びしっ……
 それはささやかな亀裂。
 びししっ!
 小さな亀裂は大きなひび割れを呼ぶ。
 それに気づいたときには、もぅ遅い。
 びしっ!
 ごりっ
 ぶっ
 大きさは直径5mはあろうかという大きな岩。
 その岩には大人の腕ほどもあるしめ縄がかかっている。
 神事に用いられるその縄が、唐突に切れて落ちる。
 ばり!!
 それを合図に、大岩は真っ二つに割れた。
 「なんとっ!」
 肩で息をして駆けつけたのは禿頭の神主。
 彼の目の前には砕けて2つになった大岩。
 そしてその真中から立ち上る、白く僅かに光を帯びた煙。
 「逃すかっ,我、御奉る……」
 複雑な印を結び、詔を唱え始める彼をせせら笑うかのように、煙は一陣の風に乗って彼の脇を吹きぬけ、そして消えていったのだった。


稲荷 Confidences 2
1. 風化=胎動……??


 静かな夜だった。月に顔のない、暗い夜。
 星々の輝きのみが、灯りとなりうる新月の夜だ。
 時間は番犬すらも眠る、丑三つ時。
 出歩く者も、散歩にしゃれ込む猫すらいない、もの静かな住宅街で。
 バササッ
 そんな音を立て、とある一軒家の軒先に夜の闇と同じ色を持つ飛翔体が舞い降りた。
 いや、違う。
 夜の闇よりも、ずっと深い黒を全身に染み込ませた存在だった。
 烏である。
 しかしその大きさは普通の烏よりも一回り大きい。
 なにより、足が3本ある。
 『なんの用だ、八咫』
 声ではない、思念そのものがその飛翔体に下から投げつけられる。
 『なんの用もなにもなかろう。私がお前を訪れる、それから導き出される答えは至ってシンプルだ』
 烏は応える。
 目下の、玄関先に設けられた犬小屋から頭だけを出した一匹の犬に。
 『何を狩る?』
 犬からの問いに、烏は漆黒の瞳をくるりと回して言った。
 『いくら飼い犬に墜ちようとも話は聞いておるだろう。昨日、古き神が一柱解放された』
 『そんなもの、放っておけばそのうち消えるが邪霊化するだけだろう?』
 ため息と共に犬は応え、続けた。
 『神の眷属は自身を信じるモノがいなくては存在自体が保てない。基本であろうが』
 神はかれら妖と異なり、人々の信仰から生まれる存在である。
 古く、それも知名度の極めて低い、まさに忘れられた神などに現在強力な力を身につけていることなどはありえないことだ。
 『まぁ、そうなのだが』
 烏はまるで微笑んだかのように嘴を半開きにして続ける。
 『この半日で3回、因果律が乱された』
 『ほぅ』
 『1つはひったくりが突然現れた車に引かれ、軽傷。1つは老婆がつまづきそうになったところを強い風が吹いて持ち直した事、そしてもう1つは』
 『どうでもいいことだな』
 『事象がなんであれ、因果律を乱したことには違いない』
 因果律を乱す―――すなわち意図的に時間の流れを操作し、起きるべき事象を起こさない/他の事象に起きかえること。
 これは今回の乱した結果がどんな些細な事であれ、後の世に何らかの影響を与えうることだ。
 万人に平等に訪れる時間の流れだけは、人や妖が操るものではなく、また操るべきものではない。
 唯一それが可能なのが神に属する存在だが、彼らの間でもその行為は固く禁じられている。
 『しかし3回も時間に干渉したとなると、さすがに力尽きているのではないか?』
 『それも確認するのが、お前の仕事だ』
 犬の問いに烏はそう答えた。
 しばらくの沈黙に2匹はその身を闇に預け、
 『分かった。請け負おう』
 『それが良い。お前の飼い主にいつなんどき、巻き込まれるか分かったものではないからな』
 犬が烏を睨みつけると同時、黒の飛翔体が鳥目という特質自体を全く無視して夜の空へと舞い上がる。
 『では、期待しているぞ』
 一言、そう言い残し闇の烏は星空の向こうへと消えていった。
 残された犬は、夜明けまでの短い時間を余すことなく睡眠へと用いる事とするようだった。

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