僕の家の裏にはちょっとした林があって、その手前には小さな祠がある。
 祠とは言うけれど、実は立派な稲荷神社なのだそうだ。
 休みの日には友達のいない僕は、どちらかというと引きこもりがちになるので、初詣にはこの7,8年ここを利用させてもらっている。
 お正月の神社(?)だというのに誰一人として人がいないのと、なにより近いのが良い。
 もっとも普段から人がいないのだけれど。
 近所の人達はもうちょっと離れたところにある天神様を祭った比較的大きな神社へと足を運ぶそうだ。
 閑話休題。
 今年も元旦のお昼頃に目を覚ました僕は、とりあえず初詣にと一人、小さな稲荷神社へと向かう。
 空は晴天。その青さが肌に突き刺さる冷気をさらに鋭くしているようにも感じる。
 足元には一昨日に降った雪の名残りがアスファルトの上で茶色いシャーベットになって広がっていた。
 やがてそれも足跡一つないきれいな雪へと変わる。
 目の前にはいつもの通り、誰もいない稲荷社が寂しく建っている。
 僕は小さな木製の鳥居をくぐり、すぐ両脇に立つ2匹の稲荷の像の頭に積もった雪を落とした。
 ポケットから取り出すのは、いつもの5円玉。
 賽銭箱は「ない」ので、社の石段の所に置いておく。
 パンパン
 2回手を鳴らす。
 「あけましておめでとうございます」
 小声で呟く。さて、お願いは?
 去年は『ドラクエが予約なしでも買えます様に』だったっけ?
 運が良かったのか、店が仕入れすぎたのか、ちゃんと買えたっけな。
 その前は『海でおぼれたりしませんように』とかだったかな?
 もっとも海なんぞこの数年行っていないから、意味はないような気がするが。
 今年は、と。特に思い浮かばねいけれど。
 ……どうせ願うだけなんだし。
 ”かわいいカノジョでもできますように”
 祈り、自分自身に苦笑する。
 「さて、帰ってコタツでTVでものんびり観るかな」
 稲荷神社を出て、家へと戻る。
 角を曲がったところで、それは起こった。
 「えーい!」
 「?!」
 僕の胸の高さくらいの小さな影が飛んできたのだ。
 慌ててソレをかわす。
 「ふぇ?」
 ソレは気の抜けた声をあげてから、アスファルトの凍った残り雪にすべり、ごつんと顔から地面に衝突して動かなくなる。
 「あ、あのー」
 僕は恐る恐る声をかけた。
 ソレはふかふかの白いジャンパーをまとった小柄な女の子だ。
 色素の薄めなショートカットの髪の間に覗く瞳は、完全に回っている。
 ぽん
 何か、そんな音がした。
 「げ」
 続く声は僕の口から漏れていた。
 目の前の女の子のひざまでのスカートから、白いしっぽが数本覗いていたからだ。
 「げ」
 さらに続く声は、彼女の顔を見てから。
 頭には白い毛に覆われた、犬のような耳が生えている。
 ”ちょっと待て、さっきまでなかっただろ?!”
 僕は一歩後ずさりする。このまま家に帰ってしまおうか?
 ……………
 ………
 当然、いつもならそうするであろう選択を、何故かこの時の僕はしなかった。
 目を覚まさない、人じゃない彼女の肩を持ち上げ、あろうことか家に連れ帰ったのだった。
 多分、放っておいたらあまりにも可哀相だったからだと、そう思う。


