稲荷 Confidences
2. 初対面×高圧的=嬉恥ずかし?


 僕にはお稲荷さんを名乗るカノジョがいる。
 交際を始めて2ヶ月、僕は彼女に姉がいることを今、知った。
 どういうことかというと、だ。
 「お前だな、妹と交際をしている人間は」
 大学からアパートの六畳一間に帰ってみれば、キツイ目をした巫女服の女性がいる。
 それもコタツに入り、テーブルの上のみかんまで食べていた。それも5個目に手を伸ばしているところだったりする。
 「誰?」
 唖然とした僕の問いに、彼女は艶やかな長い髪の間からぽん、と白い耳を生やす。
 「妹にふさわしい人間か、見極めさせてもらうぞ、ヒューマン」
 「うはぁ……」
 ちなみに僕の彼女は昨日から、狐の王国とやらに帰省(?)してしまっている。
 なんでも、
 「お稲荷さまの実技試験は合格なんですけど、あとは筆記試験と免許書の交付があるんです」
 と言っていた。
 ちなみに大宮駅で快速アーバン号に乗って旅立つ彼女は「すぐに帰ってきますから」と何度も繰り返し言いながら、涙を流しつつ帰っていったっけ。
 その様子に僕もつられて涙したのが、丁度12時間前だった。
 そして今は、カノジョの姉と名乗る女性が、鋭い目をして僕とコタツに入っている。
 「あのー」
 「なんだ?」
 「具体的には、どう見極めるんでしょう?」
 「な、なんだ。そんなことも分からんのか?」
 「ご、ごめんなさい」
 「貴様が妹にふさわしいところを私に見せれば良いだけの話だ。簡単なことだろう?」
 「……はぁ」
 全然具体的じゃない。
 むきむき
 彼女は本日5つ目のみかんをむき始める。
 手持ち無沙汰な僕もまた、みかんをむく。
 むきむき
 むきむき
 ぱく
 ぱく
 むぐ
 むぐ
 目の前の赤と白に映える巫女装束の彼女の、みかんを食べる様子を観察。
 まさに24時間前までは僕のカノジョが同じようにしていたのが思い出される。
 顔の輪郭は確かに似ていた。
 しかし目つきが鋭すぎるし、雰囲気がまるで正反対だ。
 何より、巫女装束と言うのがあまりにも不自然過ぎる。
 「な、なんだ? 私の顔に何かついているか?」
 「いえ、なにも」
 睨まれて慌てて目を背けた。
 間が持たない。
 ”コンビニでも行こうか”
 思った時だ。
 「では今日は帰る」
 「え?」
 彼女は立ち上がり、足早に玄関へ。
 「また明日も来る」
 「あ、はぃ」
 ばたん
 言い残し、玄関は閉じられた。
 「はぁ」
 自然と溜息が漏れる。
 そのとき、僕は気付いていなかった。
 同じように玄関の外でも、小さな溜息が聞こえていたことに。


 今日は9時から始まる講義に出席しなくてはならない。
 そうなるとこのアパートを8時50分に出れば間に合う。
 と、なると起床は8時40分で充分だ。
 僕は存分に朝寝を楽しみ、即効で身支度開始。
 買い置きの菓子パン1つと、冷蔵庫の中のスポーツドリンクをペットボトルのままに飲み干し。
 まだ早春なだけあって、外は寒い。
 ジャンパーを羽織り、靴をつっかけ、玄関を開けた。
 僅かな駆け足でアパートの自転車置き場へ。
 中古で買ったママチャリを引き出して、いざ!
 時間は8時52分。ここから大学までは僕の自転車速度ならば6分だ。
 立ちこぎを繰り返し、狭い住宅街を疾走する。
 やがて自転車はまっすぐな道に出る。道と平行し細い川が走っている。
 川を遡れば、大学に行きつく。
 「ギリギリだな、間に合うのか?」
 「間に合う、問題ない」
 問いに、答える。
 「問題ないということはない。教えを乞う者ならば、予定時間よりも早く入り予習すべきだぞ」
 「そんな優等生、最近じゃ見たことないよ」
 「見たことがないというだけで、それを否定するのか? 主体性がないな」
 「誰も否定はしてないだろ、あいにく僕は優等生じゃないって事だよ」
 「ふん、こんな男と付き合っているとは、嘆かわしいことだ」
 「?!」
 そこで気がついた、僕は誰と話しているのかを。
 今までの声は後ろから。
 チラリと目をやると、自転車の荷台に昨夜の彼女が横座りしていた。
 紺色のロングスカートを風になびかせ、薄紅色のセーターを着込んでいる。腰まである長い髪は肩のところで1つに縛っていた。
 昨日の巫女装束と違って、普通に見える。
 「いつの間に……」
 「何だ、気付いていなかったのか。嘆かわしい」
 「気付いていたさ。自転車が重かったからね!」
 「私は重くないっ!」
 実際はいつの間に後ろに座っていたのか、全く気付かなかったのだが。
 「ほら、遅れるぞ。時間通りに行動もできんのか? 嘆かわしいことだな」
 「くぅぅぅ!!!」
 僕はペダルを踏むスピードを上げる。
 その甲斐もあり、8時58分に講堂へ辿り着くことができたのだった。


