」その質問にしばらく彼女は思案した後、こう答えた。
 「以前の殿下はよく足を踏み入れていたと聞き及んでいますが…そうですね、下町の柄の悪い人達にでも尋ねれば教えてくれますよ。ところでそんなこと聞いてどうするです?」
 「え? いや、そこに行けば昔の記憶を取り戻せるかな〜って」適当な答えに彼女は悲しげに顔を伏せる。
 「私は殿下が今のままのほうが良いと思います,失礼なことだと思いますが」その悲しげな表情に嘘をついたことへの罪悪感が膨れ、つい口が滑べってしまった。
 「実は、噂があってね。…今でも悪いけど、近頃さらに俺の悪い噂を流してるのが盗賊ギルドの連中なんだ。そこに乗り込んでやらないと腹の虫が収まらなくて」レティアは驚いて顔を上げる。
 「そんな危ないこと、止めて下さい! 怪我でもしたらどうするんですか! …カルバーナ様にもそれを尋ねて断わられたでしょう?」彼女はしまったとでもいう風に詰め寄る。俺は軽く笑みを浮かべたまま立ち上がる。
 「そんな危ないことはしないで下さい。約束ですよ」彼女の声を背に聞いて聞かぬ振りをして、手を振り神殿の間を後にした。



 朝、俺は外の慌ただしさを耳にして目を覚ました。
 眠い目を擦って窓を開けると、早朝とも関わらずに兵士達がひしめき合い馬が嘶いている。常駐軍以上のその数はおそらく徴兵されたのであろう。 
 どうやら出陣のようである。しかしそれが何に対してかは分からない。
 俺はそれを確かめるが為、着替えて部屋を飛び出し兵士達の中心にある城門へと急いだ。
 廊下の一つ目の角を左に曲がった時、俺は何かに思いきりぶつかり倒れた。同じように倒れているのは白髪交じりの冴えない中年にして宰相のセルゲイである。
 「殿下、廊下を走ってはなりませんぞ」額を押さえ立ち上がろうとする彼を俺は助ける。
 「セルゲイ、外が騒がしいようだが」
 「遅くなりまして、それをお伝えに参りましたのです。北のジガー山脈から魔族が侵攻を開始しました。異形の化物にどれだけ抵抗できるかは図りかねますが王は全軍出立を命じました」
 「父上か。南のメルー帝国に対しての防備は大丈夫なのか?」俺の素朴な疑問にセルゲイは悪い顔色をさらに悪くする。
 「南東への防備は半分となりました。帝国と魔族が組んでいるという可能性はありますが、それの真偽が分かったところでどうしようもない状況ですな」
 「そうか。俺に何かできることはないかな?」おそらく何もあるまいが一応聞いてみる。
 「殿下はこの城で武芸の練習をしていろとカルバーナの言付けです。彼は先方隊の部隊長ですので、もうこの城を後にしました」セルゲイの言葉の裏には暗にカルバーナが生きて帰ってくる可能性が極めて低いということを仄めかせている。
 「ジガー山脈の魔族か…勝てるだろうか」俺は誰ともなしに呟いていた。
 ジガー山脈はここ,リーガル王国の首都ラッセルから早馬で北へひたすら走ると2日でたどり着くことができる。同様に南に対しても同じことが言えた。
 簡単に言えばこのリーガル王国は東西に長い小国なのである。
 その小国相手に南のメルー帝国は簡単には攻め込めないでいた。それはこの国の地形にある。
 この小国の地理は守るには極めて有利な自然の要塞が至る所に存在する。
 また、各地に存在する森林には人間とは異なる知能体,すなわち亜人と呼ばれる異種族が存在していた。
 彼らは人間社会とは無縁だが自らに危害が及ぶとなると、その人間にはない力で敵を打ち砕くという。そう言えばカルバーナもまた3つの目を持つ異種族であった。
 そんな訳で帝国は自国の被害を恐れて攻め入ることはなかったのだが、この一件で警備が薄くなったこの国に攻め込んでくるかもしれない。
 俺は未だ来ない未来に、底知れぬ不安を抱いていた。



 その日の昼には城内はいつもよりも静寂に包まれていた。警備兵は普段の5分の1、文官や神官に至ってもその半数が戦場へと駆り出されている。 
 元々軍事国と言う訳でもないがそれにしても軍事力が弱すぎる。
 リーガル王国は貧しく、そして人口もその風土と気候から少ない。また何にしてもセルゲイから聞いたことだが、税金不払い者が多いことが大きな要因の一つであろう。
 俺は腰に一振りの長剣を吊し目立たない茶色のマントを羽織って静かになった城内をそっと抜け出し、城下町へと向かった。目指すは盗賊ギルド。
 俺はレティアに言われた通り、裏通りの柄の悪そうな酒場に入る。1階建ての今にも崩れそうな木造の小屋の扉を開けると、中は煙草か何かの煙で充満していた。
 それについて何やら、甘ったるい頭が痛くなるような香りも混ざっている。
 酒場にはカウンター越しにバーテンのおじさんが1人と5・6人の客が思い思いの場所に腰を落ち着かせていた。その客の内の1人が俺を見て、慌てて走り寄ってきた。
 12,3歳くらいの垢ぬけた顔の小柄な少年だが、その表情からただならぬものを意識させている。
 「アリアスの兄貴、今までどこ行ってたんだよ!」泣き付く少年に何を言ったら良いか分からず、また展開に付いて行けずに茫然としていた時であった。
 「君、彼には色々なことがあったの。取り合えずここを出ましょう?」俺の後ろから来た人影は、そう囁いて少年の黒髪を撫でる。
 それに少年は呆気に取られたように立ちすくみ、そして頷いた。
 「げ、レティア」少年を静かにさせたのは俺と同じようなローブを羽織った顔見知りの神官だった。
 しかしながら彼女から発せられる雰囲気はこの場のそれと全く相異なっている。
 彼女は俺に目配せすると少年を連れて店を出た。俺もその後に付いて出る。
 出たところで待っていたのはレティアの悲しげな顔だった。
 「私との約束、結局守って下さらなかったのですね」俺の目を見据えて彼女は呟く。
 「や、約束なんてしてないだろ。そんなの勝手にお前が言い出したんじゃないか…」
 「…」レティアの目が潤む。目線を外そうとするが全く動かせなかった。
 「…ごめんなさい」素直に謝る。するとレティアの表情は、今まで何もなかったかのように笑顔になった。
 「う、嘘泣きか…きったねぇ」
 「騙したのはお互い様でしょう? ところで殿下、この子は?」言って少年を見る。彼は胸を張って彼女に言った。
 「アリアスの兄貴の一の子分、トリアレットってんだ。よろしくな、お姉ちゃん」
 「子分? 何のことだ? それは?」
 「ごめんなさい、トリアレット。彼は事故で過去の記憶を無くしているの。できれば話してくれない? 以前の彼のこと」レティアの言葉に少年トリアレットは叫びを上げそうになるのを口を押さえて堪えた。
 「兄貴、本当かい? 本当においらのこと忘れちまったのかい?」俺は首を縦に振る。トリアレットはがっくりと首をうなだれ、そして何を思ったか急に明るくなった。
 「話すよ、兄貴の昔を。それで全部思い出してくれよ」


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