 
 ベットの上でぐったりとしている少女は、見た目は可愛らしい女の子だった。
 耳と尻尾を除いて、だが。
 ”作り物じゃないのか?”
 髪から突き出ている尖った耳に触れてみる。
 ”あたたかい”
 引っ張ってみた。
 「うー」
 少女がうなされる様にうめくだけで、取れる気配がない。
 視線を変えて尻尾へ。
 スカートの裾から覗く白いふわふわな尻尾は8本だ。
 根元がどうなっているのか気になるところだけれど、それは犯罪くさいので止めておくことにする。
 代わりにそのうちの一本を引っ張ってみた。
 「むー」
 少女が再びうめく。
 力を入れて引っ張ってみた。
 「うひゃう!」
 上半身を起こす少女。僕と目が合う。
 「あ……」
 「起きた?」
 唖然とする彼女は、慌てて自分自身の体に手を当て、そしてその手は頭の耳のところへ。
 「あ、ああああ…」
 そして視線はスカートから覗く尻尾にも。
 「うーあー、どどどどど」
 「ど?」
 「どーしよーーーー!!!」
 彼女は不意に僕の胸倉を掴んで、ぐらぐらと前後に動かす。
 「忘れて、忘れてくださーい!!」
 「は…は、な、せっ!」
 僕は首を前後にかっくんかっくんとさせつつ、彼女の手を振り払った。
 と。
 「あれ?」
 目の前の彼女から、耳と尻尾が消えていた。
 「耳と尻尾は?」
 「な、なんのことですか?」
 視線を泳がせつつ、嘯く彼女。
 「いや、写真にも撮ってあるし。見る?」
 「うーあー、見逃してくださいぃぃぃ!!」
 ”写真は冗談なんだけどね”
 僕は一人、苦笑い。
 「とりあえず、お茶でも飲んで落ち着いて」
 言って僕は、あらかじめ用意しておいた湯呑みに淹れて少し経った日本茶を注ぐ。
 「は、はぃ……」
 消え入りそうな声でうつむき、彼女はほんのりと温かい湯呑みを手にした。
 小さな口で、一口。
 「ふぅ」
 「お茶請けも食べる?」
 小皿に乗せたソレを、彼女は嬉しそうに受け取った。
 「ありがとうございます♪ 私、油揚げ大好きなんですよって……正体バレバレですかっ?!?!」
 言いつつも、今夜の味噌汁の具に使おうと思っていたソレを美味しそうに食べている彼女。
 ”認めたくなかったけど、やっぱり人間じゃないんだなぁ”
 ありえない状況に、しかし冷静な自分が不思議だった。
 僕があまり驚かないのは、目の前の彼女の方が驚きまくっていて、変わりに僕の分も驚いてくれているからだと思う、多分。
 僕もまたお茶を一杯。
 「で、君は誰?」
 「私は……」
 「私は?」
 「……えっと、その」
 俯いていた目線をチラリと僕の方に向け、そして再び俯いてしまう。
 しばらく、とは言っても5,6秒くらいだと思うが、彼女は意を決したように顔を上げて僕を見た。
 「私は裏の稲荷社に住んでいる者です」
 「なるほど。で、君はお稲荷さんなんだ」
 「いえ、まだ違うんです」
 「まだ?」
 「えっと」
 言って彼女は、ぽんと音を立てて耳と尻尾を生やした。
 その尻尾を指差して、
 「九尾になって初めて、お稲荷さんを名乗れるんです。だから私はまだ……」
 「見習みたいなもの?」
 「は、はい、そうですね。人間のお願いを1つ叶えるたびに1本生えるんですよー」
 「じゃ、あと1つ願いを叶えれば良いわけだ」
 「そうなりますね」
 ”なるほど”
 「で、誰の願いを叶えるところだったんだい?」
 問いに、彼女は僕を見つめている。
 もしかして、
 「ME?」
 「YOU」
 「あー、そうなんだ」
 ”僕かよ。それはそうと願いを叶えるだって??”
 「僕の願いを叶えるって、どんな願」
 自らの問いに、つい先ほどの過去が思い出される。
 『かわいいカノジョでもできますように』
 しばし呆然とする僕。
 その間にも彼女は身の上を語っている。
 「去年のお願いは結構楽だと思ったら、寒空の下で徹夜だったんですよー。ドラクエでしたっけ? アレって面白いんですか?? あ、でもその前の年のお願いは…」
 「ちょっと待て!」
 「はい?」
 「どーやって叶えるつもりなんだ??」
 「何がですか?」
 「今年の僕の願いだよ」
 「この8年で一番難しいお願いですよ」
 困ったような、それでいて軽く微笑みながら彼女は続ける。
 「だって、こんなこと言っては失礼ですけど、女性のお友達、いらっしゃらないでしょ? だから」
 「だから?」
 「私自身がこうして出てきたわけです」
 「………」
 「でもいきなりドジしちゃって、正体バレちゃいますし……困りました」
 「……去年も」
 「はい?」
 「去年も、僕の願いを叶えたようなこと、いってたよね」
 「ええ。去年だけじゃありませんよ。その前も、そのまた前も。8年前にこの土地に引越しされてきたんですよね? その頃から年に1つづつ、叶えさせてもらってます」
 「何で、僕の願いを?」
 問いに、彼女はにっこり微笑み、
 「私でも叶えられそうなものばかりでしたから。万年落ちこぼれの私だけど、ようやくあと1つまできました♪」
 「…ていけ」
 「はぃ?」
 「出て行け!」
 僕は驚く彼女の襟首を掴み、玄関の戸を開けると外へ放り出す。
 「え、何が? えぇ?!」
 閉めた扉の向こうで、慌てる彼女の声がする。
 「ど、どうしてですか? 私、怒らせるようなこと言いました?!」
 「さっさと他のヤツの願いを叶えて、僕の前から消え失せろ!」
 結局は。
 結局はあと1つ願いを叶えるためだけに、偽者のカノジョを演じようとしていただけなんだ。
 8年間、大した中身のなかった僕の願い。
 その中でも欲を言った今年の願いも。
 「君にとっては、今年のも所詮は簡単な願いでしかなかったってことだろ」
 長い沈黙があった。
 けれどきっと数秒でしかなかったのだと思う。
 「違いますよ」
 扉の向こうから、小さな声が聞こえた。
 「最初はそうでしたけど、今はもぅ違うんです」
 かたん
 その音は彼女が背を扉に預けた音。
 「毎年、秋口になると、頭に乗った落ち葉を払ってくれましたよね」
 2体の稲荷像のことか。
 「今日も、雪を払ってくれました。それが、とても嬉しいんです」
 嬉しい?
 「だから、今まで些細なお願いでしたけど、だからこそ力のない私でもお礼ができたんです」
 かたん
 再び鳴ったその音は、彼女が扉から背を離した音。
 「今年のお願いを私がこんな風に叶えようと思ったのは、私の願いでもあったんですよ。もしも上手くいけば、そのままでも良いかなぁって。でもあっという間にボロが出ちゃったのは、こんな事しちゃいけないからって事なんですよね」
 彼女の言葉じりが揺れているのが分かった。
 「ごめんなさい。さようなら」
 消え入りそうな言葉を残し、走り去っていくのが分かった。
 けれど僕は扉を開けない。追いかけない。
 彼女の言葉を真実と捕らえることができなかったから。
 真実と捕らえるだけの度胸が、僕にはなかったから。
 だから僕は、
 かたん
 玄関の扉に背を預け、
 「バカだな」
 誰ともなく呟くしかできなかった。
 