 どうでもいいが、
 「どうして付いてくるんです?」
 講義を聴きながら、何故か隣に腰掛ける彼女に問うた。
 「昨夜言っただろう? 妹を任せるに足るだけの男であるかを見せてもらう、と。物忘れの激しいヤツだな、嘆かわしい」
 「っつーか、大学って関係者以外立ち入り禁止なんだけど」
 「私は関係者だろう?」
 ジロリと僕を睨みつける彼女。否定したらしたで、きっと難癖つけるんだろうなぁ。
 「……はいはい」
 「ハイは一度だ、馬鹿者」
 「へいへい」
 「……嘆かわしい」
 こうして午前中はじっと隣で監視を受けることとなった。
 ちなみに僕の数少ない友達たちは、彼女の睨みつけるような眼光に阻まれて遠巻きにこちらを見物しているだけだ。
 ああ、隣にいるのが……
 「今、隣にいるのが私ではなく妹だったらどんなに幸せか、と思っただろう?」
 「いいえ、思ってませんよ」
 「思え、愚か者!」
 思ったほうが良いのかよっ、心の中でツッコミを入れた。
 そんなこんなで、隣に監視を張り付かせながらお昼をむかえる。
 僕は彼女を伴って食堂へと向かう。
 学食はメニューは貧相だが、栄養価は非常に高いのが良い。
 また値段も安いところが、一人暮らしで物入りな学生にとっては救われるところである。
 「えーっと、何食べます?」
 食券が売っている自販機の前で、僕は彼女に尋ねた。
 「む、人間の施しなど受けん」
 「そうですか」
 僕は『きつねうどん』のボタンを押して、学食のおばちゃんのもとへ。
 出来立てのそれを受け取って、彼女の待つテーブルへ向かう。
 「お腹、空きません?」
 「問題ない」
 彼女はテーブルの上のきつねうどんを一瞥した後、視線を外へと移す。
 時間がお昼にもかかわらず、訪れる人間は少なかった。
 学食に集まる学生は、こう言っては失礼だが結構貧乏人が多い。
 少し財布が豊かであれば、学校の外にあるレストランへ足を運ぶのだ。
 こうしてここにきている僕は、はっきり言って財布がピンチである。
 ”そろそろバイトしないとなぁ”
 親からの仕送りは授業料のみなので、家賃や食費を考えると春休みはバイト漬けになりそうだ。
 ”でも春休み辺りから就職活動も始めておかないと”
 4月から4年生になることは確定したので、5月には就職面接まで漕ぎつかねばならないだろう。
 昨年までは大学院か、もしくは留年してしまえば、なんて思いもあったのだが。
 ”カノジョも頑張ってるんだから、僕も頑張らないとな”
 今ごろ狐の王国とやらで筆記試験を受けているであろうカノジョを思い出しつつ、僕は前に座るその姉を見た。
 相変わらず外を見ているその横顔は、姉を名乗るだけあって良く似ている。
 ”怒っていなければ、可愛いのにね”
 くー
 何か音が聞こえた。
 くー
 「ん?」
 目の前の彼女の頬が僅かに紅く染まっている。
 僕は手元のきつねうどんを見る。
 うどんは全部食べてしまった。中にはまだ手をつけていない油揚げが浮いている。
 ”ああ、やっぱり”
 「えっと、油揚げ食べます?」
 「……」
 彼女はぎこちなくこちらに目だけを向け、
 「いらん」
 くー
 また聞こえた。
 「じゃ、捨てちゃいますね。僕苦手なんで」
 ウソだけど。
 「ちょっと待て!」
 「食べます?」
 「……苦手なものを最初から頼むな。まったく、最近の人間ときたら食べ物を大事にしないな」
 ぶつぶつ言いながら、彼女は僕から箸とどんぶりをひったくった。
 そして油揚げを美味しそうに頬張る。
 初めて見る彼女の笑顔は、とてつもなく幸せいっぱいの表情だった。
 「学食のうどんでこんなに嬉しそうにする人、初めて見ました」
 「うるはい」
 口いっぱいに油揚げを頬張った彼女は、そう言ってまた顔を背けたのだった。