 
 
 小一時間もしないうちのことだった。
 「火事だー!!」
 すぐ近くで、そんな悲鳴じみた声が聞こえた。
 暇なお正月休み、人はすぐに集まる。
 僕もまた、その人だかりが近所であることもあって慌てて外へ駆け出した。
 火元は……裏の林の、稲荷神社?!
 すでに小さな神社は近所の人達の消火器によって火は消し止められ、林への火の拡大は防がれていた。
 代償として、祠のような小さな神社は真っ黒に焦げ、半倒壊してしまっている。
 「タバコのポイ捨てらしいわよ」
 「怖いわねぇ」
 近所のおばさん達のそんな会話が聞こえてくる。
 やがて遅まきながら消防車が駆け付け、完全な消火活動を行い、見物人も去った後にはいつも通りの人の通らない神社前に戻る。
 だが肝心の神社事体は再建不能なほどに焼け焦げてしまっている。
 ただ何もできずにそれを見つめている僕は、自分がどうしたいのか分かってきていた。
 どうしてこの小さな神社が燃えてしまったのか?
 存在することに、誰にも迷惑をかけていないのに。
 不条理だ。
 どうして僕は彼女に怒ってしまったのか?
 どんな理由であれ、願いを叶え続けてくれていたのに。
 不条理だ。
 だから僕は、
 「そうか、謝らなくちゃ」
 そしてお礼を言いたかった。
 これまで願いを叶えてくれてありがとう、と。
 一人残った僕は、神社に近づく。
 2体の稲荷像のうち、1体は真っ黒に炭がつき倒れ、もう1体に至ってはなくなっていた。
 「どこに…」
 言葉は途切れる。
 焼けた社の影から、先ほどの少女が姿を現したから。
 ショートの前髪が一部焼けたのか縮れ、スカートやセーターにも焦げ跡が目立っている。
 「怪我は…大丈夫か?」
 彼女は伏せ目がちにコクリ、頷く。
 「まいったな、コレは」
 「はい、まいりました」
 困った顔で笑いながら、彼女は倒れた仲間の像を起き上がらせる。
 「んー!」
 びくともしない。
 「あ…」
 「せぇの、でいくぞ」
 「はい」
 「せぇの!」
 がこ
 一応は元の位置に戻すことができた。
 「で、どうするつもりだよ」
 「どうするって……」
 僕の問いに、彼女は焼けた神社を一望し、
 「どうしましょう」
 先ほどと同じ、困った顔で笑った。
 「ウチに、くる?」
 「え?」
 僕の言葉に、心底驚いた表情を見せる彼女。
 僕自身も、その言葉に驚いていた。言うべき言葉は謝罪とお礼だったはずなのに。
 「叶えてくれるんだろ、僕の願いをさ」
 右手を差し出す。
 彼女は僕の顔と、そして右手を交互に見つめながら。
 「はいっ!」
 嬉しそうに笑って、手を取った。
 冷たいその手を握り締めた、その瞬間だった。
 「「?!」」
 唐突に光が満ちる。
 それは彼女から生まれた光だ。
 ぽん
 音がしたかと思うと、彼女の背後に9つの尻尾が揺らめき、銀色の鋭い耳が髪の間から伸びていた。
 「神様に、なれちゃいました」
 ペロリ、舌を出す彼女。
 唐突に生まれた光は唐突に収まり、その後には火事の痕跡すらない元通りの社があった。
 「元通りに……??」
 「我ながら、凄い力ですね、コレ」
 尻尾と耳をしまって、お稲荷様という神様となった彼女もまた唖然と呟く。


稲荷 Confidences
1. 恋人=お稲荷様??


 真っ青な寒空が広がる年始のこの日。
 僕に、お稲荷様を名乗るカノジョができた。

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