 お昼時。
 空は最近変わることのない青空。
 春の足音が聞こえ始める昨今は、外を歩いていてもほんのりと暖かだ。
 僕は彼女を連れ、午後一番目の講義のある教室へと向かう。
 「時間に余裕を持つのは良いことだ、うむ」
 隣の彼女は勝手に納得している。確かに講義の開始には時間が早いが、それには訳がある。
 多分、今日僕は何か問題を当てられる。それは偶然ではなく、必然。
 先日の講義で、僕の前の生徒番号まで当てられたのだ。間違いなく次は僕。
 もっともソレは口に出さないでおく。
 と。
 「よぉ、誰だい、その子は?」
 僕の前に4人の男達が立ちはだかった。一言で言えば『柄の悪い』連中。
 「…知りあいだよ」
 僕の答えに、真ん中のロングヘアの男がタバコをふかしながらニタリと微笑む。
 コイツは僕と同じゼミなのだが、授業にもロクに出ず、ただ籍を置いているだけの男だ。
 面識はあるが、親しくはない。
 「なんだ、知り合いか」
 ソイツは確認するように呟きながら、隣の彼女に向かって足を踏み出す。
 僕は自然と、その2人の間に割り込んだ。
 「テメエには用はないんだが」
 「僕にもお前には用がない」
 「どきな」
 強引に僕の脇を通りぬけ、ソイツは彼女の右手を取った。
 「こんなつまんねぇヤツと遊ぶんなら、俺達を遊ぼうぜ」
 「ふむ」
 彼女は小さく吐息。そしてソイツの手を軽く振り払った。
 「残念ながら、私はヤニを嗜む男とは仲良くなれそうもないのでな」
 「じゃ、止めるよ」
 くわえた煙草を投げ捨て、再度手を伸ばすソイツ。
 その様子を他の3人はニタニタ笑いを浮かべながら観察している。
 コイツを止めるでもなく、ただ成り行きを見守って楽しんでいるようだ。
 だから僕は、再びその間に割り込む。
 「邪魔だ」
 「お前、ふられてるんだ。あきらめろ」
 僕の言葉に、ソイツは伸ばした手を止める。
 「テメエ、この子の『知り合い』なだけだろ? 邪魔すんなよ」
 「邪魔するよ。彼女は僕の大事な人だからね」
 「なら、力づくで止めてみろよっ!」
 ソイツは拳を振り上げ、その態勢で硬直した。
 「??」
 男の顔が青くなっている。目は恐怖に見開かれ、そして。
 「うぁ」
 僕は彼女のいる後ろに下がる。彼はジーンズの股間を濡らしていた。も、漏らした?!
 「ひ、ひぃぃぃ!!」
 足をガクガク震わせ、彼はよろめきながらも全力疾走で、呆然とする後ろの仲間達を押しのけて逃げていく。
 残った3人は呆然としつつも、どうしたら良いか分からないと言った表情で辺りをキョロキョロと見渡し、そして。
 「おい、待てよ」
 逃げていった彼の後を追いかけていった。
 残された僕は後ろの彼女に振り返る。
 「何か…しましたね?」
 「ふむ。私はヤニの煙が苦手なのだ」
 袖で自身の鼻を隠しながら呟くようにして答える。
 「なので、ちょっと『恐怖』の概念を脳に直接ぶつけてやった」
 ニタリと、背筋に寒気が走るような陰気な笑みを浮かべつつ、彼女は答える。
 「……大丈夫なんですか、それって」
 「さぁ? 男ならそれくらい乗り越えて見せて欲しいものだ。それよりも」
 彼女は僕に擦り寄るようにして近づき、下から見上げて問うた。
 「君にとって私は大事な人なのだな」
 「そ、そりゃあ、僕のカノジョの姉さん、だからね」
 「フフフ」
 ぽす
 僕の胸を軽く掌で押し、彼女は元の距離に戻る。
 「それはそれで。嬉しいものだ」
 何故か嬉しそうな笑みを浮かべている彼女。
 それについ魅入ってしまった瞬間が、ちょうど講義開始の時間だったことに気付くのは、我に返った直後だった。

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